歴史教科書 118ページ 2 秀吉が導いた近世社会


学習課題
秀吉は国内と海外に対してどのような政策を行ったのだろうか。

秀吉の国内政策
豊臣秀吉は、全国に200万石もの領地をもち、京都・堺(大阪府)・長崎などの重要都市や石見銀山(島根県)などの鉱山を直接支配し、統一した金貨を発行しました。
また、刀狩を行い、百姓が刀ややりなどの武器をもつことを禁止しました。
これによって、百姓は武器を用いて戦うことができなくなり、武装してみずからの力で紛争を解決することが否定されました。
さらに、秀吉は年貢を確実に集めるために、それまで地域によって異なっていた升や物差しを統一し、石という単位を用いて田畑の広さや収穫高を調べて、実際に耕作している百姓の名前とともに検地帳に登録しました(太閤検地)。
武士は自分の領地の石高に対して、戦いに必要な人や馬を確保することになり、農民は石高に応じた年貢を納めることが義務づけられました。
これによって、公家や寺社はそれまで荘園領主としてもっていた土地の権利を失い、荘園の制度は完全に崩れました。
秀吉は、刀狩と検地を徹底して行うことによって、武士と百姓の身分を区別する兵農分離を進め、その後の身分制に基づく社会の土台をつくりました。

キリスト教の禁止と海外貿易
キリスト教を保護した信長に続き、秀吉も初めはキリスト教を保護していました。
しかし、長崎がキリシタン大名によって寄進され教会領になったことなどから、その力をおそれるようになり、1587年に宣教師の海外追放を命じてキリスト教を禁止しました。
一方で秀吉は、東南アジアやそこを拠点とするヨーロッパとの貿易を豪商らに認めていたため、キリスト教の禁止を徹底することができませんでした。
当時の海外貿易は、キリスト教の布教と一体化していたからです。

文禄・慶長の役
全国統一を果たした秀吉は、さらに領土を広げるため、明に代わって東アジアを支配しようと考えました。
秀吉は、倭寇を取り締まって海上の支配を強めた後、フィリピンや台湾などには服属を、朝鮮には明を征服するための協力を求めました。
朝鮮がこれを拒否すると、1592(文禄元)年に15万人の大軍で攻め入り、首都の漢城(現在のソウル)など各地を占領しました(文禄の役)。
しかし、朝鮮では僧侶や、義兵とよばれる民衆の抵抗運動、李舜臣の率いる水軍の抵抗が強く、明の援軍もあって行き詰まり、秀吉の軍は休戦して兵の一部を引き揚げました。
1597(慶長2)年に再び出兵しましたが(慶長の役)、苦戦が続き、翌98年の秀吉の死によって全軍を引き揚げました。
2度の出兵で、日本でも武士や民衆が兵力や戦費の負担に苦しみ、豊臣氏の支配が弱まる原因となりました。

解説 百姓
古代で「百姓」は広く人々を指していましたがやがて農業・漁業・林業などで自給自足の生活をする農民・漁民などを指すようになりました。
百姓の多くは農業を営む農民でした。

刀狩令(1588年)
諸国の百姓が、刀・脇差し・弓・やり・鉄砲・その他の武具などをもつことは、固く禁止する。
その理由は、武具を蓄えた者が一揆を起こして処罰されると、土地を耕す者がいなくなって領主が得る年貢が減ってしまうからである。
したがって、大名やその家来は、これらの武具をすべて集めるようにせよ。
取り上げた刀や脇差しは、大仏建立のためのくぎやかすがいとして用いようと思う。
そうすれば、この世はいうまでもなく、来世までも百姓のためになるだろう。
百姓は農具だけもって、耕作だけを一生懸命やっていれば、子孫代々まで長く続くだろう。

