歴史教科書 112ページ 3 東アジアの貿易と南蛮人


学習課題
ヨーロッパの国々による世界進出によって、日本の生活や文化はどのような影響を受けたのだろうか

東アジアの中継貿易
東アジアから東南アジアにかけての貿易は、15〜16世紀を通じて中国の商工業の成長とともに行われ、ヨーロッパ人の来航前から盛んでした。
中国の明は、外国から貢ぎ物を受けて返礼する形で貿易しており、公式には自国から海外へ商人を派遣できませんでした。
そのため、代わりに必要な産物を集める琉球の貿易船や倭寇などが中継貿易を盛んに行いました。
そうした中国をめぐる中継貿易に、16世紀半ばからポルトガルとスペインが、17世紀にはオランダが参入しました。
ポルトガルは、中国南岸のマカオに滞在することを明から許されました。

鉄砲の伝来
1543年、種子島(鹿児島県)に漂着した倭寇の船に乗っていたポルトガル人によって、日本に鉄砲が伝わったとされています。
その後ポルトガルの船が、拠点のあった東南アジアから平戸(長崎県)・長崎・府内(大分県)などにも来航し、スペインの船も日本へ来てヨーロッパとの貿易が始まりました。
当時の日本では、ポルトガル人やスペイン人を南蛮人とよんでいたため、彼らとの貿易を南蛮貿易といいます。
南蛮人は、明の陶磁器や生糸・絹織物のほか、ヨーロッパの鉄砲火薬・時計・ガラス製品も日本にもたらし、日本との貿易で得たは中国に運ばれました。
各地で戦っていた戦国大名は、新しい武器である鉄砲に注目しました。
鉄砲はすぐに刀鍛冶によって複製品がつくられ、またたく間に全国に普及し、戦い方に変化をもたらしました。
また、城づくりでも鉄砲による攻撃や防備を考える必要が生まれ、城の備えが変化していきました。
鉄砲は堺(大阪府)や国友(滋賀県)で大量生産されるようになり、鉄砲鍛冶も誕生しました。

キリスト教の伝来
1549年、イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルが、キリスト教の布教のために鹿児島に来航し、平戸・山口・堺などで布教を始めました。
後にイエズス会の宣教師たちも来航し、貧しい人々や病気の人々に救いの手を差し伸べ、学校・病院孤児院などをつくって布教を行ったので、信者(キリシタン)はしだいに増えていきました。
信者になった多くの大名たち(キリシタン大名)のなかには、大村氏・大友氏・有馬氏のように、ローマ教皇に使節を送った者もいました。
大名が次々と信者になった背景には、火薬などの輸入を有利に進めることができるといった、貿易の利益を得る目的もあったといわれています。
日本で活動する資金が必要なため、貿易には宣教師も関わりました。
キリスト教の信者の数は、初めは九州を中心に15万人ほどでしたが、17世紀にキリスト教が禁止される直前には、全国で30万人を超えるほどになっていたといわれています。
授業 / 東アジアの中継貿易
今日は、「中継ぎ貿易」と、中国・琉球・倭寇、そしてヨーロッパ諸国の進出について学びます。
この内容は、大航海時代につながる、とても重要なポイントです。

まず、古代や中世のヨーロッパの人々にとって、香辛料や絹織物などのアジアの産物は、とても貴重なものでした。
香辛料は、料理の味を良くするだけでなく、肉の保存や薬としても使われていました。
そのため、香辛料は「生活に欠かせない高級品」だったのです。

香辛料の主な産地は、インドや東南アジアでした。
また、絹織物や陶磁器は、中国で多く作られていました。
では、これらの品物は、どのようにしてヨーロッパまで運ばれていたのでしょうか。

ここで重要になるのが、「中継ぎ貿易」です。
中継ぎ貿易とは、品物を作った国が直接ほかの国と貿易をするのではなく、
途中の地域の商人が、品物を買って運び、さらに別の商人へ売り渡していく貿易のしくみです。

たとえば、
インドや中国 → 東南アジア → 中国沿岸 → 日本・朝鮮 → 西アジア → ヨーロッパ
というように、何度も場所を変えて運ばれていました。

このような中継ぎ貿易が行われた理由の一つが、中国の貿易政策です。
では、なぜ中国は、自国から海外へ商人を派遣しなかったのでしょうか。

理由の1つ目は、「中華思想」です。
中国では、「中国が世界の中心で、周辺の国々は中国に朝貢するもの」という考え方がありました。
そのため、中国から積極的に外国へ行って商売をする必要はないと考えられていました。

