歴史教科書 108ページ 2 大航海時代の幕開け

資料
学習課題
ヨーロッパの人々の進出によって、世界はどのように変化したのだろうか。

アジアの香辛料を求めて
古代や中世のヨーロッパの人々にとって、香辛料や絹織物などのアジアの産物は貴重品でした。
なかでも香辛料は、インドや東南アジアが産地でしたが、ヨーロッパに届くまでに西アジアのイスラム商人をはじめ、
さまざまな商人の手を経ていたため、値段が高くなりがちでした。
15世紀になると、ヨーロッパの人々は、直接インドや中国と香辛料などの取り引きをするために、当時の科学や技術の進歩を生かして新たな航路を開拓しようと考えるようになりました。
その先頭を切ったのは、15世紀後半にイベリア半島のすべてをイスラム勢力から奪還した、ポルトガルとスペインでした。
これらの国々は、貿易で利益を得ることだけでなく、イスラム勢力に対抗してキリスト教を世界に広めることも目指しました。

ヨーロッパ人の新航路開拓
スペインの援助を受けたコロンブスは、西に進めばイスラム教の国々を通らずインドなどのアジアに着くと考えて出航し、1492年にアメリカ大陸に連なる西インド諸島に到達しました。
その後、ポルトガルのバスコ=ダ=ガマが1498年にアフリカ南端の喜望峰を回ってインドに到達し、アジアへの航路が開かれました。
アメリカ大陸の沿岸の探検が進められた後、スペインが派遣したマゼランの一行はアメリカ大陸の南端を回って西に向かい、1522年、世界一周に初めて成功しました。
これにより、地球が球体であることが証明されました。ヨーロッパ人による新航路の開拓が続いたこの時代を大航海時代といいます。
アメリカ大陸とアジアやヨーロッパ・アフリカとの間で、各地の動植物や産物、病気などが、互いに急速に広まりました。

アメリカ大陸の文明
ヨーロッパ船がやって来る前のアメリカ大陸では、先住民が気候や地形を利用して、とうもろこしやじゃがいも、豆類などを栽培する農耕文化を古くから営んでいました。
彼らは紀元前1200年ごろから独自の文明を築き、15世紀には、現在のメキシコを中心にアステカ王国が急速に領土を拡大したほか、現在のペルーを中心にインカ帝国が支配を広げました。
これらの文明では太陽が信仰され、優れた石造建築技術を用いて神殿などの建造物がつくられました。
物事の記録には、アステカ王国などでは絵文字が、インカ帝国では縄を使ったキープという方法が用いられました。
馬や鉄器は知られていませんでしたが、このように、アメリカ大陸には独自の文明が存在しました。

世界に乗り出すヨーロッパ諸国
ポルトガルは、インドのゴアやマレー半島のマラッカに拠点を置き、香辛料の重要な産地である東南アジアのマルク諸島にも到達しました。
カリブ海の島々やアメリカ大陸に進出したスペインは、アステカ王国やインカ帝国を征服して広大な植民地を築くと、先住民を銀などの鉱山や、砂糖の原料となるさとうきびなどの大農園で働かせました。
厳しい労働や伝染病により先住民が激減すると、アフリカから奴隷を連れてきて働かせました。
また、16世紀後半には、フィリピンのマニラを拠点にしてアメリカ大陸とアジアを結ぶ貿易にも乗り出すなど、繁栄しました。
しかし、スペイン領のなかで商工業が発達していた地域の人々が独立してオランダを建国し、17世紀にはアジアなど海外との貿易や農園開発も推し進めたことから、ヨーロッパの商工業や金融の中心はオランダに移っていきました。

世界の一体化の始まり
このように新航路が開拓され、ヨーロッパ人が世界各地に進出したことなどから、16世紀には貿易が世界的に盛んになり、各地を結びつけました。
また、アメリカ大陸やカリブ海の島々で、ヨーロッパの人々の都合による開発が進むにつれ、ヨーロッパの人々の貿易の中心も地中海から大西洋に移りました。
ヨーロッパとアメリカの社会は、ヨーロッパに有利なかたちで結びついていきました。

解説 植民地
ほかの国(本国)に支配された地域を植民地といいます。
植民地となった地域では、政治や外交などの権利が本国に奪われ、本国から移り住んだ人々によって土地や資源が開発されました。
授業 / アジアの香辛料を求めて
今日は、ヨーロッパの人々がなぜ遠い海へ出ていったのか、
そして「大航海時代」がどのように始まったのかを学びます。

