教科書


授業
では、今日は教科書の本文を中心に、「一天下泰平の世の中」について学んでいきます。
この時間のいちばん大切な問いは、学習課題にもあるように、「江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。」ということです。
ただ言葉を覚えるだけでなく、本文、図、グラフ、解説文をつなげながら、江戸時代の社会のしくみをしっかり理解していきましょう。
そして最後には、「確認しよう」「説明しよう」で、本文をもとに自分の言葉で答えられるところまで進めます。
まず、ページの上の大きな題名を見てください。
「一天下泰平の世の中」とあります。
これは、戦国時代のように大きな戦乱が続く社会ではなく、全国がほぼ統一され、平和が続く時代になったことを表しています。
この平和な時代だからこそ、産業や経済が発達していきました。
ページ上の問いにも、「なぜ江戸時代に産業や経済が発達したのだろうか。」とあります。
つまり今日は、平和な時代の社会のしくみを学ぶことで、なぜ経済が発達したのかも見えてくるのです。
まず右上の円グラフを見てください。
江戸時代の身分別人口構成が示されています。
図を見ると、百姓が全体の大部分を占めていて、武士は少ないことがわかります。
ここで大切なのは、人数が少ない武士が、どうして支配する側でいられたのかという点です。
この疑問は、本文を読むと解けてきます。
つまり、江戸時代は人数の多さで力が決まるのではなく、身分制という社会のしくみによって支配が成り立っていたのです。
では本文の最初の大事なところを見ていきます。
本文には、「社会の安定を目指した幕府は、豊臣秀吉のときに行われた兵農分離をさらに進め、人々の住む場所を分けるなどして、18世紀までに、武士と百姓・町人の身分を区別するしくみを固めていきました。」とあります。
ここはとても重要です。
江戸時代の身分制は、自然にできたものではなく、幕府が社会を安定させるためにつくり、固めていったものなのです。
兵農分離とは、武士と農民の立場を分けることです。
そして、住む場所まで分けることで、それぞれの身分の役割をはっきりさせました。
武士は支配する側、百姓は年貢を納めて農業を支える側、町人は商業や手工業を支える側というように、社会の役割が整理されていったのです。
さらに本文には、「この過程で、百姓や町人に組み入れられなかった人々の一部は、差別されることになりました。」とあります。
ここも必ず押さえたいところです。
江戸時代の身分制は、社会を安定させるはたらきをもちましたが、その一方で、差別を生み出すしくみでもありました。
つまり、江戸時代の社会は、平和で安定していた面だけでなく、不平等や差別の面もあったということです。
次に、武士について本文を見ます。
「この身分制の下で、政治を行う支配者の身分とされた武士は、主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負いました。」とあります。
ここから、武士はただえらい身分だったのではなく、政治や軍事を担当する役割を与えられていたことがわかります。
つまり、支配する立場であるかわりに、社会を治める責任も負っていたのです。
一方で、武士には特権もありました。
本文には、「名字を名乗ることや、刀を差すこと(帯刀)などの特権をもちました。」とあります。
名字や帯刀は、武士であることをはっきり示すしるしです。
つまり江戸時代では、見た目や呼ばれ方からも身分の違いがわかるようになっていたのです。
さらに、「武士は幕府や藩の役職に就き、石高に応じて、幕府や藩から領地や米が支給されました。」とも書かれています。
ここも大切です。
武士は自分で農業や商売をして生活するのではなく、年貢として集められた米などによって生活していました。
つまり、百姓が納めた年貢が武士の生活を支えていたのです。
ここで、ページ上の年貢米を納める絵を見てください。
百姓が俵から米を出し、升で量り直しています。
蔵の前には武士がいて、不正がないか確かめています。
この図からわかるのは、年貢がとても重要であり、厳しく管理されていたということです。
本文で武士の生活を年貢が支えたとあることと、この絵はしっかりつながっています。
つまり、百姓の生産と年貢のしくみが、江戸社会全体を支えていたのです。
次に百姓について見ていきます。
本文には、「全人口の80%以上を占めたのは百姓で、大部分は村に住み農業を営む農民であり、自給自足に近い生活をしていました。」とあります。
ここから、江戸時代の社会の土台は百姓だったとわかります。
食べ物をつくる人がいなければ、社会は成り立ちません。
しかも人口の大部分が百姓だったのですから、百姓の生活や村のしくみを理解することが、江戸時代を理解することにつながります。
さらに百姓の中にも違いがありました。
「農地をもつ本百姓と、農地をもたない水呑百姓などに分かれていました。」とあります。
つまり、百姓といってもみんな同じではありません。
土地をもち、ある程度安定した生活ができる人もいれば、土地をもたず苦しい生活をする人もいました。
江戸時代の社会は、身分の違いだけでなく、同じ身分の中にも差があったのです。
また、村の中には自治のしくみがありました。
本文には、「村の有力者は、名主(庄屋)・組頭・百姓代などの役目に就き、村の自治にあたりました。」とあります。
ここでいう自治とは、村のことを村の中でまとめることです。
年貢をきちんと納めることや、村の秩序を保つことなどを、村の有力者が中心となって行っていたのです。
つまり幕府や藩は、村全体を通して農民を支配していたといえます。
次に年貢です。
本文には、「農民に課せられた主な税は、収穫した米の40〜50%の年貢で、村が責任をもって納めました。」とあります。
収穫した米の半分近くを納めるのですから、百姓にとって年貢はとても重い負担です。
しかも、一人ひとりではなく、村が責任を負う形でした。
だから村の中で協力し合う必要もあれば、互いに見張るような関係も生まれました。
次に、続きの本文を見ます。
「幕府や藩は、安定して年貢を徴収できるように、村を通して農民に細かい指示を出したり、土地の売買を制限したりしました。」とあります。
つまり幕府や藩が一番大切にしたのは、安定して年貢を集めることだったのです。
年貢が集まらなければ、武士の生活も政治も成り立ちません。
だから土地の売買まで制限して、百姓が農業を続けられるようにしながら、同時に支配もしっかり行ったのです。
さらに、「五人組をつくり、互いに監視させて犯罪を防止したり、年貢の納入に連帯責任をとらせたりしました。」とあります。
五人組は、五戸前後を一つのまとまりにして、互いに責任を負わせる制度です。
これによって、幕府や藩は細かいところまで農民を統制することができました。
つまり、江戸時代の社会の安定は、ただ平和だから成り立っていたのではなく、こうした細かな統制によって支えられていたのです。
また本文には、「百姓は、藩などからの指示を理解したり、年貢などの計算や記録をしたりする必要性から『読み・書き・そろばん』も身につけていきました。」とあります。
ここもおもしろいところです。
支配のための制度が、結果として百姓の実用的な学びにもつながったのです。
つまり、社会が安定し、年貢や記録のしくみが整う中で、人々の知識や技能も高まっていったと考えられます。
これは、後の産業や経済の発達にもつながる大事な点です。
次に町人です。
本文には、「町人の身分は、商人と職人からなり、主に城下町に住みました。」とあります。
町人は、ものを売ったり、道具や品物をつくったりして、町の経済を支える存在でした。
百姓が農業で社会を支えたのに対して、町人は商業や手工業で社会を支えたのです。
さらに、「町人は、町内に土地や家をもつ一部の地主・家持と、それらをもたない多くの地借・店借などに分かれていました。」とあります。
ここから、町人の中にも豊かな人とそうでない人がいたことがわかります。
つまり、身分が同じでも、経済的な差があったのです。
そして、「地主・家持から選ばれた町役人が、町奉行の監督の下で町の自治を行いました。」とあります。
村に名主たちがいたように、町にも町役人がいて自治を行っていました。
こうして江戸時代は、村も町も、それぞれの集団の中でまとめ役を置き、幕府や藩の支配が行き届くようにしていたのです。
次に、差別された人々についてしっかり確認します。
教科書の緑色の囲みには、「近世の社会にも、中世と同じように、天変地異・死・犯罪など人間が計り知れないことを『けがれ』としておそれる傾向があり、それに関わった人々が差別されることがありました。」とあります。
ただし、そのすぐあとで、「この差別には正当な理由がなく、支配者に都合よく利用された不当なものであるといえます。」とも書かれています。
ここはとても大切です。
昔は差別があった、で終わってはいけません。
教科書は、その差別に正当な理由はなかったとはっきり書いています。
つまり、差別はまちがったものであり、社会を支配しやすくするために利用された面があったのです。
さらに本文には、「えたとよばれた人々は、死牛馬の取り扱いや皮革の製造、草履・雪駄づくりなどの履物づくりのほか、犯罪者の捕縛や行刑役などに従事しました。ひにんとよばれた人々は、町や村の警備・芸能などに従事しました。」とあります。
ここで重要なのは、差別された人々が、社会に必要な仕事を担っていたということです。
決して社会に不要な人々だったのではありません。
むしろ、人々の生活や社会の秩序を支える大切な役割を果たしていました。
図の「雪駄づくり」にも注目してください。
説明には、人々の生活に欠かせない雪駄も、差別された人々によってつくられ、竹の皮と牛や馬の革が使われたため水に強く、重宝されたとあります。
つまり、図や写真を見ると、差別された人々の仕事が実際に生活を支えていたことが具体的によくわかります。
本文と資料をつなげると、社会に必要な仕事をしていたのに差別されたという矛盾が、はっきり見えてきます。
次に、「文治政治への転換」です。
本文には、「17世紀後半になると、国内では幕藩体制が確立し、外国との関係も安定してきました。そこで5代将軍徳川綱吉は、武力ではなく学問や礼節を重んじる政治(文治政治)への転換を明確にしました。」とあります。
これは、戦うことが中心の時代から、秩序や学問を重んじる時代へ変わっていったことを意味します。
平和な時代に入ったからこそ、武力一辺倒ではなく、社会のルールや道徳を大切にする政治が必要になったのです。
その中で重視されたのが朱子学です。
本文には、「綱吉は学問を奨励し、特に儒学のなかでも、主君と家臣の主従関係や父子の上下関係を大切にする朱子学を重視して、文治政治の基本となる身分制の維持を目指しました。」とあります。
ここは確認問題にもつながる最重要部分です。
朱子学は、人と人との上下関係を大切にする考え方です。
だから幕府にとっては、武士が上、百姓や町人がその下という身分制を正当化し、維持するのに都合がよかったのです。
さらに本文には、「朱子学の考え方は、大名と家臣の関係のほか、商人の主人と奉公人、職人の親方と弟子の関係にも広がりました。」とあります。
ここから、朱子学は政治だけでなく、社会全体の人間関係に広がっていたことがわかります。
つまり、江戸時代の社会は、上下関係を重んじる考え方によって支えられていたのです。
続いて、「庶民の家でも、男の家長を主人とする『家制度』ができ上がり、財産や家業などを家長から長男一人が受け継ぐようになりました。」とあります。
これは、家の中にも上下関係や秩序がはっきりあったことを表しています。
社会だけでなく、家庭の中にも江戸時代の価値観が広がっていたのです。
さらに、「男尊女卑の風潮が社会に根づき、特に女性は、小さいときは親に従い、結婚して夫に従い、老いて子(長男)に従うことが求められました。」とあります。
ここから、女性が不自由な立場に置かれていたことがわかります。
ただし、右下の「歴史プラス 女性と学問」には、女性は『女大学』などで儒教思想や読み書きを学び、自分の考えを表現する素養を身につけ、学んだ知識を用いて武士の家へ奉公に出て経済的に自立する女性もいたとあります。
つまり、女性の立場には制約があった一方で、学問を通して力をつけ、自立する人もいたことがわかります。
本文と解説文を合わせて読むと、江戸時代の女性の生き方を一面的ではなく、多面的に見ることができます。
ここで、学習課題にしっかり答えます。
「江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。」という問いに対しては、江戸時代の身分制とは、幕府が社会の安定を目指して、武士・百姓・町人を区別し、それぞれの住む場所や役割を分け、武士を支配者の身分とし、百姓には年貢を負担させ、町人には商業や手工業を担わせた社会のしくみである、と答えることができます。
また、その身分制の中で、百姓や町人に組み入れられなかった一部の人々が差別されたことも、あわせて押さえる必要があります。
次に、「確認しよう」に取り組みます。
問題は、「朱子学の考え方について説明している箇所を、本文から書き出そう。」です。
答えになる中心部分は、本文の「主君と家臣の主従関係や父子の上下関係を大切にする朱子学」です。
ただ、書き出し問題としてよりていねいに書くなら、「綱吉は学問を奨励し、特に儒学のなかでも、主君と家臣の主従関係や父子の上下関係を大切にする朱子学を重視して、文治政治の基本となる身分制の維持を目指しました。」の部分を書けばよいです。
この問題では、「朱子学=上下関係を大切にする考え方」とつかめているかが重要です。
では、その意味も確認します。
なぜ幕府が朱子学を重視したのでしょうか。
それは、上下関係を重んじる考え方が、身分制を安定させるのに役立ったからです。
武士が上に立ち、百姓や町人がそれぞれの立場を守るという社会を維持するために、朱子学は都合のよい考え方だったのです。
次に、「説明しよう」に進みます。
問題は、「社会の安定化を図るため、江戸時代初めにどのような政策が行われたのか、説明しよう。」です。
これは、本文の前半を自分でまとめて説明する問題です。
答え方のポイントは三つあります。
一つ目は、兵農分離をさらに進めたことです。
二つ目は、人々の住む場所を分け、武士と百姓・町人の身分を区別するしくみを固めたことです。
三つ目は、村を通して農民を支配し、五人組や年貢の連帯責任などで統制したことです。
これを文章でまとめると、答えはこうなります。
社会の安定化を図るため、幕府は豊臣秀吉のときに行われた兵農分離をさらに進め、人々の住む場所を分けるなどして武士と百姓・町人の身分を区別するしくみを固めた。
また、村を通して農民に細かい指示を出し、土地の売買を制限し、五人組をつくらせて、年貢の徴収と農民の統制を進めた。
このように答えると、本文の内容をしっかりまとめた説明になります。
ここで最後に、今日の学習全体をまとめます。
江戸時代の身分制は、幕府が社会の安定を目指してつくり上げた社会のしくみでした。
武士は政治や軍事を担う支配者として特権をもち、百姓は年貢を納めて社会を支え、町人は商業や手工業で町を支えました。
