学習課題
ヨーロッパの人々の進出によって、世界はどのように変化したのだろうか。
アジアの香辛料を求めて
古代や中世のヨーロッパの人々にとって、香辛料や絹織物などのアジアの産物は貴重品でした。
なかでも香辛料は、インドや東南アジアが産地でしたが、ヨーロッパに届くまでに西アジアのイスラム商人をはじめ、
さまざまな商人の手を経ていたため、値段が高くなりがちでした。
15世紀になると、ヨーロッパの人々は、直接インドや中国と香辛料などの取り引きをするために、当時の科学や技術の進歩を生かして新たな航路を開拓しようと考えるようになりました。
その先頭を切ったのは、15世紀後半にイベリア半島のすべてをイスラム勢力から奪還した、ポルトガルとスペインでした。
これらの国々は、貿易で利益を得ることだけでなく、イスラム勢力に対抗してキリスト教を世界に広めることも目指しました。
ヨーロッパ人の新航路開拓
スペインの援助を受けたコロンブスは、西に進めばイスラム教の国々を通らずインドなどのアジアに着くと考えて出航し、1492年にアメリカ大陸に連なる西インド諸島に到達しました。
その後、ポルトガルのバスコ=ダ=ガマが1498年にアフリカ南端の喜望峰を回ってインドに到達し、アジアへの航路が開かれました。
アメリカ大陸の沿岸の探検が進められた後、スペインが派遣したマゼランの一行はアメリカ大陸の南端を回って西に向かい、1522年、世界一周に初めて成功しました。
これにより、地球が球体であることが証明されました。ヨーロッパ人による新航路の開拓が続いたこの時代を大航海時代といいます。
アメリカ大陸とアジアやヨーロッパ・アフリカとの間で、各地の動植物や産物、病気などが、互いに急速に広まりました。
アメリカ大陸の文明
ヨーロッパ船がやって来る前のアメリカ大陸では、先住民が気候や地形を利用して、とうもろこしやじゃがいも、豆類などを栽培する農耕文化を古くから営んでいました。
彼らは紀元前1200年ごろから独自の文明を築き、15世紀には、現在のメキシコを中心にアステカ王国が急速に領土を拡大したほか、現在のペルーを中心にインカ帝国が支配を広げました。
これらの文明では太陽が信仰され、優れた石造建築技術を用いて神殿などの建造物がつくられました。
物事の記録には、アステカ王国などでは絵文字が、インカ帝国では縄を使ったキープという方法が用いられました。
馬や鉄器は知られていませんでしたが、このように、アメリカ大陸には独自の文明が存在しました。
世界に乗り出すヨーロッパ諸国
ポルトガルは、インドのゴアやマレー半島のマラッカに拠点を置き、香辛料の重要な産地である東南アジアのマルク諸島にも到達しました。
カリブ海の島々やアメリカ大陸に進出したスペインは、アステカ王国やインカ帝国を征服して広大な植民地を築くと、先住民を銀などの鉱山や、砂糖の原料となるさとうきびなどの大農園で働かせました。
厳しい労働や伝染病により先住民が激減すると、アフリカから奴隷を連れてきて働かせました。
また、16世紀後半には、フィリピンのマニラを拠点にしてアメリカ大陸とアジアを結ぶ貿易にも乗り出すなど、繁栄しました。
しかし、スペイン領のなかで商工業が発達していた地域の人々が独立してオランダを建国し、17世紀にはアジアなど海外との貿易や農園開発も推し進めたことから、ヨーロッパの商工業や金融の中心はオランダに移っていきました。
世界の一体化の始まり
このように新航路が開拓され、ヨーロッパ人が世界各地に進出したことなどから、16世紀には貿易が世界的に盛んになり、各地を結びつけました。
また、アメリカ大陸やカリブ海の島々で、ヨーロッパの人々の都合による開発が進むにつれ、ヨーロッパの人々の貿易の中心も地中海から大西洋に移りました。
ヨーロッパとアメリカの社会は、ヨーロッパに有利なかたちで結びついていきました。
解説 植民地
ほかの国(本国)に支配された地域を植民地といいます。
植民地となった地域では、政治や外交などの権利が本国に奪われ、本国から移り住んだ人々によって土地や資源が開発されました。
授業 / アジアの香辛料を求めて
今日は、ヨーロッパの人々がなぜ遠い海へ出ていったのか、
そして「大航海時代」がどのように始まったのかを学びます。
まず、古代や中世のヨーロッパの人々にとって、
香辛料や絹織物などのアジアの産物は、とても貴重なものでした。
香辛料は、料理の味を良くするだけでなく、
肉の保存や、薬としても使われていました。
そのため、香辛料は「生活に欠かせない高級品」だったのです。
しかし、香辛料の産地であるインドや東南アジアから、
ヨーロッパに届くまでには大きな問題がありました。
