江戸幕府の成立と全国支配・貿易統制・琉球王国とアイヌ民族
① 幕藩体制の始まり
11600年、徳川家康が石田三成らを破った戦いを何といいますか。答え
関ヶ原の戦い
【解説】
豊臣秀吉の死後、関東を領地としていた徳川家康が勢力を伸ばしました。1600年、家康は豊臣氏の支配を続けようとした石田三成らの大名を、関ヶ原の戦いで破りました。これによって家康は全国支配を強めていきました。その後、1603年に征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きました。
【解説】
豊臣秀吉の死後、関東を領地としていた徳川家康が勢力を伸ばしました。1600年、家康は豊臣氏の支配を続けようとした石田三成らの大名を、関ヶ原の戦いで破りました。これによって家康は全国支配を強めていきました。その後、1603年に征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きました。
読解トレーニング問題
① 徳川家康が勢力を伸ばしたのは、誰が亡くなった後ですか。
答え
豊臣秀吉。
② 関ヶ原の戦いが起こったのは何年ですか。
答え
1600年。
③ 関ヶ原の戦いの後、徳川家康はどのようになっていきましたか。
答え
全国支配を強めていった。
21603年、征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開いた人物は誰ですか。
答え
徳川家康
【解説】
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、全国支配をさらに強めました。1603年、家康は朝廷から征夷大将軍に任命されました。そして、江戸に幕府を開き、江戸幕府が始まりました。家康は初代将軍となりました。
【解説】
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、全国支配をさらに強めました。1603年、家康は朝廷から征夷大将軍に任命されました。そして、江戸に幕府を開き、江戸幕府が始まりました。家康は初代将軍となりました。
読解トレーニング問題
① 徳川家康が征夷大将軍に任命されたのは何年ですか。
答え
1603年。
② 家康はどこに幕府を開きましたか。
答え
江戸。
③ 家康が幕府を開いたことで、何が始まりましたか。
答え
江戸幕府。
31615年、大坂の陣で滅ぼされた一族は何氏ですか。
答え
豊臣氏
【解説】
江戸幕府を開いた後も、豊臣氏は大坂を中心に勢力を残していました。徳川家康は豊臣氏の勢力をなくすために戦い、1615年の大坂の陣で豊臣氏を滅ぼしました。これによって、徳川氏に対抗できる大きな勢力がなくなりました。江戸幕府による全国支配がさらに強まっていきました。
【解説】
江戸幕府を開いた後も、豊臣氏は大坂を中心に勢力を残していました。徳川家康は豊臣氏の勢力をなくすために戦い、1615年の大坂の陣で豊臣氏を滅ぼしました。これによって、徳川氏に対抗できる大きな勢力がなくなりました。江戸幕府による全国支配がさらに強まっていきました。
読解トレーニング問題
① 豊臣氏はどこを中心に勢力を残していましたか。
答え
大坂。
② 大坂の陣は何年ですか。
答え
1615年。
③ 豊臣氏が滅んだ結果、幕府の支配はどうなりましたか。
答え
江戸幕府による全国支配がさらに強まった。
4幕府が直接支配する土地を何といいますか。
答え
幕領
【解説】
幕府が直接支配する土地を幕領といいます。江戸時代初めの幕領は約400万石でした。将軍直属の家来の領地も合わせると、やがて全国のおよそ4分の1にあたる約700万石に及びました。幕府は広い土地を直接支配することで、大きな経済力をもちました。
【解説】
幕府が直接支配する土地を幕領といいます。江戸時代初めの幕領は約400万石でした。将軍直属の家来の領地も合わせると、やがて全国のおよそ4分の1にあたる約700万石に及びました。幕府は広い土地を直接支配することで、大きな経済力をもちました。
読解トレーニング問題
① 江戸時代初めの幕領は約何万石でしたか。
答え
約400万石。
② 将軍直属の家来の領地を含めると、全国のおよそ何分の何に及びましたか。
答え
約4分の1。
③ 広い幕領を支配することで、幕府は何をもちましたか。
答え
大きな経済力。
5幕府が直轄地として支配した主要都市を四つ答えなさい。
答え
大坂・京都・奈良・長崎
【解説】
幕府は、重要な都市も直接支配しました。大坂・京都・奈良・長崎などの主要都市や、全国の主な鉱山を直轄地としました。さらに、金・銀・銅の貨幣を発行し、貿易も独占しました。このような仕組みによって、幕府は強い経済力をもつようになりました。
【解説】
幕府は、重要な都市も直接支配しました。大坂・京都・奈良・長崎などの主要都市や、全国の主な鉱山を直轄地としました。さらに、金・銀・銅の貨幣を発行し、貿易も独占しました。このような仕組みによって、幕府は強い経済力をもつようになりました。
読解トレーニング問題
① 幕府は主要都市のほかに、全国の何を直轄地にしましたか。
答え
主な鉱山。
② 幕府が発行した貨幣の材料を三つ答えなさい。
答え
金・銀・銅。
③ 幕府は貿易について、どのような立場をとりましたか。
答え
貿易を独占した。
6将軍のもとで幕府の政治を行った役職を何といいますか。
答え
老中
【解説】
幕府の政治は、将軍のもとで老中が中心となって行いました。また、寺社奉行・町奉行・勘定奉行の三奉行が、それぞれ仕事を分担しました。幕府はこのように役職を分けて政治を行いました。将軍を中心とした政治のしくみが整えられていきました。
【解説】
幕府の政治は、将軍のもとで老中が中心となって行いました。また、寺社奉行・町奉行・勘定奉行の三奉行が、それぞれ仕事を分担しました。幕府はこのように役職を分けて政治を行いました。将軍を中心とした政治のしくみが整えられていきました。
読解トレーニング問題
① 老中は誰のもとで政治を行いましたか。
答え
将軍。
② 三奉行をすべて答えなさい。
答え
寺社奉行・町奉行・勘定奉行。
③ 幕府は政治を行うために、役職をどのようにしましたか。
答え
役職を分けて仕事を分担した。
② 幕府と藩の関係
7将軍から1万石以上の領地を与えられた武士を何といいますか。答え
大名
【解説】
将軍から1万石以上の領地を与えられた武士を大名といいます。大名は、幕府以外の土地を支配しました。江戸時代後半には、大名の数は約270にのぼりました。大名が支配する領域は藩とよばれました。
【解説】
将軍から1万石以上の領地を与えられた武士を大名といいます。大名は、幕府以外の土地を支配しました。江戸時代後半には、大名の数は約270にのぼりました。大名が支配する領域は藩とよばれました。
読解トレーニング問題
