江戸幕府の成立
① 徳川家康と江戸幕府
11600年、徳川家康が石田三成らを破った戦いを何といいますか。答え
関ヶ原(せきがはら)の戦い
【解説】
1600年、徳川家康(とくがわいえやす)は関ヶ原(せきがはら)の戦いで石田三成(いしだみつなり)らに勝利(しょうり)しました。この勝利によって家康は全国支配(ぜんこくしはい)を進めるうえで非常(ひじょう)に有利な立場になりました。その後、1603年に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となり、江戸幕府(えどばくふ)を開きました。
【解説】
1600年、徳川家康(とくがわいえやす)は関ヶ原(せきがはら)の戦いで石田三成(いしだみつなり)らに勝利(しょうり)しました。この勝利によって家康は全国支配(ぜんこくしはい)を進めるうえで非常(ひじょう)に有利な立場になりました。その後、1603年に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となり、江戸幕府(えどばくふ)を開きました。
21603年、征夷大将軍となって江戸幕府を開いた人物はだれですか。
答え
徳川家康(とくがわいえやす)
【解説】
徳川家康(とくがわいえやす)は関ヶ原(せきがはら)の戦いに勝利した後、1603年に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となりました。そして江戸(えど)に幕府(ばくふ)を開きました。ここから江戸幕府(えどばくふ)による政治が本格的(ほんかくてき)に始まります。
【解説】
徳川家康(とくがわいえやす)は関ヶ原(せきがはら)の戦いに勝利した後、1603年に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となりました。そして江戸(えど)に幕府(ばくふ)を開きました。ここから江戸幕府(えどばくふ)による政治が本格的(ほんかくてき)に始まります。
3徳川家康が1615年の大阪の陣で滅ぼした一族は何氏ですか。
答え
豊臣氏(とよとみし)
【解説】
徳川家康(とくがわいえやす)は江戸幕府(えどばくふ)を開いた後も、豊臣氏(とよとみし)を警戒(けいかい)していました。1615年の大阪の陣(おおさかのじん)で豊臣氏を滅(ほろ)ぼしました。これによって徳川氏(とくがわし)による全国支配(ぜんこくしはい)がさらに確かなものになりました。
【解説】
徳川家康(とくがわいえやす)は江戸幕府(えどばくふ)を開いた後も、豊臣氏(とよとみし)を警戒(けいかい)していました。1615年の大阪の陣(おおさかのじん)で豊臣氏を滅(ほろ)ぼしました。これによって徳川氏(とくがわし)による全国支配(ぜんこくしはい)がさらに確かなものになりました。
② 江戸幕府のしくみ
4幕府が直接支配した土地を何といいますか。答え
幕領(ばくりょう)
【解説】
江戸幕府(えどばくふ)は、主な都市や鉱山(こうざん)など重要な場所を直接支配(ちょくせつしはい)しました。このような幕府の直轄地(ちょっかつち)を幕領(ばくりょう)といいます。幕府は重要な土地や資源(しげん)を直接支配することで、大きな力を持ちました。
【解説】
江戸幕府(えどばくふ)は、主な都市や鉱山(こうざん)など重要な場所を直接支配(ちょくせつしはい)しました。このような幕府の直轄地(ちょっかつち)を幕領(ばくりょう)といいます。幕府は重要な土地や資源(しげん)を直接支配することで、大きな力を持ちました。
5江戸幕府では、何という役職を中心に政治が行われましたか。
答え
老中(ろうじゅう)
【解説】
江戸幕府(えどばくふ)では、老中(ろうじゅう)を中心として政治が行われました。老中は幕府の重要な政務(せいむ)を担当しました。将軍(しょうぐん)を補佐(ほさ)して幕府政治を動かす重要な役職でした。
【解説】
江戸幕府(えどばくふ)では、老中(ろうじゅう)を中心として政治が行われました。老中は幕府の重要な政務(せいむ)を担当しました。将軍(しょうぐん)を補佐(ほさ)して幕府政治を動かす重要な役職でした。
6幕府と藩が全国の土地と人々を支配するしくみを何といいますか。
答え
幕藩体制(ばくはんたいせい)
【解説】