2つ目は、国が貿易を厳しく管理していたことです。
中国では、勝手に外国と貿易をすることが制限されていました。
特に明の時代には、「海禁政策」といって、私的な海外貿易が禁止されていました。
そのため、中国の商人は自由に海外へ出ることができなかったのです。

3つ目は、中国は国内だけで経済が成り立っていたことです。
農業生産が高く、人口も多かったため、国内市場だけで十分に豊かでした。
無理に危険な海へ出て商売をする必要がなかったのです。

このような理由から、中国は、自国の商人を海外へ派遣せず、
外国の商人が中国に来て取引をする形が中心になりました。

そこで活躍したのが、琉球と倭寇です。
まず、琉球について見ていきましょう。
琉球王国は、日本・中国・朝鮮・東南アジアの中間に位置していました。
この地理的な特徴を生かして、琉球は中継ぎ貿易を行いました。

琉球の貿易船は、
中国から絹織物や陶磁器を受け取り、
それを日本や東南アジアへ運びました。
そして、日本からは銀や刀、硫黄などを中国へ運びました。
琉球は「運ぶ役」として利益を得ていたのです。

次に、倭寇についてです。
倭寇とは、日本人を中心とした海賊集団です。
しかし、すべてが単なる海賊ではありませんでした。

中国が貿易を制限していたため、正式な貿易ができない状況がありました。
そこで、一部の人々は、密貿易という形で品物を運びました。
倭寇の中には、こうした中継貿易を行う商人の集団も含まれていました。

このように、中国を中心とした貿易は、
中国自身ではなく、琉球や倭寇、東南アジアの商人によって支えられていました。

ところが、16世紀半ばになると、この中継ぎ貿易に大きな変化が起こります。
ヨーロッパの国々が参入してきたのです。

最初にアジアへ進出したのは、ポルトガルとスペインでした。
ポルトガルは、アフリカを回る航路を開き、インドや東南アジアに到達しました。
ポルトガル商人は、中国沿岸にもやって来て、貿易を行おうとしました。

中国は、外国人との接触を警戒していましたが、完全には断ることができず、
ポルトガルにマカオという居留地を認めました。
ここを拠点に、ポルトガルは中国と日本を結ぶ中継貿易を行いました。

一方、スペインはフィリピンのマニラを拠点にしました。
スペインは、アメリカ大陸の銀をマニラへ運び、
中国の絹や陶磁器と交換しました。
こうして、中国を中心とする中継貿易に、ヨーロッパ諸国が入り込んでいきました。

さらに17世紀になると、オランダが登場します。
オランダは、商業と貿易を重視する国でした。
オランダは、ポルトガルの拠点をねらい、
戦争や交渉によって、アジアの港を次々に奪っていきました。

オランダは、日本とも貿易を行い、長崎の出島を拠点としました。
こうして、中国を中心とした中継ぎ貿易の主役は、
次第にアジアの商人から、ヨーロッパの商人へと移っていきました。

今日のまとめです。
中継ぎ貿易とは、途中の商人が品物を運び、売り渡していく貿易のしくみです。
中国は中華思想や貿易制限のため、自国から商人を派遣しませんでした。
そのため、琉球や倭寇が中継役として活躍しました。
16世紀半ばからポルトガル・スペインが、17世紀にはオランダが参入しました。
この流れが、大航海時代と世界の一体化につながっていきます。

授業 / 鉄砲の伝来
今日は、中学一年生の歴史でとても重要な単元、「鉄砲の伝来」について学びます。
この内容は、年号・場所・人物・言葉の意味・影響が定期テストによく出るので、ポイントを意識しながら聞いてください。

まず、鉄砲が日本に伝わった年を確認しましょう。
鉄砲が日本に伝えられたのは、1543年です。
この年号は、テストで非常によく出ます。
「1543年=鉄砲伝来」は必ず覚えてください。

1543年、種子島(鹿児島県)に、倭寇の船が漂着しました。
その船に乗っていたポルトガル人によって、日本に鉄砲が伝えられたとされています。
ここで重要なのは、
「鉄砲を直接伝えたのはポルトガル人であること」
「場所は種子島であること」
この2点です。