① 大名になる基準は何万石以上ですか。
答え
1万石以上。
② 江戸時代後半の大名の数は約いくつでしたか。
答え
約270。
③ 大名が支配する領域を何といいますか。
答え
藩。
8大名の三つの種類を答えなさい。
答え
親藩・譜代大名・外様大名
【解説】
大名は、徳川氏との関係によって親藩・譜代大名・外様大名に分けられました。親藩は徳川一門、譜代大名は関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従っていた大名です。外様大名は、関ヶ原の戦いのころから徳川氏に従った大名です。幕府の重要な役職には、主に譜代大名や旗本が任命されました。
【解説】
大名は、徳川氏との関係によって親藩・譜代大名・外様大名に分けられました。親藩は徳川一門、譜代大名は関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従っていた大名です。外様大名は、関ヶ原の戦いのころから徳川氏に従った大名です。幕府の重要な役職には、主に譜代大名や旗本が任命されました。
読解トレーニング問題
① 徳川一門の大名を何といいますか。
答え
親藩。
② 関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従っていた大名を何といいますか。
答え
譜代大名。
③ 幕府の重要な役職には、主にどのような人々が任命されましたか。
答え
譜代大名や旗本。
9大名が支配する領域を何といいますか。
答え
藩
【解説】
大名が支配する領域を藩といいます。藩では、大名に一定の独自の統治が認められていました。しかし、大名は幕府の決まりに従わなければなりませんでした。幕府と藩がそれぞれの立場で全国を支配するしくみがつくられていきました。
【解説】
大名が支配する領域を藩といいます。藩では、大名に一定の独自の統治が認められていました。しかし、大名は幕府の決まりに従わなければなりませんでした。幕府と藩がそれぞれの立場で全国を支配するしくみがつくられていきました。
読解トレーニング問題
① 藩では誰が政治を行いましたか。
答え
大名。
② 藩にはどのような統治が認められていましたか。
答え
一定の独自の統治。
③ 大名は何に従わなければなりませんでしたか。
答え
幕府の決まり。
10幕府と藩が全国の土地と人々を支配するしくみを何といいますか。
答え
幕藩体制
【解説】
幕府と藩が全国の土地と人々を支配するしくみを幕藩体制といいます。このしくみは、3代将軍徳川家光のころに確立しました。幕府は全国の大名を統制し、藩では大名がそれぞれ領地を治めました。幕府と藩の両方によって全国が支配されたことが特徴です。
【解説】
幕府と藩が全国の土地と人々を支配するしくみを幕藩体制といいます。このしくみは、3代将軍徳川家光のころに確立しました。幕府は全国の大名を統制し、藩では大名がそれぞれ領地を治めました。幕府と藩の両方によって全国が支配されたことが特徴です。
読解トレーニング問題
① 幕藩体制が確立したのは何代将軍のころですか。
答え
3代将軍。
② 3代将軍の名前を答えなさい。
答え
徳川家光。
③ 幕藩体制では、藩を誰が治めましたか。
答え
大名。
11幕府が大名を統制するために定めた法令を何といいますか。
答え
武家諸法度
【解説】
幕府は大名を統制するために武家諸法度を定めました。武家諸法度では、大名どうしの結婚などに制限を設けました。幕府の許可なく結婚することなどは禁じられました。違反した大名には、国替えや取りつぶしなどの処分が行われました。
【解説】
幕府は大名を統制するために武家諸法度を定めました。武家諸法度では、大名どうしの結婚などに制限を設けました。幕府の許可なく結婚することなどは禁じられました。違反した大名には、国替えや取りつぶしなどの処分が行われました。
読解トレーニング問題
① 武家諸法度は誰を統制するための法令ですか。
答え
大名。
② 武家諸法度では、大名どうしの何に制限が設けられましたか。
答え
結婚。
③ 違反した大名に行われた処分を二つ答えなさい。
答え
国替えと取りつぶし。
12大名が1年おきに江戸と領地を行き来する制度を何といいますか。
答え
参勤交代
【解説】
3代将軍徳川家光のころ、参勤交代の制度が整えられました。多くの大名は1年おきに江戸と領地を行き来し、その妻子は江戸の屋敷に住むよう命じられました。参勤交代には多くの費用が必要でした。さらに幕府は、河川や江戸城を整備する御手伝普請なども大名に命じたため、大名にとって重い負担となりました。
【解説】
3代将軍徳川家光のころ、参勤交代の制度が整えられました。多くの大名は1年おきに江戸と領地を行き来し、その妻子は江戸の屋敷に住むよう命じられました。参勤交代には多くの費用が必要でした。さらに幕府は、河川や江戸城を整備する御手伝普請なども大名に命じたため、大名にとって重い負担となりました。
読解トレーニング問題
① 参勤交代が整えられたのは、誰のころですか。
答え
3代将軍徳川家光のころ。
② 大名の妻子はどこに住むよう命じられましたか。
答え
江戸の屋敷。
③ 参勤交代や御手伝普請は、大名にとってどのようなものでしたか。
答え
重い負担。
学習課題① 幕府は大名や朝廷を統制するために、どのようなしくみをつくったのだろうか
13江戸幕府は、大名をどのようなしくみで統制しましたか。答え
武家諸法度を定め、参勤交代や御手伝普請を行わせるなどして、大名を統制した。
【解説】
幕府は、大名の行動を制限する武家諸法度を定めました。また、徳川家光のころには参勤交代を制度として整え、多くの大名に江戸と領地を往復させました。御手伝普請も大名に命じられ、これらには多くの費用が必要でした。こうした仕組みによって、幕府は大名を統制しました。
【解説】
幕府は、大名の行動を制限する武家諸法度を定めました。また、徳川家光のころには参勤交代を制度として整え、多くの大名に江戸と領地を往復させました。御手伝普請も大名に命じられ、これらには多くの費用が必要でした。こうした仕組みによって、幕府は大名を統制しました。
読解トレーニング問題
① 大名の行動を制限した法令は何ですか。
答え
武家諸法度。
② 徳川家光のころに制度として整えられたものは何ですか。
答え
参勤交代。
③ 参勤交代や御手伝普請が大名にとって負担になった理由は何ですか。
答え
多くの費用が必要だったため。
③ 朱印船貿易から貿易統制へ
14徳川家康が外国と貿易する大名や豪商に与えた証書を何といいますか。答え
朱印状
【解説】
徳川家康は、外国との貿易を統制しようとしました。そこで、外国と貿易する大名や豪商に、海外への渡航を許す朱印状を与えました。朱印状をもつ船は朱印船とよばれました。朱印船による貿易を朱印船貿易といいます。
【解説】