江戸時代には、幕府(ばくふ)と各地の藩(はん)によって全国が支配されました。この支配のしくみを幕藩体制(ばくはんたいせい)といいます。将軍(しょうぐん)が幕府を、大名(だいみょう)がそれぞれの藩を支配しました。
【解説】
江戸時代には、幕府(ばくふ)と各地の藩(はん)によって全国が支配されました。この支配のしくみを幕藩体制(ばくはんたいせい)といいます。将軍(しょうぐん)が幕府を、大名(だいみょう)がそれぞれの藩を支配しました。
7徳川氏の一族で、尾張・紀伊・水戸の三家を特に何といいますか。
答え
御三家(ごさんけ)
【解説】
尾張(おわり)・紀伊(きい)・水戸(みと)の徳川家を御三家(ごさんけ)といいます。いずれも徳川氏(とくがわし)の一族です。江戸幕府(えどばくふ)の支配を支える重要な存在でした。
【解説】
尾張(おわり)・紀伊(きい)・水戸(みと)の徳川家を御三家(ごさんけ)といいます。いずれも徳川氏(とくがわし)の一族です。江戸幕府(えどばくふ)の支配を支える重要な存在でした。
③ 大名の統制
8幕府が大名を統制するために定めた法律を何といいますか。答え
武家諸法度(ぶけしょはっと)
【解説】
幕府(ばくふ)は大名(だいみょう)を統制(とうせい)するため、武家諸法度(ぶけしょはっと)を定めました。城についての決まりなど、大名が守るべきことが定められました。幕府はこの法律によって大名を厳(きび)しく統制しました。
【解説】
幕府(ばくふ)は大名(だいみょう)を統制(とうせい)するため、武家諸法度(ぶけしょはっと)を定めました。城についての決まりなど、大名が守るべきことが定められました。幕府はこの法律によって大名を厳(きび)しく統制しました。
9大名が1年おきに江戸と領地を往復する制度を何といいますか。
答え
参勤交代(さんきんこうたい)
【解説】
3代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)は参勤交代(さんきんこうたい)を制度化(せいどか)しました。大名(だいみょう)は妻子(さいし)を江戸に住まわせ、自身も1年おきに江戸と領地(りょうち)を往復(おうふく)しました。江戸での生活や往復には多くの費用(ひよう)がかかりました。
【解説】
3代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)は参勤交代(さんきんこうたい)を制度化(せいどか)しました。大名(だいみょう)は妻子(さいし)を江戸に住まわせ、自身も1年おきに江戸と領地(りょうち)を往復(おうふく)しました。江戸での生活や往復には多くの費用(ひよう)がかかりました。
10参勤交代によって、各藩の財政はなぜ苦しくなりましたか。「費用」という言葉を使って説明しなさい。
答え
江戸と領地(りょうち)との往復(おうふく)や江戸での生活に多くの費用(ひよう)がかかったから。
【解説】
大名(だいみょう)は参勤交代(さんきんこうたい)によって江戸と領地(りょうち)を定期的(ていきてき)に往復(おうふく)しました。また、江戸で生活するためにも多くのお金が必要でした。そのため各藩(かくはん)には大きな費用(ひよう)の負担(ふたん)がかかり、財政(ざいせい)が苦しくなりました。
【解説】
大名(だいみょう)は参勤交代(さんきんこうたい)によって江戸と領地(りょうち)を定期的(ていきてき)に往復(おうふく)しました。また、江戸で生活するためにも多くのお金が必要でした。そのため各藩(かくはん)には大きな費用(ひよう)の負担(ふたん)がかかり、財政(ざいせい)が苦しくなりました。
11朝廷を監視するため、幕府が京都に置いた役職を何といいますか。
答え
京都所司代(きょうとしょしだい)
【解説】
幕府(ばくふ)は朝廷(ちょうてい)を監視(かんし)するため、京都所司代(きょうとしょしだい)を設置(せっち)しました。また、朝廷や公家(くげ)を統制(とうせい)するために禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)を定めました。幕府は大名だけでなく、朝廷に対しても統制を行いました。
【解説】
幕府(ばくふ)は朝廷(ちょうてい)を監視(かんし)するため、京都所司代(きょうとしょしだい)を設置(せっち)しました。また、朝廷や公家(くげ)を統制(とうせい)するために禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)を定めました。幕府は大名だけでなく、朝廷に対しても統制を行いました。