バテレン(宣教師)追放令(1587年)
日本は神国であるため、キリシタンの国から悪い教え(キリスト教)を伝え広められるのは非常によくない。
宣教師は今後、日本にいることはできない。
今日から20日以内に用意を整えて帰国しなさい。
ポルトガルの貿易船は、商売のために来ているので特別に許可する。
今後もいろいろと売買するようにしなさい。
授業 / 秀吉の国内政策
今日は豊臣秀吉の国内政策について学習します。
秀吉がどのようにして全国を支配し、社会の仕組みを整えたのかを理解することが目標です。

まず、秀吉の支配の特徴から見ていきましょう。
秀吉は全国に約200万石もの領地を持っていました。
さらに、京都・堺・長崎などの重要都市や、石見銀山などの鉱山も直接支配しました。
そして、全国で使う統一した金貨を発行しました。
ここは重要ポイントです。「都市・鉱山・貨幣を支配=強い中央集権」と覚えましょう。

次に、有名な政策である刀狩です。
秀吉は百姓が刀ややりなどの武器を持つことを禁止しました。
これによって、百姓は武器を使って争うことができなくなりました。
つまり、勝手に戦いを起こすことを防いだのです。
ここはテストでよく出ます。「刀狩=百姓から武器を取り上げる」と覚えましょう。

続いて、もう一つの重要政策である太閤検地です。
秀吉は、年貢を確実に集めるために全国で土地の調査を行いました。
それまで地域ごとに違っていた物差しを統一し、基準をそろえました。
そして、石(こく)という単位で田畑の広さや収穫量を測りました。
さらに、実際に耕している百姓の名前とともに検地帳に登録しました。
ここは非常に重要です。「太閤検地=土地と農民を正確に把握」と覚えましょう。

この政策によって何が変わったのでしょうか。
まず、武士は自分の領地の石高に応じて、戦いに必要な人や馬を用意する義務を持つようになりました。
一方で、農民は石高に応じて年貢を納めることが義務づけられました。
つまり、役割がはっきりと分けられたのです。

さらに大きな変化があります。
それまで土地を支配していた公家寺社は、荘園領主としての権利を失いました。
これによって、長く続いた荘園制度は完全に崩れました。
ここも重要です。「太閤検地→荘園制度の崩壊」と覚えましょう。

そして、これらの政策の最も重要な結果が兵農分離です。
武士は戦う役割百姓は農業を行う役割と、身分がはっきり区別されました。
この仕組みが、その後の身分制度の基礎となります。
ここは最重要ポイントです。「刀狩+太閤検地=兵農分離」と必ず覚えましょう。

まとめます。
・秀吉は都市・鉱山・貨幣を支配
刀狩で百姓の武器を禁止
太閤検地で土地と農民を把握
石高で役割と年貢を決定
荘園制度が崩壊
兵農分離が進む

最後に確認問題です。
「百姓から武器を取り上げた政策は何ですか?」→刀狩
「土地と収穫量を調べた政策は何ですか?」→太閤検地
「武士と百姓の身分を分けたことを何といいますか?」→兵農分離
「土地の生産力を表す単位は何ですか?」→石(こく)

これらはテストに必ず出る重要事項です。しっかり覚えましょう。
授業 / キリスト教の禁止と海外貿易
今日はキリスト教の禁止と海外貿易について学習します。
豊臣秀吉がなぜキリスト教を禁止しながらも、海外貿易を続けたのかを理解することが目標です。

まず、最初の状況を確認しましょう。
織田信長はキリスト教を保護していました。
それを引き継ぐ形で、豊臣秀吉も初めはキリスト教を保護していました。
つまり、最初はキリスト教に対して寛容だったのです。

しかし、次第に状況が変わります。
大きなきっかけとなったのが、長崎です。
長崎はキリシタン大名によって教会に寄進され、教会領となっていました。
これは、日本の土地の一部が外国の宗教勢力の影響下に入ることを意味します。
そのため秀吉は、キリスト教の勢力の拡大を危険視するようになりました。
ここは重要ポイントです。「長崎が教会領になった→秀吉が警戒」と覚えましょう。