徳川家康は、外国との貿易を統制しようとしました。そこで、外国と貿易する大名や豪商に、海外への渡航を許す朱印状を与えました。朱印状をもつ船は朱印船とよばれました。朱印船による貿易を朱印船貿易といいます。
読解トレーニング問題
① 家康が朱印状を与えたのは、どのような人々ですか。
答え
外国と貿易する大名や豪商。
② 朱印状をもつ船を何といいますか。
答え
朱印船。
③ 家康が朱印状を与えた目的は何ですか。
答え
外国との貿易を統制するため。
15朱印状をもつ船による貿易を何といいますか。
答え
朱印船貿易
【解説】
朱印船貿易は、徳川家康の時代にも東南アジアを中心に盛んに行われました。幕府は、東南アジアの国々に朱印船の安全を保障するよう求めました。17世紀に入ると、オランダやイギリスからの貿易の求めにも応じました。幕府は貿易の利益を得ながら、貿易を統制しようとしていました。
【解説】
朱印船貿易は、徳川家康の時代にも東南アジアを中心に盛んに行われました。幕府は、東南アジアの国々に朱印船の安全を保障するよう求めました。17世紀に入ると、オランダやイギリスからの貿易の求めにも応じました。幕府は貿易の利益を得ながら、貿易を統制しようとしていました。
読解トレーニング問題
① 朱印船貿易は主にどの地域との間で盛んでしたか。
答え
東南アジア。
② 17世紀に貿易を求めてきたヨーロッパの国を二つ答えなさい。
答え
オランダとイギリス。
③ 幕府は東南アジアの国々に、何を求めましたか。
答え
朱印船の安全を保障すること。
16朱印船貿易で、日本が主に輸出したものは何ですか。
答え
銀
【解説】
朱印船貿易を通じて、日本は明の生糸や絹織物などを輸入しました。日本からは、主に銀を輸出しました。当時の日本では大量の生糸をつくることができず、生糸は輸入品の約90%を占めました。貿易によって日本と東南アジア、ヨーロッパとの結びつきが強まりました。
【解説】
朱印船貿易を通じて、日本は明の生糸や絹織物などを輸入しました。日本からは、主に銀を輸出しました。当時の日本では大量の生糸をつくることができず、生糸は輸入品の約90%を占めました。貿易によって日本と東南アジア、ヨーロッパとの結びつきが強まりました。
読解トレーニング問題
① 日本が輸入したものを二つ答えなさい。
答え
生糸と絹織物。
② 生糸は輸入品のおよそ何%を占めましたか。
答え
約90%。
③ 貿易によって、日本とどの地域との結びつきが強まりましたか。
答え
東南アジアやヨーロッパ。
17朱印船貿易の結果、東南アジアの港や都市につくられた日本人の居住区を何といいますか。
答え
日本町
【解説】
朱印船貿易が盛んになると、多くの日本人が東南アジアへ渡りました。その結果、ルソン・安南・シャムなどの主な港や都市に日本町ができました。日本町は、海外に渡った日本人が集まって生活する場所でした。また、国内には唐人町とよばれる外国人居住区もありました。
【解説】
朱印船貿易が盛んになると、多くの日本人が東南アジアへ渡りました。その結果、ルソン・安南・シャムなどの主な港や都市に日本町ができました。日本町は、海外に渡った日本人が集まって生活する場所でした。また、国内には唐人町とよばれる外国人居住区もありました。
読解トレーニング問題
① 日本町ができた地域を三つ答えなさい。
答え
ルソン・安南・シャム。
② 日本町ができたのは、どの貿易が盛んになった結果ですか。
答え
朱印船貿易。
③ 国内にあった外国人居住区を何といいましたか。
答え
唐人町。
181612年、徳川家康が幕領で禁止した宗教は何ですか。
答え
キリスト教
【解説】
徳川家康は初め、キリスト教の影響よりも貿易の利益を優先していました。しかし、神への信仰を重んじるキリスト教が幕府の支配の妨げになると考えるようになりました。また、スペインやポルトガルによる侵略のきっかけになることも警戒しました。そこで1612年に幕領で、翌1613年に全国でキリスト教を禁止しました。
【解説】
徳川家康は初め、キリスト教の影響よりも貿易の利益を優先していました。しかし、神への信仰を重んじるキリスト教が幕府の支配の妨げになると考えるようになりました。また、スペインやポルトガルによる侵略のきっかけになることも警戒しました。そこで1612年に幕領で、翌1613年に全国でキリスト教を禁止しました。
読解トレーニング問題
① 家康が初めに優先していたものは何ですか。
答え
貿易の利益。
② 家康が警戒した外国を二つ答えなさい。
答え
スペインとポルトガル。
③ 全国でキリスト教が禁止されたのは何年ですか。
答え
1613年。
19キリスト教を禁止することを何といいますか。
答え
禁教
【解説】
幕府はキリスト教を禁止する禁教を進めました。宣教師を国外へ追放し、キリシタンを迫害しました。さらに、禁教を徹底するために貿易港も制限していきました。キリスト教の禁止と貿易の統制は、しだいに結びついていきました。
【解説】
幕府はキリスト教を禁止する禁教を進めました。宣教師を国外へ追放し、キリシタンを迫害しました。さらに、禁教を徹底するために貿易港も制限していきました。キリスト教の禁止と貿易の統制は、しだいに結びついていきました。
読解トレーニング問題
① 幕府は宣教師をどうしましたか。
答え
国外へ追放した。
② 幕府はキリシタンをどうしましたか。
答え
迫害した。
③ 禁教を徹底するため、幕府は貿易港をどうしましたか。
答え
制限した。
20日本人の海外渡航と海外からの帰国が禁止された結果、停止した貿易は何ですか。
答え
朱印船貿易
【解説】
幕府は禁教をさらに徹底するため、スペイン船の来航を禁止しました。また、キリシタンの捜索を行い、日本人の海外渡航と海外からの帰国も禁止しました。そのため、海外に自由に行き来することができなくなりました。この結果、朱印船貿易も停止しました。
【解説】
幕府は禁教をさらに徹底するため、スペイン船の来航を禁止しました。また、キリシタンの捜索を行い、日本人の海外渡航と海外からの帰国も禁止しました。そのため、海外に自由に行き来することができなくなりました。この結果、朱印船貿易も停止しました。
読解トレーニング問題
① 幕府が来航を禁止した国の船は何ですか。
答え
スペイン船。
② 幕府はキリシタンに対して何を行いましたか。
答え
捜索。
③ 日本人について禁止された二つのことを答えなさい。
答え
海外渡航と海外からの帰国。
211637年、島原と天草で起こった一揆を何といいますか。
答え
島原・天草一揆
【解説】
禁教が進むなか、キリシタンが多かった島原と天草で1637年に一揆が起こりました。人々は、重い年貢の取り立てとキリシタンへの厳しい弾圧に抵抗しました。この一揆を島原・天草一揆といいます。徳川家光は大軍を送って、ようやく一揆をしずめました。
【解説】