当時の日本では、ポルトガル人やスペイン人のことを南蛮人と呼んでいました。
これは、南の海から来た外国人という意味です。
そして、彼らとの貿易を南蛮貿易といいます。
この言葉も、用語問題としてテストに出やすい重要語句です。

鉄砲の伝来後、ポルトガルの船は、拠点を置いていた東南アジアから、
平戸(長崎県)・長崎・府内(大分県)などに来航するようになりました。
さらに、スペインの船も日本に来るようになり、日本とヨーロッパの貿易が本格的に始まりました。
これらの港町は、南蛮貿易の重要な拠点でした。

南蛮貿易によって、日本にはさまざまな品物がもたらされました。
まず、中国の明の陶磁器や生糸、絹織物が日本に運ばれました。
さらに、ヨーロッパからは、鉄砲・火薬・時計・ガラス製品などが伝えられました。
これらは当時の日本では珍しく、とても価値の高いものでした。

一方、日本からは何が輸出されたのでしょうか。
日本との貿易で得た銀が、中国へ運ばれました。
この「日本の銀が中国へ運ばれた」という流れも、テストでよく問われます。

次に、鉄砲が日本社会にどのような影響を与えたのかを見ていきましょう。
当時の日本は、戦国時代で、各地の戦国大名が争っていました。
戦国大名たちは、新しい武器である鉄砲にすぐに注目しました。

鉄砲は、特別な技術がなければ使えない武器ではありませんでした。
そのため、日本の刀鍛冶たちによって、すぐに複製品が作られるようになりました。
こうして鉄砲は、またたく間に全国へ広がっていきました。

鉄砲の普及によって、戦い方は大きく変わりました。
それまでの戦いは、刀や弓を使った戦いが中心でしたが、
鉄砲を使うことで、遠くから敵を攻撃できるようになりました。
これにより、少人数でも大きな力を発揮できるようになり、戦争のしかたが変化しました。
ここは、**「鉄砲が戦い方を変えた」**という点で、記述問題に出やすいところです。

また、鉄砲の登場は、城づくりにも影響を与えました。
鉄砲による攻撃を防ぐため、城の構造が工夫されるようになりました。
高い石垣や、敵が攻めにくい形の城がつくられるようになり、防御の考え方が変わっていきました。

さらに、鉄砲は特定の地域で大量生産されるようになります。
特に有名なのが、**堺(大阪府)と国友(滋賀県)**です。
これらの地域では、鉄砲が大量に作られ、鉄砲鍛冶という新しい職業も生まれました。
この点は、商工業の発展とも関係する重要なポイントです。

まとめましょう。
鉄砲は、1543年に種子島に伝えられました。
南蛮貿易によって、日本はヨーロッパや中国と結びつき、
鉄砲の普及は、戦い方や城づくり、産業の発展にまで大きな影響を与えました。

定期テストでは、
1543年・種子島・ポルトガル人・南蛮人・南蛮貿易・鉄砲の影響
この6つを特に重点的に復習してください。
次の授業では、鉄砲とともに伝えられた文化や、キリスト教との関係について学んでいきます。
授業 / キリスト教の伝来
今日は、中学一年生の歴史でとても重要な単元、「キリスト教の伝来」について学びます。
この内容は、年号・人物・理由が定期テストによく出るので、ポイントを意識して聞いてください。

まず、キリスト教が日本に伝わった年をおさえましょう。
キリスト教が日本に伝来したのは、1549年です。
この年はテストによく出るので、必ず覚えてください。

1549年、イエズス会の宣教師であるフランシスコ=ザビエルが、キリスト教を広めるために日本にやって来ました。
ザビエルは、最初に鹿児島に上陸しました。
鹿児島は、当時南蛮貿易が行われていた場所で、外国人が入りやすい港があったからです。

その後、ザビエルは鹿児島だけでなく、平戸・山口・堺などをまわって布教を行いました。
このように、キリスト教は港町や商業が発達した町を中心に広がっていきました。
ここもテストで問われやすいポイントです。

