歴史教科書 140ページ 3 各地を結ぶ陸の道、海の道

教科書


授業 / 交通の整備
今回は、交通の整備について、本文を順番に読みながら考えていきます。
この部分では、幕府が交通網を整えたことが、産業や経済の発達にどのようにつながったのかを理解することが大切です。

では本文の最初の大事なところを見ていきます。
本文には、幕府は、十八世紀初めごろまでに各地を結ぶ交通網を固めました、とあります。
ここで重要語句の交通網を確認します。
交通網とは、道や航路、港など、人や物が行き来するためのつながり全体のことです。
役割は、各地を結んで、人や物を移動しやすくすることです。
なぜ重要かというと、交通が便利になると、物を運びやすくなり、商業や産業が発達するからです。
つまり、交通の整備は経済の発達の土台になったのです。

さらに本文には、陸上交通では、大名が参勤交代をすることなどから、江戸の日本橋を起点に五街道が定められ、街道の途中には宿場が置かれました、とあります。
ここで大切なのは、なぜ陸上交通が整えられたのかということです。
その理由の一つは、大名が参勤交代で江戸と領地を行き来する必要があったからです。
そのため、江戸から各地へ向かう道がきちんと整えられました。
五街道は、江戸を中心として各地へ伸びる大事な街道です。
宿場は、旅人や荷物を運ぶ人や馬が休んだり交代したりする場所です。
役割は、長い移動を支えることです。
なぜ重要かというと、宿場があることで、人も荷物も遠くまで安全に運べるようになるからです。

さらに本文には、地方の街道もしだいに整備されると、飛脚による通信も発達し、宿場町や門前町も発達しました、とあります。
ここで重要語句の飛脚を確認します。
飛脚とは、手紙や荷物を運ぶ人のことです。
役割は、遠くの情報や品物をすばやく届けることです。
なぜ重要かというと、通信が発達すると、人や地域のつながりが強くなるからです。
また、宿場町や門前町が発達したというのは、交通の整備が町そのものの成長にもつながったことを表しています。
つまり、道が整うことで、人の移動だけでなく、町の発達も進んだのです。

ここで資料を見てみます。
宿場の様子の資料があります。
これは、宿場で荷物を運送するために、人と馬を引き継いでいる様子を示した資料です。
この資料からは、荷物を遠くまで運ぶために、宿場ごとに人や馬を交代させていたことが読み取れます。
つまり、宿場はただ休む場所ではなく、物流を支える重要な場所だったのです。
本文の、街道の途中には宿場が置かれました、という内容としっかりつながっています。

次に、水上交通について本文を見ます。
本文には、水上交通では、全国各地で河川の改修が行われ、航路や港町も整備されました、とあります。
ここで重要語句の航路を確認します。
航路とは、船が通る道のことです。
役割は、大量の物資を遠くまで運ぶことです。
なぜ重要かというと、陸路よりも多くの荷物を安く運びやすいからです。
また、港町は船が集まり、荷物の積み下ろしや売り買いが行われる町です。
つまり、水上交通が整えられることで、物の流れがさらに大きく広がったのです。

さらに本文には、東北地方の米などを、日本海沿岸、瀬戸内海を回って大阪へ運ぶ西廻り航路、太平洋沿岸を回って江戸へ運ぶ東廻り航路が開かれました、とあります。
ここでは、どのように船で物が運ばれたのかが具体的に示されています。
西廻り航路は、大阪へ向かうための海の道です。
東廻り航路は、江戸へ向かうための海の道です。
役割は、それぞれ大きな都市へ米などの物資を運ぶことです。
なぜ重要かというと、こうした海の道ができたことで、各地の産物を大都市へ安定して届けられるようになったからです。

さらに本文には、また、日用品が不足していた江戸へは、大阪から菱垣廻船や樽廻船で、菜種油、木綿、しょうゆ、酒などの品々が運ばれました、とあります。
ここで大切なのは、江戸では人口が多く、たくさんの日用品が必要だったことです。
そのため、大阪から多くの品物が船で運ばれました。
菱垣廻船や樽廻船は、大阪と江戸のあいだで日用品を運ぶ船です。
役割は、必要な品物を大量に運ぶことです。
なぜ重要かというと、江戸の人々の生活を支え、商業も発達させたからです。