その一方で、差別された人々もいて、社会に必要な仕事を担いながら不当な差別を受けていました。
また、徳川綱吉の時代には、朱子学を重視する文治政治が進み、上下関係を大切にする考え方が社会全体に広がりました。
そして、最初の問いにも戻れます。
なぜ江戸時代に産業や経済が発達したのか。
それは、幕府が身分制や村・町の自治、年貢のしくみなどによって社会を安定させ、平和な状態が長く続いたからです。
平和で安定した社会の中で、人々は農業、商業、手工業を発展させ、学問や読み書きも広がっていったのです。
つまり、江戸時代の経済の発達は、こうした社会のしくみの上に成り立っていたのです。
今日の授業では、本文を読みながら、図、グラフ、解説文をつなげて考えることで、江戸時代の身分制がただの暗記事項ではなく、社会全体を動かす大きなしくみだったことが見えてきました。
この理解ができれば、「確認しよう」「説明しよう」にも自信をもって答えられます。
次は、本文の大事な一文を自分で書き出したり、説明を短くまとめたりして、確実に自分の力にしていきましょう。
この時間のいちばん大切な問いは、学習課題にもあるように、「江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。」ということです。
ただ言葉を覚えるだけでなく、本文、図、グラフ、解説文をつなげながら、江戸時代の社会のしくみをしっかり理解していきましょう。
そして最後には、「確認しよう」「説明しよう」で、本文をもとに自分の言葉で答えられるところまで進めます。
まず、ページの上の大きな題名を見てください。
「一天下泰平の世の中」とあります。
これは、戦国時代のように大きな戦乱が続く社会ではなく、全国がほぼ統一され、平和が続く時代になったことを表しています。
この平和な時代だからこそ、産業や経済が発達していきました。
ページ上の問いにも、「なぜ江戸時代に産業や経済が発達したのだろうか。」とあります。
つまり今日は、平和な時代の社会のしくみを学ぶことで、なぜ経済が発達したのかも見えてくるのです。
まず右上の円グラフを見てください。
江戸時代の身分別人口構成が示されています。
図を見ると、百姓が全体の大部分を占めていて、武士は少ないことがわかります。
ここで大切なのは、人数が少ない武士が、どうして支配する側でいられたのかという点です。
この疑問は、本文を読むと解けてきます。
つまり、江戸時代は人数の多さで力が決まるのではなく、身分制という社会のしくみによって支配が成り立っていたのです。
では本文の最初の大事なところを見ていきます。
本文には、「社会の安定を目指した幕府は、豊臣秀吉のときに行われた兵農分離をさらに進め、人々の住む場所を分けるなどして、18世紀までに、武士と百姓・町人の身分を区別するしくみを固めていきました。」とあります。
ここはとても重要です。
江戸時代の身分制は、自然にできたものではなく、幕府が社会を安定させるためにつくり、固めていったものなのです。
兵農分離とは、武士と農民の立場を分けることです。
そして、住む場所まで分けることで、それぞれの身分の役割をはっきりさせました。
武士は支配する側、百姓は年貢を納めて農業を支える側、町人は商業や手工業を支える側というように、社会の役割が整理されていったのです。
さらに本文には、「この過程で、百姓や町人に組み入れられなかった人々の一部は、差別されることになりました。」とあります。
ここも必ず押さえたいところです。
江戸時代の身分制は、社会を安定させるはたらきをもちましたが、その一方で、差別を生み出すしくみでもありました。
つまり、江戸時代の社会は、平和で安定していた面だけでなく、不平等や差別の面もあったということです。
次に、武士について本文を見ます。
「この身分制の下で、政治を行う支配者の身分とされた武士は、主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負いました。」とあります。
ここから、武士はただえらい身分だったのではなく、政治や軍事を担当する役割を与えられていたことがわかります。
つまり、支配する立場であるかわりに、社会を治める責任も負っていたのです。
一方で、武士には特権もありました。
本文には、「名字を名乗ることや、刀を差すこと(帯刀)などの特権をもちました。」とあります。
名字や帯刀は、武士であることをはっきり示すしるしです。
つまり江戸時代では、見た目や呼ばれ方からも身分の違いがわかるようになっていたのです。
さらに、「武士は幕府や藩の役職に就き、石高に応じて、幕府や藩から領地や米が支給されました。」とも書かれています。
ここも大切です。
武士は自分で農業や商売をして生活するのではなく、年貢として集められた米などによって生活していました。
つまり、百姓が納めた年貢が武士の生活を支えていたのです。
ここで、ページ上の年貢米を納める絵を見てください。
百姓が俵から米を出し、升で量り直しています。
蔵の前には武士がいて、不正がないか確かめています。
この図からわかるのは、年貢がとても重要であり、厳しく管理されていたということです。
本文で武士の生活を年貢が支えたとあることと、この絵はしっかりつながっています。
つまり、百姓の生産と年貢のしくみが、江戸社会全体を支えていたのです。
次に百姓について見ていきます。
本文には、「全人口の80%以上を占めたのは百姓で、大部分は村に住み農業を営む農民であり、自給自足に近い生活をしていました。」とあります。
ここから、江戸時代の社会の土台は百姓だったとわかります。
食べ物をつくる人がいなければ、社会は成り立ちません。
しかも人口の大部分が百姓だったのですから、百姓の生活や村のしくみを理解することが、江戸時代を理解することにつながります。
さらに百姓の中にも違いがありました。
「農地をもつ本百姓と、農地をもたない水呑百姓などに分かれていました。」とあります。
つまり、百姓といってもみんな同じではありません。
土地をもち、ある程度安定した生活ができる人もいれば、土地をもたず苦しい生活をする人もいました。
江戸時代の社会は、身分の違いだけでなく、同じ身分の中にも差があったのです。
また、村の中には自治のしくみがありました。
本文には、「村の有力者は、名主(庄屋)・組頭・百姓代などの役目に就き、村の自治にあたりました。」とあります。
ここでいう自治とは、村のことを村の中でまとめることです。
年貢をきちんと納めることや、村の秩序を保つことなどを、村の有力者が中心となって行っていたのです。
つまり幕府や藩は、村全体を通して農民を支配していたといえます。
次に年貢です。
本文には、「農民に課せられた主な税は、収穫した米の40〜50%の年貢で、村が責任をもって納めました。」とあります。
収穫した米の半分近くを納めるのですから、百姓にとって年貢はとても重い負担です。
しかも、一人ひとりではなく、村が責任を負う形でした。
だから村の中で協力し合う必要もあれば、互いに見張るような関係も生まれました。
次に、続きの本文を見ます。
「幕府や藩は、安定して年貢を徴収できるように、村を通して農民に細かい指示を出したり、土地の売買を制限したりしました。」とあります。
つまり幕府や藩が一番大切にしたのは、安定して年貢を集めることだったのです。
年貢が集まらなければ、武士の生活も政治も成り立ちません。
だから土地の売買まで制限して、百姓が農業を続けられるようにしながら、同時に支配もしっかり行ったのです。
さらに、「五人組をつくり、互いに監視させて犯罪を防止したり、年貢の納入に連帯責任をとらせたりしました。」とあります。
五人組は、五戸前後を一つのまとまりにして、互いに責任を負わせる制度です。
これによって、幕府や藩は細かいところまで農民を統制することができました。
つまり、江戸時代の社会の安定は、ただ平和だから成り立っていたのではなく、こうした細かな統制によって支えられていたのです。
また本文には、「百姓は、藩などからの指示を理解したり、年貢などの計算や記録をしたりする必要性から『読み・書き・そろばん』も身につけていきました。」とあります。
ここもおもしろいところです。
支配のための制度が、結果として百姓の実用的な学びにもつながったのです。
つまり、社会が安定し、年貢や記録のしくみが整う中で、人々の知識や技能も高まっていったと考えられます。
これは、後の産業や経済の発達にもつながる大事な点です。
次に町人です。
本文には、「町人の身分は、商人と職人からなり、主に城下町に住みました。」とあります。
町人は、ものを売ったり、道具や品物をつくったりして、町の経済を支える存在でした。
百姓が農業で社会を支えたのに対して、町人は商業や手工業で社会を支えたのです。
さらに、「町人は、町内に土地や家をもつ一部の地主・家持と、それらをもたない多くの地借・店借などに分かれていました。」とあります。
ここから、町人の中にも豊かな人とそうでない人がいたことがわかります。
つまり、身分が同じでも、経済的な差があったのです。
そして、「地主・家持から選ばれた町役人が、町奉行の監督の下で町の自治を行いました。」とあります。
村に名主たちがいたように、町にも町役人がいて自治を行っていました。
こうして江戸時代は、村も町も、それぞれの集団の中でまとめ役を置き、幕府や藩の支配が行き届くようにしていたのです。
次に、差別された人々についてしっかり確認します。
教科書の緑色の囲みには、「近世の社会にも、中世と同じように、天変地異・死・犯罪など人間が計り知れないことを『けがれ』としておそれる傾向があり、それに関わった人々が差別されることがありました。」とあります。
ただし、そのすぐあとで、「この差別には正当な理由がなく、支配者に都合よく利用された不当なものであるといえます。」とも書かれています。
ここはとても大切です。
昔は差別があった、で終わってはいけません。
教科書は、その差別に正当な理由はなかったとはっきり書いています。
つまり、差別はまちがったものであり、社会を支配しやすくするために利用された面があったのです。
さらに本文には、「えたとよばれた人々は、死牛馬の取り扱いや皮革の製造、草履・雪駄づくりなどの履物づくりのほか、犯罪者の捕縛や行刑役などに従事しました。ひにんとよばれた人々は、町や村の警備・芸能などに従事しました。」とあります。
ここで重要なのは、差別された人々が、社会に必要な仕事を担っていたということです。
決して社会に不要な人々だったのではありません。
むしろ、人々の生活や社会の秩序を支える大切な役割を果たしていました。
図の「雪駄づくり」にも注目してください。
説明には、人々の生活に欠かせない雪駄も、差別された人々によってつくられ、竹の皮と牛や馬の革が使われたため水に強く、重宝されたとあります。
つまり、図や写真を見ると、差別された人々の仕事が実際に生活を支えていたことが具体的によくわかります。
本文と資料をつなげると、社会に必要な仕事をしていたのに差別されたという矛盾が、はっきり見えてきます。
次に、「文治政治への転換」です。
本文には、「17世紀後半になると、国内では幕藩体制が確立し、外国との関係も安定してきました。そこで5代将軍徳川綱吉は、武力ではなく学問や礼節を重んじる政治(文治政治)への転換を明確にしました。」とあります。
これは、戦うことが中心の時代から、秩序や学問を重んじる時代へ変わっていったことを意味します。
平和な時代に入ったからこそ、武力一辺倒ではなく、社会のルールや道徳を大切にする政治が必要になったのです。
その中で重視されたのが朱子学です。
本文には、「綱吉は学問を奨励し、特に儒学のなかでも、主君と家臣の主従関係や父子の上下関係を大切にする朱子学を重視して、文治政治の基本となる身分制の維持を目指しました。」とあります。
ここは確認問題にもつながる最重要部分です。
朱子学は、人と人との上下関係を大切にする考え方です。
だから幕府にとっては、武士が上、百姓や町人がその下という身分制を正当化し、維持するのに都合がよかったのです。
さらに本文には、「朱子学の考え方は、大名と家臣の関係のほか、商人の主人と奉公人、職人の親方と弟子の関係にも広がりました。」とあります。
ここから、朱子学は政治だけでなく、社会全体の人間関係に広がっていたことがわかります。
つまり、江戸時代の社会は、上下関係を重んじる考え方によって支えられていたのです。
続いて、「庶民の家でも、男の家長を主人とする『家制度』ができ上がり、財産や家業などを家長から長男一人が受け継ぐようになりました。」とあります。
これは、家の中にも上下関係や秩序がはっきりあったことを表しています。
社会だけでなく、家庭の中にも江戸時代の価値観が広がっていたのです。
さらに、「男尊女卑の風潮が社会に根づき、特に女性は、小さいときは親に従い、結婚して夫に従い、老いて子(長男)に従うことが求められました。」とあります。
ここから、女性が不自由な立場に置かれていたことがわかります。
ただし、右下の「歴史プラス 女性と学問」には、女性は『女大学』などで儒教思想や読み書きを学び、自分の考えを表現する素養を身につけ、学んだ知識を用いて武士の家へ奉公に出て経済的に自立する女性もいたとあります。
つまり、女性の立場には制約があった一方で、学問を通して力をつけ、自立する人もいたことがわかります。
本文と解説文を合わせて読むと、江戸時代の女性の生き方を一面的ではなく、多面的に見ることができます。
ここで、学習課題にしっかり答えます。
「江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。」という問いに対しては、江戸時代の身分制とは、幕府が社会の安定を目指して、武士・百姓・町人を区別し、それぞれの住む場所や役割を分け、武士を支配者の身分とし、百姓には年貢を負担させ、町人には商業や手工業を担わせた社会のしくみである、と答えることができます。
また、その身分制の中で、百姓や町人に組み入れられなかった一部の人々が差別されたことも、あわせて押さえる必要があります。
次に、「確認しよう」に取り組みます。
問題は、「朱子学の考え方について説明している箇所を、本文から書き出そう。」です。
答えになる中心部分は、本文の「主君と家臣の主従関係や父子の上下関係を大切にする朱子学」です。
ただ、書き出し問題としてよりていねいに書くなら、「綱吉は学問を奨励し、特に儒学のなかでも、主君と家臣の主従関係や父子の上下関係を大切にする朱子学を重視して、文治政治の基本となる身分制の維持を目指しました。」の部分を書けばよいです。
この問題では、「朱子学=上下関係を大切にする考え方」とつかめているかが重要です。
では、その意味も確認します。
なぜ幕府が朱子学を重視したのでしょうか。
それは、上下関係を重んじる考え方が、身分制を安定させるのに役立ったからです。
武士が上に立ち、百姓や町人がそれぞれの立場を守るという社会を維持するために、朱子学は都合のよい考え方だったのです。
次に、「説明しよう」に進みます。
問題は、「社会の安定化を図るため、江戸時代初めにどのような政策が行われたのか、説明しよう。」です。