ザビエルが去った後も、多くのイエズス会の宣教師たちが日本に来航しました。
宣教師たちは、ただ教えを説くだけでなく、貧しい人々や病気の人々を助ける活動を行いました。
また、学校・病院・孤児院などをつくり、人々の生活を支えました。
このような活動によって、人々はキリスト教に親しみを感じるようになり、信者が少しずつ増えていきました。

キリスト教の信者は、キリシタンと呼ばれました。
この言葉もテストに出やすい用語です。

やがて、一般の人々だけでなく、大名の中にもキリスト教の信者が現れました。
このような大名を、キリシタン大名といいます。
代表的なキリシタン大名には、大村氏・大友氏・有馬氏がいます。
これらの名前は、定期テストでよく問われます。

これらのキリシタン大名の中には、ローマ教皇に使節を送った者もいました。
これは、日本とヨーロッパが宗教を通じて直接つながった出来事であり、とても重要です。

では、なぜ大名たちはキリスト教を信仰したのでしょうか。
理由は、信仰だけではありませんでした。
当時の日本では、鉄砲や火薬などの武器が戦いにとても重要でした。
キリスト教を信じることで、ポルトガルなどとの貿易を有利に進めることができると考えた大名も多かったのです。
このように、宗教と貿易が結びついていたことが、この時代の大きな特徴です。
ここは、理由を問う記述問題に出やすいポイントです。

また、宣教師たちが日本で活動するためには、多くのお金が必要でした。
そのため、宣教師自身も貿易に関わり、活動資金を得ていました。
この点からも、キリスト教の布教と貿易が深く結びついていたことが分かります。

キリスト教の信者の数は、最初は九州を中心に約15万人ほどでした。
しかし、布教が進むにつれて信者は増え、
17世紀にキリスト教が禁止される直前には、全国で30万人以上になったといわれています。
数字もテストに出ることがあるので、だいたいの規模を覚えておきましょう。

このように、キリスト教は1549年に伝えられ、
宣教師の活動や貿易との関係によって、日本各地に広がっていきました。
しかし、信者の増加は、後に幕府がキリスト教を警戒する理由にもなっていきます。

次の授業では、なぜ幕府がキリスト教を禁止するようになったのかについて学びます。
今日は、1549年・ザビエル・キリシタン・キリシタン大名・貿易との関係をしっかり復習しておきましょう。

東アジアの貿易とヨーロッパ人の来航

Q1. 15〜16世紀ごろ、東アジアから東南アジアにかけての貿易は、どこの国の商工業の成長とともに盛んになりましたか。
答え
中国(明)
【解説】
15〜16世紀の東アジアでは、中国の明の商工業の発展にともなって、広い地域で貿易が活発になりました。
当時の中国は、東アジアの中でも特に大きな経済力をもつ国でした。
そのため、中国の絹織物や陶磁器などは各地で求められ、東アジアと東南アジアを結ぶ海上交易が盛んになりました。
この時代の日本は、まだヨーロッパと直接つながる前でしたが、すでにアジアの貿易の流れの中に組みこまれていたことが重要です。

Q2. 明が外国から貢ぎ物を受けて返礼する形で行った貿易を、どのような形の貿易と考えればよいですか。
答え
朝貢の形をとった貿易
【解説】
明は、外国との貿易を自由に行うのではなく、外国から貢ぎ物を受け、その返礼を与える形で行っていました。
これを中学社会では、朝貢の形をとった貿易として理解するとわかりやすいです。
明は公式には自国から海外へ商人を自由に派遣できなかったため、中国の品物を求める周辺地域の人々がその間をつなぐ役割を果たしました。
このしくみが、のちに琉球や倭寇、さらにヨーロッパ人も参加する中継貿易につながっていきます。

Q3. 明に代わって必要な産物を集め、中国をめぐる中継貿易で活躍したものを2つ答えなさい。
答え
琉球の貿易船、倭寇
【解説】
中国が自国の商人を自由に海外へ出せなかったため、その代わりに活躍したのが琉球の貿易船倭寇です。
琉球は今の沖縄県にあたり、日本・中国・東南アジアの間に位置していたため、中継地として有利でした。
また、倭寇は日本人だけでなく、中国人などもふくむ海上集団でした。
教科書では「倭」という字がつくので日本人だけの集団に見えますが、実際にはさまざまな地域の人々が関わっていました。
こうした中継役の存在によって、東アジアの海の交易はさらに活発になりました。