そこで秀吉は行動に移します。
1587年、宣教師の海外追放を命じ、キリスト教を禁止しました。
これが日本における最初の禁教政策です。
テストでは「1587年=秀吉の禁教」とよく問われます。

しかし、ここで重要なポイントがあります。
秀吉はキリスト教を禁止したにもかかわらず、海外貿易は続けていました。
なぜでしょうか。

理由は、貿易の利益が非常に大きかったからです。
秀吉は、東南アジアや、そこを拠点とするヨーロッパの商人との貿易を豪商に認めていました。
つまり、経済的な利益を優先していたのです。
ここはテストポイントです。「禁教しても貿易は継続」と覚えましょう。

さらに重要なのは、当時の貿易の特徴です。
当時の海外貿易は、単なる商品のやり取りではありませんでした。
キリスト教の布教貿易が一体となっていたのです。
つまり、貿易を行うとキリスト教も広まってしまうという関係でした。
このため、秀吉は禁教を完全に徹底することができなかったのです。

まとめます。
・最初は信長・秀吉ともにキリスト教を保護
・長崎が教会領になり警戒
・1587年:宣教師追放・禁教
・しかし海外貿易は継続
・理由=利益が大きい
・当時は貿易と布教が一体
・そのため禁教は不完全

最後に確認問題です。
「秀吉がキリスト教を禁止した年は何年ですか?」→1587年
「キリスト教を警戒するきっかけとなった出来事は何ですか?」→長崎が教会領になったこと
「なぜ禁教が徹底できなかったのですか?」→貿易と布教が一体で、貿易を続けたため
「誰に海外貿易を認めていましたか?」→豪商

これらはテストに必ず出る重要事項です。しっかり覚えましょう。
授業 / 文禄・慶長の役
今日は文禄・慶長の役について学習します。
豊臣秀吉がなぜ海外に出兵し、その結果どうなったのかを理解することが目標です。

まず、秀吉の考えから確認しましょう。
秀吉は日本の全国統一を達成しました。
しかし、それで満足することはありませんでした。
さらに領土を広げるため、明に代わって東アジアを支配しようと考えました。
ここは重要です。「秀吉の目的=東アジアの支配」と覚えましょう。

その準備として、秀吉はまず倭寇を取り締まり、海上の支配を強めました。
そのうえで、周辺の国々に働きかけます。
フィリピン台湾には服属を求める
朝鮮には明を攻めるための協力を求める
という形です。

しかし、朝鮮はこの要求を拒否しました。
そこで秀吉は武力で解決しようとします。

1592年、秀吉は約15万人の大軍を朝鮮に送りました。
これが文禄の役です。
日本軍は漢城(現在のソウル)などを占領し、最初は順調に進みました。
ここはテストポイントです。「1592年=文禄の役」と覚えましょう。

しかし、その後状況は変わります。
朝鮮側の激しい抵抗が始まりました。
義兵とよばれる民衆の戦い
・僧侶による抵抗
李舜臣が率いる水軍の活躍
さらに、が援軍を送ってきたことで、日本軍は苦戦します。
その結果、戦いは行き詰まり、いったん休戦となりました。

しかし秀吉はあきらめませんでした。
1597年に再び出兵します。
これが慶長の役です。
ここも重要です。「1597年=慶長の役」とセットで覚えましょう。

しかし、この2回目の出兵でも苦戦が続きます。
そして決定的な出来事が起こります。
1598年、豊臣秀吉の死です。
これによって、日本軍は戦いを続ける理由を失い、全軍が撤退しました。

では、この戦いの結果はどうだったのでしょうか。
日本にとって大きな負担となりました。
戦いによって、
武士は戦いに動員される
民衆は戦費の負担を負う
という状況になり、社会全体が疲弊しました。