これは、本文の前半を自分でまとめて説明する問題です。
答え方のポイントは三つあります。
一つ目は、兵農分離をさらに進めたことです。
二つ目は、人々の住む場所を分け、武士と百姓・町人の身分を区別するしくみを固めたことです。
三つ目は、村を通して農民を支配し、五人組や年貢の連帯責任などで統制したことです。
これを文章でまとめると、答えはこうなります。
社会の安定化を図るため、幕府は豊臣秀吉のときに行われた兵農分離をさらに進め、人々の住む場所を分けるなどして武士と百姓・町人の身分を区別するしくみを固めた。
また、村を通して農民に細かい指示を出し、土地の売買を制限し、五人組をつくらせて、年貢の徴収と農民の統制を進めた。
このように答えると、本文の内容をしっかりまとめた説明になります。
ここで最後に、今日の学習全体をまとめます。
江戸時代の身分制は、幕府が社会の安定を目指してつくり上げた社会のしくみでした。
武士は政治や軍事を担う支配者として特権をもち、百姓は年貢を納めて社会を支え、町人は商業や手工業で町を支えました。
その一方で、差別された人々もいて、社会に必要な仕事を担いながら不当な差別を受けていました。
また、徳川綱吉の時代には、朱子学を重視する文治政治が進み、上下関係を大切にする考え方が社会全体に広がりました。
そして、最初の問いにも戻れます。
なぜ江戸時代に産業や経済が発達したのか。
それは、幕府が身分制や村・町の自治、年貢のしくみなどによって社会を安定させ、平和な状態が長く続いたからです。
平和で安定した社会の中で、人々は農業、商業、手工業を発展させ、学問や読み書きも広がっていったのです。
つまり、江戸時代の経済の発達は、こうした社会のしくみの上に成り立っていたのです。
今日の授業では、本文を読みながら、図、グラフ、解説文をつなげて考えることで、江戸時代の身分制がただの暗記事項ではなく、社会全体を動かす大きなしくみだったことが見えてきました。
この理解ができれば、「確認しよう」「説明しよう」にも自信をもって答えられます。
次は、本文の大事な一文を自分で書き出したり、説明を短くまとめたりして、確実に自分の力にしていきましょう。
教科書 本文
一 天下泰平の世の中
なぜ江戸時代に産業や経済が発達したのだろうか。
身分制の下での暮らし
学習課題
江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。
身分制と武士
社会の安定を目指した幕府は、豊臣秀吉のときに行われた兵農分離をさらに進め、人々の住む場所を分けるなどして、18世紀までに、武士と百姓・町人の身分を区別するしくみを固めていきました。
この過程で、百姓や町人に組み入れられなかった人々の一部は、差別されることになりました。
この身分制の下で、政治を行う支配者の身分とされた武士は、主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負いました。
一方で、名字(姓)を名乗ることや、刀を差すこと(帯刀)などの特権をもちました。
武士は幕府や藩の役職に就き、石高に応じて、幕府や藩から領地や米が支給されました。
百姓・町人
全人口の80%以上を占めたのは百姓で、大部分は村に住み農業を営む農民であり、自給自足に近い生活をしていました。
農民は、農地をもつ本百姓と、農地をもたない水呑百姓などに分かれていました。
村の有力者は、名主(庄屋)・組頭・百姓代など村方三役という役目に就き、村の自治にあたりました。
農民に課せられた主な税は、収穫した米の40〜50%の年貢で、村が責任をもって納めました。
年貢は藩や幕府に納められ、武士の生活を支えました。
幕府や藩は、安定して年貢を徴収できるように、村を通して農民に細かい指示を出したり、土地の売買を制限したりしました。
さらに、五人組をつくり、互いに監視させて犯罪を防止したり、年貢の納入に連帯責任をとらせたりしました。
また、百姓は、藩などからの指示を理解したり、年貢などの計算や記録をしたりする必要性から「読み・書き・そろばん」も身につけていきました。
町人の身分は、商人と職人からなり、主に城下町に住みました。
町人は、町内に土地や家をもつ一部の地主・家持と、それらをもたない多くの地借・店借などに分かれていました。
地主・家持から選ばれた町役人が、町奉行の監督の下で町の自治を行いました。
文治政治への転換
17世紀後半になると、国内では幕藩体制が確立し、外国との関係も安定してきました。
そこで5代将軍徳川綱吉は、武力ではなく学問や礼節を重んじる政治(文治政治)への転換を明確にしました。
綱吉は学問を奨励し、特に儒学のなかでも、主君と家臣の主従関係や父子の上下関係を大切にする朱子学を重視して、文治政治の基本となる身分制の維持を目指しました。
朱子学の考え方は、大名と家臣の関係のほか、商人の主人と奉公人、職人の親方と弟子の関係にも広がりました。
庶民の家でも、男の家長を主人とする「家制度」ができ上がり、財産や家業などを家長から長男一人が受け継ぐようになりました。
また、男尊女卑の風潮が社会に根づき、特に女性は、小さいときは親に従い、結婚して夫に従い、老いて子(長男)に従うことが求められました。
差別された人々
近世の社会にも、中世と同じように、天変地異・死・犯罪など人間が計り知れないことを「けがれ」としておそれる傾向があり、それに関わった人々が差別されることがありました。
もっとも、死に関わっていても、医師や僧侶、処刑役に従事した武士などは差別されなかったので、この差別には正当な理由がなく、支配者に都合よく利用された不当なものであるといえます。
差別された人々は、地域によってさまざまな呼び名や役割で存在していました。
えたとよばれた人々は、死牛馬の取り扱いや皮革の製造、皮細工、竹細工、草履・雪駄などの履物づくりのほか、犯罪者の捕縛や行刑役などに従事しました。
ひにんとよばれた人々は、町や村の警備・芸能などに従事しました。
これらの人々は、社会的に必要とされる仕事や役割・文化を担っていたといえます。
なかには、経済的に豊かになる人も現れましたが、江戸時代中期から幕府や藩が出すお触れなどによって、百姓や町人とは別の身分として位置づけられ、服装や髪型を制限されました。
このような政策で、差別はさらに強化されました。
女性と学問
女性は『女大学』などの教科書で儒教思想や読み・書きを修めることで、自分の考えを表現する素養を身につけました。
学んだ知識を用いて武士の家へ奉公に出て、経済的に自立する女性もいました。
なぜ江戸時代に産業や経済が発達したのだろうか。
身分制の下での暮らし
学習課題
江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。
身分制と武士
社会の安定を目指した幕府は、豊臣秀吉のときに行われた兵農分離をさらに進め、人々の住む場所を分けるなどして、18世紀までに、武士と百姓・町人の身分を区別するしくみを固めていきました。
この過程で、百姓や町人に組み入れられなかった人々の一部は、差別されることになりました。
この身分制の下で、政治を行う支配者の身分とされた武士は、主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負いました。
一方で、名字(姓)を名乗ることや、刀を差すこと(帯刀)などの特権をもちました。
武士は幕府や藩の役職に就き、石高に応じて、幕府や藩から領地や米が支給されました。
百姓・町人
全人口の80%以上を占めたのは百姓で、大部分は村に住み農業を営む農民であり、自給自足に近い生活をしていました。
農民は、農地をもつ本百姓と、農地をもたない水呑百姓などに分かれていました。
村の有力者は、名主(庄屋)・組頭・百姓代など村方三役という役目に就き、村の自治にあたりました。
農民に課せられた主な税は、収穫した米の40〜50%の年貢で、村が責任をもって納めました。
年貢は藩や幕府に納められ、武士の生活を支えました。
幕府や藩は、安定して年貢を徴収できるように、村を通して農民に細かい指示を出したり、土地の売買を制限したりしました。
さらに、五人組をつくり、互いに監視させて犯罪を防止したり、年貢の納入に連帯責任をとらせたりしました。
また、百姓は、藩などからの指示を理解したり、年貢などの計算や記録をしたりする必要性から「読み・書き・そろばん」も身につけていきました。
町人の身分は、商人と職人からなり、主に城下町に住みました。
町人は、町内に土地や家をもつ一部の地主・家持と、それらをもたない多くの地借・店借などに分かれていました。
地主・家持から選ばれた町役人が、町奉行の監督の下で町の自治を行いました。
文治政治への転換
17世紀後半になると、国内では幕藩体制が確立し、外国との関係も安定してきました。
そこで5代将軍徳川綱吉は、武力ではなく学問や礼節を重んじる政治(文治政治)への転換を明確にしました。
綱吉は学問を奨励し、特に儒学のなかでも、主君と家臣の主従関係や父子の上下関係を大切にする朱子学を重視して、文治政治の基本となる身分制の維持を目指しました。
朱子学の考え方は、大名と家臣の関係のほか、商人の主人と奉公人、職人の親方と弟子の関係にも広がりました。
庶民の家でも、男の家長を主人とする「家制度」ができ上がり、財産や家業などを家長から長男一人が受け継ぐようになりました。
また、男尊女卑の風潮が社会に根づき、特に女性は、小さいときは親に従い、結婚して夫に従い、老いて子(長男)に従うことが求められました。
差別された人々
近世の社会にも、中世と同じように、天変地異・死・犯罪など人間が計り知れないことを「けがれ」としておそれる傾向があり、それに関わった人々が差別されることがありました。
もっとも、死に関わっていても、医師や僧侶、処刑役に従事した武士などは差別されなかったので、この差別には正当な理由がなく、支配者に都合よく利用された不当なものであるといえます。
差別された人々は、地域によってさまざまな呼び名や役割で存在していました。
えたとよばれた人々は、死牛馬の取り扱いや皮革の製造、皮細工、竹細工、草履・雪駄などの履物づくりのほか、犯罪者の捕縛や行刑役などに従事しました。
ひにんとよばれた人々は、町や村の警備・芸能などに従事しました。
これらの人々は、社会的に必要とされる仕事や役割・文化を担っていたといえます。
なかには、経済的に豊かになる人も現れましたが、江戸時代中期から幕府や藩が出すお触れなどによって、百姓や町人とは別の身分として位置づけられ、服装や髪型を制限されました。
このような政策で、差別はさらに強化されました。
女性と学問
女性は『女大学』などの教科書で儒教思想や読み・書きを修めることで、自分の考えを表現する素養を身につけました。
学んだ知識を用いて武士の家へ奉公に出て、経済的に自立する女性もいました。
天下泰平の世の中 身分制の下での暮らし
学習課題
江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。
江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。
① 身分制と武士
1社会の安定を目指した幕府は、豊臣秀吉のときに行われた何をさらに進めましたか。答え
兵農分離
【解説】
社会の安定を目指した幕府は、豊臣秀吉のときに行われた兵農分離をさらに進めました。幕府は人々の住む場所を分けるなどして、武士と百姓・町人を区別していきました。そして18世紀までに、武士と百姓・町人の身分を区別するしくみを固めていきました。
【解説】
社会の安定を目指した幕府は、豊臣秀吉のときに行われた兵農分離をさらに進めました。幕府は人々の住む場所を分けるなどして、武士と百姓・町人を区別していきました。そして18世紀までに、武士と百姓・町人の身分を区別するしくみを固めていきました。
読解トレーニング問題
① 幕府がさらに進めた兵農分離は、誰のときに行われたものですか。
答え
豊臣秀吉
② 幕府は、身分を区別するために人々の何を分けましたか。
答え
住む場所
③ 武士と百姓・町人の身分を区別するしくみは、いつまでに固められましたか。
答え
18世紀まで
2幕府が兵農分離をさらに進めた目的は何ですか。
答え
社会の安定を目指すため。
【解説】
幕府は社会の安定を目指して、兵農分離をさらに進めました。そのため、人々の住む場所を分けるなどして、武士と百姓・町人の身分を区別していきました。このような取り組みによって、18世紀までに身分を区別するしくみが固められていきました。
【解説】
幕府は社会の安定を目指して、兵農分離をさらに進めました。そのため、人々の住む場所を分けるなどして、武士と百姓・町人の身分を区別していきました。このような取り組みによって、18世紀までに身分を区別するしくみが固められていきました。
読解トレーニング問題
① 幕府が兵農分離をさらに進めたのは、何を目指したためですか。
答え
社会の安定
② 幕府は、武士とどのような人々の身分を区別しましたか。二つ答えなさい。
答え
百姓と町人
③ 幕府の取り組みによって、18世紀までにどのようなしくみが固められましたか。
答え
武士と百姓・町人の身分を区別するしくみ。
3幕府は、武士とどのような身分を区別するしくみを固めていきましたか。
答え
百姓・町人
【解説】
幕府は、人々の住む場所を分けるなどして、武士と百姓・町人の身分を区別していきました。このしくみは、豊臣秀吉のときに行われた兵農分離をさらに進めたものでした。こうして18世紀までに、武士と百姓・町人の身分を区別するしくみが固められていきました。
【解説】
幕府は、人々の住む場所を分けるなどして、武士と百姓・町人の身分を区別していきました。このしくみは、豊臣秀吉のときに行われた兵農分離をさらに進めたものでした。こうして18世紀までに、武士と百姓・町人の身分を区別するしくみが固められていきました。
読解トレーニング問題
① 幕府は、武士と百姓・町人を区別するために、どのようなことを行いましたか。
答え
人々の住む場所を分けるなどしました。
② このしくみは、豊臣秀吉のときに行われた何をさらに進めたものですか。
答え
兵農分離
③ 身分を区別するしくみが固められるまでの流れを、簡単に説明しなさい。
答え
幕府が兵農分離をさらに進め、人々の住む場所を分けるなどして、18世紀までに武士と百姓・町人の身分を区別するしくみを固めました。
4身分制が固められていく過程で、百姓や町人に組み入れられなかった人々の一部は、どのような扱いを受けましたか。
答え
差別されることになりました。
【解説】
幕府が武士と百姓・町人の身分を区別するしくみを固めていく過程で、百姓や町人に組み入れられなかった人々もいました。その一部は、社会の中で差別されることになりました。このように、江戸時代の身分制は武士・百姓・町人を区別しただけでなく、その身分に組み入れられなかった人々にも大きな影響を与えました。
【解説】
幕府が武士と百姓・町人の身分を区別するしくみを固めていく過程で、百姓や町人に組み入れられなかった人々もいました。その一部は、社会の中で差別されることになりました。このように、江戸時代の身分制は武士・百姓・町人を区別しただけでなく、その身分に組み入れられなかった人々にも大きな影響を与えました。