それは、香辛料がヨーロッパに届くまでに、
西アジアのイスラム商人をはじめ、
多くの商人の手を何度も通っていたことです。
そのたびに値段が上がり、
ヨーロッパに届くころには、とても高価になっていました。
15世紀になると、ヨーロッパの人々は考えました。
「イスラム商人を通さず、直接アジアと取引できないだろうか」と。
ちょうどこのころ、
羅針盤や地図づくり、船の技術など、
科学や技術が大きく進歩していました。
この技術を使えば、
これまで知られていなかった海の道を進めるかもしれない、
そう考えるようになったのです。
この新しい航路開拓の先頭に立ったのが、
ポルトガルとスペインでした。
では、なぜポルトガルとスペインだったのでしょうか。
この2つの国は、15世紀後半まで、
イベリア半島でイスラム勢力と戦ってきました。
この戦いを「レコンキスタ」といいます。
長い戦いの末、
ポルトガルとスペインは、
イスラム勢力をイベリア半島から追い出すことに成功しました。
そのため、人々の心の中には、
「イスラム勢力に対抗する」という強い意識が残っていました。
そこで、ポルトガルとスペインは、
ただ貿易で利益を得るだけでなく、
キリスト教を世界に広めることも目標にしました。
つまり、大航海の目的は2つありました。
1つ目は、香辛料などを手に入れて、国を豊かにすること。
2つ目は、イスラム勢力に対抗し、キリスト教を広めることです。
このように、
経済的な理由と宗教的な理由が合わさって、
ポルトガルとスペインは海へ乗り出していきました。
これが、のちに「大航海時代」とよばれる時代の始まりです。
このあと、ヨーロッパの人々は、
アジアだけでなく、アメリカ大陸にも進出し、
世界の歴史を大きく変えていくことになります。
次の授業では、
コロンブスやバスコ=ダ=ガマたちが、
実際にどのような航海を行ったのかを見ていきましょう。
今日はここまでです。
そして「大航海時代」がどのように始まったのかを学びます。
まず、古代や中世のヨーロッパの人々にとって、
香辛料や絹織物などのアジアの産物は、とても貴重なものでした。
香辛料は、料理の味を良くするだけでなく、
肉の保存や、薬としても使われていました。
そのため、香辛料は「生活に欠かせない高級品」だったのです。
しかし、香辛料の産地であるインドや東南アジアから、
ヨーロッパに届くまでには大きな問題がありました。
それは、香辛料がヨーロッパに届くまでに、
西アジアのイスラム商人をはじめ、
多くの商人の手を何度も通っていたことです。
そのたびに値段が上がり、
ヨーロッパに届くころには、とても高価になっていました。
15世紀になると、ヨーロッパの人々は考えました。
「イスラム商人を通さず、直接アジアと取引できないだろうか」と。
ちょうどこのころ、
羅針盤や地図づくり、船の技術など、
科学や技術が大きく進歩していました。
この技術を使えば、
これまで知られていなかった海の道を進めるかもしれない、
そう考えるようになったのです。
この新しい航路開拓の先頭に立ったのが、
ポルトガルとスペインでした。
では、なぜポルトガルとスペインだったのでしょうか。
この2つの国は、15世紀後半まで、
イベリア半島でイスラム勢力と戦ってきました。
この戦いを「レコンキスタ」といいます。
長い戦いの末、
ポルトガルとスペインは、
イスラム勢力をイベリア半島から追い出すことに成功しました。
そのため、人々の心の中には、
「イスラム勢力に対抗する」という強い意識が残っていました。
そこで、ポルトガルとスペインは、
ただ貿易で利益を得るだけでなく、
キリスト教を世界に広めることも目標にしました。
つまり、大航海の目的は2つありました。
1つ目は、香辛料などを手に入れて、国を豊かにすること。
2つ目は、イスラム勢力に対抗し、キリスト教を広めることです。
このように、
経済的な理由と宗教的な理由が合わさって、
ポルトガルとスペインは海へ乗り出していきました。
これが、のちに「大航海時代」とよばれる時代の始まりです。
このあと、ヨーロッパの人々は、
アジアだけでなく、アメリカ大陸にも進出し、
世界の歴史を大きく変えていくことになります。
次の授業では、
コロンブスやバスコ=ダ=ガマたちが、
実際にどのような航海を行ったのかを見ていきましょう。
今日はここまでです。
授業 / ヨーロッパ人の新航路開拓
今日は、ヨーロッパの人々が新しい海の道を切り開いた
「新航路開拓」と「大航海時代」について学びます。
15世紀のヨーロッパでは、
香辛料や金・銀を求めて、
遠いアジアへ直接行きたいという考えが強まっていました。
その理由は、