その結果、豊臣氏の支配は弱まることになります。
これが後に、徳川家康が力を伸ばす原因の一つとなりました。
ここは非常に重要です。「文禄・慶長の役→豊臣政権の弱体化」と覚えましょう。

まとめます。
・秀吉の目的=東アジア支配
・1592年:文禄の役
・1597年:慶長の役
・朝鮮の義兵李舜臣の水軍明の援軍で苦戦
・1598年:秀吉の死で撤退
・結果=豊臣氏の支配が弱まる

最後に確認問題です。
「文禄の役が始まった年は何年ですか?」→1592年
「慶長の役は何年ですか?」→1597年
「日本軍が苦戦した理由は何ですか?」→朝鮮の抵抗と明の援軍
「戦いの結果、何が弱まりましたか?」→豊臣氏の支配

これらはテストに必ず出る重要事項です。しっかり覚えましょう。

秀吉の国内政策

Q1. 秀吉が全国の土地や収穫量を調べ、百姓の名前とともに登録した政策を何といいますか。
答え
太閤検地
【解説】秀吉は全国で太閤検地を行い、田畑の広さや収穫量を石(こく)という単位で統一して調べました。
さらに、実際に耕している百姓の名前検地帳に記録しました。
これにより、年貢を確実に集めることができるようになり、中央集権的な支配が強まりました。

Q2. 百姓から刀ややりなどの武器を取り上げた政策を何といいますか。
答え
刀狩
【解説】秀吉は刀狩によって百姓の武器を禁止しました。
これにより、百姓が一揆を起こすことを防ぎ、社会の安定を図りました。
また、百姓は農業に専念するようになり、支配が安定しました。

Q3. 刀狩令が出された年は何年ですか。
答え
1588年
【解説】刀狩令(1588年)は、百姓が武器を持つことを禁止した法令です。
この政策により、百姓は戦いに参加できなくなり、農民としての役割に固定されました。
これは兵農分離を進める重要な政策です。

Q4. 刀狩と太閤検地によって進められた、武士と百姓の身分を分ける政策を何といいますか。
答え
兵農分離
【解説】兵農分離とは、武士は戦う百姓は農業を行うというように役割を分けることです。
秀吉は刀狩と検地を徹底することで、この仕組みを完成させました。
これが後の身分制度社会の基礎となります。

Q5. 太閤検地によって完全に崩れた、中世の土地制度は何ですか。
答え
荘園制度
【解説】太閤検地によって、公家や寺社の荘園領主としての権利が否定されました。
その結果、長く続いた荘園制度は完全に崩れました。
これは日本の土地支配の大きな転換点です。

キリスト教の禁止と海外貿易

Q6. 秀吉が宣教師を追放し、キリスト教を禁止した年は何年ですか。
答え
1587年
【解説】秀吉は1587年バテレン追放令を出し、キリスト教を禁止しました。
背景には、長崎が教会領となり、キリスト教勢力の拡大を恐れたことがあります。
これは日本で初めての本格的な禁教政策です。

Q7. 秀吉がキリスト教を警戒するきっかけとなった出来事は何ですか。
答え
長崎が教会領になったこと
【解説】長崎はキリシタン大名によって教会に寄進され、教会領となりました。
これは日本の土地が外国の宗教勢力の影響を受けることを意味し、秀吉は強い危機感を持ちました。

Q8. 秀吉がキリスト教を禁止しながらも続けていたものは何ですか。
答え
海外貿易
【解説】秀吉は海外貿易を続けていました。
理由は、貿易による利益が大きかったためです。
当時は貿易とキリスト教の布教が一体となっていたため、禁教を完全に行うことができませんでした。

文禄・慶長の役

Q9. 秀吉が東アジア支配を目指して行った戦いを何といいますか。
答え
文禄・慶長の役
【解説】秀吉は東アジア支配を目指し、朝鮮に出兵しました。
1592年の文禄の役と1597年の慶長の役を合わせて文禄・慶長の役といいます。