まず、古代や中世のヨーロッパの人々にとって、
香辛料や絹織物などのアジアの産物は、とても貴重なものでした。

香辛料は、料理の味を良くするだけでなく、
肉の保存や、薬としても使われていました。
そのため、香辛料は「生活に欠かせない高級品」だったのです。

しかし、香辛料の産地であるインドや東南アジアから、
ヨーロッパに届くまでには大きな問題がありました。

それは、香辛料がヨーロッパに届くまでに、
西アジアのイスラム商人をはじめ、
多くの商人の手を何度も通っていたことです。

そのたびに値段が上がり、
ヨーロッパに届くころには、とても高価になっていました。

15世紀になると、ヨーロッパの人々は考えました。
「イスラム商人を通さず、直接アジアと取引できないだろうか」と。

ちょうどこのころ、
羅針盤や地図づくり、船の技術など、
科学や技術が大きく進歩していました。

この技術を使えば、
これまで知られていなかった海の道を進めるかもしれない、
そう考えるようになったのです。

この新しい航路開拓の先頭に立ったのが、
ポルトガルとスペインでした。

では、なぜポルトガルとスペインだったのでしょうか。

この2つの国は、15世紀後半まで、
イベリア半島でイスラム勢力と戦ってきました。
この戦いを「レコンキスタ」といいます。

長い戦いの末、
ポルトガルとスペインは、
イスラム勢力をイベリア半島から追い出すことに成功しました。

そのため、人々の心の中には、
「イスラム勢力に対抗する」という強い意識が残っていました。

そこで、ポルトガルとスペインは、
ただ貿易で利益を得るだけでなく、
キリスト教を世界に広めることも目標にしました。

つまり、大航海の目的は2つありました。

1つ目は、香辛料などを手に入れて、国を豊かにすること。
2つ目は、イスラム勢力に対抗し、キリスト教を広めることです。

このように、
経済的な理由と宗教的な理由が合わさって、
ポルトガルとスペインは海へ乗り出していきました。

これが、のちに「大航海時代」とよばれる時代の始まりです。

このあと、ヨーロッパの人々は、
アジアだけでなく、アメリカ大陸にも進出し、
世界の歴史を大きく変えていくことになります。

次の授業では、
コロンブスやバスコ=ダ=ガマたちが、
実際にどのような航海を行ったのかを見ていきましょう。

今日はここまでです。
授業 / ヨーロッパ人の新航路開拓
今日は、ヨーロッパの人々が新しい海の道を切り開いた
「新航路開拓」と「大航海時代」について学びます。

15世紀のヨーロッパでは、
香辛料や金・銀を求めて、
遠いアジアへ直接行きたいという考えが強まっていました。

その理由は、
これまでのアジアとの貿易が、
イスラム教の国々や商人を通して行われていたため、
品物の値段がとても高くなっていたからです。

そこでヨーロッパの人々は、
「海を使って、直接アジアへ行こう」と考えるようになりました。

この新しい挑戦の最初の大きな出来事が、
コロンブスの航海です。

スペインの援助を受けたコロンブスは、
「地球は球体だから、西に進めば東のアジアに着くはずだ」と考えました。

この考えは正しくありませんでしたが、
当時としてはとても新しい発想でした。

1492年、コロンブスは西へ向かって出航し、
アジアではなく、アメリカ大陸につながる西インド諸島に到達しました。

これが、ヨーロッパ人による、アメリカ大陸への到達です。

次に活躍したのが、ポルトガルのバスコ=ダ=ガマです。

ポルトガルは、
アフリカ大陸の海岸線を少しずつ調べながら、
アジアへの航路を探していました。

1498年、バスコ=ダ=ガマは、
アフリカ南端の喜望峰を回り、
インドに到達することに成功しました。

これによって、
ヨーロッパからアジアへ直接向かう海の道が開かれました。

この航路は、
ポルトガルに大きな利益をもたらしました。

その後、アメリカ大陸の海岸線の探検が進められ、
さらに大きな航海が行われます。

それが、マゼランの航海です。

スペインが派遣したマゼランの一行は、
アメリカ大陸の南端を回り、
西へ西へと進み続けました。

マゼラン自身は途中で亡くなりましたが、
部下たちが航海を続け、
1522年、世界一周に初めて成功しました。

この出来事によって、
地球が球体であることが、