④ 貿易とキリスト教
12幕府が大名や豪商に朱印状を与えて行わせた貿易を何といいますか。答え
朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)
【解説】
幕府(ばくふ)は大名(だいみょう)や豪商(ごうしょう)に朱印状(しゅいんじょう)を与え、海外との貿易(ぼうえき)を行わせました。これを朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)といいます。この貿易によって多くの日本人が東南アジアへ渡(わた)りました。
【解説】
幕府(ばくふ)は大名(だいみょう)や豪商(ごうしょう)に朱印状(しゅいんじょう)を与え、海外との貿易(ぼうえき)を行わせました。これを朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)といいます。この貿易によって多くの日本人が東南アジアへ渡(わた)りました。
13朱印船貿易によって東南アジア各地にできた、日本人が多く暮らす地域を何といいますか。
答え
日本町(にほんまち)
【解説】
朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)が盛(さか)んになると、多くの日本人が東南アジアへ渡(わた)りました。その結果、東南アジアの各地に日本人が多く住む日本町(にほんまち)ができました。シャム(現在のタイ)などにも形成(けいせい)されました。
【解説】
朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)が盛(さか)んになると、多くの日本人が東南アジアへ渡(わた)りました。その結果、東南アジアの各地に日本人が多く住む日本町(にほんまち)ができました。シャム(現在のタイ)などにも形成(けいせい)されました。
14十字架やマリア像を踏ませ、キリシタンを発見するために行ったことを何といいますか。
答え
絵踏(えぶみ)
【解説】
幕府(ばくふ)はキリスト教を厳(きび)しく取り締(し)まりました。キリスト教の信者を見つけるため、十字架やマリア像などを踏(ふ)ませる絵踏(えぶみ)を行いました。幕府はキリスト教が支配の妨(さまた)げになると考えました。
【解説】
幕府(ばくふ)はキリスト教を厳(きび)しく取り締(し)まりました。キリスト教の信者を見つけるため、十字架やマリア像などを踏(ふ)ませる絵踏(えぶみ)を行いました。幕府はキリスト教が支配の妨(さまた)げになると考えました。
151637年、九州で起こったキリシタンの多い農民などによる一揆を何といいますか。
答え
島原・天草一揆(しまばら・あまくさいっき)
【解説】
1637年、島原・天草一揆(しまばら・あまくさいっき)が起こりました。年貢(ねんぐ)の厳(きび)しい取り立てやキリシタンへの弾圧(だんあつ)などに対して人々が立ち上がりました。一揆(いっき)を起こした人々にはキリシタンが多くいました。
【解説】
1637年、島原・天草一揆(しまばら・あまくさいっき)が起こりました。年貢(ねんぐ)の厳(きび)しい取り立てやキリシタンへの弾圧(だんあつ)などに対して人々が立ち上がりました。一揆(いっき)を起こした人々にはキリシタンが多くいました。
16幕府がキリスト教を厳しく取り締まったのはなぜですか。
答え
キリスト教が幕府(ばくふ)の支配(しはい)の妨(さまた)げになると考えたから。
【解説】
幕府(ばくふ)はキリスト教が広まることを警戒(けいかい)しました。キリスト教では将軍(しょうぐん)よりも神を重んじるため、幕府の支配(しはい)の妨(さまた)げになると考えたからです。そのため幕府はキリシタンを厳(きび)しく取り締(し)まりました。
【解説】
幕府(ばくふ)はキリスト教が広まることを警戒(けいかい)しました。キリスト教では将軍(しょうぐん)よりも神を重んじるため、幕府の支配(しはい)の妨(さまた)げになると考えたからです。そのため幕府はキリシタンを厳(きび)しく取り締(し)まりました。
学習課題のまとめ
徳川家康は関ヶ原の戦いに勝利し、1603年に江戸幕府を開いた。幕府は武家諸法度や参勤交代によって大名を統制し、幕府と藩が全国を支配する幕藩体制を築いた。また、幕府はキリスト教が支配の妨げになると考え、キリシタンへの取り締まりを強めた。