Q10. 文禄の役が始まった年は何年ですか。
答え
1592年
【解説】1592年に始まった文禄の役では、日本軍は漢城などを占領しました。
しかし、その後は朝鮮の義兵李舜臣の水軍、さらに明の援軍によって苦戦しました。

Q11. 慶長の役が始まった年は何年ですか。
答え
1597年
【解説】1597年に再び出兵した戦いが慶長の役です。
しかし、この戦いでも日本軍は苦戦し、戦況は改善しませんでした。

Q12. 日本軍が朝鮮で苦戦した理由を2つ答えなさい。
答え
朝鮮の抵抗(義兵・水軍)と明の援軍
【解説】朝鮮では、民衆による義兵の抵抗や、李舜臣の率いる水軍の活躍がありました。
さらにが援軍を送ったことで、日本軍は戦いを有利に進められませんでした。

Q13. 文禄・慶長の役の結果、日本ではどのような影響がありましたか。
答え
豊臣氏の支配が弱まった
【解説】戦いによって武士や民衆が兵力や戦費の負担に苦しみました。
その結果、豊臣氏の支配は弱まり、後に徳川家康が勢力を伸ばす原因となりました。

暗記ソング / 秀吉の政策
200百万石 天下の秀吉
都市も 銀山も 押さえてく
金貨も 統一 国を まとめる
近世時代 ここからだ

京都  長崎 重要都市 直接支配
石見銀山 鉱山
お金のもとを握りしめ
統一金貨 発行
国の仕組みを そろえてく
力だけじゃない 仕組みで勝つ
それが秀吉 統一

そして始まる 二つの政策
刀狩 検地 セットで覚えよう

刀狩! 武器を 持たせない
百姓 戦い できなくなる
太閤検地! と 物差し 統一
石で測って 検地帳
石高 年貢 義務になる
兵農分離 進んでく
公家 寺社荘園権 失なって
荘園 崩れた!

太閤検地で 何をした
田畑の 広さ 収穫高
石の単位で 調べ上げ
耕作 百姓 名前も 載る
武士は 石高
軍役を 人や 馬を そろえる
農民は 石高に 合わせて
年貢を 納める 決まりだよ

刀狩と 検地を徹底
身分を 分ける土台へ

刀狩! 武器を 持たせない
百姓 戦いできなくなる
太閤検地! と 物差し 統一
で 測って 検地帳
石高 年貢 義務になる
兵農分離 進んでく
公家 寺社の 荘園権 失なって
荘園 崩れた!

キリスト教 始めは 保護だけど
長崎 教会領 力を恐れて
1587年 バテレン追放 キリシタン禁止
でもね 貿易は 止められない
東南アジアヨーロッパ
豪商 認めて
続く交易 布教貿易一体化

文禄の役 慶長の役
変わって 東アジア
倭寇 取り締まり海上支配
フィリピン 台湾 服属
朝鮮には  征服 協力
朝鮮 拒否!
1592年 文禄の役 15万出陣
漢城 ソウル 占領 してみても
僧侶 義兵 李舜臣 水軍
の 援軍 行き詰まり
1597年 慶長の役 再びも 苦戦続いて
1598年 秀吉の死で 全軍引き上げ
戦費と 兵力 負担が 増えて
豊臣の 支配 弱くなる

刀狩 太閤検地 兵農分離
バテレン追放 文禄・慶長
言葉で 覚えて テストで 勝て!
秀吉で 覚える 近世の始まり

授業
秀吉が導いた近世社会

はじめに
この授業では、豊臣秀吉が全国統一のあとに行った政策が、なぜ「近世(江戸時代につながる社会)」の土台になったのかを理解する。
中心は、秀吉の国内政策キリスト教の禁止文禄・慶長の役の3つ。
あわせて、石高の意味、そして「なぜ荘園が完全に崩れたのか」を、理由が説明できるようにする。