読解トレーニング問題
① 差別されることになったのは、どのような人々の一部ですか。
答え
百姓や町人に組み入れられなかった人々の一部。
② その人々が差別されるようになったのは、何が固められていく過程でしたか。
答え
武士と百姓・町人の身分を区別するしくみ。
③ 江戸時代の身分制は、百姓や町人に組み入れられなかった人々にどのような影響を与えましたか。
答え
その一部が差別されることになりました。
5江戸時代の身分制で、政治を行う支配者の身分とされたのは何ですか。
答え
武士
【解説】
江戸時代の身分制では、武士が政治を行う支配者の身分とされました。武士は主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負いました。一方で、名字を名乗ることや刀を差すことなど、ほかの身分にはない特権をもっていました。
【解説】
江戸時代の身分制では、武士が政治を行う支配者の身分とされました。武士は主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負いました。一方で、名字を名乗ることや刀を差すことなど、ほかの身分にはない特権をもっていました。
読解トレーニング問題
① 武士は、誰に仕えましたか。
答え
主君
② 武士が負っていた義務を二つ答えなさい。
答え
軍事と行政に関わる義務。
③ 武士には、義務だけでなくどのようなものが認められていましたか。
答え
名字を名乗ることや刀を差すことなどの特権。
6武士は、主君に仕えて、どのような義務を負いましたか。
答え
軍事や行政に関わる義務。
【解説】
政治を行う支配者の身分とされた武士は、主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負いました。その一方で、名字を名乗ったり、刀を差したりすることが認められていました。このように武士には、支配者としての義務と、それにともなう特権がありました。
【解説】
政治を行う支配者の身分とされた武士は、主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負いました。その一方で、名字を名乗ったり、刀を差したりすることが認められていました。このように武士には、支配者としての義務と、それにともなう特権がありました。
読解トレーニング問題
① 武士は、どのような身分とされていましたか。
答え
政治を行う支配者の身分。
② 武士が仕えた相手と、負っていた義務を答えなさい。
答え
主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負いました。
③ 武士の立場には、どのような二つの面がありましたか。
答え
支配者としての義務と、それにともなう特権。
7武士がもっていた二つの特権を答えなさい。
答え
名字(姓)を名乗ることと、刀を差すこと(帯刀)。
【解説】
武士には、名字(姓)を名乗ることや、刀を差すこと(帯刀)などの特権がありました。一方、武士は主君に仕え、軍事や行政に関わる義務も負っていました。このため武士は、政治を行う支配者として義務を果たすとともに、身分に応じた特権をもっていました。
【解説】
武士には、名字(姓)を名乗ることや、刀を差すこと(帯刀)などの特権がありました。一方、武士は主君に仕え、軍事や行政に関わる義務も負っていました。このため武士は、政治を行う支配者として義務を果たすとともに、身分に応じた特権をもっていました。
読解トレーニング問題
① 刀を差すことを何といいますか。
答え
帯刀
② 武士がもっていた特権を二つ答えなさい。
答え
名字を名乗ることと、刀を差すこと。
③ 武士の義務と特権を、それぞれ一つずつ答えなさい。
答え
義務は軍事や行政に関わること、特権は名字を名乗ることや刀を差すこと。
8刀を差すことを何といいますか。
答え
帯刀
【解説】
刀を差すことを帯刀といいます。江戸時代の身分制では、帯刀は名字を名乗ることなどとともに、武士に認められた特権でした。武士はこのような特権をもつ一方で、主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負っていました。
【解説】
刀を差すことを帯刀といいます。江戸時代の身分制では、帯刀は名字を名乗ることなどとともに、武士に認められた特権でした。武士はこのような特権をもつ一方で、主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負っていました。
読解トレーニング問題
① 帯刀とは、どのようなことですか。
答え
刀を差すこと。
② 帯刀とともに武士に認められていた特権は何ですか。
答え
名字を名乗ること。
③ 武士は特権をもつ一方で、どのような義務を負っていましたか。
答え
主君に仕え、軍事や行政に関わる義務。
9武士は、幕府や藩で何に就きましたか。
答え
役職
【解説】
武士は幕府や藩の役職に就き、政治に関わりました。そして石高に応じて、幕府や藩から領地や米が支給されました。このように武士は、幕府や藩の仕事を行いながら、領地や米を受け取って生活していました。
【解説】
武士は幕府や藩の役職に就き、政治に関わりました。そして石高に応じて、幕府や藩から領地や米が支給されました。このように武士は、幕府や藩の仕事を行いながら、領地や米を受け取って生活していました。
読解トレーニング問題
① 武士は、どこで役職に就きましたか。二つ答えなさい。
答え
幕府と藩
② 武士には、何に応じて領地や米が支給されましたか。
答え
石高
③ 武士は幕府や藩の仕事を行いながら、何を受け取って生活していましたか。
答え
領地や米
10武士は、何に応じて幕府や藩から領地や米を支給されましたか。
答え
石高
【解説】
武士は幕府や藩の役職に就き、石高に応じて領地や米を支給されました。石高は、武士が幕府や藩から領地や米を受け取るときの基準となっていました。武士は政治を行う支配者の身分として幕府や藩の仕事に関わり、その立場に応じて領地や米を受け取っていました。
【解説】
武士は幕府や藩の役職に就き、石高に応じて領地や米を支給されました。石高は、武士が幕府や藩から領地や米を受け取るときの基準となっていました。武士は政治を行う支配者の身分として幕府や藩の仕事に関わり、その立場に応じて領地や米を受け取っていました。
読解トレーニング問題
① 武士に領地や米を支給したのはどこですか。
答え
幕府や藩
② 石高は、武士が何を受け取るときの基準となっていましたか。
答え
領地や米
③ 武士は、どのような身分として幕府や藩の仕事に関わりましたか。
答え
政治を行う支配者の身分。
「身分制と武士」のまとめ問題
① 幕府が豊臣秀吉のときに行われた兵農分離をさらに進めた目的は何ですか。
② 幕府は、どのようにして武士と百姓・町人の身分を区別していきましたか。
③ 武士の義務と特権をそれぞれ説明しなさい。
④ 武士は幕府や藩からどのように領地や米を支給されましたか。
⑤ 身分制が固められていく過程で、百姓や町人に組み入れられなかった人々の一部はどうなりましたか。
① 幕府が豊臣秀吉のときに行われた兵農分離をさらに進めた目的は何ですか。
答え
社会の安定を目指すため。
② 幕府は、どのようにして武士と百姓・町人の身分を区別していきましたか。
答え
人々の住む場所を分けるなどして区別していきました。
③ 武士の義務と特権をそれぞれ説明しなさい。
答え
武士は主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負いました。一方で、名字を名乗ることや帯刀などの特権をもちました。
④ 武士は幕府や藩からどのように領地や米を支給されましたか。
答え
石高に応じて領地や米を支給されました。
⑤ 身分制が固められていく過程で、百姓や町人に組み入れられなかった人々の一部はどうなりましたか。
答え
差別されることになりました。
この範囲の重要語句
兵農分離:豊臣秀吉のときに行われ、江戸幕府がさらに進めたしくみ。
武士:政治を行う支配者の身分。主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負った。
帯刀:刀を差すこと。武士に認められた特権の一つ。
石高:武士が幕府や藩から領地や米を支給されるときの基準。
兵農分離:豊臣秀吉のときに行われ、江戸幕府がさらに進めたしくみ。
武士:政治を行う支配者の身分。主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負った。
帯刀:刀を差すこと。武士に認められた特権の一つ。
石高:武士が幕府や藩から領地や米を支給されるときの基準。
天下泰平の世の中 身分制の下での暮らし
学習課題
江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。
江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。
② 百姓・町人
11江戸時代、全人口の80%以上を占めていた身分は何ですか。答え
百姓
【解説】
江戸時代には、百姓が全人口の80%以上を占めていました。百姓の大部分は村に住み、農業を営む農民でした。農民は自分たちで生活に必要なものをつくる、自給自足に近い生活をしていました。
【解説】
江戸時代には、百姓が全人口の80%以上を占めていました。百姓の大部分は村に住み、農業を営む農民でした。農民は自分たちで生活に必要なものをつくる、自給自足に近い生活をしていました。
読解トレーニング問題
① 百姓は、全人口の何%以上を占めていましたか。
答え
80%以上
② 百姓の大部分は、どこに住み、何を営んでいましたか。
答え
村に住み、農業を営んでいました。
③ 農民は、どのような生活をしていましたか。
答え
自給自足に近い生活。
12百姓の大部分は、どこに住み、何を営んでいましたか。
答え
村に住み、農業を営んでいました。
【解説】
全人口の80%以上を占めていた百姓の大部分は、村に住んで農業を営む農民でした。農民は、自給自足に近い生活をしていました。また、農民は農地をもつかどうかによって、本百姓や水呑百姓などに分かれていました。
【解説】
全人口の80%以上を占めていた百姓の大部分は、村に住んで農業を営む農民でした。農民は、自給自足に近い生活をしていました。また、農民は農地をもつかどうかによって、本百姓や水呑百姓などに分かれていました。
読解トレーニング問題
① 百姓は、全人口のどのくらいを占めていましたか。
答え
80%以上
② 農民はどのような生活をしていましたか。
答え
自給自足に近い生活。
③ 農民は、何をもつかどうかによって本百姓や水呑百姓などに分けられていましたか。
答え
農地
13農地をもつ農民を何といいましたか。
答え
本百姓
【解説】
農民のうち、農地をもつ農民を本百姓といいました。一方、農地をもたない農民は、水呑百姓などとよばれました。このように、同じ農民であっても農地をもつかどうかによって分けられていました。
【解説】
農民のうち、農地をもつ農民を本百姓といいました。一方、農地をもたない農民は、水呑百姓などとよばれました。このように、同じ農民であっても農地をもつかどうかによって分けられていました。
読解トレーニング問題
① 本百姓とは、どのような農民ですか。
答え
農地をもつ農民。
② 農地をもたない農民は何とよばれましたか。
答え
水呑百姓など。
③ 本百姓と水呑百姓の違いは何ですか。
答え
農地をもつかどうかです。
14農地をもたない農民を何といいましたか。
答え
水呑百姓
【解説】
農地をもたない農民は、水呑百姓などとよばれました。これに対して、農地をもつ農民は本百姓とよばれました。農民は同じ身分の中でも、農地をもっているかどうかによって分けられていました。
【解説】
農地をもたない農民は、水呑百姓などとよばれました。これに対して、農地をもつ農民は本百姓とよばれました。農民は同じ身分の中でも、農地をもっているかどうかによって分けられていました。
読解トレーニング問題
① 水呑百姓とは、どのような農民ですか。
答え
農地をもたない農民。
② 水呑百姓に対して、農地をもつ農民を何といいましたか。
答え
本百姓
③ 本百姓と水呑百姓は、何によって分けられていましたか。
答え
農地をもっているかどうか。
15村の有力者が就いた、名主(庄屋)・組頭・百姓代などの役目をまとめて何といいますか。
答え
村方三役
【解説】
村の有力者は、名主(庄屋)・組頭・百姓代などの役目に就きました。これらの役目を村方三役といいます。村方三役は、村の自治にあたり、村の運営に関わりました。
【解説】
村の有力者は、名主(庄屋)・組頭・百姓代などの役目に就きました。これらの役目を村方三役といいます。村方三役は、村の自治にあたり、村の運営に関わりました。
読解トレーニング問題
① 村方三役には、どのような人々が就きましたか。
答え
村の有力者。
② 村方三役を三つ答えなさい。
答え
名主(庄屋)・組頭・百姓代。
③ 村方三役は、何にあたりましたか。
答え
村の自治。
16村方三役の三つの役目を答えなさい。
答え
名主(庄屋)・組頭・百姓代
【解説】
村方三役には、名主(庄屋)・組頭・百姓代などがありました。これらの役目には村の有力者が就きました。村方三役は村の自治にあたり、村の運営に関わる役割を担いました。
【解説】
村方三役には、名主(庄屋)・組頭・百姓代などがありました。これらの役目には村の有力者が就きました。村方三役は村の自治にあたり、村の運営に関わる役割を担いました。
読解トレーニング問題
① 名主は、別の呼び方で何とよばれましたか。
答え
庄屋
② 村方三役には、どのような人々が就きましたか。
答え
村の有力者。
③ 名主(庄屋)・組頭・百姓代に共通する役割は何ですか。
答え
村の自治にあたり、村の運営に関わること。
17農民に課せられた主な税を何といいますか。
答え
年貢
【解説】
農民に課せられた主な税は年貢でした。年貢は、収穫した米の40〜50%にあたりました。年貢は個人ではなく村が責任をもって納め、藩や幕府に納められた年貢は武士の生活を支えました。
【解説】
農民に課せられた主な税は年貢でした。年貢は、収穫した米の40〜50%にあたりました。年貢は個人ではなく村が責任をもって納め、藩や幕府に納められた年貢は武士の生活を支えました。
読解トレーニング問題
① 年貢は、収穫した米の何%でしたか。
答え
40〜50%
② 年貢は、誰が責任をもって納めましたか。
答え
村
③ 農民が納めた年貢は、最終的に誰の生活を支えましたか。
答え
武士の生活。
18年貢は、収穫した米の何%でしたか。
答え
40〜50%
【解説】
農民に課せられた年貢は、収穫した米の40〜50%でした。この年貢は村が責任をもって納めました。年貢は藩や幕府に納められ、政治を行う武士の生活を支えていました。
【解説】
