天下泰平の世の中① 身分制の下での暮らし・安定する社会と諸産業の発達
① 身分制と武士
1江戸時代、18世紀までに区別されるしくみが固められていった主な三つの身分を答えなさい。答え
武士・百姓・町人
【解説】
江戸幕府は社会の安定を目指し、豊臣秀吉のころに進められた武農分離をさらに進めました。その過程で、人々の住む場所を分けることなどが行われ、18世紀までに武士・百姓・町人の身分を区別するしくみが固められていきました。一方で、百姓や町人に組み入れられなかった人々の一部は、差別されることになりました。
【解説】
江戸幕府は社会の安定を目指し、豊臣秀吉のころに進められた武農分離をさらに進めました。その過程で、人々の住む場所を分けることなどが行われ、18世紀までに武士・百姓・町人の身分を区別するしくみが固められていきました。一方で、百姓や町人に組み入れられなかった人々の一部は、差別されることになりました。
読解トレーニング問題
① 江戸幕府がさらに進めた、豊臣秀吉のころからの政策は何ですか。
答え
武農分離。
② 身分を区別するしくみが固められたのは、およそ何世紀までですか。
答え
18世紀まで。
③ 百姓や町人に組み入れられなかった人々の一部は、どのような扱いを受けましたか。
答え
差別されることになった。
2江戸時代に、政治を行う支配者の身分とされたのは何ですか。
答え
武士
【解説】
身分制の下で、政治を行う支配者の身分とされたのが武士です。武士は主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負いました。その一方で、名字を名乗ることや刀を差すことなどの特権をもちました。幕府や藩の役職についた武士には、石高に応じて領地や米が支給されました。
【解説】
身分制の下で、政治を行う支配者の身分とされたのが武士です。武士は主君に仕え、軍事や行政に関わる義務を負いました。その一方で、名字を名乗ることや刀を差すことなどの特権をもちました。幕府や藩の役職についた武士には、石高に応じて領地や米が支給されました。
読解トレーニング問題
① 武士は誰に仕えましたか。
答え
主君。
② 武士が負っていた二つの義務を答えなさい。
答え
軍事や行政に関わる義務。
③ 武士がもっていた特権を二つ答えなさい。
答え
名字を名乗ることと、刀を差すこと。
② 百姓と村の暮らし
3江戸時代の全人口の80%以上を占めていた身分は何ですか。答え
百姓
【解説】
江戸時代の全人口の80%以上を占めていたのが百姓です。百姓の大部分は村に住み、農業を営む農民でした。農民は、農地をもつ本百姓と、農地をもたない水呑百姓などに分かれていました。多くの人々の生活は、村と農業を中心に成り立っていました。
【解説】
江戸時代の全人口の80%以上を占めていたのが百姓です。百姓の大部分は村に住み、農業を営む農民でした。農民は、農地をもつ本百姓と、農地をもたない水呑百姓などに分かれていました。多くの人々の生活は、村と農業を中心に成り立っていました。
読解トレーニング問題
① 百姓の大部分はどこに住んでいましたか。
答え
村。
② 百姓の大部分は何を営んでいましたか。
答え
農業。
③ 農民は、農地の有無によってどの二つなどに分かれていましたか。
答え
本百姓と水呑百姓。
4農地をもつ百姓と、農地をもたない百姓をそれぞれ何といいますか。
答え
農地をもつ百姓は本百姓、農地をもたない百姓は水呑百姓。
【解説】
農民の中でも、農地をもつかどうかによって立場に違いがありました。農地をもつ百姓を本百姓といい、農地をもたない百姓を水呑百姓といいました。村の有力者は、名主・組頭・百姓代などの村役人になることもありました。村の中にも役割や立場の違いがあったことが分かります。
【解説】
農民の中でも、農地をもつかどうかによって立場に違いがありました。農地をもつ百姓を本百姓といい、農地をもたない百姓を水呑百姓といいました。村の有力者は、名主・組頭・百姓代などの村役人になることもありました。村の中にも役割や立場の違いがあったことが分かります。
読解トレーニング問題
① 農地をもつ百姓を何といいますか。
答え
本百姓。
② 農地をもたない百姓を何といいますか。
答え
水呑百姓。
③ 村の有力者がつくことのあった役職を三つ答えなさい。
答え
名主・組頭・百姓代。
5村の有力者がついた三つの村役人を答えなさい。
答え
名主(庄屋)・組頭・百姓代
【解説】
村の有力者は、名主・組頭・百姓代などの村役人になりました。村役人は村の自治にあたり、幕府や藩から出された指示を村の人々に伝える役割ももちました。また、年貢の納入にも関わりました。村は一定の自治を行いながら、幕府や藩の支配を受けていました。
【解説】
村の有力者は、名主・組頭・百姓代などの村役人になりました。村役人は村の自治にあたり、幕府や藩から出された指示を村の人々に伝える役割ももちました。また、年貢の納入にも関わりました。村は一定の自治を行いながら、幕府や藩の支配を受けていました。
読解トレーニング問題
① 村役人は何にあたりましたか。
答え
村の自治。
② 村役人は幕府や藩から出された指示を誰に伝えましたか。
答え
村の人々。
③ 村役人は税について、どのような仕事に関わりましたか。
答え
年貢の納入。
6農民が収穫した米のうち、およそ何%を年貢として納めましたか。
答え
40~50%
【解説】
農民に課された主な税は年貢でした。教科書では、収穫した米の40~50%を年貢として納めたとされています。年貢は村が責任をもって納めました。幕府や藩にとって、安定して年貢を徴収することは政治や財政を支えるうえで重要でした。
【解説】
農民に課された主な税は年貢でした。教科書では、収穫した米の40~50%を年貢として納めたとされています。年貢は村が責任をもって納めました。幕府や藩にとって、安定して年貢を徴収することは政治や財政を支えるうえで重要でした。
読解トレーニング問題
① 農民に課された主な税は何ですか。
答え
年貢。
② 年貢は何を基準として納めましたか。
答え
収穫した米。
③ 年貢の納入について、誰が責任をもちましたか。
答え
村。
7互いに監視させ、犯罪を防ぎ、年貢の納入にも連帯責任を負わせたしくみを何といいますか。
答え
五人組
【解説】
幕府や藩は、安定して年貢を徴収できるように農民を統制しました。その一つとして五人組をつくらせ、互いに監視させて犯罪を防ぎました。また、年貢の納入にも連帯責任を負わせました。このように五人組は、村を通じて農民を統制するための仕組みでした。
【解説】
幕府や藩は、安定して年貢を徴収できるように農民を統制しました。その一つとして五人組をつくらせ、互いに監視させて犯罪を防ぎました。また、年貢の納入にも連帯責任を負わせました。このように五人組は、村を通じて農民を統制するための仕組みでした。
読解トレーニング問題
① 五人組をつくらせたのは誰ですか。
答え
幕府や藩。
② 五人組で互いに監視させた目的の一つは何ですか。
答え
犯罪を防ぐため。
③ 五人組では、年貢についてどのような責任を負わせましたか。
答え
連帯責任。
8幕府や藩が百姓を細かく統制した主な目的は何ですか。
答え
安定して年貢を徴収するため。
【解説】
幕府や藩は、安定して年貢を徴収できるように、村を通して農民に細かな指示を出しました。また、土地の売買を制限するなどして農民を統制しました。五人組をつくらせ、犯罪防止や年貢の納入にも責任を負わせました。これらの政策は、村と農民を支配し、年貢を確実に納めさせることにつながりました。
【解説】
幕府や藩は、安定して年貢を徴収できるように、村を通して農民に細かな指示を出しました。また、土地の売買を制限するなどして農民を統制しました。五人組をつくらせ、犯罪防止や年貢の納入にも責任を負わせました。これらの政策は、村と農民を支配し、年貢を確実に納めさせることにつながりました。
読解トレーニング問題
① 幕府や藩は、何を通して農民に指示を出しましたか。
答え
村。
② 幕府や藩は、土地について何を制限しましたか。
答え
土地の売買。
③ 農民統制の政策は、何を確実に納めさせることにつながりましたか。
答え
年貢。
9百姓が、年貢などの計算や記録に必要なため身につけていった三つの技能は何ですか。
答え
読み・書き・そろばん
【解説】
百姓は、藩などからの指示を理解したり、年貢などの計算や記録をしたりする必要がありました。そのため、読み・書き・そろばんを身につけていきました。農村の生活でも文字や計算を使う場面があったことが分かります。政治や経済のしくみが、人々の学びにも関係していました。
【解説】
百姓は、藩などからの指示を理解したり、年貢などの計算や記録をしたりする必要がありました。そのため、読み・書き・そろばんを身につけていきました。農村の生活でも文字や計算を使う場面があったことが分かります。政治や経済のしくみが、人々の学びにも関係していました。