Q4. 16世紀半ばから中国をめぐる中継貿易に参入したヨーロッパの国を2つ答えなさい。
答え
ポルトガル、スペイン
【解説】
16世紀半ばから、中国をめぐる貿易に加わったのがポルトガルスペインです。
さらに17世紀にはオランダも参入しました。
このことから、日本とヨーロッパのつながりは、単に日本に船が来たというだけでなく、東アジア全体の貿易の流れの中で生まれたことがわかります。
つまり、日本は当時すでに世界の動きの中に入り始めていたのです。

Q5. ポルトガルが明から滞在を許された、中国南岸の拠点はどこですか。
答え
マカオ
【解説】
ポルトガルは、中国南岸のマカオに滞在することを明から認められました。
マカオは、中国と日本、さらに東南アジアを結ぶ重要な貿易の拠点となりました。
ここを足がかりにして、ポルトガル人は日本にも来航するようになります。
マカオは、日本史だけでなく世界史でも重要な港町です。

鉄砲の伝来と戦国時代の変化

Q6. 日本に鉄砲が伝わったのは何年ですか。また、どこに伝わりましたか。
答え
1543年、種子島
【解説】
1543年、鹿児島県の種子島に漂着した船に乗っていたポルトガル人によって、日本に鉄砲が伝えられたとされています。
この出来事は、日本の戦い方や社会に大きな影響を与えたため、とても重要です。
鉄砲の伝来は、ただ新しい武器が入ってきたというだけではありません。
日本がヨーロッパの技術や文化と本格的に出会うきっかけの一つでもありました。

Q7. ポルトガル人やスペイン人を当時の日本では何とよび、その人々との貿易を何といいますか。
答え
南蛮人、南蛮貿易
【解説】
当時の日本では、ポルトガル人やスペイン人を南蛮人とよびました。
そして、彼らとの貿易を南蛮貿易といいます。
「南蛮」という言葉には、当時の日本から見て南の海を通ってやって来た異国の人々という意味がありました。
南蛮貿易によって、日本には中国の生糸や陶磁器だけでなく、ヨーロッパのさまざまな品物ももたらされました。
この貿易は、日本の経済や文化を大きく変えるきっかけとなりました。

Q8. 南蛮貿易によって日本にもたらされたヨーロッパの品物を2つ答えなさい。
答え
鉄砲火薬、時計(ほかにガラス製品でもよい)
【解説】
南蛮貿易によって、日本にはヨーロッパの鉄砲火薬時計ガラス製品などがもたらされました。
これらは当時の日本にとって珍しく、新しい技術や文化を感じさせるものでした。
とくに鉄砲火薬は戦い方を大きく変え、時計やガラス製品は人々にヨーロッパ文化への関心をもたせました。
このように貿易は、品物だけでなく、技術文化も運んでくることが大切なポイントです。

Q9. 戦国大名が特に注目した新しい武器は何ですか。
答え
鉄砲
【解説】
各地で戦っていた戦国大名が特に注目したのが鉄砲です。
鉄砲は遠くから相手を攻撃できるため、それまでの刀や弓を中心とした戦い方を大きく変えました。
日本ではすぐに刀鍛冶によって鉄砲の複製品がつくられ、短い期間で全国に広まりました。
このことから、日本の職人たちが新しい技術をすばやく取り入れ、高い技術力で生産できたこともわかります。

Q10. 鉄砲の普及によって、日本の戦いや城づくりはどのように変化しましたか。
答え
戦い方が変化し、城も鉄砲による攻撃や防備を考えたつくりに変わった。
【解説】
鉄砲が広まると、戦場では集団で一斉に撃つ戦い方が重視されるようになり、これまでの個人の強さに頼る戦い方が変わっていきました。
また、城づくりでも、鉄砲による攻撃に備えるために、防御を強める工夫が必要になりました。
つまり鉄砲の伝来は、武器が一つ増えたというだけでなく、日本の軍事城の構造にまで影響を与えたのです。
これは戦国時代の大きな変化の一つです。

Q11. 鉄砲が大量生産されるようになった代表的な場所を2つ答えなさい。
答え
堺、国友
【解説】
鉄砲はやがて国友で大量生産されるようになりました。
これによって、日本国内でも鉄砲を安定して手に入れられるようになりました。
また、鉄砲を専門につくる鉄砲鍛冶も生まれました。
このことは、鉄砲が一時的な珍しい武器ではなく、日本社会に深く入りこんだことを示しています。

