歴史教科書 126ページ 2 朱印船貿易から貿易統制へ


学習課題
幕府は、盛んになっていた貿易やキリスト教の布教に、どのように対処していったのだろうか。

東南アジアと朱印船貿易
徳川家康は、朝鮮と交流のあった対馬(長崎県)の宗氏に交渉を命じて、豊臣秀吉の出兵以降、関係が壊れていた朝鮮との国交を回復しました。
明とも国交を回復しようとしましたが、正式な貿易はできませんでした。
他方、東南アジアとの貿易は、秀吉のころに引き続いて盛んに行われました。
家康は、国交の回復だけでなく、貿易の統制も目指しました。
そこで、外国と貿易する大名や豪商に、海外への渡航を許すという証書(朱印状)を与えて、収入の一部を幕府へ納めさせました(朱印船貿易)。
また、東南アジアの国々に対しても、朱印状をもつ船(朱印船)の安全を保証するよう求めました。
17世紀に入るとヨーロッパで台頭してきたオランダやイギリスからの貿易の求めにも応じました。
これらの貿易を通じて、幕府は正式な貿易ができない明の生糸・絹織物なども輸入し、日本からは主に銀を輸出しました。
朱印船貿易の結果、多くの日本人が東南アジア各地に渡り、ルソン(フィリピン)・安南(ベトナム)・シャム(タイ)などの主な港や都市には日本町ができました。
また、国内でも唐人町とよばれる外国人居住区が、戦国時代から西日本の各地に成立していました。

キリスト教の禁止と貿易統制
家康は初め、キリスト教の日本への影響よりも、貿易の利益を優先していました。
しかし、神への信仰を重んじるキリスト教が幕府の支配の妨げになり、スペインやポルトガルによる侵略のきっかけにもなると考え、1612年に幕領で、次いで翌13年に全国でキリスト教を禁止し(禁教)、宣教師を国外へ追放したり、キリシタンを迫害したりしました。
さらに幕府は禁教を徹底し、貿易港を制限しました。
それでもキリシタンは減らず、幕府は、スペイン船の来航禁止や、キリシタンの捜索を行い、日本人の海外渡航と海外からの帰国を禁じました。
この結果、朱印船貿易も停止されました。

島原・天草一揆と宗門改め
禁教が進むなか、キリシタンが多かった島原(長崎県)と天草(熊本県)で、重い年貢の取り立てとキリシタンへの厳しい弾圧に抵抗して、1637年に人々が一揆を起こしました(島原・天草一揆)。
徳川家光は大軍を送ってようやくしずめ、1639年にはポルトガル船の来航も禁止しました。
この一揆のあと、領民が仏教徒であることを寺院に証明させる宗門改めが強化されました。
禁教を目的として帳簿がつくられましたが、やがてキリシタンが見つからなくなると、結婚・出生・死亡や移転などを記した戸籍としても用いられました。
授業 / 東南アジアと朱印船貿易
今日は東南アジアとの貿易と朱印船貿易について学習します。
江戸時代の初め、日本はどの国とどのように交流していたのかを理解することが目標です。

まず、徳川家康の外交政策について確認しましょう。
家康は、戦争によって悪化していた国との関係を立て直そうとしました。
特に重要なのが朝鮮との国交回復です。
家康は、朝鮮と交流のあった対馬宗氏に交渉を命じ、関係を回復させました。
ここはテストポイントです。「朝鮮との交渉=対馬の宗氏」と覚えましょう。

一方で、とも国交の回復を目指しましたが、正式な貿易はできませんでした。
つまり、中国との関係は完全には回復しなかったのです。

では、どことの貿易が盛んだったのでしょうか。
それが東南アジアです。
この地域との貿易は、豊臣秀吉の時代から続いており、江戸時代初めにも活発に行われました。

ここで最も重要な制度が登場します。
それが朱印船貿易です。
家康は、貿易を自由にするのではなく、しっかり統制しようとしました。
そこで、外国と貿易を行う大名や豪商に対して、海外渡航を許可する朱印状を与えました。
この許可証を持つ船を朱印船といいます。
そして、貿易で得た利益の一部を幕府に納めさせました
ここは非常に重要です。「朱印船貿易=朱印状をもつ船による貿易」と覚えましょう。