読解トレーニング問題
① 百姓は誰からの指示を理解する必要がありましたか。
答え
藩などからの指示。
② 読み・書き・そろばんは、何の計算や記録に使われましたか。
答え
年貢などの計算や記録。
③ 農村の生活でも使われていたことが分かる二つのものは何ですか。
答え
文字や計算。
③ 町人と町の暮らし
10江戸時代の町人は、主にどの二つの職業の人々からなっていましたか。答え
商人と職人
【解説】
町人の身分は、商人と職人からなっていました。町人は主に城下町に住み、商売やものづくりを行いました。町人の中でも、土地や家をもつ地主・家持と、それらをもたない地借・店借などに分かれていました。町の中にも、財産の有無による違いがありました。
【解説】
町人の身分は、商人と職人からなっていました。町人は主に城下町に住み、商売やものづくりを行いました。町人の中でも、土地や家をもつ地主・家持と、それらをもたない地借・店借などに分かれていました。町の中にも、財産の有無による違いがありました。
読解トレーニング問題
① 町人は主にどこに住んでいましたか。
答え
城下町。
② 土地や家をもつ町人を何といいますか。
答え
地主・家持。
③ 土地や家をもたない町人を何といいますか。
答え
地借・店借。
11町奉行の監督のもとで町の自治を行った人々を何といいますか。
答え
町役人
【解説】
町人が暮らす町でも、一定の自治が行われました。地主・家持から選ばれた町役人が、町奉行の監督のもとで町の自治を行いました。町人のすべてが同じ立場だったわけではなく、土地や家をもつ人と、もたない人とでは違いがありました。江戸時代の町は、幕府の支配を受けながら町人自身によっても運営されていました。
【解説】
町人が暮らす町でも、一定の自治が行われました。地主・家持から選ばれた町役人が、町奉行の監督のもとで町の自治を行いました。町人のすべてが同じ立場だったわけではなく、土地や家をもつ人と、もたない人とでは違いがありました。江戸時代の町は、幕府の支配を受けながら町人自身によっても運営されていました。
読解トレーニング問題
① 町役人は、どのような町人から選ばれましたか。
答え
地主・家持。
② 町役人を監督した役職は何ですか。
答え
町奉行。
③ 江戸時代の町では、幕府の支配を受ける一方で何も行われていましたか。
答え
町人自身による自治。
④ 朱子学と社会の秩序
1217世紀後半、学問や礼節を重んじる政治への転換を明確にした5代将軍は誰ですか。答え
徳川綱吉
【解説】
17世紀後半になると、幕藩体制が確立し、外国との関係も安定してきました。5代将軍徳川綱吉は、武力ではなく学問や礼節を重んじる政治への転換を明確にしました。綱吉は学問を奨励し、特に儒学の中でも朱子学を重視しました。この政治は、身分制を維持し社会の秩序を保つ考え方とも結びついていました。
【解説】
17世紀後半になると、幕藩体制が確立し、外国との関係も安定してきました。5代将軍徳川綱吉は、武力ではなく学問や礼節を重んじる政治への転換を明確にしました。綱吉は学問を奨励し、特に儒学の中でも朱子学を重視しました。この政治は、身分制を維持し社会の秩序を保つ考え方とも結びついていました。
読解トレーニング問題
① 徳川綱吉は何代将軍ですか。
答え
5代将軍。
② 綱吉は、武力ではなく何と何を重んじましたか。
答え
学問と礼節。
③ 綱吉が特に重視した学問は何ですか。
答え
朱子学。
13君主と家臣、主人と奉公人、親と子などの上下関係を重視した学問は何ですか。
答え
朱子学
【解説】
朱子学では、君主と家臣の関係のほか、商人の主人と奉公人、職人の親方と弟子などの関係にも考え方が広がりました。庶民の家でも、男性の家長を主人とする家制度ができ上がりました。財産や家業などは、家長から長男が受け継ぐようになりました。このように、上下関係や秩序を重んじる考え方が社会に広がりました。
【解説】
朱子学では、君主と家臣の関係のほか、商人の主人と奉公人、職人の親方と弟子などの関係にも考え方が広がりました。庶民の家でも、男性の家長を主人とする家制度ができ上がりました。財産や家業などは、家長から長男が受け継ぐようになりました。このように、上下関係や秩序を重んじる考え方が社会に広がりました。
読解トレーニング問題
① 商人の間では、どのような二者の関係に朱子学の考え方が広がりましたか。
答え
主人と奉公人。
② 職人の間では、どのような二者の関係に広がりましたか。
答え
親方と弟子。
③ 財産や家業は、家長から誰が受け継ぐようになりましたか。
答え
長男。
14庶民の家で、男性の家長を主人として財産や家業などを受け継ぐしくみを何といいますか。
答え
家制度
【解説】
朱子学の考え方は、庶民の家にも広がりました。男性の家長を主人とする家制度ができ上がり、財産や家業などを家長から長男が受け継ぐようになりました。また、家族の中でも上下関係を重んじる考え方が強まりました。家族のあり方にも、社会の秩序を重んじる考え方が影響しました。
【解説】
朱子学の考え方は、庶民の家にも広がりました。男性の家長を主人とする家制度ができ上がり、財産や家業などを家長から長男が受け継ぐようになりました。また、家族の中でも上下関係を重んじる考え方が強まりました。家族のあり方にも、社会の秩序を重んじる考え方が影響しました。
読解トレーニング問題
① 家制度では、誰を家の主人としましたか。
答え
男性の家長。
② 財産や家業は、主に誰が受け継ぎましたか。
答え
長男。
③ 家族の中で重んじられたものは何ですか。
答え
上下関係。
15江戸時代に社会に根づき、特に女性に親や夫、長男に従うことなどを求めた風潮を何といいますか。
答え
男尊女卑
【解説】
江戸時代には、男尊女卑の風潮が社会に根づきました。特に女性には、小さいときは親に従い、結婚して夫に従い、老いて子である長男に従うことが求められました。女性の立場には、男性より強い制約がありました。朱子学や家制度の広がりとともに、こうした考え方も社会に定着していきました。
【解説】
江戸時代には、男尊女卑の風潮が社会に根づきました。特に女性には、小さいときは親に従い、結婚して夫に従い、老いて子である長男に従うことが求められました。女性の立場には、男性より強い制約がありました。朱子学や家制度の広がりとともに、こうした考え方も社会に定着していきました。
読解トレーニング問題
① 女性は小さいとき、誰に従うことを求められましたか。
答え
親。
② 結婚した後は誰に従うことを求められましたか。
答え
夫。
③ 女性の立場には、男性と比べてどのような特徴がありましたか。
答え
男性より強い制約があった。
学習課題① 江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか
16江戸時代の身分制の特徴を、武士・百姓・町人という言葉を使って説明しなさい。答え
江戸幕府は武農分離をさらに進め、18世紀までに武士・百姓・町人などの身分を区別するしくみを固めた。武士は政治を行う支配者、百姓の多くは村で農業を営む人々、町人は主に城下町で暮らす商人や職人であった。
【解説】
江戸幕府は社会の安定を目指し、武農分離をさらに進めました。その結果、武士・百姓・町人などの身分が区別され、それぞれの生活や仕事にも違いが生まれました。武士は政治を行う支配者、百姓の多くは村で農業を営み、町人は商人や職人として主に城下町で生活しました。身分の区別は、江戸時代の社会を成り立たせる重要なしくみでした。
【解説】
江戸幕府は社会の安定を目指し、武農分離をさらに進めました。その結果、武士・百姓・町人などの身分が区別され、それぞれの生活や仕事にも違いが生まれました。武士は政治を行う支配者、百姓の多くは村で農業を営み、町人は商人や職人として主に城下町で生活しました。身分の区別は、江戸時代の社会を成り立たせる重要なしくみでした。
読解トレーニング問題
① 幕府が身分制を整えた目的として、解説では何が書かれていますか。
答え
社会の安定を目指すため。
② 百姓の多くはどこで何をしていましたか。
答え
村で農業を営んでいた。
③ 町人は主にどのような人々でしたか。
答え
商人や職人。
⑤ 新田開発と農業技術の発達
1717~18世紀、人口増加に対応して幕府や大名が進めた農地の開発を何といいますか。答え
新田開発
【解説】
江戸幕府の支配の下で戦乱のない時代が続くと、17~18世紀に人口が急速に増加しました。幕府や大名は人口増加に対応するため、用水路をつくったり、干潟や沼地を開いたりして新田開発に力を注ぎました。目的は、米の生産量を増やすことでした。この結果、耕地面積と米の生産量が大きく増えていきました。
【解説】
江戸幕府の支配の下で戦乱のない時代が続くと、17~18世紀に人口が急速に増加しました。幕府や大名は人口増加に対応するため、用水路をつくったり、干潟や沼地を開いたりして新田開発に力を注ぎました。目的は、米の生産量を増やすことでした。この結果、耕地面積と米の生産量が大きく増えていきました。