農民に課せられた年貢は、収穫した米の40〜50%でした。この年貢は村が責任をもって納めました。年貢は藩や幕府に納められ、政治を行う武士の生活を支えていました。
読解トレーニング問題
① 収穫した米の40〜50%を納める税を何といいますか。
答え
年貢
② 年貢の納入に責任をもっていたのは誰ですか。
答え
村
③ 年貢はどこに納められ、誰の生活を支えましたか。
答え
藩や幕府に納められ、武士の生活を支えました。
19年貢は、誰が責任をもって納めましたか。
答え
村
【解説】
農民に課せられた年貢は、村が責任をもって納めました。年貢は収穫した米の40〜50%で、藩や幕府に納められました。納められた年貢は、武士の生活を支えるものとなりました。
【解説】
農民に課せられた年貢は、村が責任をもって納めました。年貢は収穫した米の40〜50%で、藩や幕府に納められました。納められた年貢は、武士の生活を支えるものとなりました。
読解トレーニング問題
① 村が責任をもって納めたものは何ですか。
答え
年貢
② 年貢は収穫した米のどのくらいでしたか。
答え
40〜50%
③ 年貢が納められてからどのように使われたか、解説文に沿って答えなさい。
答え
年貢は藩や幕府に納められ、武士の生活を支えました。
20農民が納めた年貢は、誰の生活を支えましたか。
答え
武士
【解説】
農民が納めた年貢は藩や幕府に納められ、武士の生活を支えました。年貢は収穫した米の40〜50%で、村が責任をもって納めました。このように、農民が納める年貢と武士の生活は深く結びついていました。
【解説】
農民が納めた年貢は藩や幕府に納められ、武士の生活を支えました。年貢は収穫した米の40〜50%で、村が責任をもって納めました。このように、農民が納める年貢と武士の生活は深く結びついていました。
読解トレーニング問題
① 年貢はどこに納められましたか。
答え
藩や幕府
② 年貢を納める責任を負っていたのは誰ですか。
答え
村
③ 農民の年貢と武士の生活には、どのような関係がありましたか。
答え
農民が納めた年貢が武士の生活を支えていました。
21幕府や藩が、村を通して農民に細かい指示を出したり、土地の売買を制限したりした目的は何ですか。
答え
安定して年貢を徴収できるようにするため。
【解説】
幕府や藩は、安定して年貢を徴収することを重視しました。そのため、村を通して農民に細かい指示を出しました。また、土地の売買を制限するなどして、年貢を安定して徴収できるようにしました。
【解説】
幕府や藩は、安定して年貢を徴収することを重視しました。そのため、村を通して農民に細かい指示を出しました。また、土地の売買を制限するなどして、年貢を安定して徴収できるようにしました。
読解トレーニング問題
① 農民に細かい指示を出したのは誰ですか。
答え
幕府や藩
② 幕府や藩は、農民に対して何の売買を制限しましたか。
答え
土地
③ 農民への細かい指示と土地の売買の制限には、どのような共通の目的がありましたか。
答え
安定して年貢を徴収できるようにすること。
22幕府や藩は、土地についてどのような制限をしましたか。
答え
土地の売買を制限しました。
【解説】
幕府や藩は、土地の売買を制限しました。また、村を通して農民に細かい指示を出しました。これらは、幕府や藩が安定して年貢を徴収できるようにするための取り組みでした。
【解説】
幕府や藩は、土地の売買を制限しました。また、村を通して農民に細かい指示を出しました。これらは、幕府や藩が安定して年貢を徴収できるようにするための取り組みでした。
読解トレーニング問題
① 幕府や藩が制限したのは、土地の何ですか。
答え
売買
② 幕府や藩は、何を通して農民に細かい指示を出しましたか。
答え
村
③ 土地の売買の制限と農民への細かい指示は、何のために行われましたか。
答え
安定して年貢を徴収できるようにするため。
23幕府や藩が農民を互いに監視させるためにつくらせた組織を何といいますか。
答え
五人組
【解説】
幕府や藩は、農民に五人組をつくらせました。五人組では、農民どうしを互いに監視させることで犯罪の防止を図りました。また、年貢の納入についても連帯責任をとらせました。
【解説】
幕府や藩は、農民に五人組をつくらせました。五人組では、農民どうしを互いに監視させることで犯罪の防止を図りました。また、年貢の納入についても連帯責任をとらせました。
読解トレーニング問題
① 五人組では、農民どうしに何をさせましたか。
答え
互いに監視させました。
② 互いに監視させた目的は何ですか。
答え
犯罪を防止するため。
③ 五人組では、年貢の納入についてどのような責任をとらせましたか。
答え
連帯責任
24五人組には、どのような二つの目的・役割がありましたか。
答え
互いに監視させて犯罪を防止することと、年貢の納入に連帯責任をとらせること。
【解説】
五人組には、大きく二つの役割がありました。一つは、農民どうしを互いに監視させて犯罪を防止することです。もう一つは、年貢の納入に連帯責任をとらせることでした。
【解説】
五人組には、大きく二つの役割がありました。一つは、農民どうしを互いに監視させて犯罪を防止することです。もう一つは、年貢の納入に連帯責任をとらせることでした。
読解トレーニング問題
① 五人組では、誰どうしを互いに監視させましたか。
答え
農民どうし。
② 互いに監視することによって、何を防止しようとしましたか。
答え
犯罪
③ 五人組の二つの役割を答えなさい。
答え
農民どうしを互いに監視させて犯罪を防止することと、年貢の納入に連帯責任をとらせること。
25百姓が身につけていった三つの学習内容を答えなさい。
答え
読み・書き・そろばん
【解説】
百姓は、「読み・書き・そろばん」を身につけていきました。百姓には、藩などから出される指示を理解する必要がありました。また、年貢などの計算や記録をする必要もあったため、読み・書き・そろばんを身につけていきました。
【解説】
百姓は、「読み・書き・そろばん」を身につけていきました。百姓には、藩などから出される指示を理解する必要がありました。また、年貢などの計算や記録をする必要もあったため、読み・書き・そろばんを身につけていきました。
読解トレーニング問題
① 百姓は、誰から出される指示を理解する必要がありましたか。
答え
藩など。
② 百姓は、年貢についてどのようなことをする必要がありましたか。
答え
計算や記録をする必要がありました。
③ 百姓が「読み・書き・そろばん」を身につけた理由を二つ答えなさい。
答え
藩などからの指示を理解するためと、年貢などの計算や記録をするため。
26百姓が「読み・書き・そろばん」を身につけていったのはなぜですか。
答え
藩などからの指示を理解したり、年貢などの計算や記録をしたりする必要があったため。
【解説】
百姓には、藩などからの指示を理解する必要がありました。さらに、年貢などについて計算や記録をする必要もありました。このような必要性から、百姓は「読み・書き・そろばん」を身につけていきました。
【解説】
百姓には、藩などからの指示を理解する必要がありました。さらに、年貢などについて計算や記録をする必要もありました。このような必要性から、百姓は「読み・書き・そろばん」を身につけていきました。
読解トレーニング問題
① 百姓は、藩などからの何を理解する必要がありましたか。
答え
指示
② 百姓が計算や記録をする必要があったものの一つは何ですか。
答え
年貢
③ 百姓の生活上の必要と学習には、どのような関係がありましたか。
答え
藩などからの指示を理解したり、年貢などの計算や記録をしたりする必要性から、「読み・書き・そろばん」を身につけていきました。
27町人の身分は、どのような二つの人々からなっていましたか。
答え
商人と職人
【解説】
町人の身分は、商人と職人からなっていました。町人は主に城下町に住んでいました。同じ町人でも、土地や家をもつかどうかによって、地主・家持と地借・店借などに分かれていました。
【解説】
町人の身分は、商人と職人からなっていました。町人は主に城下町に住んでいました。同じ町人でも、土地や家をもつかどうかによって、地主・家持と地借・店借などに分かれていました。
読解トレーニング問題
① 町人は、主にどこに住んでいましたか。
答え
城下町
② 町人を構成していた二つの人々を答えなさい。
答え
商人と職人
③ 同じ町人の中でも、何をもつかどうかによって分けられていましたか。
答え
土地や家
28町人は、主にどこに住んでいましたか。
答え
城下町
【解説】
商人と職人からなる町人は、主に城下町に住んでいました。町人の中には、町内に土地や家をもつ地主・家持がいました。一方で、土地や家をもたない多くの地借・店借などもいました。
【解説】
商人と職人からなる町人は、主に城下町に住んでいました。町人の中には、町内に土地や家をもつ地主・家持がいました。一方で、土地や家をもたない多くの地借・店借などもいました。
読解トレーニング問題
① 町人は、どのような二つの人々からなっていましたか。
答え
商人と職人
② 町内に土地や家をもっていた町人を二つ答えなさい。
答え
地主・家持
③ 土地や家をもたない町人には、どのような人々がいましたか。
答え
地借・店借など。
29町内に土地や家をもつ町人を何といいましたか。二つ答えなさい。
答え
地主・家持
【解説】
町人の中で、町内に土地や家をもつ人々は、地主・家持とよばれました。一方、土地や家をもたない多くの町人には、地借・店借などがいました。地主・家持から選ばれた町役人は、町奉行の監督の下で町の自治を行いました。
【解説】
町人の中で、町内に土地や家をもつ人々は、地主・家持とよばれました。一方、土地や家をもたない多くの町人には、地借・店借などがいました。地主・家持から選ばれた町役人は、町奉行の監督の下で町の自治を行いました。
読解トレーニング問題
① 地主・家持は、町内に何をもっていましたか。
答え
土地や家
② 地主・家持と地借・店借の違いは何ですか。
答え
土地や家をもつかどうか。
③ 町役人は、どのような人々から選ばれましたか。
答え
地主・家持
30町内に土地や家をもたない多くの町人を何といいましたか。二つ答えなさい。
答え
地借・店借
【解説】
町人の中で、土地や家をもたない多くの人々は地借・店借などとよばれました。これに対して、町内に土地や家をもつ人々は地主・家持とよばれました。このように町人の中でも、土地や家をもっているかどうかによる違いがありました。
【解説】
町人の中で、土地や家をもたない多くの人々は地借・店借などとよばれました。これに対して、町内に土地や家をもつ人々は地主・家持とよばれました。このように町人の中でも、土地や家をもっているかどうかによる違いがありました。
読解トレーニング問題
① 地借・店借は、何をもたない人々ですか。
答え
土地や家
② 地借・店借に対して、土地や家をもつ人々を何といいましたか。
答え
地主・家持
③ 地主・家持と地借・店借は、何によって分けられていましたか。
答え
土地や家をもっているかどうか。
31町役人は、どのような人々から選ばれましたか。
答え
地主・家持
【解説】
町役人は、町内に土地や家をもつ地主・家持から選ばれました。町役人は、町奉行の監督の下で町の自治を行いました。このように、町では地主・家持から選ばれた町役人が町の運営に関わっていました。
【解説】
町役人は、町内に土地や家をもつ地主・家持から選ばれました。町役人は、町奉行の監督の下で町の自治を行いました。このように、町では地主・家持から選ばれた町役人が町の運営に関わっていました。
読解トレーニング問題
① 町役人に選ばれる人々は、町内に何をもっていましたか。
答え
土地や家
② 町役人を監督したのは誰ですか。
答え
町奉行
③ 町役人は、何を行いましたか。
答え
町の自治。
32町役人は、誰の監督の下で町の自治を行いましたか。
答え
町奉行
【解説】
地主・家持から選ばれた町役人は、町奉行の監督の下で町の自治を行いました。町人は商人と職人からなり、主に城下町に住んでいました。このように城下町では、町奉行の監督の下で町役人が自治を行うしくみがありました。
【解説】
地主・家持から選ばれた町役人は、町奉行の監督の下で町の自治を行いました。町人は商人と職人からなり、主に城下町に住んでいました。このように城下町では、町奉行の監督の下で町役人が自治を行うしくみがありました。
読解トレーニング問題
① 町役人は、どのような人々から選ばれましたか。
答え
地主・家持
② 町人は、主にどこに住んでいましたか。
答え
城下町
③ 城下町では、町奉行と町役人はどのような関係で町の自治に関わっていましたか。
答え
町奉行が監督し、その下で町役人が町の自治を行いました。
「百姓・町人」のまとめ問題
① 江戸時代の全人口の80%以上を占めていた身分は何ですか。
② 本百姓と水呑百姓の違いを説明しなさい。
③ 村方三役を三つ答えなさい。
④ 農民に課せられた主な税は何ですか。また、収穫した米の何%でしたか。
⑤ 年貢は誰が責任をもって納め、誰の生活を支えましたか。
⑥ 幕府や藩が農民に細かい指示を出したり、土地の売買を制限したりしたのはなぜですか。
⑦ 五人組の二つの役割を答えなさい。
⑧ 百姓が「読み・書き・そろばん」を身につけていったのはなぜですか。
⑨ 町人は、どのような二つの人々からなっていましたか。
⑩ 地主・家持と地借・店借の違いを説明しなさい。
⑪ 町役人は、誰から選ばれ、誰の監督の下で町の自治を行いましたか。
① 江戸時代の全人口の80%以上を占めていた身分は何ですか。
答え
百姓
② 本百姓と水呑百姓の違いを説明しなさい。
答え
本百姓は農地をもつ農民で、水呑百姓は農地をもたない農民です。
③ 村方三役を三つ答えなさい。
答え
名主(庄屋)・組頭・百姓代
④ 農民に課せられた主な税は何ですか。また、収穫した米の何%でしたか。
答え
年貢で、収穫した米の40〜50%でした。
⑤ 年貢は誰が責任をもって納め、誰の生活を支えましたか。
答え
村が責任をもって納め、武士の生活を支えました。
⑥ 幕府や藩が農民に細かい指示を出したり、土地の売買を制限したりしたのはなぜですか。
答え
安定して年貢を徴収できるようにするため。
⑦ 五人組の二つの役割を答えなさい。
答え
互いに監視させて犯罪を防止することと、年貢の納入に連帯責任をとらせること。
⑧ 百姓が「読み・書き・そろばん」を身につけていったのはなぜですか。
答え
藩などからの指示を理解したり、年貢などの計算や記録をしたりする必要があったため。
⑨ 町人は、どのような二つの人々からなっていましたか。
答え
商人と職人
⑩ 地主・家持と地借・店借の違いを説明しなさい。
答え
地主・家持は町内に土地や家をもち、地借・店借は土地や家をもちませんでした。
⑪ 町役人は、誰から選ばれ、誰の監督の下で町の自治を行いましたか。
答え
地主・家持から選ばれ、町奉行の監督の下で町の自治を行いました。
重要数字
80%以上:江戸時代の全人口に占める百姓の割合。
40〜50%:農民が年貢として納めた、収穫した米の割合。
5人:互いに監視し、年貢の納入などに連帯責任を負わせる五人組の名称に示される人数。