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1 秀吉の国内政策
豊臣秀吉は、全国に200万石もの領地をもち、京都長崎などの重要都市や、石見銀山などの鉱山を直接支配し、さらに統一した金貨を発行した。
ここでのポイントは、国を動かすうえで重要な「都市」「貿易の窓口」「鉱山」「お金」を押さえ、支配を安定させようとしたこと。

次に行ったのが刀狩である。百姓がやりなどの武器をもつことを禁止し、百姓が武器で戦えないようにした。
これにより、武装して自分たちの力で紛争を解決することが否定された。
さらに、刀狩令の理由には、「武具を蓄えた者が一揆を起こして処罰されると、土地を耕す者がいなくなり、領主が得る年貢が減る」という考えが示されている。
つまり刀狩は、争いを減らすだけでなく、年貢を安定させるねらいもあった。
取り上げた刀を「大仏建立のくぎやかすがいにする」という説明は、政策を受け入れさせやすくする言い方にもなっている。

そして秀吉は、年貢を確実に集めるために、地域によって異なっていた物差しを統一し、という単位を用いて田畑の広さや収穫高を調べ、実際に耕作している百姓の名前とともに検地帳に登録した。これが太閤検地である。
太閤検地によって、
・武士は自分の領地の石高に対して、戦いに必要な人や馬を確保する(軍役の基準になる)
・農民は石高に応じた年貢を納める義務を負う(税の基準になる)
という形がはっきりした。

秀吉は、刀狩検地を徹底することで、武士と百姓の身分を区別する兵農分離を進め、その後の身分制に基づく社会の土台をつくった。

テストに出る最重要語句
太閤検地検地帳石高年貢刀狩兵農分離

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補足A 石・石高を「何m?」とたずねられたときの正しい理解
は「m(メートル)」の単位ではない。長さでも面積でもなく、もともとは米などを量るための「量(かさ)」の単位である。
具体的には、
1石10斗100升10000合
で、現代の量に直すと1石は約180リットルである。
つまり「石は何mか」ではなく、「石はどれくらいの量か」で考える。

石高は、「土地の広さそのもの」ではなく、「その土地からどれくらい米が取れると見積もるか」を表す数字である。
同じ広さの田でも、土地が肥えていれば多く取れるので石高は高くなり、やせていれば石高は低くなる。
だから石高は“面積の数字”ではなく、“収穫力(生産力)を米の量に換算した数字”である。

教科書にある「田畑の広さや収穫高を調べて、石という単位を用いた」という部分は、年貢を決めるために、土地を調べて生産力をそろえた基準で表した、ということを意味している。

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補足B なぜ「石高に応じた年貢」で荘園制度が完全に崩れたのか
結論から言うと、太閤検地によって、年貢のしくみが「荘園領主が持つ土地の権利」によって動くのではなく、「検地帳と石高にもとづく全国共通のしくみ」で動くように変わったからである。

太閤検地では、実際に耕作している百姓の名前が検地帳に登録され、その百姓が石高に応じた年貢を納める義務を負う。ここで重要なのは、年貢を納める相手と責任がはっきり固定されること。

一方、荘園は、公家や寺社が「荘園領主」として土地の権利を持ち、年貢を取る仕組みだった。
しかし太閤検地によって、土地の基準が「だれがどれだけ取れる土地を耕しているか(石高)」に統一され、年貢の義務が百姓に結びつくと、公家や寺社が荘園領主として持っていた「土地に対する権利」は働かなくなる。
その結果、教科書にある通り、公家や寺社は荘園領主としての土地の権利を失い、荘園の制度は完全に崩れたのである。

テストで使える一文
太閤検地で検地帳に耕作者を登録し、石高に応じた年貢を納める義務を百姓に負わせて税のしくみを統一したため、公家や寺社の荘園領主としての土地の権利が失われ、荘園制度が崩れた。