さらに、幕府は東南アジアの国々に対して、朱印船の安全の保証を求めました。
つまり、安心して貿易ができる仕組みを作ったのです。

また、17世紀になると新しい動きがありました。
オランダイギリスなどのヨーロッパの国々が進出してきたのです。
幕府はこれらの国とも貿易を行いました。
ここもテストに出やすいポイントです。「貿易相手にオランダ・イギリスが登場」と覚えましょう。

貿易の内容についても確認します。
幕府は、明と正式な貿易ができなかったため、生糸や絹織物などを東南アジア経由で輸入しました。
一方、日本からは主にを輸出しました。
ここは「輸入=生糸・絹織物」「輸出=銀」とセットで覚えましょう。

この貿易の結果、人の移動も活発になりました。
多くの日本人が東南アジアへ渡り、日本町とよばれる集落をつくりました。
特に、ルソン(フィリピン)安南(ベトナム)シャム(タイ)などに広がりました。
ここも重要語句です。「日本人の居住地=日本町」と覚えましょう。

また、日本国内にも外国人が住む場所がありました。
それが唐人町です。
これは、外国人が住む居住区で、戦国時代から西日本に作られていました。

まとめます。
・朝鮮との交渉は対馬の宗氏が担当
・東南アジアとの貿易=朱印船貿易
・許可証=朱印状
・ヨーロッパとの貿易=オランダ・イギリス
・輸入=生糸・絹織物、輸出=
・海外の日本人居住地=日本町
・国内の外国人居住地=唐人町

最後に確認問題です。
「朱印船貿易で必要な許可証は何ですか?」→朱印状
「日本人が海外に作った町を何といいますか?」→日本町
「日本が主に輸出したものは何ですか?」→
「外国人居住区を何といいますか?」→唐人町

これらはテストに必ず出る重要事項です。しっかり覚えましょう。
授業 / キリスト教の禁止と貿易統制
今日はキリスト教の禁止と貿易統制について学習します。
江戸幕府がなぜ外国との関係を制限し、キリスト教を禁止したのかを理解することが目標です。

まず、徳川家康の最初の考えについて確認しましょう。
家康は初め、キリスト教の影響よりも貿易の利益を重視していました。
つまり、外国と貿易をして利益を得ることを優先していたのです。

しかし、次第に考えが変わっていきます。
キリスト教は神への信仰を重んじる宗教です。
そのため、人々が将軍よりも神を優先するようになると、幕府の支配が弱まると考えられました。
さらに、スペインポルトガルがキリスト教を広めたあとに他の地域を植民地化していたことから、日本も同じように侵略される危険があると警戒しました。
ここは重要なポイントです。「禁教の理由=支配の妨げ+外国の侵略への警戒」と覚えましょう。

そこで幕府は行動に移します。
1612年、まず幕領でキリスト教を禁止しました。
そして翌1613年には、全国でキリスト教を禁止(禁教)しました。
このとき、宣教師を国外へ追放し、さらにキリシタンを迫害しました。
ここはテストでよく出ます。「禁教=1612年(幕領)、1613年(全国)」と覚えましょう。

その後、幕府はさらに統制を強めていきます。
キリスト教を広めることを防ぐために、貿易港を制限しました。
つまり、外国との接触を減らそうとしたのです。

しかし、それでもキリシタンは減りませんでした。
そこで幕府はさらに厳しい政策を行います。
スペイン船の来航禁止
キリシタンの捜索
日本人の海外渡航の禁止
海外からの帰国の禁止
これらによって、人の移動を厳しく制限しました。
ここは非常に重要です。「海外渡航・帰国の禁止」は鎖国政策につながる大事なポイントです。

そして、この結果どうなったのでしょうか。
それまで行われていた朱印船貿易も停止されました。
つまり、日本と海外との自由な貿易は終わりに向かっていったのです。

まとめます。
・はじめは貿易の利益を重視
・やがてキリスト教の拡大侵略の危険を警戒
・1612年(幕領)、1613年(全国)で禁教
宣教師追放・キリシタン迫害
貿易港の制限海外渡航の禁止
・結果として朱印船貿易が停止

