学習課題
秀吉は国内と海外に対してどのような政策を行ったのだろうか。
秀吉の国内政策
豊臣秀吉は、全国に200万石もの領地をもち、京都・堺(大阪府)・長崎などの重要都市や石見銀山(島根県)などの鉱山を直接支配し、統一した金貨を発行しました。
また、刀狩を行い、百姓が刀ややりなどの武器をもつことを禁止しました。
これによって、百姓は武器を用いて戦うことができなくなり、武装してみずからの力で紛争を解決することが否定されました。
さらに、秀吉は年貢を確実に集めるために、それまで地域によって異なっていた升や物差しを統一し、石という単位を用いて田畑の広さや収穫高を調べて、実際に耕作している百姓の名前とともに検地帳に登録しました(太閤検地)。
武士は自分の領地の石高に対して、戦いに必要な人や馬を確保することになり、農民は石高に応じた年貢を納めることが義務づけられました。
これによって、公家や寺社はそれまで荘園領主としてもっていた土地の権利を失い、荘園の制度は完全に崩れました。
秀吉は、刀狩と検地を徹底して行うことによって、武士と百姓の身分を区別する兵農分離を進め、その後の身分制に基づく社会の土台をつくりました。
キリスト教の禁止と海外貿易
キリスト教を保護した信長に続き、秀吉も初めはキリスト教を保護していました。
しかし、長崎がキリシタン大名によって寄進され教会領になったことなどから、その力をおそれるようになり、1587年に宣教師の海外追放を命じてキリスト教を禁止しました。
一方で秀吉は、東南アジアやそこを拠点とするヨーロッパとの貿易を豪商らに認めていたため、キリスト教の禁止を徹底することができませんでした。
当時の海外貿易は、キリスト教の布教と一体化していたからです。
文禄・慶長の役
全国統一を果たした秀吉は、さらに領土を広げるため、明に代わって東アジアを支配しようと考えました。
秀吉は、倭寇を取り締まって海上の支配を強めた後、フィリピンや台湾などには服属を、朝鮮には明を征服するための協力を求めました。
朝鮮がこれを拒否すると、1592(文禄元)年に15万人の大軍で攻め入り、首都の漢城(現在のソウル)など各地を占領しました(文禄の役)。
しかし、朝鮮では僧侶や、義兵とよばれる民衆の抵抗運動、李舜臣の率いる水軍の抵抗が強く、明の援軍もあって行き詰まり、秀吉の軍は休戦して兵の一部を引き揚げました。
1597(慶長2)年に再び出兵しましたが(慶長の役)、苦戦が続き、翌98年の秀吉の死によって全軍を引き揚げました。
2度の出兵で、日本でも武士や民衆が兵力や戦費の負担に苦しみ、豊臣氏の支配が弱まる原因となりました。
解説 百姓
古代で「百姓」は広く人々を指していましたがやがて農業・漁業・林業などで自給自足の生活をする農民・漁民などを指すようになりました。
百姓の多くは農業を営む農民でした。
刀狩令(1588年)
諸国の百姓が、刀・脇差し・弓・やり・鉄砲・その他の武具などをもつことは、固く禁止する。
その理由は、武具を蓄えた者が一揆を起こして処罰されると、土地を耕す者がいなくなって領主が得る年貢が減ってしまうからである。
したがって、大名やその家来は、これらの武具をすべて集めるようにせよ。
取り上げた刀や脇差しは、大仏建立のためのくぎやかすがいとして用いようと思う。
そうすれば、この世はいうまでもなく、来世までも百姓のためになるだろう。
百姓は農具だけもって、耕作だけを一生懸命やっていれば、子孫代々まで長く続くだろう。
バテレン(宣教師)追放令(1587年)
日本は神国であるため、キリシタンの国から悪い教え(キリスト教)を伝え広められるのは非常によくない。
宣教師は今後、日本にいることはできない。
今日から20日以内に用意を整えて帰国しなさい。
ポルトガルの貿易船は、商売のために来ているので特別に許可する。
今後もいろいろと売買するようにしなさい。
授業 / 秀吉の国内政策
今日は豊臣秀吉の国内政策について学習します。
秀吉がどのようにして全国を支配し、社会の仕組みを整えたのかを理解することが目標です。
まず、秀吉の支配の特徴から見ていきましょう。
秀吉は全国に約200万石もの領地を持っていました。
さらに、京都・堺・長崎などの重要都市や、石見銀山などの鉱山も直接支配しました。
そして、全国で使う統一した金貨を発行しました。
ここは重要ポイントです。「都市・鉱山・貨幣を支配=強い中央集権」と覚えましょう。
次に、有名な政策である刀狩です。
秀吉は百姓が刀ややりなどの武器を持つことを禁止しました。
これによって、百姓は武器を使って争うことができなくなりました。
つまり、勝手に戦いを起こすことを防いだのです。
ここはテストでよく出ます。「刀狩=百姓から武器を取り上げる」と覚えましょう。