――――――――――――――――――
2 キリスト教の禁止と海外貿易
キリスト教を保護した信長に続き、秀吉も初めはキリスト教を保護していた。
しかし、長崎がキリシタン大名によって寄進され教会領になったことなどから、その力をおそれるようになり、1587年に宣教師の海外追放を命じてキリスト教を禁止した。これがバテレン追放令である。

ただし、秀吉は東南アジアやそこを拠点とするヨーロッパとの貿易を豪商らに認めていたため、キリスト教の禁止を徹底することができなかった。
理由は、当時の海外貿易がキリスト教の布教と一体化していたからである。
つまり、布教をおさえようとしても、貿易を続ける限り、完全に切り離すのが難しかった。

テストに出るポイント
1587年バテレン追放令/「禁止したが徹底できなかった理由」=海外貿易と布教が結びついていたから

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3 文禄・慶長の役
全国統一を果たした秀吉は、さらに領土を広げるため、に代わって東アジアを支配しようと考えた。
秀吉は、倭寇を取り締まって海上の支配を強めた後、フィリピン台湾などには服属を、朝鮮には明を征服するための協力を求めた。

この一文の意味を、教科書の範囲でわかりやすく言いかえる。
服属とは、「秀吉の支配に従う立場になりなさい」という要求である。
つまり、フィリピンや台湾などには「日本(秀吉)に従うように」という要求をした、ということになる。

一方、朝鮮には「明を征服するために協力してほしい」と求めた。これは、明に向かうために朝鮮の協力が必要だと考えた、という意味である。

教科書に書かれている「対応」は、朝鮮についてははっきりしている。朝鮮はこれを拒否した。
そのため秀吉は1592年(文禄元年)15万人の大軍で攻め入り、首都の漢城(ソウル)などを占領した(文禄の役)。
しかし、朝鮮では僧侶や、義兵とよばれる民衆の抵抗運動、李舜臣の率いる水軍の抵抗が強く、さらに明の援軍もあって行き詰まり、休戦して兵の一部を引き揚げた。

1597年(慶長2年)に再び出兵したが(慶長の役)、苦戦が続き、翌1598年の秀吉の死によって全軍を引き揚げた。
2度の出兵で、日本でも武士や民衆が兵力や戦費の負担に苦しみ、豊臣氏の支配が弱まる原因となった。

フィリピンや台湾などが要求にどう対応したかについては、教科書では具体的に示されていないため、「服属を求めた」ことまでを確実な内容として理解する。

テストに出る最重要語句
文禄の役(1592年)/慶長の役(1597年)/漢城義兵李舜臣/「秀吉の死で撤退」/「戦費負担で豊臣の支配が弱まる」

――――――――――――――――――
まとめ(暗記用)
秀吉は刀狩太閤検地で支配を安定させ、兵農分離を進めて近世社会の土台を作った。
は長さの単位ではなく米の量を表す単位で、石高は土地の生産力を米の量に換算した数字である。
太閤検地で年貢のしくみが統一され、公家や寺社の荘園領主としての権利が失われ、荘園制度は崩れた。
1587年バテレン追放令でキリスト教を禁止したが、海外貿易と布教が結びついていたため徹底できなかった。
文禄・慶長の役では、朝鮮が協力を拒否したため出兵し、抵抗と明の援軍で苦戦し、秀吉の死で撤退した。
テスト対策 ポイント
今日の単元は、豊臣秀吉が行った国内政策対外政策です。
定期テストでは、特に次の赤字語句がそのまま問われやすいです。
太閤検地刀狩兵農分離バテレン(宣教師)追放令南蛮貿易文禄の役慶長の役