最後に確認問題です。
「キリスト教を全国で禁止した年は何年ですか?」→1613年
「禁教の理由は何ですか?」→支配の妨げと外国の侵略への警戒
「日本人の海外渡航を禁じた政策は何の一部ですか?」→貿易統制(鎖国につながる政策)
「停止された貿易は何ですか?」→朱印船貿易

これらはテストに必ず出る重要事項です。確実に覚えておきましょう。
授業 / 島原・天草一揆と宗門改め
今日は島原・天草一揆と宗門改めについて学習します。
江戸幕府がどのように人々を統制し、キリスト教を取り締まったのかを理解することが目標です。

まず、背景から確認しましょう。
幕府はすでにキリスト教の禁止(禁教)を進めていました。
しかし、九州地方にはキリシタンが多く残っていました。
特に島原(長崎県)天草(熊本県)には多くのキリシタンがいました。

そこにさらに問題が重なります。
それが重い年貢の取り立て厳しい弾圧です。
人々は生活が苦しくなり、不満を強めていきました。
そしてついに、1637年に大きな反乱が起こります。
これが島原・天草一揆です。
ここはテストに必ず出ます。「1637年=島原・天草一揆」と覚えましょう。

この一揆は、単なる農民の反乱ではありません。
キリシタンの信仰生活の苦しさが重なって起こった点が重要です。
つまり、「宗教」と「経済」の両方が原因となった一揆なのです。

では、幕府はどう対応したのでしょうか。
3代将軍徳川家光大軍を送り、ようやく鎮圧しました。
このことから、幕府がどれだけこの一揆を重大な問題と考えていたかが分かります。

さらに、この出来事をきっかけに、幕府は政策を一層強化します。
1639年には、ポルトガル船の来航を禁止しました。
これはキリスト教の広まりを完全に断つための重要な決定です。
ここは重要ポイントです。「1639年=ポルトガル船来航禁止」と覚えましょう。

次に、宗門改めについてです。
これは、領民が仏教徒であることを寺院に証明させる制度です。
つまり、「キリスト教ではないこと」を証明させる仕組みです。
この制度によって、キリシタンを見つけ出そうとしました。

さらに、この制度では帳簿が作られました。
この帳簿はもともと禁教のために作られたものですが、後に役割が変わります。
やがてキリシタンが見つからなくなると、
結婚
出生
死亡
移転
などを記録する戸籍のような役割を持つようになりました。
ここも重要です。「宗門改め=最初は禁教、後に戸籍の役割」と理解しましょう。

まとめます。
・1637年:島原・天草一揆
・原因=重い年貢キリシタン弾圧
・幕府は大軍で鎮圧
・1639年:ポルトガル船来航禁止
宗門改めで宗教をチェック
・帳簿は後に戸籍として利用

最後に確認問題です。
「島原・天草一揆が起こった年は何年ですか?」→1637年
「一揆の原因は何ですか?」→重い年貢とキリシタン弾圧
「ポルトガル船が禁止された年は?」→1639年
「仏教徒であることを証明させる制度は何ですか?」→宗門改め

これらはテストに必ず出る重要事項です。しっかり覚えましょう。

朱印船貿易と東南アジアとの交流

Q1. 徳川家康が、豊臣秀吉の出兵で悪化していた国交を回復した国はどこですか。
答え
朝鮮
【解説】
徳川家康は、豊臣秀吉の朝鮮出兵によって悪くなっていた朝鮮との関係を立て直そうとしました。
そのために、朝鮮と交流のあった対馬宗氏に交渉を命じました。
江戸幕府は、戦いではなく、外交によって周辺国との関係を整えようとしたのです。
このことから、江戸幕府は国内の支配だけでなく、外国との関係づくりにも力を入れていたことがわかります。

Q2. 外国と貿易する大名や豪商に対して、海外への渡航を許す証書を何といいますか。
答え
朱印状
【解説】
幕府は、勝手に外国と貿易されることを防ぐため、貿易する人に朱印状という証書を与えました。
朱印状を受けた船だけが正式に海外へ行くことを許されました。
この制度によって、幕府は貿易をただ認めるだけではなく、しっかり統制しようとしたのです。
また、貿易で得た利益の一部を幕府に納めさせることで、幕府の収入にもつなげました。