禁教が進むなか、キリシタンが多かった島原と天草で1637年に一揆が起こりました。人々は、重い年貢の取り立てとキリシタンへの厳しい弾圧に抵抗しました。この一揆を島原・天草一揆といいます。徳川家光は大軍を送って、ようやく一揆をしずめました。
読解トレーニング問題
① 一揆が起こった二つの地域を答えなさい。
答え
島原と天草。
② 一揆の原因を二つ答えなさい。
答え
重い年貢の取り立てと、キリシタンへの厳しい弾圧。
③ 一揆をしずめるために大軍を送った将軍は誰ですか。
答え
徳川家光。
221639年、幕府が来航を禁止した国の船は何ですか。
答え
ポルトガル船
【解説】
1637年に島原・天草一揆が起こり、幕府は大軍を送って一揆をしずめました。その後、幕府はキリスト教への警戒をさらに強めました。1639年にはポルトガル船の来航を禁止しました。これによってキリスト教を広める可能性がある国との関係は、さらに制限されました。
【解説】
1637年に島原・天草一揆が起こり、幕府は大軍を送って一揆をしずめました。その後、幕府はキリスト教への警戒をさらに強めました。1639年にはポルトガル船の来航を禁止しました。これによってキリスト教を広める可能性がある国との関係は、さらに制限されました。
読解トレーニング問題
① ポルトガル船来航禁止の前に起こった一揆は何ですか。
答え
島原・天草一揆。
② ポルトガル船の来航を禁止したのは何年ですか。
答え
1639年。
③ 一揆の後、幕府は何への警戒を強めましたか。
答え
キリスト教。
23領民が仏教徒であることを寺院に証明させる制度を何といいますか。
答え
宗門改め
【解説】
島原・天草一揆の後、幕府は宗門改めを強化しました。宗門改めでは、領民が仏教徒であることを寺院に証明させました。これは、キリシタンを見つけて禁教を徹底することが目的でした。やがて帳簿は、結婚・出生・死亡・移転などを記した戸籍としても使われました。
【解説】
島原・天草一揆の後、幕府は宗門改めを強化しました。宗門改めでは、領民が仏教徒であることを寺院に証明させました。これは、キリシタンを見つけて禁教を徹底することが目的でした。やがて帳簿は、結婚・出生・死亡・移転などを記した戸籍としても使われました。
読解トレーニング問題
① 宗門改めが強化されたのは、何という一揆の後ですか。
答え
島原・天草一揆。
② 誰が仏教徒であることを証明しましたか。
答え
寺院。
③ 宗門改めの帳簿には、後にどのようなことが記されましたか。二つ答えなさい。
答え
結婚・出生・死亡・移転のうち二つ。
学習課題② 幕府は貿易やキリスト教の布教に、どのように対処したのだろうか
24幕府は、貿易とキリスト教をどのように統制していきましたか。答え
初めは朱印船貿易を行って貿易を統制したが、キリスト教を幕府支配の妨げや侵略のきっかけになると考えて禁教を進め、日本人の海外渡航・帰国やポルトガル船の来航を禁止した。
【解説】
徳川家康は初め、朱印状を発行して外国貿易を統制しながら、貿易の利益を得ようとしました。しかし、キリスト教が幕府の支配の妨げとなり、侵略のきっかけになることを警戒しました。そのため禁教を進め、日本人の海外渡航や帰国を禁止し、1639年にはポルトガル船の来航も禁止しました。このように、貿易と宗教を幕府の管理のもとに置く政策が強められていきました。
【解説】
徳川家康は初め、朱印状を発行して外国貿易を統制しながら、貿易の利益を得ようとしました。しかし、キリスト教が幕府の支配の妨げとなり、侵略のきっかけになることを警戒しました。そのため禁教を進め、日本人の海外渡航や帰国を禁止し、1639年にはポルトガル船の来航も禁止しました。このように、貿易と宗教を幕府の管理のもとに置く政策が強められていきました。
読解トレーニング問題
① 家康は初め、何を発行して貿易を統制しましたか。
答え
朱印状。
② 幕府がキリスト教を警戒した理由を二つ答えなさい。
答え
幕府の支配の妨げになることと、侵略のきっかけになること。
③ 1639年に禁止されたものは何ですか。
答え
ポルトガル船の来航。
④ 「鎖国」と四つの窓口
25幕府が貿易を統制し、日本人の出入国を禁止した政策は、後に何とよばれましたか。答え
鎖国
【解説】
幕府が貿易を統制し、日本人の出入国を禁止した政策は、後に鎖国とよばれるようになりました。しかし、日本が外国との交流を完全に断ったわけではありません。長崎・対馬・薩摩・松前という四つの窓口を通じて、海外との交流が続きました。それぞれの窓口では、幕府の管理のもとで異なる国や地域と交流しました。
【解説】
幕府が貿易を統制し、日本人の出入国を禁止した政策は、後に鎖国とよばれるようになりました。しかし、日本が外国との交流を完全に断ったわけではありません。長崎・対馬・薩摩・松前という四つの窓口を通じて、海外との交流が続きました。それぞれの窓口では、幕府の管理のもとで異なる国や地域と交流しました。
読解トレーニング問題
① 鎖国中、日本は外国との交流を完全に断ちましたか。
答え
完全に断ったわけではない。
② 海外との交流は、何を通じて続きましたか。
答え
四つの窓口。
③ 海外との交流は誰の管理のもとで行われましたか。
答え
幕府の管理のもと。
26江戸時代に海外との交流が行われた四つの窓口を答えなさい。
答え
長崎・対馬・薩摩・松前
【解説】
鎖国のもとでも、日本と海外との交流は続きました。その窓口となったのが長崎・対馬・薩摩・松前です。長崎はオランダ・清、対馬は朝鮮、薩摩は琉球王国、松前はアイヌ民族との関係を担当しました。この四つの窓口を通して、貿易や外交、情報の交流が行われました。
【解説】
鎖国のもとでも、日本と海外との交流は続きました。その窓口となったのが長崎・対馬・薩摩・松前です。長崎はオランダ・清、対馬は朝鮮、薩摩は琉球王国、松前はアイヌ民族との関係を担当しました。この四つの窓口を通して、貿易や外交、情報の交流が行われました。
読解トレーニング問題
① 長崎が交流した二つの国を答えなさい。
答え
オランダと清。
② 対馬が交流した国はどこですか。
答え
朝鮮。
③ 松前は誰との関係を担当しましたか。
答え
アイヌ民族。
271641年、オランダ商館は平戸から長崎のどこへ移されましたか。
答え
出島
【解説】
長崎では、オランダや中国の清との貿易が行われました。オランダとの貿易は、長崎奉行の監督のもとで行われました。1641年、平戸にあったオランダ商館は長崎の出島へ移されました。幕府は出島を通じて、オランダとの貿易や交流を統制しました。
【解説】
長崎では、オランダや中国の清との貿易が行われました。オランダとの貿易は、長崎奉行の監督のもとで行われました。1641年、平戸にあったオランダ商館は長崎の出島へ移されました。幕府は出島を通じて、オランダとの貿易や交流を統制しました。
読解トレーニング問題