80%以上:江戸時代の全人口に占める百姓の割合。
40〜50%:農民が年貢として納めた、収穫した米の割合。
5人:互いに監視し、年貢の納入などに連帯責任を負わせる五人組の名称に示される人数。
重要語句
百姓:全人口の80%以上を占め、大部分は村に住んで農業を営んでいました。
本百姓:農地をもつ農民。
水呑百姓:農地をもたない農民。
村方三役:名主(庄屋)・組頭・百姓代など、村の自治にあたった役目。
年貢:農民に課せられた主な税。収穫した米の40〜50%で、村が責任をもって納めました。
五人組:互いに監視させて犯罪を防止し、年貢の納入に連帯責任をとらせるしくみ。
読み・書き・そろばん:百姓が藩などからの指示を理解し、年貢などの計算や記録をするために身につけていったもの。
町人:商人と職人からなる身分で、主に城下町に住みました。
地主・家持:町内に土地や家をもつ町人。
地借・店借:土地や家をもたない多くの町人。
町役人:地主・家持から選ばれ、町奉行の監督の下で町の自治を行った人々。
町奉行:町役人を監督した役職。
百姓:全人口の80%以上を占め、大部分は村に住んで農業を営んでいました。
本百姓:農地をもつ農民。
水呑百姓:農地をもたない農民。
村方三役:名主(庄屋)・組頭・百姓代など、村の自治にあたった役目。
年貢:農民に課せられた主な税。収穫した米の40〜50%で、村が責任をもって納めました。
五人組:互いに監視させて犯罪を防止し、年貢の納入に連帯責任をとらせるしくみ。
読み・書き・そろばん:百姓が藩などからの指示を理解し、年貢などの計算や記録をするために身につけていったもの。
町人:商人と職人からなる身分で、主に城下町に住みました。
地主・家持:町内に土地や家をもつ町人。
地借・店借:土地や家をもたない多くの町人。
町役人:地主・家持から選ばれ、町奉行の監督の下で町の自治を行った人々。
町奉行:町役人を監督した役職。
この範囲のポイント
江戸時代には、百姓が全人口の80%以上を占め、その大部分は村で農業を営んでいました。農民は本百姓と水呑百姓などに分かれ、村では名主(庄屋)・組頭・百姓代などの村方三役が自治にあたりました。
農民は収穫した米の40〜50%を年貢として納め、その年貢が武士の生活を支えました。幕府や藩は年貢を安定して徴収するため、農民に細かい指示を出したり、土地の売買を制限したり、五人組をつくらせたりしました。
一方、商人と職人からなる町人は主に城下町に住み、地主・家持と地借・店借などに分かれていました。地主・家持から選ばれた町役人が、町奉行の監督の下で町の自治を行いました。
江戸時代には、百姓が全人口の80%以上を占め、その大部分は村で農業を営んでいました。農民は本百姓と水呑百姓などに分かれ、村では名主(庄屋)・組頭・百姓代などの村方三役が自治にあたりました。
農民は収穫した米の40〜50%を年貢として納め、その年貢が武士の生活を支えました。幕府や藩は年貢を安定して徴収するため、農民に細かい指示を出したり、土地の売買を制限したり、五人組をつくらせたりしました。
一方、商人と職人からなる町人は主に城下町に住み、地主・家持と地借・店借などに分かれていました。地主・家持から選ばれた町役人が、町奉行の監督の下で町の自治を行いました。
天下泰平の世の中 身分制の下での暮らし
学習課題
江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。
江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。
③ 文治政治への転換
33国内で幕藩体制が確立し、外国との関係も安定してきたのは、いつごろですか。答え
17世紀後半
【解説】
17世紀後半になると、国内では幕藩体制が確立しました。また、外国との関係も安定してきました。このような社会の安定を背景に、幕府の政治は武力を重視するものから、学問や礼節を重んじる方向へ転換していきました。
【解説】
17世紀後半になると、国内では幕藩体制が確立しました。また、外国との関係も安定してきました。このような社会の安定を背景に、幕府の政治は武力を重視するものから、学問や礼節を重んじる方向へ転換していきました。
読解トレーニング問題
① 17世紀後半、国内では何が確立しましたか。
答え
幕藩体制
② 17世紀後半、外国との関係はどのようになってきましたか。
答え
安定してきました。
③ 社会の安定を背景に、幕府の政治はどのような方向へ転換していきましたか。
答え
武力を重視するものから、学問や礼節を重んじる方向へ転換していきました。
34武力ではなく、学問や礼節を重んじる政治を何といいますか。
答え
文治政治
【解説】
文治政治とは、武力ではなく学問や礼節を重んじる政治です。17世紀後半になると、国内では幕藩体制が確立し、外国との関係も安定してきました。このような状況の中で、5代将軍徳川綱吉は文治政治への転換を明確にしました。
【解説】
文治政治とは、武力ではなく学問や礼節を重んじる政治です。17世紀後半になると、国内では幕藩体制が確立し、外国との関係も安定してきました。このような状況の中で、5代将軍徳川綱吉は文治政治への転換を明確にしました。
読解トレーニング問題
① 文治政治では、武力ではなく何を重んじましたか。二つ答えなさい。
答え
学問と礼節
② 文治政治への転換が明確になったころ、国内では何が確立していましたか。
答え
幕藩体制
③ 文治政治への転換を明確にした将軍は誰ですか。
答え
徳川綱吉
35文治政治への転換を明確にした5代将軍は誰ですか。
答え
徳川綱吉
【解説】
5代将軍徳川綱吉は、武力ではなく学問や礼節を重んじる文治政治への転換を明確にしました。綱吉は学問を奨励し、特に儒学の中でも朱子学を重視しました。朱子学を通して身分制を維持し、社会の秩序を保とうとしました。
【解説】
5代将軍徳川綱吉は、武力ではなく学問や礼節を重んじる文治政治への転換を明確にしました。綱吉は学問を奨励し、特に儒学の中でも朱子学を重視しました。朱子学を通して身分制を維持し、社会の秩序を保とうとしました。
読解トレーニング問題
① 徳川綱吉は何代将軍ですか。
答え
5代将軍
② 綱吉は、何を奨励しましたか。
答え
学問
③ 綱吉は朱子学を重視することで、何を維持しようとしましたか。
答え
身分制
36徳川綱吉は、文治政治を進めるために何を奨励しましたか。
答え
学問
【解説】
徳川綱吉は、文治政治を進める中で学問を奨励しました。特に儒学の中でも、主君と家臣の主従関係や父子の上下関係を大切にする朱子学を重視しました。綱吉は、この考え方を通して身分制の維持を目指しました。
【解説】
徳川綱吉は、文治政治を進める中で学問を奨励しました。特に儒学の中でも、主君と家臣の主従関係や父子の上下関係を大切にする朱子学を重視しました。綱吉は、この考え方を通して身分制の維持を目指しました。
読解トレーニング問題
① 綱吉が特に重視した学問は何ですか。
答え
朱子学
② 朱子学では、主君と家臣のどのような関係を大切にしましたか。
答え
主従関係
③ 綱吉が朱子学を重視した目的は何ですか。
答え
身分制の維持を目指すため。
37徳川綱吉が特に重視した、儒学の一つを何といいますか。
答え
朱子学
【解説】
徳川綱吉は、儒学の中でも朱子学を特に重視しました。朱子学では、主君と家臣の主従関係や、父子の上下関係を大切にしました。綱吉は、この考え方を文治政治の基本として、身分制の維持を目指しました。
【解説】
徳川綱吉は、儒学の中でも朱子学を特に重視しました。朱子学では、主君と家臣の主従関係や、父子の上下関係を大切にしました。綱吉は、この考え方を文治政治の基本として、身分制の維持を目指しました。
読解トレーニング問題
① 朱子学は、何という学問の中の一つですか。
答え
儒学
② 朱子学が大切にした二つの関係を答えなさい。
答え
主君と家臣の主従関係と、父子の上下関係。
③ 綱吉は朱子学を何の基本としましたか。
答え
文治政治の基本。
38朱子学では、主君と家臣のどのような関係を大切にしましたか。
答え
主従関係
【解説】
朱子学では、主君と家臣の主従関係を大切にしました。また、父子の上下関係も重視しました。このような上下関係を重んじる考え方は、身分制を維持する考え方とも結びついていました。
【解説】
朱子学では、主君と家臣の主従関係を大切にしました。また、父子の上下関係も重視しました。このような上下関係を重んじる考え方は、身分制を維持する考え方とも結びついていました。
読解トレーニング問題
① 朱子学で大切にされた、主君と家臣の関係を何といいますか。
答え
主従関係
② 朱子学では、主従関係のほかにどのような家族関係を重視しましたか。
答え
父子の上下関係
③ 上下関係を重んじる考え方は、何の維持と結びついていましたか。
答え
身分制の維持。
39朱子学では、父と子のどのような関係を大切にしましたか。
答え
上下関係
【解説】
朱子学では、主君と家臣の主従関係とともに、父子の上下関係を大切にしました。人々の間に上下の関係があることを重視する考え方でした。この考え方は、身分制の維持にも利用されました。
【解説】
朱子学では、主君と家臣の主従関係とともに、父子の上下関係を大切にしました。人々の間に上下の関係があることを重視する考え方でした。この考え方は、身分制の維持にも利用されました。
読解トレーニング問題
① 父子の上下関係とともに大切にされた関係は何ですか。
答え
主君と家臣の主従関係。
② 朱子学では、人々の間の何を重視しましたか。
答え
上下の関係。
③ 朱子学の考え方は、何の維持にも利用されましたか。
答え
身分制の維持。
40徳川綱吉は、朱子学を重視することで何の維持を目指しましたか。
答え
身分制
【解説】
徳川綱吉は、朱子学を重視して身分制の維持を目指しました。朱子学は、主君と家臣の主従関係や父子の上下関係を大切にする考え方でした。そのため、上下関係を重んじる社会のしくみを保つ考え方として、文治政治の基本となりました。
【解説】
徳川綱吉は、朱子学を重視して身分制の維持を目指しました。朱子学は、主君と家臣の主従関係や父子の上下関係を大切にする考え方でした。そのため、上下関係を重んじる社会のしくみを保つ考え方として、文治政治の基本となりました。
読解トレーニング問題
① 綱吉が身分制の維持のために重視した学問は何ですか。
答え
朱子学
② 朱子学では、どのような関係を大切にしましたか。二つ答えなさい。
答え
主君と家臣の主従関係と、父子の上下関係。
③ 朱子学は、何の基本となりましたか。
答え
文治政治の基本。
41朱子学の考え方は、大名と家臣の関係のほか、どのような人々の関係にも広がりましたか。
答え
商人の主人と奉公人、職人の親方と弟子の関係。
【解説】
朱子学の考え方は、大名と家臣の関係だけにとどまりませんでした。商人の世界では主人と奉公人、職人の世界では親方と弟子の関係にも広がりました。このように、上下関係を重んじる考え方は、社会のさまざまな場面に広がっていきました。
【解説】
朱子学の考え方は、大名と家臣の関係だけにとどまりませんでした。商人の世界では主人と奉公人、職人の世界では親方と弟子の関係にも広がりました。このように、上下関係を重んじる考え方は、社会のさまざまな場面に広がっていきました。
読解トレーニング問題
① 商人の世界では、どのような二者の関係に朱子学の考え方が広がりましたか。
答え
主人と奉公人
② 職人の世界では、どのような二者の関係に広がりましたか。
答え
親方と弟子
③ 朱子学の考え方は、社会のどのような場面に広がりましたか。
答え
社会のさまざまな場面。
42商人の世界で、朱子学の考え方が広がったのは、誰と誰の関係ですか。
答え
主人と奉公人
【解説】
朱子学の上下関係を重んじる考え方は、商人の世界では主人と奉公人の関係にも広がりました。また、職人の世界では親方と弟子の関係にも広がりました。こうして朱子学の考え方は、大名と家臣の関係だけでなく、社会のさまざまな関係に影響を与えました。
【解説】
朱子学の上下関係を重んじる考え方は、商人の世界では主人と奉公人の関係にも広がりました。また、職人の世界では親方と弟子の関係にも広がりました。こうして朱子学の考え方は、大名と家臣の関係だけでなく、社会のさまざまな関係に影響を与えました。
読解トレーニング問題
① 職人の世界では、誰と誰の関係に朱子学の考え方が広がりましたか。
答え
親方と弟子
② 朱子学の考え方は、大名と誰の関係にも見られましたか。
答え
家臣
③ 朱子学は、社会にどのような影響を与えましたか。
答え
上下関係を重んじる考え方が、社会のさまざまな関係に広がりました。
43職人の世界で、朱子学の考え方が広がったのは、誰と誰の関係ですか。
答え
親方と弟子
【解説】
職人の世界では、朱子学の考え方が親方と弟子の関係にも広がりました。商人の世界では主人と奉公人、大名と家臣の間にも上下関係を重んじる考え方がありました。このように朱子学の考え方は、さまざまな立場の人々の関係に広がりました。
【解説】
職人の世界では、朱子学の考え方が親方と弟子の関係にも広がりました。商人の世界では主人と奉公人、大名と家臣の間にも上下関係を重んじる考え方がありました。このように朱子学の考え方は、さまざまな立場の人々の関係に広がりました。
読解トレーニング問題
① 商人の世界では、誰と誰の関係に朱子学の考え方が広がりましたか。
答え
主人と奉公人
② 大名と誰の関係にも、上下関係を重んじる考え方がありましたか。
答え
家臣
③ 朱子学の考え方は、どのような人々の関係に広がりましたか。
答え
さまざまな立場の人々の関係。
44庶民の家で、男の家長を主人とするしくみを何といいますか。
答え
家制度
【解説】
庶民の家では、男の家長を主人とする「家制度」ができ上がりました。家制度の下では、財産や家業などを家長から長男一人が受け継ぐようになりました。このように、家の中でも上下関係を重んじるしくみが形づくられていきました。
【解説】
庶民の家では、男の家長を主人とする「家制度」ができ上がりました。家制度の下では、財産や家業などを家長から長男一人が受け継ぐようになりました。このように、家の中でも上下関係を重んじるしくみが形づくられていきました。
読解トレーニング問題
① 家制度では、誰を主人としましたか。
答え
男の家長
② 家制度では、財産や家業を誰が受け継ぎましたか。
答え
長男一人
③ 家制度では、家の中でどのような関係を重んじるしくみが形づくられましたか。
答え
上下関係を重んじるしくみ。
45家制度では、財産や家業などを誰が受け継ぐようになりましたか。
答え
長男一人
【解説】
家制度の下では、財産や家業などを家長から長男一人が受け継ぐようになりました。家では男の家長が主人とされました。このようなしくみの中で、家の中でも上下関係が重視されました。
【解説】
家制度の下では、財産や家業などを家長から長男一人が受け継ぐようになりました。家では男の家長が主人とされました。このようなしくみの中で、家の中でも上下関係が重視されました。
読解トレーニング問題
① 財産や家業を渡す側は誰ですか。
答え
家長