徳川家康は関ヶ原の戦いに勝利し、1603年に江戸幕府を開いた。幕府は武家諸法度や参勤交代によって大名を統制し、幕府と藩が全国を支配する幕藩体制を築いた。また、幕府はキリスト教が支配の妨げになると考え、キリシタンへの取り締まりを強めた。
鎖国と対外関係
⑤ 鎖国
17幕府が貿易を統制し、日本人の海外への出入国を禁止した政策を何といいますか。答え
鎖国(さこく)
【解説】
幕府(ばくふ)は海外との貿易(ぼうえき)を次第に厳(きび)しく統制(とうせい)しました。また、日本人の海外渡航(かいがいとこう)や帰国も禁止しました。このような幕府の対外政策(たいがいせいさく)を鎖国(さこく)といいます。
【解説】
幕府(ばくふ)は海外との貿易(ぼうえき)を次第に厳(きび)しく統制(とうせい)しました。また、日本人の海外渡航(かいがいとこう)や帰国も禁止しました。このような幕府の対外政策(たいがいせいさく)を鎖国(さこく)といいます。
181639年、幕府が来航を禁止したのはどこの国の船ですか。
答え
ポルトガル
【解説】
幕府(ばくふ)はキリスト教への警戒(けいかい)を強め、1639年にポルトガル船の来航(らいこう)を禁止しました。その後、オランダとの貿易(ぼうえき)は続けられました。幕府は貿易相手や場所を限定(げんてい)して対外関係(たいがいかんけい)を管理しました。
【解説】
幕府(ばくふ)はキリスト教への警戒(けいかい)を強め、1639年にポルトガル船の来航(らいこう)を禁止しました。その後、オランダとの貿易(ぼうえき)は続けられました。幕府は貿易相手や場所を限定(げんてい)して対外関係(たいがいかんけい)を管理しました。
19オランダ商館が移された長崎の人工島を何といいますか。
答え
出島(でじま)
【解説】
1641年、オランダ商館(しょうかん)は長崎(ながさき)の出島(でじま)へ移されました。オランダはキリスト教の布教(ふきょう)を行わなかったため、幕府(ばくふ)から貿易(ぼうえき)を認められました。出島は鎖国下(さこくか)における海外との重要な窓口となりました。
【解説】
1641年、オランダ商館(しょうかん)は長崎(ながさき)の出島(でじま)へ移されました。オランダはキリスト教の布教(ふきょう)を行わなかったため、幕府(ばくふ)から貿易(ぼうえき)を認められました。出島は鎖国下(さこくか)における海外との重要な窓口となりました。
20幕府がオランダに提出させた海外情報の報告書を何といいますか。
答え
オランダ風説書(ふうせつがき)
【解説】
幕府(ばくふ)はオランダから海外の情報を得ていました。そのためオランダにオランダ風説書(ふうせつがき)を提出させました。鎖国中(さこくちゅう)でも幕府は海外の情報を集めていました。
【解説】
幕府(ばくふ)はオランダから海外の情報を得ていました。そのためオランダにオランダ風説書(ふうせつがき)を提出させました。鎖国中(さこくちゅう)でも幕府は海外の情報を集めていました。
⑥ 鎖国下の四つの窓口
21鎖国中、外国との窓口となった四つの地域を答えなさい。答え
長崎(ながさき)・対馬(つしま)・薩摩(さつま)・松前(まつまえ)
【解説】
鎖国(さこく)は海外との関係を完全になくす政策ではありませんでした。長崎(ながさき)・対馬(つしま)・薩摩(さつま)・松前(まつまえ)の四つが海外との窓口となりました。それぞれ異なる国や地域との貿易(ぼうえき)・交流(こうりゅう)を行っていました。
【解説】
鎖国(さこく)は海外との関係を完全になくす政策ではありませんでした。長崎(ながさき)・対馬(つしま)・薩摩(さつま)・松前(まつまえ)の四つが海外との窓口となりました。それぞれ異なる国や地域との貿易(ぼうえき)・交流(こうりゅう)を行っていました。
22将軍の代がわりごとに朝鮮から日本へ送られた使節を何といいますか。
答え
朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)
【解説】
日本は朝鮮(ちょうせん)との国交(こっこう)を回復しました。その後、将軍(しょうぐん)の代がわりごとに朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)が日本を訪れました。対馬藩(つしまはん)が朝鮮との外交(がいこう)や貿易(ぼうえき)で重要な役割を果たしました。