実際の航海によって証明されました。

このように、
ヨーロッパ人が新しい航路を次々に切り開いた時代を、
「大航海時代」といいます。

大航海時代によって、
世界は大きく変わりました。

アメリカ大陸と、
アジア・ヨーロッパ・アフリカの間で、
人や物の行き来が急速に増えました。

とうもろこしやじゃがいもなどの作物、
家畜、そして病気までもが、
世界中に広がっていきました。

このようにして、
それまで別々だった地域が、
一つの世界として結びついていったのです。

次の授業では、 この大航海が、
植民地支配や人々の生活にどのような影響を与えたのかを学んでいきましょう。

今日はここまでです。
授業 / アメリカ大陸の文明
今日は、ヨーロッパ人が来る前の
アメリカ大陸の文明について学びます。

アメリカ大陸には、
ヨーロッパ人が到来するはるか以前から、
先住民による高度な文明が存在していました。

先住民たちは、
その土地の気候や地形を上手に利用し、
とうもろこしやじゃがいも、豆類などを栽培する
農耕文化を営んでいました。

これらの作物は、
後に世界中に広がり、
多くの人々の食生活を支えることになります。

アメリカ大陸では、
紀元前1200年ごろから、
独自の文明が少しずつ発展していきました。

15世紀になると、
現在のメキシコを中心に、
アステカ王国が急速に勢力を広げました。

アステカ王国は、強い軍隊で周囲の地域を従わせ、
支配した人々から食べ物や品物を定期的に納めさせることで、
国を大きくしました。

一方、現在のペルーを中心とした地域では、
インカ帝国が広大な領土を治めていました。

インカ帝国は、
山が多いアンデス地方で、
段々畑をつくり農業を行っていました。

これらの文明では、
太陽が特に重要な神として信仰されていました。

太陽は、農作物の成長や人々の生活に欠かせない存在だったため、
神としてあがめられていたのです。

また、アステカ王国やインカ帝国では、
優れた石造建築技術が発達していました。

巨大な神殿や都市が、
石を積み上げてつくられ、
今も遺跡として残っています。

文字や記録の方法も、
それぞれの文明で工夫されていました。

アステカ王国などでは、
絵文字を使って、
出来事や税の記録を残していました。

一方、インカ帝国では、
文字を持たず、
縄の結び目で数量や情報を表す
「キープ」という方法が使われていました。

これは、文字がなくても国を治めることができた、
高度な仕組みだったと言えます。

しかし、これらの文明には、
馬や鉄器が存在していませんでした。

武器や道具は、
石や木、青銅などで作られていました。

このことは、
後にヨーロッパ人がやって来たとき、
大きな影響を与えることになります。

このように、アメリカ大陸には、
ヨーロッパとは異なる形で発展した、
立派で独自の文明が存在していたのです。

次の授業では、ヨーロッパ人の到来が、
これらの文明にどのような変化をもたらしたのかを
学んでいきましょう。

大航海時代と新航路の開拓

Q1. 古代や中世のヨーロッパの人々にとって、貴重品とされていたアジアの産物を2つ答えなさい。
答え
香辛料、絹織物
【解説】
古代や中世のヨーロッパでは、アジアでとれる香辛料絹織物がとても高く評価されていました。
香辛料は、料理の味つけだけでなく、肉や魚のにおいをおさえたり、保存に役立てたりするためにも使われました。
そのため、当時のヨーロッパの人々にとって香辛料は生活に役立つ貴重品でした。
また、絹織物は美しく高級な布として人気があり、王や貴族が求めました。
このようなアジアの産物を手に入れたいという気持ちが、のちの新航路開拓につながっていきます。

Q2. 15世紀にヨーロッパの人々が新たな航路を開拓しようとした主な目的は何ですか。
答え
直接インドや中国と香辛料などの取り引きをするため。
【解説】
当時、アジアの産物はヨーロッパに届くまでに、西アジアのイスラム商人など多くの商人の手を通っていました。
そのため、品物の値段がどんどん高くなっていました。
そこでヨーロッパの人々は、商人を何人も通さずに、アジアと直接貿易をするため、新しい海の道を探そうとしました。
これが新航路開拓の大きな目的です。
また、背景には羅針盤造船技術など、科学や技術の進歩もありました。