読解トレーニング問題
① 新田開発が盛んになった背景には、何の増加がありましたか。
答え
人口の増加。
② 新田開発の方法を二つ答えなさい。
答え
用水路をつくること、干潟や沼地を開くこと。
③ 幕府や大名が新田開発を進めた目的は何ですか。
答え
米の生産量を増やすため。
18新田開発や農業技術の発達によって、耕地面積と米の生産量はどうなりましたか。
答え
どちらも大きく増加した。
【解説】
幕府や大名が新田開発を進めると、耕地面積が増加しました。また、農具や肥料の改良によって農作業の効率も上がりました。教科書のグラフでも、17世紀末ごろから19世紀前半にかけて米の生産量が増えたことが示されています。こうした農業の発達によって、人々の生活もしだいに安定していきました。
【解説】
幕府や大名が新田開発を進めると、耕地面積が増加しました。また、農具や肥料の改良によって農作業の効率も上がりました。教科書のグラフでも、17世紀末ごろから19世紀前半にかけて米の生産量が増えたことが示されています。こうした農業の発達によって、人々の生活もしだいに安定していきました。
読解トレーニング問題
① 耕地面積が増えた主な理由は何ですか。
答え
新田開発が進められたため。
② 農作業の効率が上がった理由を二つ答えなさい。
答え
農具や肥料が改良されたため。
③ 農業が発達した結果、人々の生活はどのようになりましたか。
答え
しだいに安定していった。
19江戸時代に農作業の効率を高めた代表的な農具を三つ答えなさい。
答え
備中鍬・千歯こき・唐箕
【解説】
江戸時代には農業技術が発達し、農作業を効率よく行うための農具が広まりました。教科書では、備中鍬・千歯こき・唐箕などが示されています。こうした農具の使用によって、耕す作業や脱穀などを以前より効率よく行えるようになりました。農具の改良は、米の生産量を増やすことにもつながりました。
【解説】
江戸時代には農業技術が発達し、農作業を効率よく行うための農具が広まりました。教科書では、備中鍬・千歯こき・唐箕などが示されています。こうした農具の使用によって、耕す作業や脱穀などを以前より効率よく行えるようになりました。農具の改良は、米の生産量を増やすことにもつながりました。
読解トレーニング問題
① 農具の使用によって、何が効率よく行えるようになりましたか。
答え
耕す作業や脱穀など。
② 農具の改良は、何を増やすことにつながりましたか。
答え
米の生産量。
③ 教科書で示されている代表的な農具を三つ答えなさい。
答え
備中鍬・千歯こき・唐箕。
20深く耕すことができる農具を何といいますか。
答え
備中鍬
【解説】
備中鍬は、江戸時代に広まった農具の一つです。土地を深く耕すために使われました。農具の改良によって、農民は以前より効率よく田畑を耕すことができるようになりました。こうした農業技術の発達は、生産力を高めることにつながりました。
【解説】
備中鍬は、江戸時代に広まった農具の一つです。土地を深く耕すために使われました。農具の改良によって、農民は以前より効率よく田畑を耕すことができるようになりました。こうした農業技術の発達は、生産力を高めることにつながりました。
読解トレーニング問題
① 備中鍬は何のために使われましたか。
答え
土地を深く耕すため。
② 農具の改良によって、農民はどのように田畑を耕せるようになりましたか。
答え
以前より効率よく耕せるようになった。
③ 農業技術の発達は何を高めることにつながりましたか。
答え
生産力。
21稲穂からもみを効率よく取り外す農具を何といいますか。
答え
千歯こき
【解説】
千歯こきは、稲穂からもみを取り外すために使われた農具です。教科書の資料では、千歯こきが普及する前は、2本の竹棒の間に稲穂をはさんで、もみをこき落としていました。千歯こきの普及によって、脱穀の作業をより効率よく行えるようになりました。農業の作業時間を短くすることにもつながりました。
【解説】
千歯こきは、稲穂からもみを取り外すために使われた農具です。教科書の資料では、千歯こきが普及する前は、2本の竹棒の間に稲穂をはさんで、もみをこき落としていました。千歯こきの普及によって、脱穀の作業をより効率よく行えるようになりました。農業の作業時間を短くすることにもつながりました。
読解トレーニング問題
① 千歯こきが普及する前は、何を使ってもみをこき落としていましたか。
答え
2本の竹棒。
② 千歯こきによって、何の作業が効率よくなりましたか。
答え
脱穀の作業。
③ 千歯こきの普及は、農業の何を短くすることにつながりましたか。
答え
作業時間。
22風を利用して、もみや穀物とごみなどを選り分ける農具を何といいますか。
答え
唐箕
【解説】
唐箕は、風を利用して穀物とごみなどを選り分けるための農具です。収穫した作物を整理する作業を効率よく行うことができました。備中鍬や千歯こきと同じように、江戸時代の農業技術の発達を示す農具です。農作業の効率が上がることで、生産量の増加にもつながりました。
【解説】
唐箕は、風を利用して穀物とごみなどを選り分けるための農具です。収穫した作物を整理する作業を効率よく行うことができました。備中鍬や千歯こきと同じように、江戸時代の農業技術の発達を示す農具です。農作業の効率が上がることで、生産量の増加にもつながりました。
読解トレーニング問題
① 唐箕は何を利用する農具ですか。
答え
風。
② 唐箕では、何と何を選り分けましたか。
答え
穀物とごみなど。
③ 唐箕と同じく、解説にあげられている農具を二つ答えなさい。
答え
備中鍬と千歯こき。
23江戸時代に、農民が田畑の生産力を高めるために使った代表的な肥料を二つ答えなさい。
答え
干鰯・油かす
【解説】
農民は、農具の改良だけでなく、肥料も工夫しました。教科書では、干鰯や油かすなどの肥料が広く使われたことが示されています。こうした栄養価の高い肥料を使うことで、作物の生産量を増やすことができました。農具と肥料の両方の発達が、農業生産を支えました。
【解説】
農民は、農具の改良だけでなく、肥料も工夫しました。教科書では、干鰯や油かすなどの肥料が広く使われたことが示されています。こうした栄養価の高い肥料を使うことで、作物の生産量を増やすことができました。農具と肥料の両方の発達が、農業生産を支えました。
読解トレーニング問題
① 農民は農具の改良以外に、何も工夫しましたか。
答え
肥料。
② 干鰯や油かすを使うと、何を増やすことができましたか。
答え
作物の生産量。
③ 農業生産を支えた二つの発達は何ですか。
答え
農具と肥料の発達。
⑥ 特産物と諸産業の発達
24各地の風土に合った作物が、特定の地域で多く生産されるようになったものを何といいますか。答え
特産物
【解説】
人口が増え、人々の生活が安定すると、日用品の需要も高まりました。そのため、各地ではその土地の風土に合った作物が特産物として生産されるようになりました。教科書の地図には、木綿・菜種・藍・紅花・たばこ・茶・桑などが示されています。特産物の一部は領外へも売られ、商業発達の大きな力になりました。
【解説】
人口が増え、人々の生活が安定すると、日用品の需要も高まりました。そのため、各地ではその土地の風土に合った作物が特産物として生産されるようになりました。教科書の地図には、木綿・菜種・藍・紅花・たばこ・茶・桑などが示されています。特産物の一部は領外へも売られ、商業発達の大きな力になりました。
読解トレーニング問題
① 特産物の生産が広がった背景には、何の需要の高まりがありましたか。
答え
日用品の需要。
② 教科書に示されている特産物を三つ答えなさい。
答え
木綿・菜種・藍・紅花・たばこ・茶・桑などから三つ。
③ 特産物が領外へ売られるようになったことは、何の発達につながりましたか。
答え
商業の発達。
25江戸時代に庶民の衣料の中心となり、栽培が各地に広がったものは何ですか。
答え
木綿
【解説】
加工や染色がしやすい木綿は、江戸時代に各地でつくられるようになりました。木綿が広がると、原料となる綿花や、木綿を染めるための藍などの栽培も広がりました。また、肥料となる干鰯など、木綿の栽培から加工までに関係する産業も活発になりました。木綿の普及は、農業だけでなく加工業や商業の発達にも関係しました。
【解説】
加工や染色がしやすい木綿は、江戸時代に各地でつくられるようになりました。木綿が広がると、原料となる綿花や、木綿を染めるための藍などの栽培も広がりました。また、肥料となる干鰯など、木綿の栽培から加工までに関係する産業も活発になりました。木綿の普及は、農業だけでなく加工業や商業の発達にも関係しました。
読解トレーニング問題
① 木綿が広がると、その原料として何の栽培が広がりましたか。
答え
綿花。
② 木綿を染めるために栽培が広がったものは何ですか。
答え