Q3. 朱印状をもって海外に渡った船による貿易を何といいますか。
答え
朱印船貿易
【解説】
朱印船貿易とは、幕府から朱印状を受けた船によって行われた貿易のことです。
主に東南アジアとの間で盛んに行われました。
この貿易によって、日本は東南アジアの国々とつながりを深めました。
江戸時代の初めには、まだ外国との交流が完全に閉ざされていたわけではなく、むしろ幕府が決めたルールのもとで活発な海外貿易が行われていたことをおさえることが大切です。

Q4. 朱印船貿易を通して、日本が主に輸出したものは何ですか。
答え

【解説】
朱印船貿易では、日本から主にが輸出されました。
一方で、日本は明の生糸絹織物などを輸入しました。
当時の日本は銀の産出が多く、銀は外国との貿易で重要な品物でした。
このように、日本は自国の鉱産資源を生かして海外と結びついていたのです。

Q5. 朱印船貿易の結果、東南アジアの港や都市にできた日本人の町を何といいますか。
答え
日本町
【解説】
朱印船貿易によって、多くの日本人が東南アジアへ渡りました。
その結果、ルソン、安南、シャムなどの港や都市には日本町がつくられました。
日本町は、日本人が集まって住み、商売や生活をする場所でした。
これは、当時の日本人が海をこえて広い地域で活躍していたことを示しています。
江戸時代の初めには、日本が意外と国際的なつながりを持っていたことがわかります。

キリスト教の禁止と貿易の変化

Q6. 徳川家康が1612年にまず禁止した宗教は何ですか。
答え
キリスト教
【解説】
徳川家康は、はじめは貿易の利益を重視していましたが、しだいにキリスト教を危険視するようになりました。
その理由は、キリスト教が神への信仰を重んじるため、幕府の支配に従わない人が増えるかもしれないと考えたからです。
また、スペインやポルトガルがキリスト教を広めることをきっかけに、外国が日本に進出してくることも警戒しました。
そのため、1612年にまず幕領で、ついで1613年には全国でキリスト教を禁止しました。

Q7. キリスト教を禁止することを何といいますか。
答え
禁教
【解説】
キリスト教を禁止することを禁教といいます。
幕府は禁教を進めるため、宣教師を国外へ追放し、信者であるキリシタンを厳しく取り締まりました。
この政策の目的は、宗教の自由を認めないことではなく、幕府の支配を安定させることにありました。
江戸幕府にとって大切だったのは、国全体を自分たちの力でしっかり治めることだったのです。

Q8. 幕府がキリスト教を徹底して取り締まる中で、来航を禁止したヨーロッパの国を2つ答えなさい。
答え
スペイン、ポルトガル
【解説】
幕府は禁教を強める中で、まずスペイン船の来航を禁止し、さらに1639年にはポルトガル船の来航も禁止しました。
スペインやポルトガルは、貿易とともにキリスト教の布教も進めていたため、幕府は強く警戒しました。
このことから、幕府は外国との関係をすべて切ったのではなく、キリスト教と結びつきの強い国を特に警戒していたことがわかります。

Q9. 幕府が日本人の海外渡航や、海外からの帰国を禁止した結果、止まった貿易は何ですか。
答え
朱印船貿易
【解説】
幕府は、日本人が海外に出たり、海外に行った日本人が帰国したりすることを禁止しました。
その結果、これまで行われていた朱印船貿易は停止されました。
つまり江戸幕府は、初めは貿易を積極的に利用していましたが、しだいに外国との交流を強く制限する方向へ変わっていったのです。
この変化は、のちの鎖国へつながる大切な流れとして理解しておくとよいです。

島原・天草一揆と幕府の対応

Q10. 1637年、重い年貢の取り立てやキリシタンへの弾圧に抵抗して起こった一揆を何といいますか。
答え
島原・天草一揆
【解説】
島原・天草一揆は、1637年に島原と天草で起こりました。
この一揆の原因は、重い年貢キリシタンへの厳しい弾圧です。
つまり、この一揆は宗教だけが理由ではなく、人々の生活の苦しさも大きく関係していました。
歴史では、一つの出来事にいくつもの原因があることを考えることが大切です。