キリスト教の伝来と広がり

Q12. 1549年にキリスト教を広めるために鹿児島に来た人物は誰ですか。
答え
フランシスコ=ザビエル
【解説】
1549年、イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルが、キリスト教を広めるために鹿児島へ来ました。
その後、平戸・山口・堺などでも布教を行いました。
ザビエルの来航は、日本にキリスト教が本格的に伝わるきっかけとなりました。
この出来事は、日本がヨーロッパの宗教や思想とも出会い始めたことを示しています。

Q13. キリスト教の信者は何とよばれましたか。
答え
キリシタン
【解説】
キリスト教の信者はキリシタンとよばれました。
宣教師たちは、ただ教えを広めるだけでなく、貧しい人々や病気の人々を助け、学校病院孤児院などをつくりました。
そのため、キリスト教は人々にとって新しい信仰として受け入れられ、信者が増えていきました。
宗教が広がる理由には、教えそのものだけでなく、こうした社会事業も関わっていたことをおさえておきましょう。

Q14. キリスト教の信者になった大名を何といいますか。
答え
キリシタン大名
【解説】
キリスト教を信じるようになった大名はキリシタン大名とよばれます。
代表的な大名には、大村氏大友氏有馬氏などがいました。
中には、ローマ教皇に使節を送った大名もいました。
これは、日本の一部の大名が、ヨーロッパ世界と直接つながろうとしていたことを表しています。

Q15. 大名たちがキリスト教を受け入れた背景には、どのような目的があったといわれていますか。
答え
火薬などの輸入を有利に進め、貿易の利益を得る目的。
【解説】
大名たちがキリスト教を受け入れた理由は、信仰だけとは限りませんでした。
南蛮貿易を有利に進め、火薬などの必要な品を手に入れたり、貿易の利益を得たりする目的もあったと考えられています。
このことから、戦国時代の大名は、宗教と貿易を別々に考えるのではなく、政治や経済に役立てようとしていたことがわかります。
歴史では、出来事を一つの理由だけで考えず、政治経済宗教のつながりを見ることが大切です。

Q16. キリスト教が禁止される直前、17世紀初めごろには、信者の数は全国でどのくらいになっていたといわれていますか。
答え
30万人をこえるほど
【解説】
キリスト教の信者数は、初めは九州を中心に15万人ほどでしたが、17世紀に禁止される直前には、全国で30万人をこえるほどになっていたといわれています。
これは、キリスト教が一部の地域だけのものではなく、日本各地に広がっていたことを示しています。
このあと江戸幕府はキリスト教を禁止していきますが、それだけ広がっていたからこそ、幕府は強く警戒したと考えられます。
つまり、信者数の多さは、キリスト教が日本社会に与えた影響の大きさを表しています。

日本の生活と文化への影響

Q17. ヨーロッパの国々の世界進出によって、日本の生活や文化はどのような影響を受けましたか。
答え
鉄砲や火薬、時計、ガラス製品などの新しい物や技術、キリスト教が伝わり、戦い方や城づくり、考え方や文化に変化が生まれた。
【解説】
ヨーロッパ人の来航によって、日本には鉄砲火薬時計ガラス製品、そしてキリスト教などが伝わりました。
その結果、戦国時代の戦い方や城づくりが変化し、人々の信仰や文化にも新しい動きが生まれました。
また、日本は中国や東南アジアだけでなく、ヨーロッパともつながるようになり、より広い国際的な交流の中に入っていきました。
この単元では、ヨーロッパの進出が日本にとって「外国の出来事」ではなく、日本の社会や文化を変える大きなきっかけだったことを理解することが大切です。

テスト対策 ポイント
この時間のテーマは、ヨーロッパ人の来航によって、日本の貿易や社会がどのように変化したのかを理解することです。
定期テストでは、貿易のしくみ鉄砲キリスト教に関係する語句が、理由や説明とセットで問われます。
今日は、なぜその語句が答えになるのかを、問題文から考えられるようにしていきます。