藍。
③ 木綿の普及は、農業以外のどのような産業の発達にも関係しましたか。
答え
加工業や商業。
26江戸時代に近畿地方から各地に広がった産業の一つで、千葉県の九十九里浜などで盛んになった漁は何ですか。
答え
いわし漁
【解説】
江戸時代には漁業の技術も発達し、近畿地方の進んだ漁法が各地へ広がりました。九十九里浜では、網を使って大量のいわしを取る漁業が盛んになりました。取れたいわしは食用だけでなく、肥料として利用するために加工されました。漁業と農業が、肥料を通じて結びついていたことが分かります。
【解説】
江戸時代には漁業の技術も発達し、近畿地方の進んだ漁法が各地へ広がりました。九十九里浜では、網を使って大量のいわしを取る漁業が盛んになりました。取れたいわしは食用だけでなく、肥料として利用するために加工されました。漁業と農業が、肥料を通じて結びついていたことが分かります。
読解トレーニング問題
① 進んだ漁法は、どの地方から各地に広がりましたか。
答え
近畿地方。
② 九十九里浜では、何を使って大量のいわしを取りましたか。
答え
網。
③ いわしは食用のほかに、何として利用されましたか。
答え
肥料。
27いわしを加工してつくられ、農業用の肥料として各地で売られたものを何といいますか。
答え
干鰯
【解説】
九十九里浜などでは、いわし漁が盛んになりました。取れたいわしは、肥料用に干鰯へ加工され、各地で売られました。農業では、干鰯のような栄養価の高い肥料が使われるようになっていました。漁業の発達は、農業の生産力を高めることにも関係していました。
【解説】
九十九里浜などでは、いわし漁が盛んになりました。取れたいわしは、肥料用に干鰯へ加工され、各地で売られました。農業では、干鰯のような栄養価の高い肥料が使われるようになっていました。漁業の発達は、農業の生産力を高めることにも関係していました。
読解トレーニング問題
① 干鰯の原料となった魚は何ですか。
答え
いわし。
② 干鰯は主に何に使われましたか。
答え
肥料。
③ 漁業の発達は、農業の何を高めることにも関係しましたか。
答え
生産力。
28瀬戸内海で塩が大規模に生産された代表的な場所はどこですか。
答え
赤穂
【解説】
江戸時代には、生活に必要な塩の生産も盛んになりました。海辺では塩がつくられ、特に赤穂など瀬戸内海では大規模に生産されました。各地で生産された塩は、交通網を通じて運ばれました。産業の発達には、生産だけでなく運送の発達も重要でした。
【解説】
江戸時代には、生活に必要な塩の生産も盛んになりました。海辺では塩がつくられ、特に赤穂など瀬戸内海では大規模に生産されました。各地で生産された塩は、交通網を通じて運ばれました。産業の発達には、生産だけでなく運送の発達も重要でした。
読解トレーニング問題
① 赤穂は、どの海に面した地域ですか。
答え
瀬戸内海。
② 赤穂では何が大規模に生産されましたか。
答え
塩。
③ 各地で生産された塩を運ぶためには、何の発達も重要でしたか。
答え
運送の発達。
29江戸時代に開発が進んだ代表的な鉱山を三つ答えなさい。
答え
佐渡金山・石見銀山・生野銀山
【解説】
江戸時代には、採掘や精錬の技術が進歩し、各地で鉱山の開発が進みました。教科書では、佐渡金山・石見銀山・生野銀山などが代表例として示されています。産出された金銀などは幕府の収入となり、貨幣をつくる材料にもなりました。また、金銀は重要な輸出品でもありました。
【解説】
江戸時代には、採掘や精錬の技術が進歩し、各地で鉱山の開発が進みました。教科書では、佐渡金山・石見銀山・生野銀山などが代表例として示されています。産出された金銀などは幕府の収入となり、貨幣をつくる材料にもなりました。また、金銀は重要な輸出品でもありました。
読解トレーニング問題
① 鉱山の開発が進んだ理由として、どのような技術の進歩がありましたか。
答え
採掘や精錬の技術。
② 鉱山から産出された金銀は、幕府にとって何になりましたか。
答え
幕府の収入。
③ 金銀は貨幣の材料のほかに、何としても重要でしたか。
答え
輸出品。
30江戸時代に人口増加によって木材の需要が高まり、活発になった産業は何ですか。
答え
林業
【解説】
江戸時代には人口が増加し、建物の建築や燃料に使う木材の需要が急速に高まりました。そのため、林業も活発になりました。一方で、新田開発の進展や燃料需要の増加は、森林の減少という問題も引き起こしました。幕府は森林資源を守るため、植林を行うようにするなどの対策もとりました。
【解説】
江戸時代には人口が増加し、建物の建築や燃料に使う木材の需要が急速に高まりました。そのため、林業も活発になりました。一方で、新田開発の進展や燃料需要の増加は、森林の減少という問題も引き起こしました。幕府は森林資源を守るため、植林を行うようにするなどの対策もとりました。
読解トレーニング問題
① 木材は、主にどの二つの用途で需要が高まりましたか。
答え
建物の建築と燃料。
② 新田開発や燃料需要の増加によって、どのような問題が起こりましたか。
答え
森林の減少。
③ 幕府は森林資源を守るため、どのような対策をとりましたか。
答え
植林を行うようにした。
学習課題② 江戸時代の国内産業は、どのように発達していったのだろうか
31江戸時代の国内産業が発達した流れを説明しなさい。答え
人口増加に対応して新田開発が進み、農具や肥料の改良によって農業生産が増えた。さらに木綿などの特産物の生産が広がり、漁業・鉱業・林業なども発達した。
【解説】
戦乱のない時代が続いて人口が増えると、幕府や大名は新田開発を進め、農具や肥料の改良も広がりました。その結果、耕地面積や米の生産量が増え、人々の生活もしだいに安定しました。さらに日用品の需要が高まり、木綿などの特産物の生産や加工が盛んになりました。漁業・鉱業・林業なども発達し、各地の産業が互いに結びつくようになりました。
【解説】
戦乱のない時代が続いて人口が増えると、幕府や大名は新田開発を進め、農具や肥料の改良も広がりました。その結果、耕地面積や米の生産量が増え、人々の生活もしだいに安定しました。さらに日用品の需要が高まり、木綿などの特産物の生産や加工が盛んになりました。漁業・鉱業・林業なども発達し、各地の産業が互いに結びつくようになりました。
読解トレーニング問題
① 人口増加に対応するため、幕府や大名は何を進めましたか。
答え
新田開発。
② 人々の生活が安定すると、何の需要が高まりましたか。
答え
日用品の需要。
③ 農業以外に発達した産業を三つ答えなさい。
答え
漁業・鉱業・林業。
重要年号・時期
17世紀後半 5代将軍徳川綱吉が、学問や礼節を重んじる政治への転換を明確にし、朱子学を重視する。
17~18世紀 人口増加に対応して新田開発が進み、農業技術も発達する。
18世紀初め 人口は、17世紀初めのおよそ2倍となる約3000万人に達したと推定される。
17世紀後半 5代将軍徳川綱吉が、学問や礼節を重んじる政治への転換を明確にし、朱子学を重視する。
17~18世紀 人口増加に対応して新田開発が進み、農業技術も発達する。
18世紀初め 人口は、17世紀初めのおよそ2倍となる約3000万人に達したと推定される。
重要語句
武農分離:武士と農民を分ける政策。江戸幕府は豊臣秀吉のころに進められた武農分離をさらに進めた。
武士:政治を行う支配者の身分。主君に仕え、軍事や行政に関わった。
百姓:全人口の80%以上を占め、大部分は村に住み農業を営んでいた。
本百姓:農地をもつ百姓。
水呑百姓:農地をもたない百姓。
村役人:名主(庄屋)・組頭・百姓代など。村の自治や年貢納入に関わった。
年貢:農民に課された主な税。収穫した米の40~50%ほどを納めた。
五人組:互いに監視して犯罪を防ぎ、年貢の納入にも連帯責任を負わせたしくみ。
町人:主に城下町に住んだ商人と職人。
朱子学:徳川綱吉が重視した儒学。君主と家臣、親と子などの上下関係や秩序を重んじた。
家制度:男性の家長を主人とし、財産や家業を長男が受け継ぐことが多かった家のしくみ。
新田開発:用水路をつくったり、干潟や沼地を開いたりして新しい農地を増やすこと。
備中鍬:土地を深く耕すための農具。
千歯こき:稲穂からもみを効率よく取り外す農具。
唐箕:風を利用して穀物とごみなどを選り分ける農具。
干鰯:いわしを加工してつくられた肥料。
油かす:農作物の生産力を高めるために使われた肥料。
特産物:各地の風土に合わせて生産された、その地域を代表する産物。
木綿:江戸時代に庶民の衣料の中心となり、綿花や藍など関連する作物の栽培も広がった。
佐渡金山・石見銀山・生野銀山:江戸時代に開発が進んだ代表的な鉱山。
林業:人口増加にともなう建築用・燃料用の木材需要の増加によって発達した産業。
武農分離:武士と農民を分ける政策。江戸幕府は豊臣秀吉のころに進められた武農分離をさらに進めた。
武士:政治を行う支配者の身分。主君に仕え、軍事や行政に関わった。