【解説】
日本は朝鮮(ちょうせん)との国交(こっこう)を回復しました。その後、将軍(しょうぐん)の代がわりごとに朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)が日本を訪れました。対馬藩(つしまはん)が朝鮮との外交(がいこう)や貿易(ぼうえき)で重要な役割を果たしました。
231609年、薩摩藩に征服された国を何といいますか。
答え
琉球王国(りゅうきゅうおうこく)
【解説】
琉球王国(りゅうきゅうおうこく)は1609年に薩摩藩(さつまはん)に征服(せいふく)されました。その後も中国との関係を続け、中継貿易(ちゅうけいぼうえき)を行いました。幕府や薩摩藩にとって、琉球王国を通じて得られる中国の産物(さんぶつ)や情報は重要でした。
【解説】
琉球王国(りゅうきゅうおうこく)は1609年に薩摩藩(さつまはん)に征服(せいふく)されました。その後も中国との関係を続け、中継貿易(ちゅうけいぼうえき)を行いました。幕府や薩摩藩にとって、琉球王国を通じて得られる中国の産物(さんぶつ)や情報は重要でした。
24蝦夷地でアイヌ民族との交易を行った藩を何といいますか。
答え
松前藩(まつまえはん)
【解説】
松前藩(まつまえはん)は幕府(ばくふ)から蝦夷地(えぞち)での交易(こうえき)の権利(けんり)を認められました。アイヌ民族との交易を行いました。しかし交易条件(こうえきじょうけん)がアイヌ民族に不利になっていき、対立(たいりつ)が生じました。
【解説】
松前藩(まつまえはん)は幕府(ばくふ)から蝦夷地(えぞち)での交易(こうえき)の権利(けんり)を認められました。アイヌ民族との交易を行いました。しかし交易条件(こうえきじょうけん)がアイヌ民族に不利になっていき、対立(たいりつ)が生じました。
25アイヌ民族を率いて松前藩に対して戦いを起こした人物はだれですか。
答え
シャクシャイン
【解説】
松前藩(まつまえはん)との交易(こうえき)は、しだいにアイヌ民族にとって不利なものとなりました。そこでアイヌ民族はシャクシャインを中心として松前藩に対して戦いを起こしました。交易をめぐる対立(たいりつ)が背景(はいけい)にありました。
【解説】
松前藩(まつまえはん)との交易(こうえき)は、しだいにアイヌ民族にとって不利なものとなりました。そこでアイヌ民族はシャクシャインを中心として松前藩に対して戦いを起こしました。交易をめぐる対立(たいりつ)が背景(はいけい)にありました。
学習課題のまとめ
幕府は貿易を統制し、日本人の海外への出入国を禁止する鎖国を行った。しかし海外との関係がなくなったわけではなく、長崎・対馬・薩摩・松前の四つの窓口を通じて、オランダ・中国・朝鮮・琉球王国・アイヌ民族などとの貿易や交流が続けられた。
幕府は貿易を統制し、日本人の海外への出入国を禁止する鎖国を行った。しかし海外との関係がなくなったわけではなく、長崎・対馬・薩摩・松前の四つの窓口を通じて、オランダ・中国・朝鮮・琉球王国・アイヌ民族などとの貿易や交流が続けられた。
産業の発達、元禄文化
⑦ 江戸時代の社会
26農地をもち、年貢を納めた百姓を何といいますか。答え
本百姓(ほんびゃくしょう)
【解説】
百姓(ひゃくしょう)のうち、農地をもち年貢(ねんぐ)を納(おさ)める人々を本百姓(ほんびゃくしょう)といいました。一方、農地をもたない百姓は水呑百姓(みずのみびゃくしょう)とよばれました。百姓は江戸時代の農業生産(のうぎょうせいさん)を支える重要な存在でした。
【解説】
百姓(ひゃくしょう)のうち、農地をもち年貢(ねんぐ)を納(おさ)める人々を本百姓(ほんびゃくしょう)といいました。一方、農地をもたない百姓は水呑百姓(みずのみびゃくしょう)とよばれました。百姓は江戸時代の農業生産(のうぎょうせいさん)を支える重要な存在でした。
27百姓に連帯責任を負わせるためにつくられた組織を何といいますか。
答え
五人組(ごにんぐみ)
【解説】
幕府(ばくふ)は百姓(ひゃくしょう)を統制(とうせい)するため、五人組(ごにんぐみ)を組織しました。五人組では、人々に連帯責任(れんたいせきにん)を負わせました。このようなしくみによって農村(のうそん)の統制を行いました。
【解説】