重要語句の解説

中継貿易
【意味】
直接取引せず、間に入る国や人が品物を運んで行う貿易です。
【教科書の説明】
東アジアから東南アジアにかけての貿易は、中国の商工業の成長とともに行われ、中国の明が公式に商人を海外へ送れなかったため、琉球の貿易船や倭寇などが、中国を中心とする中継貿易を行っていました。
【テストでの聞かれ方】
「中国をめぐって、琉球や倭寇などが間に入って行った貿易を何というか」と聞かれたら、中継貿易と答えます。

鉄砲の伝来
【意味】
ヨーロッパから日本に鉄砲が伝えられた出来事です。
【教科書の説明】
1543年、ポルトガル人によって、種子島に鉄砲が伝えられました。その後、戦国大名が新しい武器として注目し、全国に広まりました。
【テストでの聞かれ方】
「1543年に日本に伝えられた新しい武器は何か」と聞かれたら、鉄砲と答えます。

種子島
【意味】
鉄砲が最初に伝えられた場所です。
【教科書の説明】
1543年、ポルトガル人が乗った船が漂着し、鉄砲が伝えられたのが種子島(鹿児島県)です。
【テストでの聞かれ方】
「鉄砲が最初に伝えられた場所はどこか」と聞かれたら、種子島と答えます。

南蛮人
【意味】
当時の日本人が呼んでいた、ヨーロッパから来た人々のことです。
【教科書の説明】
ポルトガル人やスペイン人などのヨーロッパ人を、日本では南蛮人とよんでいました。
【テストでの聞かれ方】
「当時の日本で、ポルトガル人やスペイン人は何と呼ばれていたか」と聞かれたら、南蛮人と答えます。

南蛮貿易
【意味】
南蛮人との間で行われた貿易です。
【教科書の説明】
長崎や平戸などで、南蛮人と行われた貿易を南蛮貿易といいます。
【テストでの聞かれ方】
「長崎や平戸で行われた、ポルトガル人やスペイン人との貿易を何というか」と聞かれたら、南蛮貿易と答えます。

鉄砲鍛冶
【意味】
鉄砲を作る職人です。
【教科書の説明】
鉄砲は堺や国友で大量生産されるようになり、鉄砲鍛冶が生まれました。
【テストでの聞かれ方】
「鉄砲を大量に生産した職人を何というか」と聞かれたら、鉄砲鍛冶と答えます。

フランシスコ=ザビエル
【意味】
日本にキリスト教を伝えた宣教師です。
【教科書の説明】
1549年、イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルが、鹿児島に来航し、キリスト教を広めました。
【テストでの聞かれ方】
「1549年に来航し、キリスト教を伝えた宣教師は誰か」と聞かれたら、フランシスコ=ザビエルと答えます。

キリシタン
【意味】
キリスト教を信仰する人々です。
【教科書の説明】
宣教師たちの布教により、信者であるキリシタンが増えていきました。
【テストでの聞かれ方】
「キリスト教の信者を何と呼ぶか」と聞かれたら、キリシタンと答えます。

キリシタン大名
【意味】
キリスト教を信仰した大名です。
【教科書の説明】
大村氏・大友氏・有馬氏など、信者になった大名をキリシタン大名といいます。
【テストでの聞かれ方】
「キリスト教の信者になった大名を何というか」と聞かれたら、キリシタン大名と答えます。

天正遣欧使節
【意味】
ローマ教皇に派遣された使節です。
【教科書の説明】
キリシタン大名が、ローマ教皇への使節として、4人の少年を派遣しました。これを天正遣欧使節といいます。
【テストでの聞かれ方】
「キリシタン大名がローマ教皇に派遣した使節を何というか」と聞かれたら、天正遣欧使節と答えます。

輸出:銀
【意味】
日本から海外へ売った主な品物です。
【教科書の説明】
南蛮貿易では、日本はを輸出し、鉄砲や生糸などを輸入しました。
【テストでの聞かれ方】
「南蛮貿易で日本が輸出した代表的なものは何か」と聞かれたら、と答えます。

◆ テストに直結する確認

問題文に「1543年」「1549年」「長崎・平戸」「ローマ教皇」などの言葉が出てきたら、
年号・場所・目的に注目し、対応する語句を結びつけて考えます。
「貿易」「伝来」「布教」という言葉が見えたら、どの出来事かを整理して答えることが、得点につながります。