① 長崎で貿易を行った国を二つ答えなさい。
答え
オランダと清。
② オランダとの貿易を監督した役職は何ですか。
答え
長崎奉行。
③ オランダ商館が出島へ移されたのは何年ですか。
答え
1641年。
28幕府がオランダから提出させた、海外の情報をまとめた文書を何といいますか。
答え
オランダ風説書
【解説】
幕府は、海外の情報を集めるためにオランダを利用しました。オランダには、海外の情報をまとめたオランダ風説書を提出させました。そこには外国の戦争や国王の交代などの情報が記されていました。幕府は外国との交流を制限しながらも、必要な海外情報は集めていました。
【解説】
幕府は、海外の情報を集めるためにオランダを利用しました。オランダには、海外の情報をまとめたオランダ風説書を提出させました。そこには外国の戦争や国王の交代などの情報が記されていました。幕府は外国との交流を制限しながらも、必要な海外情報は集めていました。
読解トレーニング問題
① 幕府は何を集めるためにオランダを利用しましたか。
答え
海外の情報。
② オランダ風説書に書かれていた内容を二つ答えなさい。
答え
外国の戦争と国王の交代。
③ 幕府は外国との交流を制限する一方で、何を続けていましたか。
答え
必要な海外情報を集めていた。
29明に代わって17世紀前半に中国に成立した国を何といいますか。
答え
清
【解説】
17世紀前半、中国では明に代わって清が成立しました。日本と清の間には正式な国交は結ばれませんでした。しかし、清の商人は長崎に来航して貿易を行いました。また、長崎には中国人が滞在する唐人屋敷も置かれました。
【解説】
17世紀前半、中国では明に代わって清が成立しました。日本と清の間には正式な国交は結ばれませんでした。しかし、清の商人は長崎に来航して貿易を行いました。また、長崎には中国人が滞在する唐人屋敷も置かれました。
読解トレーニング問題
① 清の前に中国を支配していた国は何ですか。
答え
明。
② 日本と清の間に正式な国交は結ばれましたか。
答え
結ばれなかった。
③ 長崎に置かれた中国人の滞在場所を何といいますか。
答え
唐人屋敷。
30対馬で朝鮮との貿易を担当した大名は何氏ですか。
答え
宗氏
【解説】
対馬では、宗氏が治める対馬藩が朝鮮との貿易を担当しました。朝鮮の釜山には、日本との貿易を行う倭館が置かれました。対馬では銀や銅などを輸出し、朝鮮特産の朝鮮人参や生糸・絹織物・木綿などを輸入しました。対馬は朝鮮との交流の重要な窓口でした。
【解説】
対馬では、宗氏が治める対馬藩が朝鮮との貿易を担当しました。朝鮮の釜山には、日本との貿易を行う倭館が置かれました。対馬では銀や銅などを輸出し、朝鮮特産の朝鮮人参や生糸・絹織物・木綿などを輸入しました。対馬は朝鮮との交流の重要な窓口でした。
読解トレーニング問題
① 朝鮮のどこに倭館が置かれましたか。
答え
釜山。
② 対馬から輸出されたものを二つ答えなさい。
答え
銀と銅。
③ 朝鮮から輸入されたものを二つ答えなさい。
答え
朝鮮人参・生糸・絹織物・木綿のうち二つ。
31朝鮮から、主に将軍が代わるごとに日本を訪れた使節を何といいますか。
答え
朝鮮通信使
【解説】
朝鮮からは、主に将軍が代わるごとに就任祝いの外交使節が日本を訪れました。この使節を朝鮮通信使といいます。400~500人ほどの大規模な使節団が音楽隊を伴って江戸へ向かいました。使節団の中には優れた学者や医者もおり、日本の学者や文人との交流も行われました。
【解説】
朝鮮からは、主に将軍が代わるごとに就任祝いの外交使節が日本を訪れました。この使節を朝鮮通信使といいます。400~500人ほどの大規模な使節団が音楽隊を伴って江戸へ向かいました。使節団の中には優れた学者や医者もおり、日本の学者や文人との交流も行われました。
読解トレーニング問題
① 朝鮮通信使は、主にどのようなときに来日しましたか。
答え
将軍が代わるごと。
② 使節団の人数はおよそ何人でしたか。
答え
400~500人ほど。
③ 朝鮮通信使の中の学者や医者は、日本の誰と交流しましたか。
答え
日本の学者や文人。
学習課題③ 幕府は、貿易についてどこを窓口とし、どのように関わっていたのだろうか
32鎖国のもとで、幕府は外国との交流をどのように管理しましたか。答え
長崎・対馬・薩摩・松前の四つを窓口とし、幕府や各藩の管理のもとで、貿易・外交・情報の交流を行った。
【解説】
鎖国のもとでも、日本と外国との交流は完全にはなくなりませんでした。長崎・対馬・薩摩・松前という四つの窓口が設けられました。長崎ではオランダや清、対馬では朝鮮との交流が行われました。幕府は窓口を限定することで、貿易や外交を管理しました。
【解説】
鎖国のもとでも、日本と外国との交流は完全にはなくなりませんでした。長崎・対馬・薩摩・松前という四つの窓口が設けられました。長崎ではオランダや清、対馬では朝鮮との交流が行われました。幕府は窓口を限定することで、貿易や外交を管理しました。
読解トレーニング問題
① 外国との交流に使われた窓口はいくつですか。
答え
四つ。
② 長崎ではどの二つの国と交流しましたか。
答え
オランダと清。
③ 幕府が窓口を限定した目的は何ですか。
答え
貿易や外交を管理するため。
⑤ 琉球王国と薩摩藩
331609年、琉球王国を支配した藩はどこですか。答え
薩摩藩
【解説】
徳川家康は、朝鮮との関係を改善するため、琉球王国に明との仲介役を期待しました。しかし、琉球が仲介を断ったことなどを理由に、1609年に薩摩藩が琉球へ出兵しました。その結果、薩摩藩は琉球王国を支配しました。琉球はその後も明や清との朝貢を続けました。
【解説】
徳川家康は、朝鮮との関係を改善するため、琉球王国に明との仲介役を期待しました。しかし、琉球が仲介を断ったことなどを理由に、1609年に薩摩藩が琉球へ出兵しました。その結果、薩摩藩は琉球王国を支配しました。琉球はその後も明や清との朝貢を続けました。
読解トレーニング問題
① 徳川家康は、琉球王国にどの国との仲介を期待しましたか。
答え
明。
② 薩摩藩が琉球へ出兵したのは何年ですか。
答え
1609年。
③ 薩摩藩の支配後も、琉球は何を続けましたか。
答え
明や清との朝貢。
34薩摩藩の支配を受けながら、中国との貿易の窓口となった国はどこですか。
答え
琉球王国
【解説】
琉球王国は薩摩藩の支配を受けましたが、明や清との朝貢を続けました。琉球から中国へは、蝦夷地や日本各地の昆布・ふかひれ・なまこなどが輸出されました。中国から琉球へは、絹織物・医薬品・茶・陶磁器などが輸入されました。琉球は中国との貿易を続け、薩摩藩にとっても重要な窓口となりました。
【解説】