これまでのアジアとの貿易が、
イスラム教の国々や商人を通して行われていたため、
品物の値段がとても高くなっていたからです。
そこでヨーロッパの人々は、
「海を使って、直接アジアへ行こう」と考えるようになりました。
この新しい挑戦の最初の大きな出来事が、
コロンブスの航海です。
スペインの援助を受けたコロンブスは、
「地球は球体だから、西に進めば東のアジアに着くはずだ」と考えました。
この考えは正しくありませんでしたが、
当時としてはとても新しい発想でした。
1492年、コロンブスは西へ向かって出航し、
アジアではなく、アメリカ大陸につながる西インド諸島に到達しました。
これが、ヨーロッパ人による、アメリカ大陸への到達です。
次に活躍したのが、ポルトガルのバスコ=ダ=ガマです。
ポルトガルは、
アフリカ大陸の海岸線を少しずつ調べながら、
アジアへの航路を探していました。
1498年、バスコ=ダ=ガマは、
アフリカ南端の喜望峰を回り、
インドに到達することに成功しました。
これによって、
ヨーロッパからアジアへ直接向かう海の道が開かれました。
この航路は、
ポルトガルに大きな利益をもたらしました。
その後、アメリカ大陸の海岸線の探検が進められ、
さらに大きな航海が行われます。
それが、マゼランの航海です。
スペインが派遣したマゼランの一行は、
アメリカ大陸の南端を回り、
西へ西へと進み続けました。
マゼラン自身は途中で亡くなりましたが、
部下たちが航海を続け、
1522年、世界一周に初めて成功しました。
この出来事によって、
地球が球体であることが、
実際の航海によって証明されました。
このように、
ヨーロッパ人が新しい航路を次々に切り開いた時代を、
「大航海時代」といいます。
大航海時代によって、
世界は大きく変わりました。
アメリカ大陸と、
アジア・ヨーロッパ・アフリカの間で、
人や物の行き来が急速に増えました。
とうもろこしやじゃがいもなどの作物、
家畜、そして病気までもが、
世界中に広がっていきました。
このようにして、
それまで別々だった地域が、
一つの世界として結びついていったのです。
次の授業では、 この大航海が、
植民地支配や人々の生活にどのような影響を与えたのかを学んでいきましょう。
今日はここまでです。
「新航路開拓」と「大航海時代」について学びます。
15世紀のヨーロッパでは、
香辛料や金・銀を求めて、
遠いアジアへ直接行きたいという考えが強まっていました。
その理由は、
これまでのアジアとの貿易が、
イスラム教の国々や商人を通して行われていたため、
品物の値段がとても高くなっていたからです。
そこでヨーロッパの人々は、
「海を使って、直接アジアへ行こう」と考えるようになりました。
この新しい挑戦の最初の大きな出来事が、
コロンブスの航海です。
スペインの援助を受けたコロンブスは、
「地球は球体だから、西に進めば東のアジアに着くはずだ」と考えました。
この考えは正しくありませんでしたが、
当時としてはとても新しい発想でした。
1492年、コロンブスは西へ向かって出航し、
アジアではなく、アメリカ大陸につながる西インド諸島に到達しました。
これが、ヨーロッパ人による、アメリカ大陸への到達です。
次に活躍したのが、ポルトガルのバスコ=ダ=ガマです。
ポルトガルは、
アフリカ大陸の海岸線を少しずつ調べながら、
アジアへの航路を探していました。
1498年、バスコ=ダ=ガマは、
アフリカ南端の喜望峰を回り、
インドに到達することに成功しました。
これによって、
ヨーロッパからアジアへ直接向かう海の道が開かれました。
この航路は、
ポルトガルに大きな利益をもたらしました。
その後、アメリカ大陸の海岸線の探検が進められ、
さらに大きな航海が行われます。
それが、マゼランの航海です。
スペインが派遣したマゼランの一行は、
アメリカ大陸の南端を回り、
西へ西へと進み続けました。
マゼラン自身は途中で亡くなりましたが、
部下たちが航海を続け、
1522年、世界一周に初めて成功しました。
この出来事によって、
地球が球体であることが、
実際の航海によって証明されました。
このように、
ヨーロッパ人が新しい航路を次々に切り開いた時代を、
「大航海時代」といいます。
大航海時代によって、
世界は大きく変わりました。
アメリカ大陸と、
アジア・ヨーロッパ・アフリカの間で、
人や物の行き来が急速に増えました。
とうもろこしやじゃがいもなどの作物、
家畜、そして病気までもが、
世界中に広がっていきました。
このようにして、
それまで別々だった地域が、
一つの世界として結びついていったのです。