幕府(ばくふ)は百姓(ひゃくしょう)を統制(とうせい)するため、五人組(ごにんぐみ)を組織しました。五人組では、人々に連帯責任(れんたいせきにん)を負わせました。このようなしくみによって農村(のうそん)の統制を行いました。
⑧ 徳川綱吉と文治政治
28学問や礼節を重んじる文治政治を行った将軍はだれですか。答え
徳川綱吉(とくがわつなよし)
【解説】
徳川綱吉(とくがわつなよし)は学問や礼節(れいせつ)を重んじる文治政治(ぶんちせいじ)を行いました。儒学(じゅがく)の中でも特に朱子学(しゅしがく)を重んじました。これによって身分制(みぶんせい)を安定させようとしました。
【解説】
徳川綱吉(とくがわつなよし)は学問や礼節(れいせつ)を重んじる文治政治(ぶんちせいじ)を行いました。儒学(じゅがく)の中でも特に朱子学(しゅしがく)を重んじました。これによって身分制(みぶんせい)を安定させようとしました。
29徳川綱吉が儒学の中でも特に重んじた学問を何といいますか。
答え
朱子学(しゅしがく)
【解説】
徳川綱吉(とくがわつなよし)は儒学(じゅがく)の中でも特に朱子学(しゅしがく)を重んじました。学問や礼節(れいせつ)を重視する政治を進めました。こうした政治は文治政治(ぶんちせいじ)とよばれます。
【解説】
徳川綱吉(とくがわつなよし)は儒学(じゅがく)の中でも特に朱子学(しゅしがく)を重んじました。学問や礼節(れいせつ)を重視する政治を進めました。こうした政治は文治政治(ぶんちせいじ)とよばれます。
30徳川綱吉が動物愛護のために出した法令を何といいますか。
答え
生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)
【解説】
徳川綱吉(とくがわつなよし)は動物愛護(どうぶつあいご)のために生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)を出しました。特に犬を保護したことなどから、綱吉は「犬公方(いぬくぼう)」とよばれました。この法令は人々から批判(ひはん)されることもありました。
【解説】
徳川綱吉(とくがわつなよし)は動物愛護(どうぶつあいご)のために生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)を出しました。特に犬を保護したことなどから、綱吉は「犬公方(いぬくぼう)」とよばれました。この法令は人々から批判(ひはん)されることもありました。
⑨ 農業・産業・交通の発達
31江戸時代、農地を増やすために盛んに行われたことを何といいますか。答え
新田開発(しんでんかいはつ)
【解説】
江戸時代には農業が発達し、新田開発(しんでんかいはつ)が盛(さか)んに行われました。農地が増えることで米の生産量(せいさんりょう)も増加しました。また、農具(のうぐ)の改良(かいりょう)なども農業の発達を支えました。
【解説】
江戸時代には農業が発達し、新田開発(しんでんかいはつ)が盛(さか)んに行われました。農地が増えることで米の生産量(せいさんりょう)も増加しました。また、農具(のうぐ)の改良(かいりょう)なども農業の発達を支えました。
32江戸時代に使われた、深く耕すことのできる農具を何といいますか。
答え
備中鍬(びっちゅうぐわ)
【解説】
江戸時代には農具(のうぐ)の改良(かいりょう)が進みました。備中鍬(びっちゅうぐわ)は、それまでの鍬(くわ)よりも深く耕(たがや)すことのできる農具です。農具の改良によって農作業(のうさぎょう)の効率(こうりつ)が高まりました。
【解説】
江戸時代には農具(のうぐ)の改良(かいりょう)が進みました。備中鍬(びっちゅうぐわ)は、それまでの鍬(くわ)よりも深く耕(たがや)すことのできる農具です。農具の改良によって農作業(のうさぎょう)の効率(こうりつ)が高まりました。
33稲の脱穀の効率を高めた農具を何といいますか。
答え
千歯こき(せんばこき)
【解説】
千歯こき(せんばこき)は稲(いね)の脱穀(だっこく)に使われた農具(のうぐ)です。それまでより効率(こうりつ)よく脱穀できるようになりました。こうした農具の改良(かいりょう)も江戸時代の農業発達につながりました。
【解説】
千歯こき(せんばこき)は稲(いね)の脱穀(だっこく)に使われた農具(のうぐ)です。それまでより効率(こうりつ)よく脱穀できるようになりました。こうした農具の改良(かいりょう)も江戸時代の農業発達につながりました。