Q11. 島原・天草一揆の後、領民が仏教徒であることを寺院に証明させる制度を何といいますか。
答え
宗門改め
【解説】
一揆の後、幕府は宗門改めを強化しました。
これは、人々が仏教徒であることを寺院に証明させる制度です。
目的は、キリシタンを見つけ出して取り締まることでした。
この制度によって、幕府は人々の信仰まで細かく調べるようになりました。
つまり、江戸幕府は宗教を通して人々を管理しようとしたのです。

Q12. 宗門改めで作られた帳簿は、後にどのような役割も持つようになりましたか。
答え
結婚・出生・死亡・移転などを記した戸籍としての役割
【解説】
宗門改めで作られた帳簿は、もともとは禁教のためのものでした。
しかし、やがてキリシタンが見つからなくなると、結婚出生死亡移転などを記録する戸籍のような役割も持つようになりました。
このことから、宗教を取り締まるための制度が、しだいに人々の生活全体を把握するための制度へ変わっていったことがわかります。

幕府の対処のまとめ

Q13. 幕府は、盛んになっていた貿易やキリスト教の布教に対して、どのように対処していきましたか。
答え
はじめは朱印船貿易などで貿易を統制しながら進めたが、しだいにキリスト教を禁止し、貿易港や来航国を制限し、日本人の海外渡航も禁じて統制を強めた。
【解説】
江戸幕府は、最初から外国との交流をすべてやめたわけではありません。
はじめは朱印船貿易によって海外貿易を認めつつ、幕府の決まりの中で統制しようとしました。
しかし、キリスト教が幕府の支配にとって危険だと考えるようになると、禁教を進め、宣教師を追放し、来航する国や港も制限しました。
さらに、日本人の海外渡航や帰国も禁止して、外国との関係を強くしぼっていきました。
このように幕府は、貿易の利益国内支配の安定の両方を考えながら、しだいに厳しい統制へ向かったのです。

テスト対策 ポイント
この単元のテーマは、江戸幕府が貿易やキリスト教にどのように対応し、鎖国へ進んでいったのかです。
定期テストでは、朱印船貿易から鎖国に至る流れを、年号・政策・理由と結びつけて問われます。
今日は、出来事を暗記するのではなく、「なぜこの政策が行われたのか」を考えながら整理します。

重要語句の解説

朱印船貿易
【意味】
幕府の許可を受けた船だけが行う貿易です。
【教科書の説明】
幕府は、外国と貿易する大名や豪商に朱印状を与え、海外渡航を許しました。この朱印状をもつ船による貿易を朱印船貿易といいます。
【テストでの聞かれ方】
「幕府が朱印状を出して認めた貿易を何というか」と聞かれたら、朱印船貿易と答えます。

朱印状
【意味】
幕府が出した、貿易の許可証です。
【教科書の説明】
朱印状は、海外への渡航と貿易を許す証書で、収入の一部を幕府に納めさせる目的もありました。
【テストでの聞かれ方】
「朱印船貿易を行うために必要だった幕府の許可証は何か」と聞かれたら、朱印状と答えます。

日本町
【意味】
海外にできた日本人の町です。
【教科書の説明】
朱印船貿易によって多くの日本人が東南アジアに渡り、ルソンやシャムなどの港に日本町がつくられました。
【テストでの聞かれ方】
「朱印船貿易によって東南アジアにつくられた日本人の居住地を何というか」と聞かれたら、日本町と答えます。

キリスト教の禁教
【意味】
キリスト教を禁止することです。
【教科書の説明】
幕府は、キリスト教が支配の妨げになり、外国の侵略のきっかけになると考え、1612年に幕領で、翌年には全国で禁教を行いました。
【テストでの聞かれ方】
「幕府が全国でキリスト教を禁止したことを何というか」と聞かれたら、キリスト教の禁教と答えます。