百姓:全人口の80%以上を占め、大部分は村に住み農業を営んでいた。
本百姓:農地をもつ百姓。
水呑百姓:農地をもたない百姓。
村役人:名主(庄屋)・組頭・百姓代など。村の自治や年貢納入に関わった。
年貢:農民に課された主な税。収穫した米の40~50%ほどを納めた。
五人組:互いに監視して犯罪を防ぎ、年貢の納入にも連帯責任を負わせたしくみ。
町人:主に城下町に住んだ商人と職人。
朱子学:徳川綱吉が重視した儒学。君主と家臣、親と子などの上下関係や秩序を重んじた。
家制度:男性の家長を主人とし、財産や家業を長男が受け継ぐことが多かった家のしくみ。
新田開発:用水路をつくったり、干潟や沼地を開いたりして新しい農地を増やすこと。
備中鍬:土地を深く耕すための農具。
千歯こき:稲穂からもみを効率よく取り外す農具。
唐箕:風を利用して穀物とごみなどを選り分ける農具。
干鰯:いわしを加工してつくられた肥料。
油かす:農作物の生産力を高めるために使われた肥料。
特産物:各地の風土に合わせて生産された、その地域を代表する産物。
木綿:江戸時代に庶民の衣料の中心となり、綿花や藍など関連する作物の栽培も広がった。
佐渡金山・石見銀山・生野銀山:江戸時代に開発が進んだ代表的な鉱山。
林業:人口増加にともなう建築用・燃料用の木材需要の増加によって発達した産業。
学習課題のまとめ
① 江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。
江戸幕府は社会の安定を目指して武農分離をさらに進め、18世紀までに武士・百姓・町人などの身分を区別するしくみを固めました。武士は政治を行う支配者として主君に仕え、百姓の大部分は村で農業を営み、町人は主に城下町で商売やものづくりを行いました。村では五人組などによって農民が統制され、安定して年貢を納めさせるしくみがつくられました。また、17世紀後半には朱子学が重視され、社会や家の上下関係を大切にする考え方が広がりました。
② 江戸時代の国内産業は、どのように発達していったのだろうか。
戦乱のない時代が続いて人口が増えると、幕府や大名は新田開発を進めました。さらに、備中鍬・千歯こき・唐箕などの農具や、干鰯・油かすなどの肥料が使われ、農業の生産力が高まりました。人々の生活が安定して日用品の需要が増えると、木綿など各地の特産物の生産が盛んになりました。また、漁業・鉱業・林業なども発達し、各地の産業が活発になっていきました。
① 江戸時代の身分制とは、どのようなしくみなのだろうか。
江戸幕府は社会の安定を目指して武農分離をさらに進め、18世紀までに武士・百姓・町人などの身分を区別するしくみを固めました。武士は政治を行う支配者として主君に仕え、百姓の大部分は村で農業を営み、町人は主に城下町で商売やものづくりを行いました。村では五人組などによって農民が統制され、安定して年貢を納めさせるしくみがつくられました。また、17世紀後半には朱子学が重視され、社会や家の上下関係を大切にする考え方が広がりました。
② 江戸時代の国内産業は、どのように発達していったのだろうか。
戦乱のない時代が続いて人口が増えると、幕府や大名は新田開発を進めました。さらに、備中鍬・千歯こき・唐箕などの農具や、干鰯・油かすなどの肥料が使われ、農業の生産力が高まりました。人々の生活が安定して日用品の需要が増えると、木綿など各地の特産物の生産が盛んになりました。また、漁業・鉱業・林業なども発達し、各地の産業が活発になっていきました。
天下泰平の世の中② 各地を結ぶ陸の道・海の道/三都/北前船と昆布ロード
⑦ 交通網の整備
3218世紀初めごろまでに、幕府が全国に整えたものは何ですか。答え
交通網
【解説】
幕府は、18世紀初めごろまでに各地を結ぶ交通網を固めました。陸上交通では街道を整備し、水上交通では河川や海を利用する航路を発達させました。交通が整うことで、人や物を遠くまで運びやすくなりました。その結果、各地の産業や商業の発達にもつながりました。
【解説】
幕府は、18世紀初めごろまでに各地を結ぶ交通網を固めました。陸上交通では街道を整備し、水上交通では河川や海を利用する航路を発達させました。交通が整うことで、人や物を遠くまで運びやすくなりました。その結果、各地の産業や商業の発達にもつながりました。
読解トレーニング問題
① 交通網が整えられたのは、およそ何世紀初めごろまでですか。
答え
18世紀初めごろまで。
② 陸上交通では何が整備されましたか。
答え
街道。
③ 交通網が整った結果、何の発達につながりましたか。
答え
各地の産業や商業の発達。
33江戸のどこを起点として五街道が整備されましたか。
答え
日本橋
【解説】
陸上交通では、江戸の日本橋を起点として五街道が定められました。街道沿いには宿場や関所が置かれ、人や物の移動を支えたり監視したりしました。地方の街道も主要な街道につながるよう整備されていきました。日本橋は、江戸時代の交通の重要な出発点でした。
【解説】
陸上交通では、江戸の日本橋を起点として五街道が定められました。街道沿いには宿場や関所が置かれ、人や物の移動を支えたり監視したりしました。地方の街道も主要な街道につながるよう整備されていきました。日本橋は、江戸時代の交通の重要な出発点でした。
読解トレーニング問題
① 五街道の起点はどこですか。
答え
江戸の日本橋。
② 街道沿いには何と何が置かれましたか。
答え
宿場と関所。
③ 地方の街道は、どのように整備されていきましたか。
答え
主要な街道につながるように整備された。
34江戸時代の五街道をすべて答えなさい。
答え
東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中
【解説】
五街道は、日本橋を起点として整備された主要な道路です。東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中の五つがありました。これらの道は江戸と各地を結び、人や物資の移動に使われました。参勤交代などにも利用されました。
【解説】
五街道は、日本橋を起点として整備された主要な道路です。東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中の五つがありました。これらの道は江戸と各地を結び、人や物資の移動に使われました。参勤交代などにも利用されました。
読解トレーニング問題
① 五街道の起点はどこですか。
答え
日本橋。
② 五街道は何と何を結びましたか。
答え
江戸と各地。
③ 五街道は、大名が江戸と領地を行き来する何にも利用されましたか。
答え
参勤交代。
35街道沿いに置かれ、旅人の宿泊や人・馬の交代を行う場所を何といいますか。
答え
宿場
【解説】
街道沿いには宿場が置かれました。宿場では旅人が宿泊したり、荷物を遠くへ運ぶために人や馬を交代させたりしました。江戸時代には多くの人や物が街道を行き来したため、宿場は交通を支える大切な場所でした。宿場の発達は、街道沿いの町の発展にもつながりました。
【解説】
街道沿いには宿場が置かれました。宿場では旅人が宿泊したり、荷物を遠くへ運ぶために人や馬を交代させたりしました。江戸時代には多くの人や物が街道を行き来したため、宿場は交通を支える大切な場所でした。宿場の発達は、街道沿いの町の発展にもつながりました。
読解トレーニング問題
① 宿場では旅人は何をしましたか。
答え
宿泊した。
② 荷物を遠くへ運ぶため、宿場では何を交代させましたか。
答え
人や馬。
③ 宿場の発達は、どのような町の発展につながりましたか。
答え
街道沿いの町。
36街道に置かれ、人や物の移動を監視した場所を何といいますか。
答え
関所
【解説】
街道には関所が置かれました。関所は、人や物の移動を監視する役割をもちました。交通が発達すると多くの人々が各地を移動するようになったため、幕府は街道を整える一方で移動を管理しました。関所は、交通の管理に重要な役割を果たしました。
【解説】
街道には関所が置かれました。関所は、人や物の移動を監視する役割をもちました。交通が発達すると多くの人々が各地を移動するようになったため、幕府は街道を整える一方で移動を管理しました。関所は、交通の管理に重要な役割を果たしました。
読解トレーニング問題
① 関所はどこに置かれましたか。
答え
街道。
② 関所が監視したものを二つ答えなさい。
答え
人と物。
③ 幕府は街道を整える一方で、何も行いましたか。
答え
人や物の移動の管理。
⑧ 海の道と航路
37江戸時代に、河川や海を利用して発達した交通を何といいますか。答え
水上交通
【解説】
江戸時代には、陸上交通だけでなく水上交通も発達しました。全国各地で河川の改修が行われ、航路や港も整備されました。船を使うと、大量の物資を遠くまで運ぶことができました。そのため、米や特産物などを運ぶうえで水上交通は重要でした。
【解説】