34江戸時代に整備された主要な五つの街道をまとめて何といいますか。
答え
五街道(ごかいどう)
【解説】
江戸時代には交通網(こうつうもう)が整備(せいび)されました。江戸を中心として主要(しゅよう)な五つの街道が整備され、五街道(ごかいどう)とよばれました。交通の発達は人や物資(ぶっし)の移動を活発にしました。
【解説】
江戸時代には交通網(こうつうもう)が整備(せいび)されました。江戸を中心として主要(しゅよう)な五つの街道が整備され、五街道(ごかいどう)とよばれました。交通の発達は人や物資(ぶっし)の移動を活発にしました。
35江戸・大阪・京都の三つの大都市をまとめて何といいますか。
答え
三都(さんと)
【解説】
江戸時代には江戸・大阪・京都が大都市として発展しました。この三つを三都(さんと)といいます。商業(しょうぎょう)や交通の発達によって都市には多くの人や物資(ぶっし)が集まりました。
【解説】
江戸時代には江戸・大阪・京都が大都市として発展しました。この三つを三都(さんと)といいます。商業(しょうぎょう)や交通の発達によって都市には多くの人や物資(ぶっし)が集まりました。
36大阪が「天下の台所」とよばれたのはなぜですか。「年貢米」を使って説明しなさい。
答え
全国から年貢米(ねんぐまい)や特産物(とくさんぶつ)が大阪に集められ、売買(ばいばい)されたから。
【解説】
大阪には全国の諸藩(しょはん)から年貢米(ねんぐまい)や特産物(とくさんぶつ)が集められました。それらは大阪で盛(さか)んに売買(ばいばい)されました。このため大阪は「天下の台所(てんかのだいどころ)」とよばれるようになりました。
【解説】
大阪には全国の諸藩(しょはん)から年貢米(ねんぐまい)や特産物(とくさんぶつ)が集められました。それらは大阪で盛(さか)んに売買(ばいばい)されました。このため大阪は「天下の台所(てんかのだいどころ)」とよばれるようになりました。
37大阪に置かれ、各藩の年貢米などを保管・売買するために利用された施設を何といいますか。
答え
蔵屋敷(くらやしき)
【解説】
各藩(かくはん)は大阪などに蔵屋敷(くらやしき)を置きました。そこに年貢米(ねんぐまい)などを運び、売買(ばいばい)してお金に換(か)えました。全国から物資(ぶっし)が集まったことが大阪の商業(しょうぎょう)の発展につながりました。
【解説】
各藩(かくはん)は大阪などに蔵屋敷(くらやしき)を置きました。そこに年貢米(ねんぐまい)などを運び、売買(ばいばい)してお金に換(か)えました。全国から物資(ぶっし)が集まったことが大阪の商業(しょうぎょう)の発展につながりました。
38江戸時代に商人がつくった同業者の組合を何といいますか。
答え
株仲間(かぶなかま)
【解説】
江戸時代には商業(しょうぎょう)も発達しました。同じ業種(ぎょうしゅ)の商人たちは株仲間(かぶなかま)という組合をつくりました。中世の商工業者(しょうこうぎょうしゃ)の組合である「座(ざ)」と区別して覚えることが大切です。
【解説】
江戸時代には商業(しょうぎょう)も発達しました。同じ業種(ぎょうしゅ)の商人たちは株仲間(かぶなかま)という組合をつくりました。中世の商工業者(しょうこうぎょうしゃ)の組合である「座(ざ)」と区別して覚えることが大切です。
⑩ 元禄文化
39江戸時代、経済力をもった町人を中心に栄えた文化を何といいますか。答え
元禄文化(げんろくぶんか)
【解説】
江戸時代には商業(しょうぎょう)が発達し、町人(ちょうにん)の経済力(けいざいりょく)が高まりました。こうした町人を中心として華(はな)やかな文化が栄えました。この文化を元禄文化(げんろくぶんか)といいます。
【解説】
江戸時代には商業(しょうぎょう)が発達し、町人(ちょうにん)の経済力(けいざいりょく)が高まりました。こうした町人を中心として華(はな)やかな文化が栄えました。この文化を元禄文化(げんろくぶんか)といいます。
40『日本永代蔵』などを書いた人物はだれですか。
答え
井原西鶴(いはらさいかく)
【解説】
井原西鶴(いはらさいかく)は元禄文化(げんろくぶんか)を代表する人物の一人です。町人(ちょうにん)の暮らしなどを題材(だいざい)とした作品を書きました。代表作として『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』があります。