1624年 スペイン船の来航禁止
【意味】
スペインの船が日本に来ることを禁止した政策です。
【教科書の説明】
幕府は禁教を徹底するため、1624年にスペイン船の来航を禁止しました。
【テストでの聞かれ方】
「1624年に禁止された外国船はどこの国か」と聞かれたら、スペイン船と答えます。

1635年 日本人の海外渡航・帰国を禁止 → 朱印船貿易終了
【意味】
日本人が海外へ行くことや帰ってくることを禁止した政策です。
【教科書の説明】
1635年、幕府は日本人の海外渡航と帰国を禁止し、その結果、朱印船貿易は終わりました
【テストでの聞かれ方】
「朱印船貿易が終わった理由となる政策は何か」と聞かれたら、この内容を書きます。

1635年 外国船の入港を平戸・長崎に限定
【意味】
外国船が入れる港を限った政策です。
【教科書の説明】
幕府は貿易港を管理するため、外国船の入港を平戸と長崎に限定しました。
【テストでの聞かれ方】
「外国船の入港が許された港はどこか」と聞かれたら、平戸・長崎と答えます。

1639年 ポルトガル船の来航禁止
【意味】
ポルトガルの船を日本からしめ出した政策です。
【教科書の説明】
島原・天草一揆の後、幕府は1639年にポルトガル船の来航を禁止しました。
【テストでの聞かれ方】
「鎖国完成のきっかけとなった、1639年に来航を禁止された船は何か」と聞かれたら、ポルトガル船と答えます。

絵踏
【意味】
キリシタンを見つけるための方法です。
【教科書の説明】
役人の前でイエスやマリアの像を踏ませ、信仰を調べる方法を絵踏といいます。
【テストでの聞かれ方】
「キリシタンを発見するために行った方法は何か」と聞かれたら、絵踏と答えます。

島原・天草一揆
【意味】
重い年貢と禁教に反対して起こった一揆です。
【教科書の説明】
1637年、島原・天草地方で、キリシタンへの迫害と厳しい年貢に反対して一揆が起こりました。これを島原・天草一揆といいます。
【テストでの聞かれ方】
「禁教に反対して1637年に起こった一揆は何か」と聞かれたら、島原・天草一揆と答えます。

鎖国
【意味】
外国との関係を厳しく制限した状態です。
【教科書の説明】
日本人の海外渡航を禁止し、外国との貿易を制限した状態を鎖国といいます。
【テストでの聞かれ方】
「日本人の海外渡航を禁止し、貿易を制限した体制を何というか」と聞かれたら、鎖国と答えます。

出島
【意味】
オランダ商館が置かれた人工の島です。
【教科書の説明】
平戸にあったオランダ商館は、1641年に長崎の出島に移されました。
【テストでの聞かれ方】
「鎖国下でオランダ商館が置かれた場所はどこか」と聞かれたら、出島と答えます。

◆ テストに直結する確認
年号が出たら「どの国をしめ出したのか」、用語が出たら「目的は何か」を考えます。
「禁教」「貿易の制限」という言葉が見えたら、鎖国へ向かう流れの中の出来事かどうかを確認することが、得点につながります。
授業
今日は江戸時代初期の「朱印船貿易から貿易統制へ」の流れを学習します。
ポイントは、幕府が貿易を利用して利益を得ようとしつつ、同時に支配を守るためにキリスト教を警戒し、だんだん統制を強めていったことです。
この単元は、あとで出てくる鎖国の理解につながります。

時代背景 なぜ貿易が重要だったのか
戦国時代から安土桃山時代にかけて、日本は海外との交流が増えました。鉄砲や新しい文化、そして海外との貿易利益が大きかったからです。
しかし、江戸幕府は全国を安定して支配し続ける必要がありました。
そのため幕府は、ただ自由に貿易をさせるのではなく、貿易を管理しながら利益を得る方法を考えます。
また、海外勢力の動きも重要です。
17世紀ごろのヨーロッパでは、アジアに進出して貿易を広げようとする国が増えました。日本にとっては、貿易は魅力ですが、同時に侵略の心配も出てきます。