琉球王国は薩摩藩の支配を受けましたが、明や清との朝貢を続けました。琉球から中国へは、蝦夷地や日本各地の昆布・ふかひれ・なまこなどが輸出されました。中国から琉球へは、絹織物・医薬品・茶・陶磁器などが輸入されました。琉球は中国との貿易を続け、薩摩藩にとっても重要な窓口となりました。
読解トレーニング問題
① 琉球から中国へ輸出されたものを二つ答えなさい。
答え
昆布・ふかひれ・なまこのうち二つ。
② 中国から琉球へ輸入されたものを二つ答えなさい。
答え
絹織物・医薬品・茶・陶磁器のうち二つ。
③ 琉球は薩摩藩にとってどのような役割を果たしましたか。
答え
中国との貿易の重要な窓口。
35琉球から、将軍が代わるごとに江戸へ送られた使節を何といいますか。
答え
慶賀使
【解説】
琉球からは、将軍が代わるごとに就任祝いの使節が江戸へ送られました。この使節を慶賀使といいます。また、琉球王が代わるごとに、感謝を示す謝恩使が江戸へ送られました。これらの使節は、琉球と幕府・薩摩藩との関係を示すものでした。
【解説】
琉球からは、将軍が代わるごとに就任祝いの使節が江戸へ送られました。この使節を慶賀使といいます。また、琉球王が代わるごとに、感謝を示す謝恩使が江戸へ送られました。これらの使節は、琉球と幕府・薩摩藩との関係を示すものでした。
読解トレーニング問題
① 慶賀使はどのようなときに送られましたか。
答え
将軍が代わるごと。
② 琉球王が代わるごとに送られた使節を何といいますか。
答え
謝恩使。
③ 慶賀使と謝恩使はどこへ送られましたか。
答え
江戸。
⑥ 松前藩とアイヌ民族
36蝦夷地で暮らし、漁や狩りを行っていた人々を何といいますか。答え
アイヌ民族
【解説】
蝦夷地の多くの土地にはアイヌ民族が暮らしていました。アイヌ民族は漁や狩りを行い、にしんや鮭などの海産物や毛皮を得ていました。それらを和人の米・木綿・鉄製品などと交換していました。また、千島列島や樺太、中国東北部の人々とも交易していました。
【解説】
蝦夷地の多くの土地にはアイヌ民族が暮らしていました。アイヌ民族は漁や狩りを行い、にしんや鮭などの海産物や毛皮を得ていました。それらを和人の米・木綿・鉄製品などと交換していました。また、千島列島や樺太、中国東北部の人々とも交易していました。
読解トレーニング問題
① アイヌ民族が暮らしていた地域を何といいますか。
答え
蝦夷地。
② アイヌ民族が和人に渡したものを二つ答えなさい。
答え
海産物と毛皮。
③ アイヌ民族が和人から受け取ったものを二つ答えなさい。
答え
米・木綿・鉄製品のうち二つ。
37アイヌ民族との交易を独占する権利を幕府から与えられた藩はどこですか。
答え
松前藩
【解説】
松前藩の領地は耕地が乏しく、冷涼な気候のため米がとれませんでした。そのため松前藩は、年貢米による収入の代わりに、アイヌ民族との交易から利益を得ました。幕府は松前藩に、アイヌ民族との交易を独占する権利を与えました。松前藩にとって、交易は重要な収入源でした。
【解説】
松前藩の領地は耕地が乏しく、冷涼な気候のため米がとれませんでした。そのため松前藩は、年貢米による収入の代わりに、アイヌ民族との交易から利益を得ました。幕府は松前藩に、アイヌ民族との交易を独占する権利を与えました。松前藩にとって、交易は重要な収入源でした。
読解トレーニング問題
① 松前藩で米がとれなかった理由を二つ答えなさい。
答え
耕地が乏しく、気候が冷涼だったため。
② 松前藩は何の代わりに交易から利益を得ましたか。
答え
年貢米による収入。
③ アイヌ民族との交易は、松前藩にとって何でしたか。
答え
重要な収入源。
381669年、アイヌ民族を率いて松前藩と戦った人物は誰ですか。
答え
シャクシャイン
【解説】
松前藩の武士は、しだいにアイヌ民族の住む地域へ進出して交易を行いました。しかし、品物を交換する際の比率がアイヌ民族にとって不利になると、不満が高まりました。1669年、シャクシャインを中心にアイヌ民族が立ち上がり、松前藩と戦いました。しかし、幕府の支援を受けた松前藩に敗れました。
【解説】
松前藩の武士は、しだいにアイヌ民族の住む地域へ進出して交易を行いました。しかし、品物を交換する際の比率がアイヌ民族にとって不利になると、不満が高まりました。1669年、シャクシャインを中心にアイヌ民族が立ち上がり、松前藩と戦いました。しかし、幕府の支援を受けた松前藩に敗れました。
読解トレーニング問題
① アイヌ民族の不満が高まったのはなぜですか。
答え
品物を交換する際の比率がアイヌ民族にとって不利になったため。
② シャクシャインの戦いは何年ですか。
答え
1669年。
③ 松前藩が勝利した背景には、誰の支援がありましたか。
答え
幕府の支援。
学習課題④ 琉球王国とアイヌ民族は、薩摩藩や松前藩とどのような関係にあったのだろうか
39琉球王国とアイヌ民族は、それぞれ薩摩藩・松前藩とどのような関係にありましたか。答え
琉球王国は薩摩藩の支配を受けながら中国との朝貢・貿易を続け、アイヌ民族は松前藩との交易を行ったが、交易条件をめぐって対立も起こった。
【解説】
1609年、琉球王国は薩摩藩の支配を受けるようになりましたが、その後も明や清との朝貢や貿易を続けました。一方、アイヌ民族は松前藩と海産物・毛皮、米・木綿・鉄製品などを交換しました。しかし、交換条件がアイヌ民族に不利になると対立が深まり、1669年にはシャクシャインの戦いが起こりました。琉球王国とアイヌ民族は、それぞれ独自の文化をもちながら、薩摩藩・松前藩との関係を深めていきました。
【解説】
1609年、琉球王国は薩摩藩の支配を受けるようになりましたが、その後も明や清との朝貢や貿易を続けました。一方、アイヌ民族は松前藩と海産物・毛皮、米・木綿・鉄製品などを交換しました。しかし、交換条件がアイヌ民族に不利になると対立が深まり、1669年にはシャクシャインの戦いが起こりました。琉球王国とアイヌ民族は、それぞれ独自の文化をもちながら、薩摩藩・松前藩との関係を深めていきました。
読解トレーニング問題
① 琉球王国は薩摩藩の支配を受けた後も、何を続けましたか。
答え
明や清との朝貢や貿易。
② アイヌ民族と松前藩の対立が深まった理由は何ですか。
答え
交換条件がアイヌ民族に不利になったため。
③ アイヌ民族と松前藩の対立から1669年に起こった戦いは何ですか。
答え
シャクシャインの戦い。
⑦ 琉球とアイヌ民族の暮らし・文化
40琉球の人々が着ていた、芭蕉という植物の繊維からつくる布を何といいますか。答え
芭蕉布
【解説】
琉球の人々は、南国の風土に適した風通しのよい芭蕉布でできた衣服を着ていました。また、王族から庶民まで身分に応じた服装をしていました。琉球では、三線・琉歌・組踊などの独自の文化も発展しました。これらには、中国や日本などとの交流の影響も見られます。
【解説】