続いて、もう一つの重要政策である太閤検地です。
秀吉は、年貢を確実に集めるために全国で土地の調査を行いました。
それまで地域ごとに違っていた升や物差しを統一し、基準をそろえました。
そして、石(こく)という単位で田畑の広さや収穫量を測りました。
さらに、実際に耕している百姓の名前とともに検地帳に登録しました。
ここは非常に重要です。「太閤検地=土地と農民を正確に把握」と覚えましょう。
この政策によって何が変わったのでしょうか。
まず、武士は自分の領地の石高に応じて、戦いに必要な人や馬を用意する義務を持つようになりました。
一方で、農民は石高に応じて年貢を納めることが義務づけられました。
つまり、役割がはっきりと分けられたのです。
さらに大きな変化があります。
それまで土地を支配していた公家や寺社は、荘園領主としての権利を失いました。
これによって、長く続いた荘園制度は完全に崩れました。
ここも重要です。「太閤検地→荘園制度の崩壊」と覚えましょう。
そして、これらの政策の最も重要な結果が兵農分離です。
武士は戦う役割、百姓は農業を行う役割と、身分がはっきり区別されました。
この仕組みが、その後の身分制度の基礎となります。
ここは最重要ポイントです。「刀狩+太閤検地=兵農分離」と必ず覚えましょう。
まとめます。
・秀吉は都市・鉱山・貨幣を支配
・刀狩で百姓の武器を禁止
・太閤検地で土地と農民を把握
・石高で役割と年貢を決定
・荘園制度が崩壊
・兵農分離が進む
最後に確認問題です。
「百姓から武器を取り上げた政策は何ですか?」→刀狩
「土地と収穫量を調べた政策は何ですか?」→太閤検地
「武士と百姓の身分を分けたことを何といいますか?」→兵農分離
「土地の生産力を表す単位は何ですか?」→石(こく)
これらはテストに必ず出る重要事項です。しっかり覚えましょう。
秀吉がどのようにして全国を支配し、社会の仕組みを整えたのかを理解することが目標です。
まず、秀吉の支配の特徴から見ていきましょう。
秀吉は全国に約200万石もの領地を持っていました。
さらに、京都・堺・長崎などの重要都市や、石見銀山などの鉱山も直接支配しました。
そして、全国で使う統一した金貨を発行しました。
ここは重要ポイントです。「都市・鉱山・貨幣を支配=強い中央集権」と覚えましょう。
次に、有名な政策である刀狩です。
秀吉は百姓が刀ややりなどの武器を持つことを禁止しました。
これによって、百姓は武器を使って争うことができなくなりました。
つまり、勝手に戦いを起こすことを防いだのです。
ここはテストでよく出ます。「刀狩=百姓から武器を取り上げる」と覚えましょう。
続いて、もう一つの重要政策である太閤検地です。
秀吉は、年貢を確実に集めるために全国で土地の調査を行いました。
それまで地域ごとに違っていた升や物差しを統一し、基準をそろえました。
そして、石(こく)という単位で田畑の広さや収穫量を測りました。
さらに、実際に耕している百姓の名前とともに検地帳に登録しました。
ここは非常に重要です。「太閤検地=土地と農民を正確に把握」と覚えましょう。
この政策によって何が変わったのでしょうか。
まず、武士は自分の領地の石高に応じて、戦いに必要な人や馬を用意する義務を持つようになりました。
一方で、農民は石高に応じて年貢を納めることが義務づけられました。
つまり、役割がはっきりと分けられたのです。
さらに大きな変化があります。
それまで土地を支配していた公家や寺社は、荘園領主としての権利を失いました。
これによって、長く続いた荘園制度は完全に崩れました。
ここも重要です。「太閤検地→荘園制度の崩壊」と覚えましょう。
そして、これらの政策の最も重要な結果が兵農分離です。
武士は戦う役割、百姓は農業を行う役割と、身分がはっきり区別されました。
この仕組みが、その後の身分制度の基礎となります。
ここは最重要ポイントです。「刀狩+太閤検地=兵農分離」と必ず覚えましょう。
まとめます。
・秀吉は都市・鉱山・貨幣を支配
・刀狩で百姓の武器を禁止
・太閤検地で土地と農民を把握
・石高で役割と年貢を決定
・荘園制度が崩壊
・兵農分離が進む
最後に確認問題です。
「百姓から武器を取り上げた政策は何ですか?」→刀狩
「土地と収穫量を調べた政策は何ですか?」→太閤検地
「武士と百姓の身分を分けたことを何といいますか?」→兵農分離
「土地の生産力を表す単位は何ですか?」→石(こく)
これらはテストに必ず出る重要事項です。しっかり覚えましょう。
授業 / キリスト教の禁止と海外貿易
今日はキリスト教の禁止と海外貿易について学習します。
豊臣秀吉がなぜキリスト教を禁止しながらも、海外貿易を続けたのかを理解することが目標です。