Q3. 15世紀後半、イベリア半島からイスラム勢力を追い出し、新航路開拓の先頭に立った2つの国はどこですか。
答え
ポルトガル、スペイン
【解説】
新航路開拓の中心となったのは、ポルトガルスペインです。
この2つの国は、イベリア半島でイスラム勢力との長い戦いを終えたあと、海外進出に力を入れるようになりました。
彼らの目的は、ただ貿易で利益を得ることだけではありませんでした。
キリスト教を広めることも大きな目的の一つでした。
このように、当時の海外進出には、経済と宗教の両方の理由があったことをおさえることが大切です。

ヨーロッパ人の新航路開拓

Q4. スペインの援助を受けて西へ進み、1492年に西インド諸島に到達した人物は誰ですか。
答え
コロンブス
【解説】
コロンブスは、西へ進めばアジアに着くと考えて航海に出ました。
そして1492年に、アメリカ大陸に連なる西インド諸島に到達しました。
当時のコロンブスは、そこをアジアの一部だと思っていました。
この航海は、ヨーロッパの人々にとってアメリカ大陸との本格的な接触のきっかけとなりました。
コロンブスはアメリカ大陸そのものに上陸した人物としてよりも、ヨーロッパとアメリカ世界を本格的に結びつけるきっかけをつくった人物として重要です。

Q5. 1498年にアフリカ南端の喜望峰を回ってインドに到達し、アジアへの航路を開いた人物は誰ですか。
答え
バスコ=ダ=ガマ
【解説】
バスコ=ダ=ガマはポルトガルの航海者で、1498年にアフリカ南端の喜望峰を回ってインドに到達しました。
これによって、ヨーロッパからアジアへ海路で直接向かう道が開かれました。
この航路は、ヨーロッパの人々がアジアと直接貿易を行ううえでとても重要でした。
特にポルトガルは、この航路を利用してインド洋や東南アジアに進出していきました。

Q6. 1522年、世界一周に初めて成功した航海を行った一行を率いた人物は誰ですか。
答え
マゼラン
【解説】
マゼランの一行は、スペインの命令で西回りの航路を探しました。
その結果、アメリカ大陸南端を回って太平洋へ進み、1522年に世界一周を成しとげました。
マゼラン自身は航海の途中で亡くなりましたが、一行が航海を続けて帰国したため、世界一周成功とされます。
この航海によって、地球が実際に球体であることが証明されました。
これは人々の世界の見方を大きく変えた出来事です。

Q7. ヨーロッパ人による新航路の開拓が続いた時代を何といいますか。
答え
大航海時代
【解説】
15世紀末から16世紀ごろにかけて、ヨーロッパ人が次々と新しい航路を開いた時代を大航海時代といいます。
この時代には、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカが海を通して急速に結びついていきました。
その結果、世界の交流が広がり、世界の一体化が始まりました。
一方で、ヨーロッパ人による支配や侵略も広がっていき、後の植民地支配にもつながりました。

アメリカ大陸の文明と変化

Q8. ヨーロッパ人が来る前のアメリカ大陸で栽培されていた作物を2つ答えなさい。
答え
とうもろこし、じゃがいも(ほかに豆類でもよい)
【解説】
アメリカ大陸では、先住民が気候や地形に合わせて、とうもろこしじゃがいも豆類などを栽培していました。
これらは先住民の生活を支える重要な作物でした。
特にじゃがいもは、のちにヨーロッパへ伝わり、多くの人々の食生活を変えるほど重要な作物になりました。
このように、大航海時代には人だけでなく、作物動植物も世界中に広がっていったことが重要です。

Q9. 15世紀ごろ、現在のメキシコを中心に栄えた王国と、現在のペルーを中心に栄えた帝国をそれぞれ答えなさい。
答え
アステカ王国、インカ帝国
【解説】
アメリカ大陸には、ヨーロッパ人が来る前から高度な文明がありました。
現在のメキシコを中心に栄えたのがアステカ王国、現在のペルーを中心に栄えたのがインカ帝国です。
これらの文明では、太陽を信仰し、すぐれた石造建築によって神殿などがつくられました。
また、アステカでは絵文字、インカではキープという方法で記録が行われました。
馬や鉄器を知らなかったとしても、それだけで文明が遅れていたとはいえません。
それぞれの地域に合わせた独自の文明が発達していたことが大切です。