江戸時代には、陸上交通だけでなく水上交通も発達しました。全国各地で河川の改修が行われ、航路や港も整備されました。船を使うと、大量の物資を遠くまで運ぶことができました。そのため、米や特産物などを運ぶうえで水上交通は重要でした。
読解トレーニング問題
① 水上交通では、全国各地で何の改修が行われましたか。
答え
河川。
② 河川のほかに整備されたものを二つ答えなさい。
答え
航路と港。
③ 船による輸送には、どのような利点がありましたか。
答え
大量の物資を遠くまで運べること。
38東北地方の米などを、日本海沿岸・瀬戸内海を回って大阪へ運ぶ航路を何といいますか。
答え
西廻り航路
【解説】
東北地方の米などを大阪へ運ぶため、西廻り航路が開かれました。この航路は、日本海沿岸を南下し、瀬戸内海を通って大阪へ向かいました。大量の米や物資を船で効率よく運ぶことができました。大阪が全国の物資の集まる商業都市として発展することにもつながりました。
【解説】
東北地方の米などを大阪へ運ぶため、西廻り航路が開かれました。この航路は、日本海沿岸を南下し、瀬戸内海を通って大阪へ向かいました。大量の米や物資を船で効率よく運ぶことができました。大阪が全国の物資の集まる商業都市として発展することにもつながりました。
読解トレーニング問題
① 西廻り航路で主に運ばれたものの例は何ですか。
答え
東北地方の米など。
② 西廻り航路は、どの二つの海域を通りましたか。
答え
日本海沿岸と瀬戸内海。
③ 西廻り航路の終点となる大きな商業都市はどこですか。
答え
大阪。
39太平洋沿岸を通って、東北地方などの物資を江戸へ運ぶ航路を何といいますか。
答え
東廻り航路
【解説】
東廻り航路は、太平洋沿岸を通って江戸へ物資を運ぶ航路です。西廻り航路が大阪へ向かったのに対し、東廻り航路は江戸へ向かいました。江戸は人口が多く、多くの物資を必要としていました。航路の整備によって、地方から江戸へ大量の物資を運ぶことができるようになりました。
【解説】
東廻り航路は、太平洋沿岸を通って江戸へ物資を運ぶ航路です。西廻り航路が大阪へ向かったのに対し、東廻り航路は江戸へ向かいました。江戸は人口が多く、多くの物資を必要としていました。航路の整備によって、地方から江戸へ大量の物資を運ぶことができるようになりました。
読解トレーニング問題
① 東廻り航路はどの海側を通りましたか。
答え
太平洋沿岸。
② 西廻り航路は大阪へ向かいましたが、東廻り航路はどこへ向かいましたか。
答え
江戸。
③ 江戸へ多くの物資を運ぶ必要があった理由は何ですか。
答え
江戸は人口が多く、多くの物資を必要としていたため。
学習課題③ 交通網の整備は、産業や経済の発達にどのような影響を与えたのだろうか
40交通網の整備は、江戸時代の産業や経済にどのような影響を与えましたか。答え
五街道や航路が整えられ、大量の物資を遠くまで運べるようになったことで、各地の産物が都市に集まり、商業や都市が発展した。
【解説】
幕府は五街道や宿場を整え、陸上交通を発達させました。また、西廻り航路や東廻り航路などの海上交通も整備しました。その結果、米や特産物などを大量に遠くまで運ぶことができるようになりました。物資が江戸や大阪などの都市に集まり、商業や都市の発展につながりました。
【解説】
幕府は五街道や宿場を整え、陸上交通を発達させました。また、西廻り航路や東廻り航路などの海上交通も整備しました。その結果、米や特産物などを大量に遠くまで運ぶことができるようになりました。物資が江戸や大阪などの都市に集まり、商業や都市の発展につながりました。
読解トレーニング問題
① 陸上交通で整えられた代表的なものは何ですか。
答え
五街道や宿場。
② 海上交通の代表的な二つの航路を答えなさい。
答え
西廻り航路と東廻り航路。
③ 交通網の発達によって、どのような都市に物資が集まりましたか。
答え
江戸や大阪などの都市。
⑨ 三都の発展
41江戸時代に特に大きく発展し、「三都」とよばれた三つの都市を答えなさい。答え
江戸・大阪・京都
【解説】
産業と交通が発達すると、城下町など各地の都市も成長しました。特に大きく発展した江戸・大阪・京都は三都とよばれました。江戸は政治、大阪は商業、京都は文化などの面で重要な都市でした。それぞれ異なる役割をもちながら全国と結びついていました。
【解説】
産業と交通が発達すると、城下町など各地の都市も成長しました。特に大きく発展した江戸・大阪・京都は三都とよばれました。江戸は政治、大阪は商業、京都は文化などの面で重要な都市でした。それぞれ異なる役割をもちながら全国と結びついていました。
読解トレーニング問題
① 三都の発展を支えたものを二つ答えなさい。
答え
産業と交通。
② 江戸は主に何の中心でしたか。
答え
政治。
③ 大阪と京都は、それぞれ主に何の面で重要でしたか。
答え
大阪は商業、京都は文化。
42「将軍のおひざもと」とよばれた都市はどこですか。
答え
江戸
【解説】
江戸は「将軍のおひざもと」とよばれ、政治の中心として発展しました。18世紀初めには人口が100万人をこえ、当時としては世界有数の大都市となりました。武士だけでなく、多くの町人も暮らしていました。人口が増えたため、全国から多くの物資が江戸へ運ばれました。
【解説】
江戸は「将軍のおひざもと」とよばれ、政治の中心として発展しました。18世紀初めには人口が100万人をこえ、当時としては世界有数の大都市となりました。武士だけでなく、多くの町人も暮らしていました。人口が増えたため、全国から多くの物資が江戸へ運ばれました。
読解トレーニング問題
① 江戸は何の中心として発展しましたか。
答え
政治の中心。
② 18世紀初めの江戸の人口はおよそ何人をこえましたか。
答え
100万人。
③ 江戸へ全国から多くの物資が運ばれた理由は何ですか。
答え
人口が増えたため。
43古代以来の都で、朝廷があり、文化の中心でもあった都市はどこですか。
答え
京都
【解説】
京都は、朝廷がある古代以来の都でした。江戸時代にも文化の中心として栄えました。西陣織などの伝統的な高級織物や、清水焼などの工芸品が数多くつくられました。これらの品物は各地へ送られました。
【解説】
京都は、朝廷がある古代以来の都でした。江戸時代にも文化の中心として栄えました。西陣織などの伝統的な高級織物や、清水焼などの工芸品が数多くつくられました。これらの品物は各地へ送られました。
読解トレーニング問題
① 京都には何がありましたか。
答え
朝廷。
② 京都でつくられた伝統的な高級織物の例は何ですか。
答え
西陣織。
③ 京都でつくられた工芸品の例を一つ答えなさい。
答え
清水焼。
44「天下の台所」とよばれた都市はどこですか。
答え
大阪
【解説】
大阪は「天下の台所」とよばれ、商業の中心として発展しました。全国から集められた大量の年貢米や特産物が大阪へ運び込まれ、取引されました。各藩は大阪に蔵屋敷を置き、年貢米や特産物を保管して売りました。交通網の発達によって、大阪には全国の物資が集まりました。
【解説】
大阪は「天下の台所」とよばれ、商業の中心として発展しました。全国から集められた大量の年貢米や特産物が大阪へ運び込まれ、取引されました。各藩は大阪に蔵屋敷を置き、年貢米や特産物を保管して売りました。交通網の発達によって、大阪には全国の物資が集まりました。
読解トレーニング問題
① 大阪は何の中心として発展しましたか。
答え
商業の中心。
② 大阪には全国から何が運び込まれましたか。二つ答えなさい。
答え
年貢米と特産物。
③ 各藩は大阪に何を置きましたか。
答え
蔵屋敷。
45各藩が大阪に置き、年貢米や特産物を保管・販売した施設を何といいますか。
答え
蔵屋敷
【解説】
大阪には、各藩の蔵屋敷が数多く置かれました。蔵屋敷には、藩から送られてきた年貢米や特産物が集められました。これらは大阪の商人を通じて売買されました。蔵屋敷が多く置かれたことからも、大阪が全国の物資の集まる商業都市だったことが分かります。
【解説】
大阪には、各藩の蔵屋敷が数多く置かれました。蔵屋敷には、藩から送られてきた年貢米や特産物が集められました。これらは大阪の商人を通じて売買されました。蔵屋敷が多く置かれたことからも、大阪が全国の物資の集まる商業都市だったことが分かります。
読解トレーニング問題
① 蔵屋敷を置いたのは誰ですか。
答え
各藩。
② 蔵屋敷に集められたものを二つ答えなさい。
答え
年貢米と特産物。
③ 蔵屋敷の存在から、大阪はどのような都市だったと分かりますか。
答え
全国の物資が集まる商業都市。
⑩ 貨幣・両替商・株仲間
46江戸時代、東日本と西日本では主にどのような貨幣が使われましたか。答え
東日本では金貨、西日本では銀貨
【解説】
江戸時代の東日本では、主に金の貨幣が使われました。一方、西日本では主に銀の貨幣が使われました。そのため、大阪や京都から江戸へ取引する場合には、金貨と銀貨を交換する必要がありました。こうした事情から、両替商が発達しました。