ここで資料を見てみます。
江戸時代の交通の地図があります。
これは、五街道やそのほかの街道、西廻り航路、東廻り航路などを示した資料です。
この資料からは、陸の道と海の道が全国に広がっていることが読み取れます。
また、大阪や江戸へ向かって多くの道や航路が集まっていることもわかります。
つまり、交通の整備が全国を結び、大都市を中心に物の流れをつくっていたことがわかるのです。
本文の、交通網を固めました、という内容としっかりつながっています。

さらに資料を見てみます。
大阪にある蔵に米を運ぶ様子の資料があります。
これは、大阪の蔵に米が運び込まれている様子を示した資料です。
この資料からは、大量の米が集められ、保管され、取り引きのために運ばれていたことが読み取れます。
つまり、交通が整えられたことで、米のような大量の物資も大都市へ集められるようになったのです。
本文の、東北地方の米などを大阪へ運ぶ西廻り航路が開かれました、という内容とつながっています。

さらに資料を見てみます。
日光東照宮と街道の発達の資料があります。
これは、日光東照宮への参詣が増えたことで、日光道中などの街道が整備され、宿場町も発達したことを示す資料です。
この資料からは、人々がお参りに行くことも街道の発達につながったことが読み取れます。
つまり、交通の整備は大名の移動だけでなく、庶民の移動や町の発達とも結びついていたのです。
本文の、宿場町や門前町も発達しました、という内容とつながっています。

さらに本文には、大量の物資を遠くへ安く輸送できることから、船での輸送は、ますます盛んになっていきました、とあります。
ここは、この部分のまとめにつながる大事な文です。
船は、一度にたくさんの荷物を運ぶことができます。
しかも、遠くへ安く運べるので、商業にとってとても便利でした。
そのため、水上交通がますます発達していったのです。
つまり、交通の整備は、物の流れを広げ、産業や経済の発達を強く後押ししたのです。

最後にまとめます。
江戸時代には、参勤交代などをきっかけに五街道や地方の街道、宿場が整えられ、飛脚による通信や宿場町、門前町も発達しました。
また、河川の改修や西廻り航路、東廻り航路、菱垣廻船や樽廻船によって、大量の物資が大阪や江戸へ運ばれるようになりました。
このように、交通の整備は、人や物の移動を便利にし、産業や経済の発達を支える大きな力になったのです。
授業 / 三都の発展
今回は、三都の発展について、本文を順番に読みながら考えていきます。
この部分では、江戸、大阪、京都がなぜ大きく発展したのか、そしてその発展が商業や金融にどのようにつながったのかを理解することが大切です。

では本文の最初の大事なところを見ていきます。
本文には、産業と交通の発達は、城下町などの各地の都市の成長を促しました。
特に大きく発展した江戸、大阪、京都は、三都といわれました、とあります。
ここで重要語句の三都を確認します。
三都とは、江戸、大阪、京都の三つの大都市のことです。
役割は、政治、商業、文化の中心として全国に大きな影響を与えることです。
なぜ重要かというと、江戸時代の社会や経済の中心がこの三つの都市に集まっていたからです。
また、なぜ三都が発展したのかというと、産業が発達し、交通が整えられて、人や物が集まりやすくなったからです。

次に、江戸について本文を見ます。
本文には、江戸は、将軍のおひざもとといわれ、政治の中心でした、とあります。
ここで大切なのは、江戸がまず政治の中心だったことです。
なぜなら、将軍がいる場所だからです。
政治の中心であるため、大名や武士、役人など多くの人が集まりました。

さらに本文には、住人の半分は、旗本、御家人、参勤交代の大名とその家臣で、十八世紀初めには人口約百万人の世界有数の大都市になりました、とあります。
ここでは、江戸がどれほど大きな都市だったかが書かれています。
住人の半分が武士や大名の関係者だったことからも、江戸が政治都市だったことがわかります。
また、人口が約百万人というのは、当時としては非常に大きな規模です。
つまり、江戸は将軍のもとに多くの人が集まったことで、世界有数の大都市へ発展したのです。

次に、京都について本文を見ます。
本文には、京都は、朝廷がある古代からの都で、文化の中心地としても栄えました、とあります。
ここで大切なのは、京都が政治の中心ではなく、文化の中心として栄えたことです。
なぜなら、古代から都であり、朝廷が置かれていたからです。
長い歴史の中で、文化や伝統が京都に集まっていたのです。