Q10. インカ帝国で物事の記録に使われた、縄を用いた方法を何といいますか。
答え
キープ
【解説】
キープは、縄の結び目や色の違いを利用して、数や情報を記録する方法です。
文字とはちがう方法ですが、インカ帝国ではこれを用いて税や人口などを管理していたと考えられています。
このことから、インカ帝国がしっかりとした支配のしくみを持っていたことがわかります。
教科書では、文明というと文字ばかりに注目しがちですが、地域ごとにちがう方法で記録や統治が行われていたことを理解することが大切です。

世界に乗り出すヨーロッパ諸国

Q11. ポルトガルがインドで拠点を置いた都市はどこですか。
答え
ゴア
【解説】
ポルトガルはインドのゴアに拠点を置き、アジア貿易を進めました。
また、マレー半島のマラッカにも拠点をつくり、香辛料の産地へ向かう海の道をおさえようとしました。
このようにポルトガルは、広い土地を支配するよりも、港や海上交通の要所をおさえることで利益を得ようとしました。
これはポルトガルの海外進出の大きな特色です。

Q12. スペインが征服して植民地にした、アメリカ大陸の2つの文明を答えなさい。
答え
アステカ王国、インカ帝国
【解説】
スペインはアメリカ大陸に進出し、アステカ王国インカ帝国を征服しました。
その後、広大な植民地を築きました。
植民地では、先住民が銀の鉱山やさとうきびを育てる大農園で働かされました。
さらに、厳しい労働や伝染病によって先住民の人口が大きく減りました。
このためスペインなどは、アフリカから多くの人々を奴隷として連れてきて働かせました。
このことは、大航海時代が明るい面だけでなく、支配差別人権の侵害をともなっていたことを示しています。

Q13. 16世紀後半、スペインがアメリカ大陸とアジアを結ぶ貿易の拠点とした都市はどこですか。
答え
マニラ
【解説】
スペインはフィリピンのマニラを拠点として、アメリカ大陸とアジアを結ぶ貿易を進めました。
この貿易によって、銀や中国の絹製品などが広く行き来しました。
マニラは、アジアとアメリカを結ぶ重要な中継地となりました。
このことからも、大航海時代には地域ごとの交流ではなく、世界規模のつながりが生まれていたことがわかります。

Q14. 17世紀にアジアなどとの貿易や農園開発を進め、ヨーロッパの商工業や金融の中心となった国はどこですか。
答え
オランダ
【解説】
17世紀には、海外貿易や農園開発を進めたオランダが大きく発展しました。
もともとオランダはスペイン領の一部でしたが、独立して国をつくりました。
その後、アジアとの貿易や金融業で力をつけ、ヨーロッパの商工業金融の中心となっていきました。
ここから、ヨーロッパの経済の中心が、これまでの地中海沿岸から大西洋沿岸へ移っていったことがわかります。

世界の一体化と植民地

Q15. 新航路の開拓とヨーロッパ人の世界進出によって、16世紀にどのような変化が起こりましたか。
答え
貿易が世界的に盛んになり、各地が結びついた。
【解説】
新航路が開かれたことで、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカが海によって結ばれ、世界規模の貿易が発達しました。
これを教科書では世界の一体化の始まりと考えます。
それまで地域ごとに行われていた交流が、広い範囲でつながるようになったのです。
一方で、この結びつきは対等なものではなく、ヨーロッパに有利な形で進むことが多く、のちの植民地支配の基礎になりました。

Q16. ほかの国(本国)に支配された地域を何といいますか。
答え
植民地
【解説】
植民地とは、ほかの国、つまり本国に支配された地域のことです。
植民地になると、その地域の人々は政治外交などの大切な権利をうばわれます。
さらに、本国から来た人々によって土地や資源が開発され、本国の利益のために利用されることが多くありました。
つまり植民地支配とは、ただ土地を持つことではなく、その地域の人々の生活や権利まで支配することです。
歴史を学ぶときは、貿易や発見の面だけでなく、その裏にある支配される側の苦しみにも目を向けることが大切です。

暗記ソング / 大航海時代
香辛料 絹織物
アジアの宝は 超高級
インド 東南 アジア
イスラム商人 通るたび
値段は どんどん 上がってく

15世紀に 考えた
直接いこう 海の道
科学と 技術 追い風だ
新航路 切り開け

コロンブス! 1492年
西へ進んで 新大陸
マゼラン! 1522年
世界はつながる 世界 一周
バスコ・ダ・ガマ! 1498年
喜望峰 越えてインドへ
大航海時代 スタートだ!