琉球の人々は、南国の風土に適した風通しのよい芭蕉布でできた衣服を着ていました。また、王族から庶民まで身分に応じた服装をしていました。琉球では、三線・琉歌・組踊などの独自の文化も発展しました。これらには、中国や日本などとの交流の影響も見られます。
読解トレーニング問題
① 芭蕉布はどのような風土に適していましたか。
答え
南国の風土。
② 琉球の文化を三つ答えなさい。
答え
三線・琉歌・組踊。
③ 琉球の文化には、どのような交流の影響が見られますか。
答え
中国や日本などとの交流の影響。
41アイヌ民族が神を表す言葉を何といいますか。
答え
カムイ
【解説】
アイヌ民族は、自然・動物・植物など、生活に関係するすべてのものに神が存在すると考えていました。それぞれに感謝し、必要な量だけを狩猟・漁労・採集して生活しました。アイヌの神はカムイとよばれました。アイヌ民族の衣服や動物・魚・木などの品々にも、アイヌ文様がつけられました。
【解説】
アイヌ民族は、自然・動物・植物など、生活に関係するすべてのものに神が存在すると考えていました。それぞれに感謝し、必要な量だけを狩猟・漁労・採集して生活しました。アイヌの神はカムイとよばれました。アイヌ民族の衣服や動物・魚・木などの品々にも、アイヌ文様がつけられました。
読解トレーニング問題
① アイヌ民族は、何に神が存在すると考えていましたか。
答え
自然・動物・植物など、生活に関係するすべてのもの。
② アイヌ民族は、必要な量だけ何をして生活しましたか。
答え
狩猟・漁労・採集。
③ アイヌ民族の品々につけられた模様を何といいますか。
答え
アイヌ文様。
42アイヌ民族の家を何といいますか。
答え
チセ
【解説】
アイヌ民族の家はチセとよばれました。家の材料は、その土地で手に入るものでした。集落はコタンとよばれ、交通に便利な川や海に近く、災害に遭いにくい場所につくられました。アイヌ民族は自然環境に合わせた生活を送っていました。
【解説】
アイヌ民族の家はチセとよばれました。家の材料は、その土地で手に入るものでした。集落はコタンとよばれ、交通に便利な川や海に近く、災害に遭いにくい場所につくられました。アイヌ民族は自然環境に合わせた生活を送っていました。
読解トレーニング問題
① アイヌ民族の集落を何といいますか。
答え
コタン。
② 集落はどのような場所につくられましたか。
答え
交通に便利な川や海に近く、災害に遭いにくい場所。
③ 家の材料には何が使われましたか。
答え
その土地で手に入るもの。
43北海道や東北地方の地名に残るアイヌ語の例を三つ答えなさい。
答え
ポロ・ナイ・ペツ
【解説】
アイヌ語の中には、現在の北海道や東北地方の地名に残っているものがあります。教科書では、ポロ・ナイ・ペツなどが例として紹介されています。また、トナカイやラッコなど、現在の日本語に残っている言葉もあります。アイヌの言葉や文化は、現在の日本にも影響を残しています。
【解説】
アイヌ語の中には、現在の北海道や東北地方の地名に残っているものがあります。教科書では、ポロ・ナイ・ペツなどが例として紹介されています。また、トナカイやラッコなど、現在の日本語に残っている言葉もあります。アイヌの言葉や文化は、現在の日本にも影響を残しています。
読解トレーニング問題
① アイヌ語に由来する地名が多く残る地域を二つ答えなさい。
答え
北海道と東北地方。
② 現在の日本語に残るアイヌ語の例を二つ答えなさい。
答え
トナカイとラッコ。
③ アイヌの言葉や文化は、現在の日本に何を残していますか。
答え
影響を残している。
重要年号
1600年 関ヶ原の戦い。徳川家康が石田三成らを破る。
1603年 徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開く。
1609年 薩摩藩が琉球王国を支配する。
1612年 幕領でキリスト教を禁止する。
1613年 全国でキリスト教を禁止する。
1615年 大坂の陣で豊臣氏が滅ぶ。武家諸法度が定められる。
1637年 島原・天草一揆が起こる。
1639年 ポルトガル船の来航を禁止する。
1641年 オランダ商館を平戸から長崎の出島へ移す。
1669年 シャクシャインを中心にアイヌ民族が松前藩と戦う。
1600年 関ヶ原の戦い。徳川家康が石田三成らを破る。
1603年 徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開く。
1609年 薩摩藩が琉球王国を支配する。
1612年 幕領でキリスト教を禁止する。
1613年 全国でキリスト教を禁止する。
1615年 大坂の陣で豊臣氏が滅ぶ。武家諸法度が定められる。
1637年 島原・天草一揆が起こる。
1639年 ポルトガル船の来航を禁止する。
1641年 オランダ商館を平戸から長崎の出島へ移す。
1669年 シャクシャインを中心にアイヌ民族が松前藩と戦う。
重要語句
江戸幕府:1603年に徳川家康が江戸に開いた幕府。
幕領:幕府が直接支配した土地。
老中:将軍のもとで幕府の政治を行った中心的な役職。
三奉行:寺社奉行・町奉行・勘定奉行。
大名:将軍から1万石以上の領地を与えられた武士。
親藩:徳川一門の大名。
譜代大名:関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従っていた大名。
外様大名:関ヶ原の戦いのころから徳川氏に従った大名。
藩:大名が支配する領域。
幕藩体制:幕府と藩によって全国の土地と人々を支配するしくみ。
武家諸法度:幕府が大名を統制するために定めた法令。
参勤交代:大名が1年おきに江戸と領地を行き来する制度。
朱印状:外国との貿易を許可するために幕府が発行した証書。
朱印船:朱印状をもって外国と貿易した船。
朱印船貿易:朱印船を使って行われた東南アジアなどとの貿易。
日本町:東南アジアの港や都市につくられた日本人の居住区。
禁教:キリスト教を禁止すること。
島原・天草一揆:1637年、重い年貢とキリシタンへの弾圧に抵抗して起こった一揆。
宗門改め:領民が仏教徒であることを寺院に証明させる制度。
鎖国:幕府が貿易を統制し、日本人の出入国を禁止した政策。外国との交流を完全に断ったわけではない。
四つの窓口:長崎・対馬・薩摩・松前。
出島:長崎にあり、オランダ商館が置かれた貿易統制の場所。
オランダ風説書:オランダが幕府へ提出した海外情報をまとめた文書。
倭館:朝鮮の釜山に置かれた、日本との貿易を行う場所。
朝鮮通信使:主に将軍が代わるごとに朝鮮から来日した外交使節。
慶賀使:将軍が代わるごとに琉球から江戸へ送られた使節。
謝恩使:琉球王が代わるごとに江戸へ送られた使節。
シャクシャイン:1669年、松前藩に対して立ち上がったアイヌ民族の中心人物。
カムイ:アイヌ語で神を表す言葉。
チセ:アイヌ民族の家。
コタン:アイヌ民族の集落。
芭蕉布:琉球で着られた、芭蕉の繊維からつくる布。