さらに本文には、西陣織などの伝統的な高級織物や清水焼などのさまざまな加工品や工芸品が数多くつくられ、各地方にも送られました、とあります。
ここで重要語句の西陣織と清水焼を確認します。
西陣織は、京都でつくられた高級な織物です。
清水焼は、京都でつくられた焼き物です。
役割は、京都の文化や技術を生かした特産品として各地へ広がることです。
なぜ重要かというと、京都が文化の中心であるだけでなく、工芸や加工品の生産地としても発展していたことがわかるからです。
つまり、京都は文化が豊かだったことを土台にして、さまざまな工芸品を生み出し、それを各地へ送る都市として栄えたのです。

次に、大阪について本文を見ます。
本文には、大阪は、天下の台所といわれ、商業の中心でした、とあります。
ここで重要語句の天下の台所を確認します。
天下の台所とは、大阪が全国の食料や物資の集まる場所であり、商業の中心であったことを表す言葉です。
役割は、全国から集まる米や特産物を取り引きする中心地になることです。
なぜ重要かというと、大阪の経済的な役割が、この言葉に表れているからです。
つまり、大阪は全国の物が集まる商業都市として発展したのです。

さらに本文には、大阪には、諸藩の蔵屋敷が置かれ、全国から集められた大量の年貢米や特産物が運び込まれて、米や特産物の取り引きが行われました、とあります。
ここで重要語句の蔵屋敷を確認します。
蔵屋敷とは、諸藩が大阪に置いた、年貢米や特産物を保管し、売るための施設です。
役割は、各藩の物資を集めて換金し、取り引きを行うことです。
なぜ重要かというと、大阪が全国の物資の集まる市場になった理由が、この蔵屋敷にあるからです。
つまり、全国の藩が大阪に蔵屋敷を置いたことで、大阪は商業の中心になったのです。

ここで資料を見てみます。
大阪の港のにぎわいを示した資料があります。
これは、大阪の港に多くの船や建物が集まっている様子を示した資料です。
この資料からは、大阪が人と物でにぎわう大きな港町だったことが読み取れます。
つまり、大阪が海運と商業の中心として発展していたことがわかります。
本文の、大阪は商業の中心でした、という内容とつながっています。

さらに資料を見てみます。
大阪にある蔵に米を運ぶ様子の資料があります。
これは、米が蔵へ運び込まれている様子を示した資料です。
この資料からは、大量の年貢米が集められていたことが読み取れます。
つまり、大阪には全国から多くの米が集まり、それが取り引きされていたのです。
本文の、全国から集められた大量の年貢米や特産物が運び込まれて、米や特産物の取り引きが行われました、という内容とつながっています。

次に、金融の発達と商人の台頭について本文を見ます。
本文には、江戸時代の東日本では金の貨幣が、西日本では銀の貨幣が使われていたため、上方とよばれた大阪や京都から江戸への取り引きでは、大量の金銀の交換が行われました、とあります。
ここで重要語句の上方を確認します。
上方とは、主に大阪や京都をさす言葉です。
役割は、江戸時代の西日本の経済や文化の中心地を表すことです。
なぜ重要かというと、大阪や京都が江戸との取り引きの中で大きな役割を果たしていたからです。
また、東日本と西日本で使う貨幣がちがっていたため、金と銀を交換する必要が生まれました。
これが金融業の発達につながったのです。

さらに本文には、交通が整備されて商売が活発になったこともあり、貨幣の交換を行う両替商が現れ、金銀の交換や金銀と銭の交換、金貸し、為替の取り引きなどを行う金融業を営みました、とあります。
ここで重要語句の両替商と金融業を確認します。
両替商とは、金、銀、銭などの貨幣を交換する商人です。
金融業とは、お金の交換や貸し借り、為替などを行う仕事です。
役割は、商売をお金の面から支えることです。
なぜ重要かというと、商業が発達すると、お金を交換したり貸したりする仕組みが必要になるからです。
つまり、交通が整い、商売がさかんになったことが、金融業の発達の原因になったのです。

さらに本文には、大名のなかには、米や特産物の取り引きなどで大阪の両替商を頼って借金をする者もいたため、特に大阪で金融業が発達していきました、とあります。
ここでは、なぜ大阪で金融業が特に発達したのかが示されています。
大阪には全国から米や特産物が集まり、取り引きの規模が大きかったので、お金を扱う仕事も必要になりました。
さらに、大名まで両替商を頼るようになったので、大阪の金融業はますます発達したのです。
つまり、大阪は商業の中心であるだけでなく、金融の中心にもなっていったのです。