イベリア 半島
取り返した レコンキスタ
ポルトガル スペインが
先頭切って 海へ出た

キリスト教を 広めたい
イスラム勢力 乗り越えて
香辛料 求めて
世界へ船が 走り出す

アメリカには 文明が
トウモロコシ ジャガイモ
アステカ インカ 太陽信仰
石の神殿 そびえ立つ
絵文字と キープで
記録を残した 知恵の国
馬も鉄も なくたって
独自の文化 生きていた

ポルトガルは インドの ゴア
マレー半島の マラッカ
マルク諸島 占領し 港を押さえる

スペインは 銀と砂糖で 大もうけ
今のメキシコ アステカ王国
今のペルー インカ帝国
征服されて 植民地
奴隷の歴史 忘れない

オランダ登場 17世紀
貿易中心 地中海から 大西洋
世界は ひとつに 結ばれた
ヨーロッパ 有利の 世界へと
テスト対策 ポイント
今回の単元のテーマは、大航海時代です。
ヨーロッパの人々が新しい航路を開き、世界へ進出したことで、世界のつながりが大きく変化しました。
定期テストでは、
・なぜヨーロッパの国々が海へ進出したのか
・誰が、どこへ到達したのか
・アメリカ大陸やアジア、ヨーロッパの関係がどう変わったのか
が、重要語句とセットで問われます。
今日は、問題集(PDF)で赤字になっている語句を中心に、「意味が分かる」ことを目標にします。

◆ 重要語句の解説① ヨーロッパ人の進出の理由と時代

◆ 香辛料
【意味】 食べ物の味や香りをつけるための産物です。
【教科書の説明】 香辛料は、インドや東南アジアが産地で、古代や中世のヨーロッパでは貴重品でした。多くの商人を経由して運ばれたため、値段が高くなりました。
【テストでの聞かれ方】 「ヨーロッパの人々が新航路を開こうとした理由の一つである、アジアの貴重な産物は何か」と聞かれたら、香辛料と答えます。

◆ 大航海時代
【意味】 ヨーロッパ人が新航路を開拓して、世界に進出した時代のことです。
【教科書の説明】 15世紀から、ポルトガルやスペインを中心に、新しい航路の開拓が進められました。この時代を大航海時代といいます。
【テストでの聞かれ方】 「ヨーロッパ人が新航路を開拓して世界に進出した時代を何というか」と聞かれたら、大航海時代と答えます。

◆ ポルトガル
【どのような国か】 大航海時代に新航路開拓を進めた国です。
【教科書の説明】 ポルトガルは、アフリカ南端の喜望峰を回ってインドへ到達する航路を開き、アジア貿易を進めました。
【テストでの聞かれ方】 「インド航路を開拓し、アジア貿易を進めた国はどこか」と聞かれたら、ポルトガルと答えます。

◆ スペイン
【どのような国か】 大航海時代に海外進出を進めた国です。
【教科書の説明】 スペインはアメリカ大陸に進出し、広大な植民地を築きました。また、フィリピンのマニラを拠点に貿易を行いました。
【テストでの聞かれ方】 「アメリカ大陸に進出し、植民地を築いた国はどこか」と聞かれたら、スペインと答えます。

◆ 重要語句の解説② 新航路を開いた人物

◆ コロンブス
【どのような人物か】 西に進んでアジアを目指した人物です。
【教科書の説明】 スペインの援助を受け、1492年に出航し、西インド諸島に到達しました。
【テストでの聞かれ方】 「15世紀に西インド諸島に到達した人物は誰か」と聞かれたら、コロンブスと答えます。

◆ バスコ=ダ=ガマ
【どのような人物か】 アフリカ南端を回る航路を開いた人物です。
【教科書の説明】 1498年にアフリカ南端の喜望峰を回り、インドに到達しました。
【テストでの聞かれ方】 「アフリカ大陸南端の喜望峰を通るインド航路を開拓した人物は誰か」と聞かれたら、バスコ=ダ=ガマと答えます。