次の授業では、 この大航海が、
植民地支配や人々の生活にどのような影響を与えたのかを学んでいきましょう。
今日はここまでです。
授業 / アメリカ大陸の文明
今日は、ヨーロッパ人が来る前の
アメリカ大陸の文明について学びます。
アメリカ大陸には、
ヨーロッパ人が到来するはるか以前から、
先住民による高度な文明が存在していました。
先住民たちは、
その土地の気候や地形を上手に利用し、
とうもろこしやじゃがいも、豆類などを栽培する
農耕文化を営んでいました。
これらの作物は、
後に世界中に広がり、
多くの人々の食生活を支えることになります。
アメリカ大陸では、
紀元前1200年ごろから、
独自の文明が少しずつ発展していきました。
15世紀になると、
現在のメキシコを中心に、
アステカ王国が急速に勢力を広げました。
アステカ王国は、強い軍隊で周囲の地域を従わせ、
支配した人々から食べ物や品物を定期的に納めさせることで、
国を大きくしました。
一方、現在のペルーを中心とした地域では、
インカ帝国が広大な領土を治めていました。
インカ帝国は、
山が多いアンデス地方で、
段々畑をつくり農業を行っていました。
これらの文明では、
太陽が特に重要な神として信仰されていました。
太陽は、農作物の成長や人々の生活に欠かせない存在だったため、
神としてあがめられていたのです。
また、アステカ王国やインカ帝国では、
優れた石造建築技術が発達していました。
巨大な神殿や都市が、
石を積み上げてつくられ、
今も遺跡として残っています。
文字や記録の方法も、
それぞれの文明で工夫されていました。
アステカ王国などでは、
絵文字を使って、
出来事や税の記録を残していました。
一方、インカ帝国では、
文字を持たず、
縄の結び目で数量や情報を表す
「キープ」という方法が使われていました。
これは、文字がなくても国を治めることができた、
高度な仕組みだったと言えます。
しかし、これらの文明には、
馬や鉄器が存在していませんでした。
武器や道具は、
石や木、青銅などで作られていました。
このことは、
後にヨーロッパ人がやって来たとき、
大きな影響を与えることになります。
このように、アメリカ大陸には、
ヨーロッパとは異なる形で発展した、
立派で独自の文明が存在していたのです。
次の授業では、ヨーロッパ人の到来が、
これらの文明にどのような変化をもたらしたのかを
学んでいきましょう。
アメリカ大陸の文明について学びます。
アメリカ大陸には、
ヨーロッパ人が到来するはるか以前から、
先住民による高度な文明が存在していました。
先住民たちは、
その土地の気候や地形を上手に利用し、
とうもろこしやじゃがいも、豆類などを栽培する
農耕文化を営んでいました。
これらの作物は、
後に世界中に広がり、
多くの人々の食生活を支えることになります。
アメリカ大陸では、
紀元前1200年ごろから、
独自の文明が少しずつ発展していきました。
15世紀になると、
現在のメキシコを中心に、
アステカ王国が急速に勢力を広げました。
アステカ王国は、強い軍隊で周囲の地域を従わせ、
支配した人々から食べ物や品物を定期的に納めさせることで、
国を大きくしました。
一方、現在のペルーを中心とした地域では、
インカ帝国が広大な領土を治めていました。
インカ帝国は、
山が多いアンデス地方で、
段々畑をつくり農業を行っていました。
これらの文明では、
太陽が特に重要な神として信仰されていました。
太陽は、農作物の成長や人々の生活に欠かせない存在だったため、
神としてあがめられていたのです。
また、アステカ王国やインカ帝国では、
優れた石造建築技術が発達していました。
巨大な神殿や都市が、
石を積み上げてつくられ、
今も遺跡として残っています。
文字や記録の方法も、
それぞれの文明で工夫されていました。
アステカ王国などでは、
絵文字を使って、
出来事や税の記録を残していました。
一方、インカ帝国では、
文字を持たず、
縄の結び目で数量や情報を表す
「キープ」という方法が使われていました。
これは、文字がなくても国を治めることができた、
高度な仕組みだったと言えます。
しかし、これらの文明には、
馬や鉄器が存在していませんでした。
武器や道具は、
石や木、青銅などで作られていました。
このことは、
後にヨーロッパ人がやって来たとき、
大きな影響を与えることになります。
このように、アメリカ大陸には、
ヨーロッパとは異なる形で発展した、
立派で独自の文明が存在していたのです。
次の授業では、ヨーロッパ人の到来が、
これらの文明にどのような変化をもたらしたのかを
学んでいきましょう。