次に、商人の台頭について本文を見ます。
本文には、商人は、同業者の組織である株仲間をつくり、幕府や藩に税を納める代わりに、独占的に営業を行う特権を得て利益を上げました、とあります。
ここで重要語句の株仲間を確認します。
株仲間とは、同じ仕事をする商人たちの組織です。
役割は、商売をまとめて、特権を得ながら利益を上げることです。
なぜ重要かというと、商人たちが力をもち、経済を動かす存在になっていったことがわかるからです。
つまり、商人は組織をつくることで、より大きな利益を得られるようになったのです。

ここで資料を見てみます。
木綿問屋の株仲間の札の資料があります。
これは、株仲間として認められたことを示す札です。
この資料からは、株仲間が幕府や藩から正式に認められていたことが読み取れます。
つまり、株仲間はただの集まりではなく、政治とも結びついた組織だったのです。
本文の、幕府や藩に税を納める代わりに、独占的に営業を行う特権を得て利益を上げました、という内容とつながっています。

さらに本文には、産業の発達とともに、商人はしだいに富を蓄え、江戸の三井や大阪の鴻池などのように、経済面で武士を圧倒する商人も現れました、とあります。
ここはとても大切です。
それまで政治の中心は武士でしたが、経済の面では商人が大きな力を持つようになったのです。
つまり、産業や商業の発達によって、社会の中で商人の立場が高まっていったのです。

さらに資料を見てみます。
越後屋の店内の資料があります。
これは、江戸に開かれた越後屋の店内の様子を示した資料です。
この資料からは、多くの客が店を訪れ、その場で品物を選び、代金を払う形の商売が行われていたことが読み取れます。
つまり、商売のやり方そのものも新しくなっていたのです。
本文の、商人が富を蓄え、経済面で武士を圧倒する商人も現れました、という内容とつながっています。

さらに資料を見てみます。
江戸時代の貨幣の資料があります。
これは、金貨、銀貨、銭貨の三つの貨幣を示した資料です。
この資料からは、江戸時代には種類のちがう貨幣が使われていたことが読み取れます。
また、金貨と銭貨は数を数えて使い、銀貨は重さを量って使うというちがいもわかります。
つまり、貨幣の使い方がちがっていたため、両替商などの金融業が発達したのです。
本文の、金銀の交換や金銀と銭の交換などを行う金融業を営みました、という内容とつながっています。

最後にまとめます。
三都とは、江戸、大阪、京都の三つの大都市で、江戸は政治の中心、京都は文化の中心、大阪は商業の中心として発展しました。
特に大阪では、蔵屋敷を通して全国の年貢米や特産物が集まり、取り引きがさかんになったため、金融業も発達しました。
また、株仲間をつくって利益を上げる商人や、三井や鴻池のように大きな富を蓄える商人が現れ、経済面で武士を圧倒するほどの力をもつようになったのです。
授業 / 金融の発達と商人の台頭
今回は、金融の発達と商人の台頭について考えていきます。
この部分では、なぜ金融業が発達したのか、そしてなぜ商人が大きな力をもつようになったのかを理解することが大切です。

では本文の最初の大事なところを見ていきます。
本文には、江戸時代の東日本では金の貨幣が、西日本では銀の貨幣が使われていたため、上方とよばれた大阪や京都から江戸への取り引きでは、大量の金銀の交換が行われました、とあります。
ここで大切なのは、東日本と西日本で使う貨幣がちがっていたことです。
貨幣の種類がちがうと、そのままでは取り引きがしにくくなります。
だから、金と銀を交換する仕事が必要になったのです。
これが、金融の発達した大きな原因の一つです。

ここで重要語句の上方を確認します。
上方とは、主に大阪や京都をさす言葉です。
役割は、西日本の経済や文化の中心地を表すことです。
なぜ重要かというと、大阪や京都が江戸との取り引きの中で大きな役割を果たしていたことがわかるからです。

さらに本文には、交通が整備されて商売が活発になったこともあり、貨幣の交換を行う両替商が現れ、金銀の交換や金銀と銭の交換、金貸し、為替の取り引きなどを行う金融業を営みました、とあります。
ここで重要語句の両替商を確認します。
両替商とは、金、銀、銭などの貨幣を交換する商人のことです。
役割は、地域によってちがう貨幣を交換して、取り引きをしやすくすることです。
なぜ重要かというと、貨幣のちがいをつなぐことで、商売全体を支えることができるからです。
つまり、交通が整い、商売が活発になった結果として、両替商が必要になったのです。