【解説】
江戸時代の東日本では、主に金の貨幣が使われました。一方、西日本では主に銀の貨幣が使われました。そのため、大阪や京都から江戸へ取引する場合には、金貨と銀貨を交換する必要がありました。こうした事情から、両替商が発達しました。
読解トレーニング問題
① 東日本で主に使われた貨幣は何ですか。
答え
金貨。
② 西日本で主に使われた貨幣は何ですか。
答え
銀貨。
③ 金貨と銀貨の違いによって発達した商人は何ですか。
答え
両替商。
47金貨と銀貨の交換や、お金の貸し借り、為替などを行った商人を何といいますか。
答え
両替商
【解説】
東日本では金貨、西日本では銀貨が多く使われたため、貨幣の交換が必要でした。そこで両替商が発達し、金貨と銀貨を交換しました。両替商は、貨幣の交換だけでなく、お金の貸し借りや為替なども行いました。特に大阪では金融業が発達しました。
【解説】
東日本では金貨、西日本では銀貨が多く使われたため、貨幣の交換が必要でした。そこで両替商が発達し、金貨と銀貨を交換しました。両替商は、貨幣の交換だけでなく、お金の貸し借りや為替なども行いました。特に大阪では金融業が発達しました。
読解トレーニング問題
① 両替商が発達した理由は何ですか。
答え
東日本では金貨、西日本では銀貨が多く使われ、貨幣の交換が必要だったため。
② 両替商が行った仕事を三つ答えなさい。
答え
貨幣の交換、お金の貸し借り、為替。
③ 特に金融業が発達した都市はどこですか。
答え
大阪。
48同じ種類の商売をする商人たちがつくった組織を何といいますか。
答え
株仲間
【解説】
商人たちは、同業者の組織である株仲間をつくりました。株仲間は幕府や藩に税を納める代わりに、独占的に営業する特権を得ました。これによって商人は利益を上げることができました。産業や商業が発達すると、商人の中には大きな富を蓄える者も現れました。
【解説】
商人たちは、同業者の組織である株仲間をつくりました。株仲間は幕府や藩に税を納める代わりに、独占的に営業する特権を得ました。これによって商人は利益を上げることができました。産業や商業が発達すると、商人の中には大きな富を蓄える者も現れました。
読解トレーニング問題
① 株仲間はどのような人々の組織ですか。
答え
同業者の商人。
② 株仲間は何を納める代わりに特権を得ましたか。
答え
幕府や藩への税。
③ 株仲間が得た特権はどのようなものですか。
答え
独占的に営業する特権。
⑪ 北前船と昆布ロード
49日本海側を中心に、蝦夷地と大阪方面などを結んだ船を何といいますか。答え
北前船
【解説】
北前船は、主に西廻り航路を通り、蝦夷地と大阪方面などを結んだ船です。上方や瀬戸内地域では北陸地方へ向かう日本海船を北前船とよびました。北前船は各地の港に寄りながら商品を売買しました。単に荷物を運ぶだけでなく、商売をしながら航海する船でした。
【解説】
北前船は、主に西廻り航路を通り、蝦夷地と大阪方面などを結んだ船です。上方や瀬戸内地域では北陸地方へ向かう日本海船を北前船とよびました。北前船は各地の港に寄りながら商品を売買しました。単に荷物を運ぶだけでなく、商売をしながら航海する船でした。
読解トレーニング問題
① 北前船は主に何という航路を通りましたか。
答え
西廻り航路。
② 北前船はどの地域と大阪方面などを結びましたか。
答え
蝦夷地。
③ 北前船は荷物を運ぶだけでなく、各地で何をしましたか。
答え
商品を売買した。
50北前船は、蝦夷地から本州へ主にどのようなものを運びましたか。
答え
にしん・昆布・鮭・ますなどの海産物
【解説】
北前船は、蝦夷地からの帰りに、にしん・昆布・鮭・ますなどの海産物を運びました。また、にしんを加工した肥料も運びました。一方、本州から蝦夷地へ向かうときには、米・縄・むしろ・酒なども運びました。北前船によって、蝦夷地と本州の間でさまざまな品物が行き来しました。
【解説】
北前船は、蝦夷地からの帰りに、にしん・昆布・鮭・ますなどの海産物を運びました。また、にしんを加工した肥料も運びました。一方、本州から蝦夷地へ向かうときには、米・縄・むしろ・酒なども運びました。北前船によって、蝦夷地と本州の間でさまざまな品物が行き来しました。
読解トレーニング問題
① 蝦夷地から運ばれた海産物を三つ答えなさい。
答え
にしん・昆布・鮭・ますのうち三つ。
② にしんは海産物のほかに、何に加工されて運ばれましたか。
答え
肥料。
③ 本州から蝦夷地へ運ばれたものを二つ答えなさい。
答え
米・縄・むしろ・酒などのうち二つ。
51蝦夷地から大阪・九州・琉球、さらに清へと昆布が運ばれた道を何とよびますか。
答え
昆布ロード
【解説】
北前船などによって、蝦夷地でとれた昆布が本州各地へ運ばれました。昆布は大阪や九州、琉球を経て、さらに清へも運ばれました。このように昆布が運ばれた海上交通路は、近年「昆布ロード」とよばれています。昆布の移動は、各地の食文化や商業にも影響を与えました。
【解説】
北前船などによって、蝦夷地でとれた昆布が本州各地へ運ばれました。昆布は大阪や九州、琉球を経て、さらに清へも運ばれました。このように昆布が運ばれた海上交通路は、近年「昆布ロード」とよばれています。昆布の移動は、各地の食文化や商業にも影響を与えました。
読解トレーニング問題
① 昆布はどこでとれたものですか。
答え
蝦夷地。
② 昆布は大阪や九州のあと、どの地域を経て清へ運ばれましたか。
答え
琉球。
③ 昆布の移動は、何と何に影響を与えましたか。
答え
各地の食文化と商業。
52昆布ロードで成功した廻船商人として教科書に紹介されている人物は誰ですか。
答え
高田屋嘉兵衛
【解説】
教科書では、淡路出身の廻船商人である高田屋嘉兵衛が紹介されています。嘉兵衛は、頼まれた荷物を運ぶだけでなく、各地の物価や需要を考えて自分の判断で商品を仕入れ、売買しました。昆布などを仕入れて利益を上げ、廻船商人として成功しました。また、日本に来たロシアとの交渉でも活躍しました。
【解説】
教科書では、淡路出身の廻船商人である高田屋嘉兵衛が紹介されています。嘉兵衛は、頼まれた荷物を運ぶだけでなく、各地の物価や需要を考えて自分の判断で商品を仕入れ、売買しました。昆布などを仕入れて利益を上げ、廻船商人として成功しました。また、日本に来たロシアとの交渉でも活躍しました。
読解トレーニング問題
① 高田屋嘉兵衛はどこの出身ですか。
答え
淡路。
② 嘉兵衛は、何を考えて商品を仕入れましたか。
答え
各地の物価や需要。
③ 嘉兵衛は、商売のほかにどの国との交渉でも活躍しましたか。
答え
ロシア。
53富山藩で盛んだった商売は何ですか。
答え
薬売り
【解説】
富山藩では薬売りが盛んでした。薬売りは、得意先の置き薬が入った箱を背負い、商売先へ向かいました。富山では、昆布や俵物が清で人気があることに注目し、長崎や琉球を通して輸出する動きもありました。その代わりに、清から薬種を仕入れました。
【解説】
富山藩では薬売りが盛んでした。薬売りは、得意先の置き薬が入った箱を背負い、商売先へ向かいました。富山では、昆布や俵物が清で人気があることに注目し、長崎や琉球を通して輸出する動きもありました。その代わりに、清から薬種を仕入れました。
読解トレーニング問題
① 富山の薬売りは、何を背負って商売先へ向かいましたか。
答え
置き薬が入った箱。
② 富山では昆布や俵物をどこへ輸出しようとしましたか。
答え
清。
③ 清から仕入れたものは何ですか。
答え
薬種。
54昆布などを琉球を通して清へ送り、貿易の利益を得た藩はどこですか。
答え
薩摩藩
【解説】
薩摩藩は、琉球を通じた交易に深く関わっていました。藩の財政が悪化する中で、北前船で運ばれる昆布や俵物が清で人気であることに注目しました。そこで、それらを琉球を経由して清へ売ることで利益を得ました。薩摩藩にとって、琉球との関係は経済面でも重要でした。
【解説】
薩摩藩は、琉球を通じた交易に深く関わっていました。藩の財政が悪化する中で、北前船で運ばれる昆布や俵物が清で人気であることに注目しました。そこで、それらを琉球を経由して清へ売ることで利益を得ました。薩摩藩にとって、琉球との関係は経済面でも重要でした。
読解トレーニング問題
① 薩摩藩が深く関わっていたのは、どこを通じた交易ですか。
答え
琉球を通じた交易。
② 薩摩藩が清へ売ろうとしたものを二つ答えなさい。
答え
昆布と俵物。
③ 薩摩藩がこの交易に注目した背景には、何の悪化がありましたか。
答え
藩の財政の悪化。
55昆布ロードによって、どのような食文化が生まれましたか。
答え
各地に昆布を使った食文化が広がり、関西の昆布だしや塩昆布、沖縄のクーブイリチーなどが生まれた。
【解説】