◆ マゼラン
【どのような人物か】 世界一周を成しとげた船隊を率いた人物です。
【教科書の説明】 スペインが派遣した船隊が、1522年に世界一周に成功しました。
【テストでの聞かれ方】 「16世紀前半に世界一周を達成したのは、誰が率いた船隊か」と聞かれたら、マゼランと答えます。

◆ 重要語句の解説③ アメリカ大陸の文明

◆ アステカ王国
【意味】 アメリカ大陸にあった王国です。
【教科書の説明】 現在のメキシコを中心に、15世紀に勢力を広げました。
【テストでの聞かれ方】 「現在のメキシコを中心に栄えた王国は何か」と聞かれたら、アステカ王国と答えます。

◆ インカ帝国
【意味】 南アメリカにあった帝国です。
【教科書の説明】 現在のペルーを中心に支配を広げました。
【テストでの聞かれ方】 「現在のペルーを中心に栄えた帝国は何か」と聞かれたら、インカ帝国と答えます。

◆ 農耕文化
【意味】 農作物を育てる生活のしかたです。
【教科書の説明】 アメリカ大陸では、とうもろこしやじゃがいも、豆類などを栽培していました。
【テストでの聞かれ方】 「アメリカ大陸で行われていた、とうもろこしなどの栽培を中心とした生活を何というか」と聞かれたら、農耕文化と答えます。

◆ 石造建築技術
【意味】 石を使って建物をつくる技術です。
【教科書の説明】 神殿などが、優れた石造建築技術によってつくられました。
【テストでの聞かれ方】 「アステカ王国やインカ帝国で用いられた建築の技術は何か」と聞かれたら、石造建築技術と答えます。

◆ 絵文字
【意味】 絵で物事を表す記録方法です。
【教科書の説明】 アステカ王国などでは、物事の記録に絵文字が使われました。
【テストでの聞かれ方】 「アステカ王国で用いられた記録の方法は何か」と聞かれたら、絵文字と答えます。

◆ キープ
【意味】 縄を使った記録の方法です。
【教科書の説明】 インカ帝国では、縄を使ったキープという方法で記録を行いました。
【テストでの聞かれ方】 「インカ帝国で用いられた記録方法は何か」と聞かれたら、キープと答えます。

◆ 重要語句の解説④ 植民地化と貿易

◆ アメリカが植民地に
【意味】 他の国に支配されることです。
【教科書の説明】 スペインはアステカ王国やインカ帝国を征服し、アメリカ大陸を植民地化しました。
【テストでの聞かれ方】 「スペインがアメリカ大陸で行った支配の形を何というか」と聞かれたら、植民地と答えます。

◆ 銀山
【意味】 銀を採掘する場所です。
【教科書の説明】 植民地では銀山が開発され、銀がヨーロッパへ送られました。
【テストでの聞かれ方】 「アメリカ大陸の植民地で開発された鉱山は何か」と聞かれたら、銀山と答えます。

◆ プランテーション
【意味】 大規模な農園のことです。
【教科書の説明】 砂糖の原料となるさとうきびなどを育てる大農園がつくられました。
【テストでの聞かれ方】 「アメリカ大陸の植民地で行われた、大規模な農園を何というか」と聞かれたら、プランテーションと答えます。

◆ 三角貿易
【意味】 三つの地域を結ぶ貿易です。
【教科書の説明】 アフリカから奴隷、アメリカ大陸から銀や砂糖、ヨーロッパから武器や雑貨が運ばれました。
【テストでの聞かれ方】 「アフリカ・アメリカ大陸・ヨーロッパを結んだ貿易を何というか」と聞かれたら、三角貿易と答えます。

◆ オランダ(17世紀)
【意味】 17世紀に商業で栄えた国です。
【教科書の説明】 スペインから独立し、17世紀に東インド会社を設立して、ヨーロッパの商業や金融の中心となりました。
【テストでの聞かれ方】 「17世紀に東インド会社を設立し、商業の中心となった国はどこか」と聞かれたら、オランダと答えます。

◆ テスト直結の確認まとめ
問題文に、
「15世紀」「新航路」「世界に進出」→ 大航海時代
「西インド諸島」「1492年」→ コロンブス
「喜望峰」「インド航路」→ バスコ=ダ=ガマ
「世界一周」→ マゼラン
「メキシコ」「ペルー」→ アステカ王国・インカ帝国
「銀・砂糖・奴隷」→ 三角貿易
と、結びつけて考えることが大切です。