ここで重要語句の金融業も確認します。
金融業とは、お金の交換や貸し借り、為替の取り引きなどを行う仕事です。
役割は、商売をお金の面から支えることです。
なぜ重要かというと、物の売り買いが増えるほど、お金を安全に動かしたり貸したりするしくみが必要になるからです。
つまり、金融業は商業の発達を支える大切なしくみだったのです。

さらに本文には、大名のなかには、米や特産物の取り引きなどで大阪の両替商を頼って借金をする者もいたため、特に大阪で金融業が発達していきました、とあります。
ここでは、なぜ特に大阪で金融業が発達したのかが書かれています。
大阪には全国から米や特産物が集まり、取り引きの規模が大きかったので、お金を扱う仕事も多く必要になりました。
さらに、大名まで両替商を頼るようになったので、大阪では金融業がますます発達したのです。
つまり、大阪は商業の中心であるだけでなく、金融の中心にもなっていったのです。

次に、関係する資料を見ます。
江戸時代の貨幣の資料があります。
これは、金貨、銀貨、銭貨の三つの貨幣を示した資料です。
この資料からは、江戸時代には種類のちがう貨幣が使われていたことが読み取れます。
また、金貨と銭貨は数を数えて使い、銀貨は重さを量って使うというちがいもわかります。
つまり、貨幣の使い方が同じではなかったため、両替商などの金融業が必要になったのです。
本文の、金銀の交換や金銀と銭の交換を行う金融業を営みました、という内容とつながっています。

次に、商人の台頭について本文を見ます。
本文には、商人は、同業者の組織である株仲間をつくり、幕府や藩に税を納める代わりに、独占的に営業を行う特権を得て利益を上げました、とあります。
ここで重要語句の株仲間を確認します。
株仲間とは、同じ仕事をする商人たちの組織です。
役割は、商売をまとめて、特権を得ながら利益を上げることです。
なぜ重要かというと、商人たちが組織をつくることで、より安定して大きな商売ができるようになったからです。
つまり、商人は株仲間を通して力を強めていったのです。

ここで関係する資料を見ます。
木綿問屋の株仲間の札の資料があります。
これは、株仲間として認められたことを示す札です。
この資料からは、株仲間が幕府や藩から正式に認められていたことが読み取れます。
つまり、株仲間はただの仲間ではなく、政治のしくみとも結びついた組織だったのです。
本文の、幕府や藩に税を納める代わりに、独占的に営業を行う特権を得て利益を上げました、という内容とつながっています。

さらに本文には、産業の発達とともに、商人はしだいに富を蓄え、江戸の三井や大阪の鴻池などのように、経済面で武士を圧倒する商人も現れました、とあります。
ここはとても大切です。
もともと江戸時代の社会では武士が支配する立場でした。
しかし、産業や商業が発達すると、商人は大きな利益を得て、経済の面で強い力をもつようになりました。
その結果、武士よりも大きな経済力をもつ商人まで現れたのです。
つまり、商人の台頭とは、商人が経済の力を強めて社会の中で目立つ存在になっていったことを表しています。

次に、関係する資料を見ます。
越後屋の店内の資料があります。
これは、江戸に開かれた越後屋の店内の様子を示した資料です。
この資料からは、多くの客が店を訪れ、品物を見て、その場で代金を払って買う形の商売が行われていたことが読み取れます。
つまり、商売のやり方そのものも発達し、商人が多くの客を集めて繁盛していたことがわかります。
本文の、商人はしだいに富を蓄え、経済面で武士を圧倒する商人も現れました、という内容とつながっています。

最後にまとめます。
江戸時代には、東日本と西日本で使う貨幣がちがい、交通が整って商売が活発になったことから、両替商を中心とする金融業が発達しました。
また、商人は株仲間をつくって特権を得ながら利益を上げ、しだいに富を蓄えていきました。
その結果、三井や鴻池のように、経済面で武士を圧倒するほどの力をもつ商人も現れるようになったのです。
授業 / 学習課題・確認しよう・説明しよう
今回は、学習課題、確認しよう、説明しようについて考えていきます。
この授業では、本文のどこを根拠にして答えればよいのかをはっきりさせて、最後に自分で答えを書けるようになることが大切です。

では学習課題を見ていきます。
学習課題は、交通網の整備は、産業や経済の発達にどのような影響を与えたのだろうか、というものです。
この問いに答えるためには、本文の中から、交通が整えられたことと、それによって人や物の動き、都市、商業、金融がどう発達したかをまとめる必要があります。
本文には、幕府が各地を結ぶ交通網を固め、五街道や航路を整えたこと、大量の物資を遠くへ安く運べるようになったことが書かれています。
さらに本文には、その結果として江戸、大阪、京都の三都が発展し、とくに大阪では商業や金融業が発達したことが書かれています。
つまり、交通の整備によって物資の流通が活発になり、都市の成長や商業、金融の発達が進んだという流れでまとめればよいのです。