今日は、問題集の問いの形で「この聞かれ方なら、この語句を書く」という考え方を身につけます。



【重要語句の解説】

◆ 太閤検地
【意味】 升や物差しを統一し、全国の田畑の広さや収穫量などを調べることです。
【教科書の説明】 秀吉は年貢を確実に集めるため、升や物差しを統一し、石という単位で田畑の広さや収穫高を調べ、百姓の名前とともに検地帳に登録しました。
【テストでの聞かれ方】
「土地と農民を直接支配し、年貢を確実に取り立てるために全国的に行ったことは何か」と聞かれたら、太閤検地と答えます。

◆ 刀狩
【意味】 農村から武器を取り上げることです。
【教科書の説明】 秀吉は刀狩を行い、百姓が刀ややりなどの武器をもつことを禁止しました。これにより、百姓は武器を用いて戦うことができなくなりました。
【テストでの聞かれ方】
「一揆を防ぐために農村から武器を取り上げたことを何というか」と聞かれたら、刀狩と答えます。

◆ 兵農分離
【意味】 武士と百姓(農民)の身分を区別することです。
【教科書の説明】 秀吉は刀狩と検地を徹底して行い、武士と百姓の身分を区別する兵農分離を進めました。
【テストでの聞かれ方】
「太閤検地や刀狩などの政策の結果、武士と農民の身分が区別されることを何というか」と聞かれたら、兵農分離と答えます。

◆ バテレン(宣教師)追放令
【意味】 宣教師を国外追放する命令です。
【教科書の説明】 秀吉は、長崎がキリシタン大名によって寄進され教会領になったことなどからキリスト教の力をおそれ、1587年に宣教師の海外追放を命じてキリスト教を禁止しました。
【テストでの聞かれ方】
「宣教師を国外追放する命令を何というか」と聞かれたら、バテレン(宣教師)追放令と答えます。

◆ 南蛮貿易
【意味】 ヨーロッパの国(ポルトガルなど)との貿易です。
【教科書の説明】 秀吉は宣教師を追放する一方で、南蛮貿易を奨励しました。
【テストでの聞かれ方】
「宣教師を国外追放する一方で奨励した貿易は何か」と聞かれたら、南蛮貿易と答えます。

◆ 文禄の役
【意味】 1592年の最初の朝鮮への出兵です。
【教科書の説明】 秀吉は朝鮮が協力を拒否すると、1592年に大軍で攻め入り、首都の漢城など各地を占領しました(文禄の役)。
【テストでの聞かれ方】
「豊臣秀吉による1592年の最初の朝鮮への出兵を何というか」と聞かれたら、文禄の役と答えます。

◆ 慶長の役
【意味】 1597年の2度目の朝鮮への出兵です。
【教科書の説明】 1597年に再び出兵しましたが苦戦が続き、翌年の秀吉の死によって全軍を引き揚げました。
【テストでの聞かれ方】
「豊臣秀吉の死により引きあげた、1597年の2度目の朝鮮への出兵を何というか」と聞かれたら、慶長の役と答えます。



【テストに直結する確認】(約15分)
ここからは、問題集の問い方をそのまま使って確認します。

確認①
「土地と農民を直接支配し、年貢を確実に取り立てるために全国的に行ったこと」→ 太閤検地

確認②
「検地反対などの一揆を防ぐために農村から武器を取り上げたこと」→ 刀狩

確認③
「太閤検地や刀狩の結果、武士と農民の身分が区別されること」→ 兵農分離

確認④
「1592年の最初の朝鮮への出兵」→ 文禄の役

確認⑤
「1597年の2度目の朝鮮への出兵」→ 慶長の役

問題文の中の「年貢を確実に」「武器を取り上げる」「身分を区別」「1592年」「1597年」のような手がかりを見つけて、語句を選びます。



【まとめ】(約5分)
今日の最重要語句は、次の5つです。
太閤検地
刀狩
兵農分離
文禄の役
慶長の役

定期テスト前は、
太閤検地=年貢を確実に
刀狩=武器を取り上げる
兵農分離=武士と百姓を区別
をセットで言えるようにしておきましょう。