【解説】
井原西鶴(いはらさいかく)は元禄文化(げんろくぶんか)を代表する人物の一人です。町人(ちょうにん)の暮らしなどを題材(だいざい)とした作品を書きました。代表作として『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』があります。
41『おくのほそ道』を書いた俳諧の人物はだれですか。
答え
松尾芭蕉(まつおばしょう)
【解説】
松尾芭蕉(まつおばしょう)は俳諧(はいかい)で活躍(かつやく)した人物です。各地を旅しながら多くの句をよみました。その旅をもとにした代表作が『おくのほそ道』です。
【解説】
松尾芭蕉(まつおばしょう)は俳諧(はいかい)で活躍(かつやく)した人物です。各地を旅しながら多くの句をよみました。その旅をもとにした代表作が『おくのほそ道』です。
42『曽根崎心中』などの人形浄瑠璃の脚本を書いた人物はだれですか。
答え
近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)
【解説】
近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)は元禄文化(げんろくぶんか)を代表する人物です。人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)の脚本(きゃくほん)などを書きました。代表作の一つに『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』があります。
【解説】
近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)は元禄文化(げんろくぶんか)を代表する人物です。人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)の脚本(きゃくほん)などを書きました。代表作の一つに『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』があります。
43『見返り美人図』などで知られる浮世絵の人物はだれですか。
答え
菱川師宣(ひしかわもろのぶ)
【解説】
菱川師宣(ひしかわもろのぶ)は浮世絵(うきよえ)で活躍(かつやく)した人物です。町人(ちょうにん)の風俗(ふうぞく)などを題材(だいざい)にした作品を残しました。代表作として『見返り美人図(みかえりびじんず)』があります。
【解説】
菱川師宣(ひしかわもろのぶ)は浮世絵(うきよえ)で活躍(かつやく)した人物です。町人(ちょうにん)の風俗(ふうぞく)などを題材(だいざい)にした作品を残しました。代表作として『見返り美人図(みかえりびじんず)』があります。
44『燕子花図屏風』などで知られる画家はだれですか。
答え
尾形光琳(おがたこうりん)
【解説】
尾形光琳(おがたこうりん)は元禄文化(げんろくぶんか)を代表する画家です。装飾性(そうしょくせい)の高い美しい作品を残しました。代表作として『燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)』があります。
【解説】
尾形光琳(おがたこうりん)は元禄文化(げんろくぶんか)を代表する画家です。装飾性(そうしょくせい)の高い美しい作品を残しました。代表作として『燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)』があります。
学習課題のまとめ
江戸時代には新田開発や農具の改良によって農業が発達し、各地で特産物の生産も進んだ。交通や商業も発達し、江戸・大阪・京都の三都が栄えた。特に大阪には全国から年貢米や特産物が集められ、「天下の台所」とよばれた。また、経済力をもった町人を中心に元禄文化が栄え、井原西鶴・松尾芭蕉・近松門左衛門・菱川師宣・尾形光琳などが活躍した。
江戸時代には新田開発や農具の改良によって農業が発達し、各地で特産物の生産も進んだ。交通や商業も発達し、江戸・大阪・京都の三都が栄えた。特に大阪には全国から年貢米や特産物が集められ、「天下の台所」とよばれた。また、経済力をもった町人を中心に元禄文化が栄え、井原西鶴・松尾芭蕉・近松門左衛門・菱川師宣・尾形光琳などが活躍した。