ここで、学習課題の答えを完成させます。
交通網の整備によって、各地の物資を大都市へ運びやすくなり、船で大量の物を遠くまで安く運べるようになりました。
その結果、江戸、大阪、京都などの都市が発展し、とくに大阪では年貢米や特産物の取り引きがさかんになって、商業や金融業も発達しました。

次に、確認しようを見ます。
問題は、江戸時代の主な街道を五つ、主な航路を三つ、本文や図から書き出そう、というものです。
この問題では、本文と図の両方を使って、交通のしくみを正確に読み取れているかが問われています。
本文には、五街道が定められたこと、西廻り航路と東廻り航路が開かれたこと、さらに菱垣廻船や樽廻船で品物が運ばれたことが書かれています。
また、図には五街道の名前がそれぞれ書かれていて、東海道、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中が示されています。
ここで大切なのは、本文だけでは五街道の名前が全部は出ていないので、図を必ず使うことです。

ここで、関係する資料を見ます。
江戸時代の交通の図があります。
これは、五街道やそのほかの街道、西廻り航路、東廻り航路、菱垣廻船や樽廻船の航路などを示した資料です。
この資料からは、江戸を中心に街道がのびていることや、海の道でも大阪や江戸へ向かう航路が整えられていたことが読み取れます。
つまり、この図は確認しようの答えを考えるための大切な根拠になります。

では、確認しようの答えをはっきり示します。
主な街道は、東海道、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中です。
主な航路は、西廻り航路、東廻り航路、菱垣廻船や樽廻船の航路です。
なぜこの答えになるのかというと、街道は図に五つ書かれており、航路は本文と図の両方に示されているからです。

次に、説明しようを見ます。
問題は、大阪が商業の中心として発達した理由を、交通網の整備に触れて説明しよう、というものです。
この問題では、ただ大阪には物が集まったと書くだけでは足りません。
なぜ物が集まったのかを、交通網の整備と結びつけて説明する必要があります。
答えに入れるべき要素は、まず西廻り航路などの航路が整えられ、東北地方の米などが大阪へ運ばれたことです。
次に、日用品が不足していた江戸へは、大阪から菱垣廻船や樽廻船で菜種油、木綿、しょうゆ、酒などが運ばれたことです。
さらに、大阪には諸藩の蔵屋敷が置かれ、全国から集められた大量の年貢米や特産物の取り引きが行われたことです。
この三つを入れると、大阪が交通の要所であり、商業の中心として発達した理由が説明できます。

ここで、関係する資料を見ます。
大阪の港のにぎわいを示した資料があります。
これは、大阪の港に多くの船や建物が集まっている様子を示した資料です。
この資料からは、大阪が海運によって多くの人や物でにぎわっていたことが読み取れます。
つまり、交通網の整備が大阪の商業発達を支えたことがわかります。

さらに、大阪にある蔵に米を運ぶ様子の資料があります。
これは、大阪の蔵に米が運び込まれている様子を示した資料です。
この資料からは、大量の年貢米が大阪へ集まり、取り引きのために保管されていたことが読み取れます。
つまり、大阪が米市場として大きな役割をもっていたことがわかります。
本文の、諸藩の蔵屋敷が置かれ、全国から集められた大量の年貢米や特産物が運び込まれて、米や特産物の取り引きが行われました、という内容とつながっています。

では、説明しようの模範解答を示します。
大阪は、西廻り航路などで東北地方の米が運ばれ、さらに大阪から江戸へも菱垣廻船や樽廻船で多くの日用品が送られる交通の中心地でした。
そのため、大阪には諸藩の蔵屋敷が置かれて年貢米や特産物が集まり、取り引きがさかんになって、商業の中心として発達しました。

最後にまとめます。
学習課題では、交通網の整備によって物資の流通が活発になり、都市、商業、金融が発達したことをまとめるのが大切です。
確認しようでは、五街道と三つの航路を、本文と図を使って正確に書き出すことが大切です。
説明しようでは、大阪が交通網の中心にあって、米や特産物が集まり、そこから各地へ運ばれたことを根拠にして、商業の中心として発達した理由を書くことが大切です。