② 財産や家業を受け継ぐのは誰ですか。
答え
長男一人
③ 家制度では、家の中で何が重視されましたか。
答え
上下関係
46江戸時代の社会に根づいた、男性を女性より上位とする考え方を何といいますか。
答え
男尊女卑
【解説】
江戸時代には、男性を女性より上位とする男尊女卑の風潮が社会に根づきました。特に女性は、小さいときは親に従い、結婚すると夫に従い、老いてからは子である長男に従うことが求められました。このように、女性には生涯を通して男性に従うことが求められる風潮がありました。
【解説】
江戸時代には、男性を女性より上位とする男尊女卑の風潮が社会に根づきました。特に女性は、小さいときは親に従い、結婚すると夫に従い、老いてからは子である長男に従うことが求められました。このように、女性には生涯を通して男性に従うことが求められる風潮がありました。
読解トレーニング問題
① 男尊女卑とは、どのような考え方ですか。
答え
男性を女性より上位とする考え方。
② 女性は結婚すると、誰に従うことが求められましたか。
答え
夫
③ 女性には、生涯を通してどのようなことが求められる風潮がありましたか。
答え
男性に従うこと。
47女性は、小さいときには誰に従うことが求められましたか。
答え
親
【解説】
男尊女卑の風潮の中で、女性は小さいときは親に従うことが求められました。さらに、結婚すると夫に従い、老いてからは子である長男に従うことが求められました。女性の立場は、年齢や結婚によって従う相手が変わるしくみになっていました。
【解説】
男尊女卑の風潮の中で、女性は小さいときは親に従うことが求められました。さらに、結婚すると夫に従い、老いてからは子である長男に従うことが求められました。女性の立場は、年齢や結婚によって従う相手が変わるしくみになっていました。
読解トレーニング問題
① 女性は結婚すると誰に従いましたか。
答え
夫
② 女性は老いてから、誰に従うことが求められましたか。
答え
子である長男
③ 女性の従う相手は、何によって変わりましたか。
答え
年齢や結婚によって変わりました。
48女性は、結婚すると誰に従うことが求められましたか。
答え
夫
【解説】
女性は、結婚すると夫に従うことが求められました。小さいときは親に従い、老いてからは子である長男に従うことも求められました。これは、男尊女卑の風潮が社会に根づいていたことを示しています。
【解説】
女性は、結婚すると夫に従うことが求められました。小さいときは親に従い、老いてからは子である長男に従うことも求められました。これは、男尊女卑の風潮が社会に根づいていたことを示しています。
読解トレーニング問題
① 女性は小さいとき、誰に従うことが求められましたか。
答え
親
② 女性は老いてから、誰に従うことが求められましたか。
答え
子である長男
③ このような女性の立場は、どのような風潮が社会に根づいていたことを示していますか。
答え
男尊女卑の風潮。
49女性は、老いてから誰に従うことが求められましたか。
答え
子(長男)
【解説】
女性は、老いてから子である長男に従うことが求められました。小さいときは親、結婚すると夫に従うことが求められていました。このように、女性には生涯を通して男性との上下関係の中で生活することが求められていました。
【解説】
女性は、老いてから子である長男に従うことが求められました。小さいときは親、結婚すると夫に従うことが求められていました。このように、女性には生涯を通して男性との上下関係の中で生活することが求められていました。
読解トレーニング問題
① 女性は小さいとき、誰に従いましたか。
答え
親
② 女性は結婚すると、誰に従いましたか。
答え
夫
③ 女性は生涯を通して、どのような関係の中で生活することが求められていましたか。
答え
男性との上下関係の中で生活すること。
「文治政治への転換」のまとめ問題
① 17世紀後半、国内では何が確立し、外国との関係はどのようになりましたか。
② 文治政治とは、どのような政治ですか。
③ 文治政治への転換を明確にした5代将軍は誰ですか。
④ 徳川綱吉が特に重視した学問は何ですか。
⑤ 朱子学では、どのような二つの関係を大切にしましたか。
⑥ 徳川綱吉が朱子学を重視した目的は何ですか。
⑦ 朱子学の考え方は、大名と家臣以外にどのような人々の関係に広がりましたか。
⑧ 男の家長を主人とするしくみを何といいますか。
⑨ 家制度では、財産や家業は誰が受け継ぎましたか。
⑩ 男性を女性より上位とする考え方を何といいますか。
⑪ 女性が小さいとき、結婚した後、老いた後に従うことを求められた相手を順番に答えなさい。
① 17世紀後半、国内では何が確立し、外国との関係はどのようになりましたか。
答え
国内では幕藩体制が確立し、外国との関係も安定してきました。
② 文治政治とは、どのような政治ですか。
答え
武力ではなく、学問や礼節を重んじる政治。
③ 文治政治への転換を明確にした5代将軍は誰ですか。
答え
徳川綱吉
④ 徳川綱吉が特に重視した学問は何ですか。
答え
朱子学
⑤ 朱子学では、どのような二つの関係を大切にしましたか。
答え
主君と家臣の主従関係と、父子の上下関係。
⑥ 徳川綱吉が朱子学を重視した目的は何ですか。
答え
身分制の維持を目指すため。
⑦ 朱子学の考え方は、大名と家臣以外にどのような人々の関係に広がりましたか。
答え
商人の主人と奉公人、職人の親方と弟子の関係。
⑧ 男の家長を主人とするしくみを何といいますか。
答え
家制度
⑨ 家制度では、財産や家業は誰が受け継ぎましたか。
答え
長男一人
⑩ 男性を女性より上位とする考え方を何といいますか。
答え
男尊女卑
⑪ 女性が小さいとき、結婚した後、老いた後に従うことを求められた相手を順番に答えなさい。
答え
親、夫、子(長男)。
重要年号・時期
17世紀後半:国内で幕藩体制が確立し、外国との関係も安定してきた時期。5代将軍徳川綱吉が文治政治への転換を明確にしました。
17世紀後半:国内で幕藩体制が確立し、外国との関係も安定してきた時期。5代将軍徳川綱吉が文治政治への転換を明確にしました。
重要語句
文治政治:武力ではなく、学問や礼節を重んじる政治。
徳川綱吉:5代将軍。文治政治への転換を明確にし、学問を奨励しました。
儒学:徳川綱吉が奨励した学問で、その中でも朱子学が特に重視されました。
朱子学:主君と家臣の主従関係や、父子の上下関係を大切にする儒学の一つ。
主従関係:主君と家臣の上下関係。朱子学で重視されました。
家制度:男の家長を主人とし、財産や家業などを長男一人が受け継ぐしくみ。
男尊女卑:男性を女性より上位とする考え方。江戸時代の社会に根づきました。
文治政治:武力ではなく、学問や礼節を重んじる政治。
徳川綱吉:5代将軍。文治政治への転換を明確にし、学問を奨励しました。
儒学:徳川綱吉が奨励した学問で、その中でも朱子学が特に重視されました。
朱子学:主君と家臣の主従関係や、父子の上下関係を大切にする儒学の一つ。
主従関係:主君と家臣の上下関係。朱子学で重視されました。
家制度:男の家長を主人とし、財産や家業などを長男一人が受け継ぐしくみ。
男尊女卑:男性を女性より上位とする考え方。江戸時代の社会に根づきました。
この範囲のポイント
17世紀後半になると、国内では幕藩体制が確立し、外国との関係も安定しました。5代将軍徳川綱吉は、武力ではなく学問や礼節を重んじる文治政治への転換を明確にしました。
綱吉は学問を奨励し、特に朱子学を重視しました。朱子学は主君と家臣の主従関係や父子の上下関係を大切にするため、身分制を維持する考え方として用いられました。この考え方は、大名と家臣だけでなく、商人の主人と奉公人、職人の親方と弟子の関係にも広がりました。
さらに、庶民の家では男の家長を主人とする家制度ができ上がり、財産や家業を長男一人が受け継ぐようになりました。社会には男尊女卑の風潮も根づき、女性は小さいときは親、結婚すると夫、老いてからは子である長男に従うことが求められました。
17世紀後半になると、国内では幕藩体制が確立し、外国との関係も安定しました。5代将軍徳川綱吉は、武力ではなく学問や礼節を重んじる文治政治への転換を明確にしました。
綱吉は学問を奨励し、特に朱子学を重視しました。朱子学は主君と家臣の主従関係や父子の上下関係を大切にするため、身分制を維持する考え方として用いられました。この考え方は、大名と家臣だけでなく、商人の主人と奉公人、職人の親方と弟子の関係にも広がりました。
さらに、庶民の家では男の家長を主人とする家制度ができ上がり、財産や家業を長男一人が受け継ぐようになりました。社会には男尊女卑の風潮も根づき、女性は小さいときは親、結婚すると夫、老いてからは子である長男に従うことが求められました。
天下泰平の世の中 身分制の下での暮らし
学習課題
江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。
江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。
④ 差別された人々
50近世の社会では、天変地異・死・犯罪など人間が計り知れないことを何としておそれる傾向がありましたか。答え
けがれ
【解説】
近世の社会では、中世と同じように、天変地異・死・犯罪など人間が計り知れないことを「けがれ」としておそれる傾向がありました。そして、その「けがれ」に関わった人々が差別されることがありました。ただし、死に関わるすべての人が差別されたわけではありませんでした。
【解説】
近世の社会では、中世と同じように、天変地異・死・犯罪など人間が計り知れないことを「けがれ」としておそれる傾向がありました。そして、その「けがれ」に関わった人々が差別されることがありました。ただし、死に関わるすべての人が差別されたわけではありませんでした。
読解トレーニング問題
① 近世の社会では、中世と同じように何を「けがれ」としておそれましたか。三つ答えなさい。
答え
天変地異・死・犯罪など人間が計り知れないこと。
② 「けがれ」に関わった人々は、どのような扱いを受けることがありましたか。
答え
差別されることがありました。
③ 死に関わる人は、すべて差別されたのですか。
答え
いいえ、死に関わるすべての人が差別されたわけではありませんでした。
51「けがれ」とされたものに関わった人々は、どのような扱いを受けることがありましたか。
答え
差別されることがありました。
【解説】
近世の社会では、天変地異・死・犯罪などが「けがれ」としておそれられました。そのため、それに関わった人々が差別されることがありました。しかし、死に関わっていても医師や僧侶などは差別されなかったため、この差別には正当な理由がなかったといえます。
【解説】
近世の社会では、天変地異・死・犯罪などが「けがれ」としておそれられました。そのため、それに関わった人々が差別されることがありました。しかし、死に関わっていても医師や僧侶などは差別されなかったため、この差別には正当な理由がなかったといえます。
読解トレーニング問題
① 近世の社会で「けがれ」としておそれられたものを三つ答えなさい。
答え
天変地異・死・犯罪。
② 死に関わっていても差別されなかった人々には、どのような人がいましたか。
答え
医師や僧侶など。
③ この差別に正当な理由がなかったといえるのはなぜですか。
答え
死に関わっていても医師や僧侶などは差別されなかったため。
52死に関わっていても差別されなかった人々を三つ答えなさい。
答え
医師・僧侶・処刑役に従事した武士
【解説】
死に関わる仕事をしていても、医師や僧侶、処刑役に従事した武士などは差別されませんでした。そのため、死に関わることそのものが差別の理由だったとはいえません。このことから、差別には正当な理由がなく、不当なものであったといえます。
【解説】
死に関わる仕事をしていても、医師や僧侶、処刑役に従事した武士などは差別されませんでした。そのため、死に関わることそのものが差別の理由だったとはいえません。このことから、差別には正当な理由がなく、不当なものであったといえます。
読解トレーニング問題
① 差別されなかった、死に関わる職業の人を三つ答えなさい。
答え
医師・僧侶・処刑役に従事した武士。
② 死に関わることそのものが差別の理由だったといえますか。
答え
いいえ、いえません。
③ このことから、差別はどのようなものだったといえますか。
答え
正当な理由がない不当なものでした。
53教科書では、この差別をどのようなものだと説明していますか。
答え
正当な理由がなく、支配者に都合よく利用された不当なもの。
【解説】
教科書では、この差別には正当な理由がなかったと説明しています。さらに、差別は支配者に都合よく利用された不当なものであったとしています。死に関わっていても医師や僧侶、処刑役に従事した武士などは差別されなかったことが、その不当さを示しています。
【解説】
教科書では、この差別には正当な理由がなかったと説明しています。さらに、差別は支配者に都合よく利用された不当なものであったとしています。死に関わっていても医師や僧侶、処刑役に従事した武士などは差別されなかったことが、その不当さを示しています。
読解トレーニング問題
① この差別には、正当な理由がありましたか。
答え
いいえ、正当な理由はありませんでした。
② 差別は誰に都合よく利用されたと説明されていますか。
答え
支配者
③ 差別が不当だったことを示す例を答えなさい。
答え
死に関わっていても医師や僧侶、処刑役に従事した武士などは差別されなかったこと。
54差別された人々は、全国で同じ呼び名や役割だったのですか。
答え
いいえ、地域によってさまざまな呼び名や役割で存在していました。
【解説】
差別された人々は、全国どこでも同じ呼び名や役割だったわけではありません。地域によってさまざまな呼び名や役割で存在していました。教科書では、その例として「えた」とよばれた人々や「ひにん」とよばれた人々について説明しています。
【解説】
差別された人々は、全国どこでも同じ呼び名や役割だったわけではありません。地域によってさまざまな呼び名や役割で存在していました。教科書では、その例として「えた」とよばれた人々や「ひにん」とよばれた人々について説明しています。
読解トレーニング問題
① 差別された人々の呼び名や役割は、何によって違いましたか。
答え
地域によって違いました。
② 教科書で例として説明されている二つの呼び名を答えなさい。
答え
えた・ひにん。
③ 差別された人々は、全国で同じ役割をしていましたか。
答え
いいえ、地域によってさまざまな役割で存在していました。
55「えた」とよばれた人々は、死んだ牛や馬についてどのような仕事に従事しましたか。
答え
死牛馬の取り扱い
【解説】
「えた」とよばれた人々は、死牛馬の取り扱いに従事しました。また、皮革の製造や皮細工、竹細工、草履・雪駄などの履物づくりなども行いました。さらに、犯罪者の捕縛や行刑役にも従事していました。
【解説】
「えた」とよばれた人々は、死牛馬の取り扱いに従事しました。また、皮革の製造や皮細工、竹細工、草履・雪駄などの履物づくりなども行いました。さらに、犯罪者の捕縛や行刑役にも従事していました。