昆布ロードによって、北海道でとれた昆布が日本各地へ運ばれました。そのため、各地域で昆布を使った独自の食文化が生まれました。教科書では、関西の昆布だしや塩昆布、沖縄のクーブイリチーなどが紹介されています。交通と商業の発達が、現在まで続く食文化にも影響を与えたことが分かります。
【解説】
昆布ロードによって、北海道でとれた昆布が日本各地へ運ばれました。そのため、各地域で昆布を使った独自の食文化が生まれました。教科書では、関西の昆布だしや塩昆布、沖縄のクーブイリチーなどが紹介されています。交通と商業の発達が、現在まで続く食文化にも影響を与えたことが分かります。
読解トレーニング問題
① 昆布はどこから日本各地へ運ばれましたか。
答え
北海道。
② 関西で生まれた昆布を使う食文化の例を二つ答えなさい。
答え
昆布だしと塩昆布。
③ 沖縄の昆布料理として紹介されているものは何ですか。
答え
クーブイリチー。
学習課題④ 昆布ロードでどのような結びつきが生まれたのだろうか
56昆布ロードによって、日本各地や中国の間にどのような結びつきが生まれましたか。答え
蝦夷地の昆布が北前船で大阪・九州・琉球などへ運ばれ、さらに清へ輸出されることで、各地の商業・薬業・食文化が結びついた。
【解説】
蝦夷地でとれた昆布は、北前船などによって大阪・九州・琉球へ運ばれ、さらに清へも輸出されました。富山では昆布や俵物の輸出と薬種の仕入れが薬業に関係し、薩摩藩は琉球を通じた交易で利益を得ました。また、昆布が各地へ広がったことで、関西や沖縄などに独自の昆布料理が生まれました。このように昆布ロードは、交通・商業・産業・食文化を広い地域で結びつけました。
【解説】
蝦夷地でとれた昆布は、北前船などによって大阪・九州・琉球へ運ばれ、さらに清へも輸出されました。富山では昆布や俵物の輸出と薬種の仕入れが薬業に関係し、薩摩藩は琉球を通じた交易で利益を得ました。また、昆布が各地へ広がったことで、関西や沖縄などに独自の昆布料理が生まれました。このように昆布ロードは、交通・商業・産業・食文化を広い地域で結びつけました。
読解トレーニング問題
① 昆布は最終的にどの国へも輸出されましたか。
答え
清。
② 富山では、昆布や俵物の輸出と何の仕入れが薬業に関係しましたか。
答え
薬種の仕入れ。
③ 昆布ロードが結びつけたものを四つ答えなさい。
答え
交通・商業・産業・食文化。
重要年号・時期
18世紀初めごろまで 幕府が全国の交通網を整える。
18世紀初め 江戸の人口が100万人をこえ、世界有数の大都市となる。
1769~1827年 北前船で成功した廻船商人・高田屋嘉兵衛の生涯。
18世紀初めごろまで 幕府が全国の交通網を整える。
18世紀初め 江戸の人口が100万人をこえ、世界有数の大都市となる。
1769~1827年 北前船で成功した廻船商人・高田屋嘉兵衛の生涯。
重要語句
日本橋:江戸にあり、五街道の起点となった場所。
五街道:東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中。
宿場:街道沿いに置かれ、旅人の宿泊や人・馬の交代などを行った場所。
関所:街道に置かれ、人や物の移動を監視した場所。
西廻り航路:日本海沿岸・瀬戸内海を通り、東北地方の米などを大阪へ運んだ航路。
東廻り航路:太平洋沿岸を通って、物資を江戸へ運んだ航路。
三都:江戸・大阪・京都。江戸時代に特に大きく発展した都市。
江戸:「将軍のおひざもと」とよばれた政治の中心。18世紀初めには人口100万人をこえた。
京都:朝廷がある古代以来の都で、文化の中心。西陣織や清水焼などがつくられた。
大阪:「天下の台所」とよばれた商業の中心。全国から年貢米や特産物が集まった。
蔵屋敷:各藩が大阪に置き、年貢米や特産物を保管・販売した施設。
両替商:金貨と銀貨の交換、お金の貸し借り、為替などを行った商人。
株仲間:同業者の商人がつくった組織。税を納める代わりに独占的に営業する特権を得た。
北前船:主に西廻り航路を通り、蝦夷地と大阪方面などを結んだ船。各地で商品を売買しながら航海した。
昆布ロード:蝦夷地の昆布が大阪・九州・琉球を経て清へ運ばれた海上交通路。
高田屋嘉兵衛:各地の商品を自ら売買して利益を上げ、北前船で成功した廻船商人。
富山の薬売り:置き薬を使った商売。昆布などの輸出と清からの薬種の仕入れにも関係した。
クーブイリチー:沖縄の伝統的な昆布料理の一つ。昆布ロードによる文化交流を示す例。
日本橋:江戸にあり、五街道の起点となった場所。
五街道:東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中。
宿場:街道沿いに置かれ、旅人の宿泊や人・馬の交代などを行った場所。
関所:街道に置かれ、人や物の移動を監視した場所。
西廻り航路:日本海沿岸・瀬戸内海を通り、東北地方の米などを大阪へ運んだ航路。
東廻り航路:太平洋沿岸を通って、物資を江戸へ運んだ航路。
三都:江戸・大阪・京都。江戸時代に特に大きく発展した都市。
江戸:「将軍のおひざもと」とよばれた政治の中心。18世紀初めには人口100万人をこえた。
京都:朝廷がある古代以来の都で、文化の中心。西陣織や清水焼などがつくられた。
大阪:「天下の台所」とよばれた商業の中心。全国から年貢米や特産物が集まった。
蔵屋敷:各藩が大阪に置き、年貢米や特産物を保管・販売した施設。
両替商:金貨と銀貨の交換、お金の貸し借り、為替などを行った商人。
株仲間:同業者の商人がつくった組織。税を納める代わりに独占的に営業する特権を得た。
北前船:主に西廻り航路を通り、蝦夷地と大阪方面などを結んだ船。各地で商品を売買しながら航海した。
昆布ロード:蝦夷地の昆布が大阪・九州・琉球を経て清へ運ばれた海上交通路。
高田屋嘉兵衛:各地の商品を自ら売買して利益を上げ、北前船で成功した廻船商人。
富山の薬売り:置き薬を使った商売。昆布などの輸出と清からの薬種の仕入れにも関係した。
クーブイリチー:沖縄の伝統的な昆布料理の一つ。昆布ロードによる文化交流を示す例。
学習課題のまとめ
③ 交通網の整備は、産業や経済の発達にどのような影響を与えたのだろうか。
幕府は、江戸の日本橋を起点に五街道を整え、街道沿いには宿場や関所を置きました。また、河川や海を利用した水上交通も発達し、西廻り航路や東廻り航路が整えられました。これによって米や特産物など大量の物資を遠くまで運べるようになり、江戸・大阪・京都の三都をはじめとする都市が発展しました。大阪には全国から年貢米や特産物が集まり、「天下の台所」とよばれる商業の中心となりました。
④ 昆布ロードでどのような結びつきが生まれたのだろうか。
北前船によって蝦夷地の昆布や海産物が大阪・九州などへ運ばれ、昆布はさらに琉球を経て清へ輸出されました。この海上交通路は「昆布ロード」とよばれます。富山では昆布などの輸出と清からの薬種の仕入れが薬業に結びつき、薩摩藩は琉球を通じた交易で利益を得ました。また、昆布が各地へ広がった結果、関西の昆布だしや沖縄のクーブイリチーなど、地域独自の食文化も発達しました。つまり、昆布ロードは交通だけでなく、商業・産業・食文化を広い地域で結びつけました。
この範囲全体の流れ
農業や各地の産業が発達する
↓
米や特産物など運ぶ物資が増える
↓
五街道・宿場・航路・港が整備される
↓
大量の物資が江戸・大阪・京都へ集まる
↓
三都や商業が発展する
↓
両替商・株仲間など商人の活動も活発になる
↓
北前船が蝦夷地と本州各地を結ぶ
↓
昆布ロードが琉球・清まで広がり、商業や文化の交流が進む
③ 交通網の整備は、産業や経済の発達にどのような影響を与えたのだろうか。
幕府は、江戸の日本橋を起点に五街道を整え、街道沿いには宿場や関所を置きました。また、河川や海を利用した水上交通も発達し、西廻り航路や東廻り航路が整えられました。これによって米や特産物など大量の物資を遠くまで運べるようになり、江戸・大阪・京都の三都をはじめとする都市が発展しました。大阪には全国から年貢米や特産物が集まり、「天下の台所」とよばれる商業の中心となりました。
④ 昆布ロードでどのような結びつきが生まれたのだろうか。
北前船によって蝦夷地の昆布や海産物が大阪・九州などへ運ばれ、昆布はさらに琉球を経て清へ輸出されました。この海上交通路は「昆布ロード」とよばれます。富山では昆布などの輸出と清からの薬種の仕入れが薬業に結びつき、薩摩藩は琉球を通じた交易で利益を得ました。また、昆布が各地へ広がった結果、関西の昆布だしや沖縄のクーブイリチーなど、地域独自の食文化も発達しました。つまり、昆布ロードは交通だけでなく、商業・産業・食文化を広い地域で結びつけました。
この範囲全体の流れ
農業や各地の産業が発達する
↓
米や特産物など運ぶ物資が増える
↓
五街道・宿場・航路・港が整備される
↓
大量の物資が江戸・大阪・京都へ集まる
↓
三都や商業が発展する
↓
両替商・株仲間など商人の活動も活発になる
↓
北前船が蝦夷地と本州各地を結ぶ
↓
昆布ロードが琉球・清まで広がり、商業や文化の交流が進む