江戸幕府:1603年に徳川家康が江戸に開いた幕府。
幕領:幕府が直接支配した土地。
老中:将軍のもとで幕府の政治を行った中心的な役職。
三奉行:寺社奉行・町奉行・勘定奉行。
大名:将軍から1万石以上の領地を与えられた武士。
親藩:徳川一門の大名。
譜代大名:関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従っていた大名。
外様大名:関ヶ原の戦いのころから徳川氏に従った大名。
藩:大名が支配する領域。
幕藩体制:幕府と藩によって全国の土地と人々を支配するしくみ。
武家諸法度:幕府が大名を統制するために定めた法令。
参勤交代:大名が1年おきに江戸と領地を行き来する制度。
朱印状:外国との貿易を許可するために幕府が発行した証書。
朱印船:朱印状をもって外国と貿易した船。
朱印船貿易:朱印船を使って行われた東南アジアなどとの貿易。
日本町:東南アジアの港や都市につくられた日本人の居住区。
禁教:キリスト教を禁止すること。
島原・天草一揆:1637年、重い年貢とキリシタンへの弾圧に抵抗して起こった一揆。
宗門改め:領民が仏教徒であることを寺院に証明させる制度。
鎖国:幕府が貿易を統制し、日本人の出入国を禁止した政策。外国との交流を完全に断ったわけではない。
四つの窓口:長崎・対馬・薩摩・松前。
出島:長崎にあり、オランダ商館が置かれた貿易統制の場所。
オランダ風説書:オランダが幕府へ提出した海外情報をまとめた文書。
倭館:朝鮮の釜山に置かれた、日本との貿易を行う場所。
朝鮮通信使:主に将軍が代わるごとに朝鮮から来日した外交使節。
慶賀使:将軍が代わるごとに琉球から江戸へ送られた使節。
謝恩使:琉球王が代わるごとに江戸へ送られた使節。
シャクシャイン:1669年、松前藩に対して立ち上がったアイヌ民族の中心人物。
カムイ:アイヌ語で神を表す言葉。
チセ:アイヌ民族の家。
コタン:アイヌ民族の集落。
芭蕉布:琉球で着られた、芭蕉の繊維からつくる布。
学習課題のまとめ
① 江戸幕府は大名や朝廷を統制するために、どのようなしくみをつくったのだろうか。
江戸幕府は、広い幕領や主要都市・鉱山を直接支配して強い経済力をもちました。また、大名を親藩・譜代大名・外様大名に分け、武家諸法度によって行動を制限しました。徳川家光のころには参勤交代を制度として整え、大名に江戸と領地を行き来させました。このように、幕府と藩が全国を支配する幕藩体制をつくりました。
② 幕府は、盛んになっていた貿易やキリスト教の布教に、どのように対処したのだろうか。
初め、徳川家康は朱印状を発行し、朱印船貿易を行わせながら貿易を統制しました。しかし、キリスト教が幕府の支配の妨げや、スペイン・ポルトガルによる侵略のきっかけになることを警戒し、1612年・1613年に禁教を進めました。その後、日本人の海外渡航と帰国を禁止し、1639年にはポルトガル船の来航も禁止しました。島原・天草一揆の後には宗門改めも強化されました。
③ 幕府は、貿易についてどこを窓口とし、どのように関わっていたのだろうか。
鎖国のもとでも海外との交流は完全にはなくならず、長崎・対馬・薩摩・松前の四つの窓口を通して続きました。長崎ではオランダ・清、対馬では朝鮮、薩摩では琉球王国、松前ではアイヌ民族との交流が行われました。幕府は出島やオランダ風説書などを利用して、貿易だけでなく海外情報も管理しました。つまり、鎖国とは外国との交流を完全に断つことではなく、交流の窓口を限定して幕府が管理するしくみでした。
④ 琉球王国とアイヌ民族は、薩摩藩や松前藩とどのような関係にあったのだろうか。
琉球王国は1609年から薩摩藩の支配を受けましたが、明や清との朝貢・貿易を続け、中国との貿易の窓口として重要な役割を果たしました。一方、アイヌ民族は松前藩と海産物や毛皮、米・木綿・鉄製品などを交易しました。しかし交換条件がアイヌ民族に不利になると対立が深まり、1669年にはシャクシャインの戦いが起こりました。琉球王国とアイヌ民族は、それぞれ独自の生活や文化をもちながら、日本や周辺地域との交流を続けました。
全体の流れ:
徳川家康が江戸幕府を開く → 武家諸法度・参勤交代などで大名を統制 → 朱印船貿易を行う → キリスト教を禁止して貿易を制限 → 長崎・対馬・薩摩・松前の四つの窓口で外国との交流を管理 → 琉球王国やアイヌ民族との関係も薩摩藩・松前藩を通して幕府の支配に組みこまれていく。
① 江戸幕府は大名や朝廷を統制するために、どのようなしくみをつくったのだろうか。
江戸幕府は、広い幕領や主要都市・鉱山を直接支配して強い経済力をもちました。また、大名を親藩・譜代大名・外様大名に分け、武家諸法度によって行動を制限しました。徳川家光のころには参勤交代を制度として整え、大名に江戸と領地を行き来させました。このように、幕府と藩が全国を支配する幕藩体制をつくりました。
② 幕府は、盛んになっていた貿易やキリスト教の布教に、どのように対処したのだろうか。
初め、徳川家康は朱印状を発行し、朱印船貿易を行わせながら貿易を統制しました。しかし、キリスト教が幕府の支配の妨げや、スペイン・ポルトガルによる侵略のきっかけになることを警戒し、1612年・1613年に禁教を進めました。その後、日本人の海外渡航と帰国を禁止し、1639年にはポルトガル船の来航も禁止しました。島原・天草一揆の後には宗門改めも強化されました。
③ 幕府は、貿易についてどこを窓口とし、どのように関わっていたのだろうか。
鎖国のもとでも海外との交流は完全にはなくならず、長崎・対馬・薩摩・松前の四つの窓口を通して続きました。長崎ではオランダ・清、対馬では朝鮮、薩摩では琉球王国、松前ではアイヌ民族との交流が行われました。幕府は出島やオランダ風説書などを利用して、貿易だけでなく海外情報も管理しました。つまり、鎖国とは外国との交流を完全に断つことではなく、交流の窓口を限定して幕府が管理するしくみでした。
④ 琉球王国とアイヌ民族は、薩摩藩や松前藩とどのような関係にあったのだろうか。
琉球王国は1609年から薩摩藩の支配を受けましたが、明や清との朝貢・貿易を続け、中国との貿易の窓口として重要な役割を果たしました。一方、アイヌ民族は松前藩と海産物や毛皮、米・木綿・鉄製品などを交易しました。しかし交換条件がアイヌ民族に不利になると対立が深まり、1669年にはシャクシャインの戦いが起こりました。琉球王国とアイヌ民族は、それぞれ独自の生活や文化をもちながら、日本や周辺地域との交流を続けました。
全体の流れ:
徳川家康が江戸幕府を開く → 武家諸法度・参勤交代などで大名を統制 → 朱印船貿易を行う → キリスト教を禁止して貿易を制限 → 長崎・対馬・薩摩・松前の四つの窓口で外国との交流を管理 → 琉球王国やアイヌ民族との関係も薩摩藩・松前藩を通して幕府の支配に組みこまれていく。