読解トレーニング問題
① 「えた」とよばれた人々は、死んだ牛や馬をどのように扱う仕事をしていましたか。
答え
死牛馬の取り扱い。
② 「えた」とよばれた人々が行った製造や細工の仕事を二つ答えなさい。
答え
皮革の製造や皮細工など。
③ 「えた」とよばれた人々は、犯罪者に関してどのような仕事にも従事しましたか。
答え
犯罪者の捕縛や行刑役。
56「えた」とよばれた人々は、皮を使ってどのような仕事に従事しましたか。二つ答えなさい。
答え
皮革の製造・皮細工
【解説】
「えた」とよばれた人々は、皮革の製造や皮細工に従事しました。そのほかにも、死牛馬の取り扱い、竹細工、草履・雪駄などの履物づくりを行いました。これらは社会の中で必要とされる仕事でした。
【解説】
「えた」とよばれた人々は、皮革の製造や皮細工に従事しました。そのほかにも、死牛馬の取り扱い、竹細工、草履・雪駄などの履物づくりを行いました。これらは社会の中で必要とされる仕事でした。
読解トレーニング問題
① 「えた」とよばれた人々が、皮を使って行った二つの仕事は何ですか。
答え
皮革の製造と皮細工。
② 皮を使う仕事以外に、どのような細工を行いましたか。
答え
竹細工
③ これらの仕事は、社会の中でどのように位置づけられていましたか。
答え
社会の中で必要とされる仕事でした。
57「えた」とよばれた人々がつくった履物を二つ答えなさい。
答え
草履・雪駄
【解説】
「えた」とよばれた人々は、草履・雪駄などの履物づくりにも従事しました。また、竹細工や皮細工、皮革の製造なども行っていました。このように、日常生活や社会に必要とされるさまざまな仕事を担っていました。
【解説】
「えた」とよばれた人々は、草履・雪駄などの履物づくりにも従事しました。また、竹細工や皮細工、皮革の製造なども行っていました。このように、日常生活や社会に必要とされるさまざまな仕事を担っていました。
読解トレーニング問題
① 「えた」とよばれた人々がつくった二つの履物は何ですか。
答え
草履・雪駄。
② 履物づくり以外に行っていた細工を二つ答えなさい。
答え
竹細工と皮細工。
③ 「えた」とよばれた人々は、社会の中でどのような仕事を担っていましたか。
答え
日常生活や社会に必要とされるさまざまな仕事。
58「えた」とよばれた人々は、犯罪者に関してどのような仕事に従事しましたか。
答え
犯罪者の捕縛や行刑役
【解説】
「えた」とよばれた人々は、犯罪者の捕縛や行刑役にも従事しました。また、死牛馬の取り扱いや皮革の製造、皮細工、竹細工、履物づくりなどにも関わっていました。このように、社会を維持するために必要とされる多くの役割を担っていました。
【解説】
「えた」とよばれた人々は、犯罪者の捕縛や行刑役にも従事しました。また、死牛馬の取り扱いや皮革の製造、皮細工、竹細工、履物づくりなどにも関わっていました。このように、社会を維持するために必要とされる多くの役割を担っていました。
読解トレーニング問題
① 犯罪者を捕まえる仕事を何といいますか。
答え
犯罪者の捕縛。
② 「えた」とよばれた人々は、捕縛のほかに何という役にも従事しましたか。
答え
行刑役
③ 「えた」とよばれた人々の仕事には、社会の中でどのような意味がありましたか。
答え
社会を維持するために必要とされる多くの役割を担っていました。
59「ひにん」とよばれた人々は、どのような仕事に従事しましたか。
答え
町や村の警備・芸能など。
【解説】
「ひにん」とよばれた人々は、町や村の警備・芸能などに従事しました。これらの仕事も、社会の中で必要とされる役割でした。「えた」とよばれた人々と同じように、社会の中で仕事や文化を担っていました。
【解説】
「ひにん」とよばれた人々は、町や村の警備・芸能などに従事しました。これらの仕事も、社会の中で必要とされる役割でした。「えた」とよばれた人々と同じように、社会の中で仕事や文化を担っていました。
読解トレーニング問題
① 「ひにん」とよばれた人々は、どこの警備をしましたか。
答え
町や村。
② 警備のほかに、どのような分野に従事しましたか。
答え
芸能
③ 「ひにん」とよばれた人々の仕事は、社会の中でどのような役割でしたか。
答え
社会の中で必要とされる役割でした。
60差別された人々は、社会の中でどのような仕事や役割を担っていましたか。
答え
社会的に必要とされる仕事や役割・文化。
【解説】
「えた」や「ひにん」とよばれた人々は、社会的に必要とされる仕事や役割・文化を担っていました。死牛馬の取り扱い、皮革の製造、警備、芸能など、その仕事はさまざまでした。差別されながらも、社会の生活や秩序を支える役割を果たしていました。
【解説】
「えた」や「ひにん」とよばれた人々は、社会的に必要とされる仕事や役割・文化を担っていました。死牛馬の取り扱い、皮革の製造、警備、芸能など、その仕事はさまざまでした。差別されながらも、社会の生活や秩序を支える役割を果たしていました。
読解トレーニング問題
① 差別された人々が担った仕事の例を二つ答えなさい。
答え
死牛馬の取り扱い、皮革の製造、警備、芸能など。
② これらの人々は、仕事だけでなく何も担っていましたか。
答え
文化
③ 差別された人々は、社会にどのような役割を果たしていましたか。
答え
社会の生活や秩序を支える役割を果たしていました。
61差別された人々の中には、経済的にどのようになる人も現れましたか。
答え
豊かになる人。
【解説】
差別された人々の中には、経済的に豊かになる人も現れました。しかし、経済的に豊かになっても差別がなくなったわけではありませんでした。江戸時代中期からは、幕府や藩のお触れなどによって、百姓や町人とは別の身分として位置づけられていきました。
【解説】
差別された人々の中には、経済的に豊かになる人も現れました。しかし、経済的に豊かになっても差別がなくなったわけではありませんでした。江戸時代中期からは、幕府や藩のお触れなどによって、百姓や町人とは別の身分として位置づけられていきました。
読解トレーニング問題
① 差別された人々の中には、経済的にどのような人も現れましたか。
答え
経済的に豊かになる人。
② 経済的に豊かになると、差別はなくなりましたか。
答え
いいえ、差別はなくなりませんでした。
③ 江戸時代中期から、幕府や藩によってどのように位置づけられましたか。
答え
百姓や町人とは別の身分として位置づけられました。
62江戸時代中期から、差別された人々は幕府や藩によってどのように位置づけられましたか。
答え
百姓や町人とは別の身分として位置づけられました。
【解説】
江戸時代中期から、幕府や藩はお触れなどを出しました。それによって、差別された人々は百姓や町人とは別の身分として位置づけられました。さらに服装や髪型も制限され、このような政策によって差別は強化されました。
【解説】
江戸時代中期から、幕府や藩はお触れなどを出しました。それによって、差別された人々は百姓や町人とは別の身分として位置づけられました。さらに服装や髪型も制限され、このような政策によって差別は強化されました。
読解トレーニング問題
① 幕府や藩がお触れなどを出したのは、いつごろからですか。
答え
江戸時代中期から。
② 差別された人々は、どのような身分として位置づけられましたか。
答え
百姓や町人とは別の身分。
③ この政策によって差別はどうなりましたか。
答え
さらに強化されました。
63幕府や藩は、差別された人々の何を制限しましたか。二つ答えなさい。
答え
服装・髪型
【解説】
幕府や藩は、お触れなどによって差別された人々の服装や髪型を制限しました。また、百姓や町人とは別の身分として位置づけました。こうした政策によって、人々の間の違いが制度として強められ、差別がさらに強化されました。
【解説】
幕府や藩は、お触れなどによって差別された人々の服装や髪型を制限しました。また、百姓や町人とは別の身分として位置づけました。こうした政策によって、人々の間の違いが制度として強められ、差別がさらに強化されました。
読解トレーニング問題
① 幕府や藩が制限したものを二つ答えなさい。
答え
服装と髪型。
② 差別された人々は、誰とは別の身分として位置づけられましたか。
答え
百姓や町人。
③ 服装や髪型の制限などの政策は、差別にどのような影響を与えましたか。
答え
差別をさらに強化しました。
64幕府や藩の政策によって、差別はどのようになりましたか。
答え
さらに強化されました。
【解説】
江戸時代中期から、幕府や藩は差別された人々を百姓や町人とは別の身分として位置づけました。さらに、服装や髪型を制限しました。その結果、もともと存在していた差別は、こうした政策によってさらに強化されました。
【解説】
江戸時代中期から、幕府や藩は差別された人々を百姓や町人とは別の身分として位置づけました。さらに、服装や髪型を制限しました。その結果、もともと存在していた差別は、こうした政策によってさらに強化されました。
読解トレーニング問題
① 幕府や藩は、差別された人々をどのような身分として位置づけましたか。
答え
百姓や町人とは別の身分。
② 幕府や藩が制限したものを二つ答えなさい。
答え
服装と髪型。
③ 幕府や藩の政策と差別には、どのような関係がありましたか。
答え
幕府や藩の政策によって、差別がさらに強化されました。
「差別された人々」のまとめ問題
① 近世の社会では、天変地異・死・犯罪など人間が計り知れないことを何とよびましたか。
② 「けがれ」に関わった人々は、どのような扱いを受けることがありましたか。
③ 死に関わっていても差別されなかった人々を三つ答えなさい。
④ この差別が正当なものではなかったといえるのはなぜですか。
⑤ 教科書では、この差別をどのようなものだと説明していますか。
⑥ 「えた」とよばれた人々が従事した仕事を四つ以上答えなさい。
⑦ 「ひにん」とよばれた人々は、どのような仕事に従事しましたか。
⑧ 「えた」や「ひにん」とよばれた人々は、社会の中でどのような役割を担っていましたか。
⑨ 江戸時代中期から、幕府や藩は差別された人々をどのように位置づけましたか。
⑩ 幕府や藩は、差別された人々の何を制限しましたか。
⑪ 幕府や藩によるこれらの政策の結果、差別はどうなりましたか。
① 近世の社会では、天変地異・死・犯罪など人間が計り知れないことを何とよびましたか。
答え
けがれ
② 「けがれ」に関わった人々は、どのような扱いを受けることがありましたか。
答え
差別されることがありました。
③ 死に関わっていても差別されなかった人々を三つ答えなさい。
答え
医師・僧侶・処刑役に従事した武士。
④ この差別が正当なものではなかったといえるのはなぜですか。
答え
死に関わっていても、医師や僧侶、処刑役に従事した武士などは差別されなかったため。
⑤ 教科書では、この差別をどのようなものだと説明していますか。
答え
正当な理由がなく、支配者に都合よく利用された不当なもの。
⑥ 「えた」とよばれた人々が従事した仕事を四つ以上答えなさい。
答え
死牛馬の取り扱い、皮革の製造、皮細工、竹細工、草履・雪駄などの履物づくり、犯罪者の捕縛、行刑役など。
⑦ 「ひにん」とよばれた人々は、どのような仕事に従事しましたか。
答え
町や村の警備・芸能など。
⑧ 「えた」や「ひにん」とよばれた人々は、社会の中でどのような役割を担っていましたか。
答え
社会的に必要とされる仕事や役割・文化を担っていました。
⑨ 江戸時代中期から、幕府や藩は差別された人々をどのように位置づけましたか。
答え
百姓や町人とは別の身分として位置づけました。
⑩ 幕府や藩は、差別された人々の何を制限しましたか。
答え
服装や髪型。
⑪ 幕府や藩によるこれらの政策の結果、差別はどうなりましたか。
答え
さらに強化されました。
重要時期
江戸時代中期:幕府や藩がお触れなどによって、差別された人々を百姓や町人とは別の身分として位置づけ、服装や髪型を制限するようになった時期。こうした政策によって差別がさらに強化されました。
江戸時代中期:幕府や藩がお触れなどによって、差別された人々を百姓や町人とは別の身分として位置づけ、服装や髪型を制限するようになった時期。こうした政策によって差別がさらに強化されました。
重要語句
けがれ:近世の社会で、天変地異・死・犯罪など人間が計り知れないことに対して使われた考え方。
えたとよばれた人々:死牛馬の取り扱い、皮革の製造、皮細工、竹細工、草履・雪駄などの履物づくり、犯罪者の捕縛や行刑役などに従事した人々。
ひにんとよばれた人々:町や村の警備・芸能などに従事した人々。
お触れ:江戸時代中期から幕府や藩が出し、差別された人々を百姓や町人とは別の身分として位置づけたり、服装や髪型を制限したりすることにも使われました。
けがれ:近世の社会で、天変地異・死・犯罪など人間が計り知れないことに対して使われた考え方。
えたとよばれた人々:死牛馬の取り扱い、皮革の製造、皮細工、竹細工、草履・雪駄などの履物づくり、犯罪者の捕縛や行刑役などに従事した人々。
ひにんとよばれた人々:町や村の警備・芸能などに従事した人々。
お触れ:江戸時代中期から幕府や藩が出し、差別された人々を百姓や町人とは別の身分として位置づけたり、服装や髪型を制限したりすることにも使われました。
この範囲のポイント
近世の社会では、中世と同じように、天変地異・死・犯罪など人間が計り知れないことを「けがれ」としておそれる傾向があり、それに関わった人々が差別されることがありました。しかし、死に関わっていた医師や僧侶、処刑役に従事した武士などは差別されなかったため、この差別には正当な理由がなく、支配者に都合よく利用された不当なものでした。
「えた」とよばれた人々は、死牛馬の取り扱いや皮革の製造、皮細工、竹細工、履物づくり、犯罪者の捕縛や行刑役などに従事しました。「ひにん」とよばれた人々は、町や村の警備や芸能などに従事しました。これらの人々は、社会的に必要とされる仕事や役割・文化を担っていました。
その中には経済的に豊かになる人もいましたが、江戸時代中期から幕府や藩のお触れなどによって、百姓や町人とは別の身分として位置づけられ、服装や髪型も制限されました。このような政策によって、差別はさらに強化されました。
近世の社会では、中世と同じように、天変地異・死・犯罪など人間が計り知れないことを「けがれ」としておそれる傾向があり、それに関わった人々が差別されることがありました。しかし、死に関わっていた医師や僧侶、処刑役に従事した武士などは差別されなかったため、この差別には正当な理由がなく、支配者に都合よく利用された不当なものでした。
「えた」とよばれた人々は、死牛馬の取り扱いや皮革の製造、皮細工、竹細工、履物づくり、犯罪者の捕縛や行刑役などに従事しました。「ひにん」とよばれた人々は、町や村の警備や芸能などに従事しました。これらの人々は、社会的に必要とされる仕事や役割・文化を担っていました。
その中には経済的に豊かになる人もいましたが、江戸時代中期から幕府や藩のお触れなどによって、百姓や町人とは別の身分として位置づけられ、服装や髪型も制限されました。このような政策によって、差別はさらに強化されました。