まず、最初の状況を確認しましょう。
織田信長はキリスト教を保護していました。
それを引き継ぐ形で、豊臣秀吉も初めはキリスト教を保護していました。
つまり、最初はキリスト教に対して寛容だったのです。
しかし、次第に状況が変わります。
大きなきっかけとなったのが、長崎です。
長崎はキリシタン大名によって教会に寄進され、教会領となっていました。
これは、日本の土地の一部が外国の宗教勢力の影響下に入ることを意味します。
そのため秀吉は、キリスト教の勢力の拡大を危険視するようになりました。
ここは重要ポイントです。「長崎が教会領になった→秀吉が警戒」と覚えましょう。
そこで秀吉は行動に移します。
1587年、宣教師の海外追放を命じ、キリスト教を禁止しました。
これが日本における最初の禁教政策です。
テストでは「1587年=秀吉の禁教」とよく問われます。
しかし、ここで重要なポイントがあります。
秀吉はキリスト教を禁止したにもかかわらず、海外貿易は続けていました。
なぜでしょうか。
理由は、貿易の利益が非常に大きかったからです。
秀吉は、東南アジアや、そこを拠点とするヨーロッパの商人との貿易を豪商に認めていました。
つまり、経済的な利益を優先していたのです。
ここはテストポイントです。「禁教しても貿易は継続」と覚えましょう。
さらに重要なのは、当時の貿易の特徴です。
当時の海外貿易は、単なる商品のやり取りではありませんでした。
キリスト教の布教と貿易が一体となっていたのです。
つまり、貿易を行うとキリスト教も広まってしまうという関係でした。
このため、秀吉は禁教を完全に徹底することができなかったのです。
まとめます。
・最初は信長・秀吉ともにキリスト教を保護
・長崎が教会領になり警戒
・1587年:宣教師追放・禁教
・しかし海外貿易は継続
・理由=利益が大きい
・当時は貿易と布教が一体
・そのため禁教は不完全
最後に確認問題です。
「秀吉がキリスト教を禁止した年は何年ですか?」→1587年
「キリスト教を警戒するきっかけとなった出来事は何ですか?」→長崎が教会領になったこと
「なぜ禁教が徹底できなかったのですか?」→貿易と布教が一体で、貿易を続けたため
「誰に海外貿易を認めていましたか?」→豪商
これらはテストに必ず出る重要事項です。しっかり覚えましょう。
豊臣秀吉がなぜキリスト教を禁止しながらも、海外貿易を続けたのかを理解することが目標です。
まず、最初の状況を確認しましょう。
織田信長はキリスト教を保護していました。
それを引き継ぐ形で、豊臣秀吉も初めはキリスト教を保護していました。
つまり、最初はキリスト教に対して寛容だったのです。
しかし、次第に状況が変わります。
大きなきっかけとなったのが、長崎です。
長崎はキリシタン大名によって教会に寄進され、教会領となっていました。
これは、日本の土地の一部が外国の宗教勢力の影響下に入ることを意味します。
そのため秀吉は、キリスト教の勢力の拡大を危険視するようになりました。
ここは重要ポイントです。「長崎が教会領になった→秀吉が警戒」と覚えましょう。
そこで秀吉は行動に移します。
1587年、宣教師の海外追放を命じ、キリスト教を禁止しました。
これが日本における最初の禁教政策です。
テストでは「1587年=秀吉の禁教」とよく問われます。
しかし、ここで重要なポイントがあります。
秀吉はキリスト教を禁止したにもかかわらず、海外貿易は続けていました。
なぜでしょうか。
理由は、貿易の利益が非常に大きかったからです。
秀吉は、東南アジアや、そこを拠点とするヨーロッパの商人との貿易を豪商に認めていました。
つまり、経済的な利益を優先していたのです。
ここはテストポイントです。「禁教しても貿易は継続」と覚えましょう。
さらに重要なのは、当時の貿易の特徴です。
当時の海外貿易は、単なる商品のやり取りではありませんでした。
キリスト教の布教と貿易が一体となっていたのです。
つまり、貿易を行うとキリスト教も広まってしまうという関係でした。
このため、秀吉は禁教を完全に徹底することができなかったのです。
まとめます。
・最初は信長・秀吉ともにキリスト教を保護
・長崎が教会領になり警戒
・1587年:宣教師追放・禁教
・しかし海外貿易は継続
・理由=利益が大きい
・当時は貿易と布教が一体
・そのため禁教は不完全
最後に確認問題です。
「秀吉がキリスト教を禁止した年は何年ですか?」→1587年
「キリスト教を警戒するきっかけとなった出来事は何ですか?」→長崎が教会領になったこと
「なぜ禁教が徹底できなかったのですか?」→貿易と布教が一体で、貿易を続けたため
「誰に海外貿易を認めていましたか?」→豪商
これらはテストに必ず出る重要事項です。しっかり覚えましょう。