東南アジアと朱印船貿易のしくみ
まず、徳川家康は、海外との関係を整えようとしました。
朝鮮との国交回復では、朝鮮と交流のあった対馬宗氏に交渉を命じています。ここはテストで問われやすいです。
次に、家康は貿易を「自由に任せる」のではなく、「幕府の許可制」にして管理しました。
その中心が朱印船貿易です。
朱印状は、海外渡航を許す証書で、これを持つ船が朱印船です。
そして幕府は、朱印状をもらった大名や豪商から収入の一部を納めさせることで利益も得ました。
つまり朱印船貿易は、利益統制を同時にねらった仕組みです。ここが重要です。
さらに、幕府は東南アジアの国々に「朱印船の安全を保証してほしい」と求めました。これは、幕府が国として貿易の安全を確保しようとした動きです。

貿易で何を輸入し、何を輸出したのか
貿易では、幕府は明と正式な貿易ができない状況でも、明の生糸絹織物などを輸入しました。
輸入品の代表が生糸絹織物、輸出の代表がです。
テストでは「日本は何を輸出したか」「何を輸入したか」が定番です。
また、朱印船貿易が進むと、多くの日本人が東南アジアに渡りました。
ルソン・安南・シャムなどの港や都市には日本町ができました。これも語句として重要です。
国内では、外国人居住区として唐人町が各地に成立していました。
ここで押さえたいのは、貿易が盛んになるほど、人の移動や外国文化の入り方も増える、という点です。幕府にとっては便利でもあり、同時に不安の種にもなります。

キリスト教の禁止と貿易統制 幕府の考え方
次に大きな転換点がキリスト教です。
家康は初め、キリスト教の影響よりも貿易の利益を優先していました。
しかし、幕府は次第にキリスト教を危険だと考えるようになります。理由は2つです。
1つ目は、神への信仰を重んじるキリスト教が、幕府の支配の妨げになると考えたことです。
2つ目は、スペインやポルトガルが、布教をきっかけに侵略する可能性があると考えたことです。
その結果、1612年に幕領で、翌13年に全国でキリスト教を禁止します。これが禁教です。年号が出るので要注意です。
さらに宣教師を追放し、キリシタンを迫害しました。
そして幕府は禁教を徹底するために、貿易港を制限し、スペイン船の来航禁止、キリシタンの捜索、日本人の海外渡航と帰国の禁止へと進めます。
その結果、朱印船貿易も停止されます。
ここで重要なのは、「貿易=利益」だけでなく、「貿易=支配をゆるがす危険」もあると幕府が考えた点です。幕府の最優先は国内の安定です。

島原・天草一揆と宗門改め
禁教が進むなかで起きた大事件が、1637年の島原・天草一揆です。
場所は島原(長崎県)と天草(熊本県)で、キリシタンが多かった地域です。
原因は、重い年貢の取り立てと、キリシタンへの厳しい弾圧です。ここもセットで覚えます。
徳川家光は大軍を送ってようやくしずめ、1639年にはポルトガル船の来航も禁止しました。
この流れから、幕府がキリスト教と結びついた勢力を非常に警戒し、さらに統制を強めたことが分かります。
そして一揆のあと強化されたのが宗門改めです。
領民が仏教徒であることを寺院に証明させる仕組みで、もともとは禁教のためにつくられた帳簿が使われました。
やがてキリシタンが見つからなくなると、結婚・出生・死亡・移転などを記す戸籍としても用いられました。
ここでの理解ポイントは、幕府が「宗教の確認」を通して、人々を把握し、支配を安定させる仕組みに変えていったことです。

まとめ テストに出るポイント確認
今日の重要語句を確認します。
朱印船貿易:幕府が朱印状で海外渡航を許可し、利益と統制をねらった貿易
輸入:明の生糸絹織物 輸出:主に
日本町:東南アジア各地にできた日本人の町 唐人町:国内の外国人居住区
禁教:1612年(幕領)→翌13年(全国)でキリスト教を禁止
島原・天草一揆:1637年、重い年貢+弾圧への抵抗
宗門改め:寺院に仏教徒であることを証明させる、のちに戸籍にも利用
最後に覚えてほしい考え方は、幕府は利益よりも支配の安定を優先し、そのために貿易や宗教を統制した、という点です。