歴史
【① 邪馬台国】
弥生時代、日本にはまだ統一された国はなく、
たくさんの小さな国がありました。
その中で、中国の歴史書に名前が出てくる国が 邪馬台国 です。
女王・卑弥呼が治めていた国で、
日本が初めて外国の記録に登場した例です。
【② 聖徳太子】
6世紀の終わりごろ、政治の中心で活躍した人物が 聖徳太子 です。
天皇を助ける立場(摂政)として、
国をまとめるための政治を行いました。
仏教を広め、役人の心構えを示した人物です。
【③ 大化の改新】
645年、国の仕組みを大きく変える改革が行われました。
これを 大化の改新 といいます。
豪族が勝手に土地や人を支配する政治をやめ、
天皇を中心とした国づくりを目指しました。
【④ 大宝律令】
701年、中国にならった法律が完成します。
これが 大宝律令 です。
政治のきまりと、罰のきまりをまとめたもので、
日本の国家の基本ルールが整いました。
【⑤ 平城京】
710年、都が 平城京 に移されます。
今の奈良県です。
ここから奈良時代が始まり、
仏教を重んじる政治が行われました。
【⑥ 平安京】
794年、都は 平安京 に移ります。
現在の京都です。
奈良の仏教勢力から離れ、
貴族中心の政治を進めるための移転でした。
【⑦ 藤原道長】
平安時代の中ごろ、最も力をもった貴族が 藤原道長 です。
天皇の外戚(母方の親族)として政治を動かし、
貴族による政治が最も栄えた時代をつくりました。
【① 白河上皇(院政)】
平安時代の終わりごろ、天皇を退位した 上皇 が、
実際の政治を行うようになりました。
これを 院政 といいます。
天皇ではなく、上皇が力をもつ政治の形です。
【② 源頼朝】
武士のまとめ役として登場したのが 源頼朝 です。
武士たちは、都から遠い東国で力をつけ、
貴族の政治に不満をもっていました。
【③ 鎌倉幕府】
1192年、源頼朝は 鎌倉幕府 を開きます。
これが、日本で初めての 武士による政府 です。
政治の中心が、京都から鎌倉へ移りました。
【④ 執権】
源頼朝の死後、幕府の実権をにぎったのが 執権 です。
将軍を助ける役職でしたが、
しだいに北条氏が政治の実権を握るようになりました。
【⑤ 御成敗式目】
1232年、武士のための法律がつくられました。
これが 御成敗式目 です。
裁判の基準を示したもので、
武士の社会に合ったルールでした。
【⑥ 承久の乱】
1221年、後鳥羽上皇が幕府を倒そうとして起こした争いが
承久の乱 です。
しかし幕府が勝ち、
武士の力が朝廷よりも強くなったことがはっきりしました。
【⑦ 蒙古襲来】
13世紀後半、日本は外国から攻められます。
これが 蒙古襲来 です。
二度の侵攻を受けましたが、日本は何とか防ぎました。
しかし、戦いのあとに御家人は苦しくなります。
【⑧ 建武の新政】
1334年、後醍醐天皇が始めた政治改革が 建武の新政 です。
天皇中心の政治を取り戻そうとしました。
しかし、武士の不満が大きく、長くは続きませんでした。
【⑨ 足利尊氏】
武士の不満を背景に立ち上がった人物が 足利尊氏 です。
後醍醐天皇と対立し、新しい幕府をつくります。
【⑩ 室町幕府】
1338年、足利尊氏は 室町幕府 を開きます。
政治の中心は再び京都に戻りました。
しかし将軍の力は弱く、守護大名が強くなっていきます。
【⑪ 南北朝】
この時代、天皇が二つに分かれました。
これを 南北朝 といいます。
約60年間続き、のちに統一されます。
【⑫ 応仁の乱】
1467年、京都で大きな争いが起こります。
これが 応仁の乱 です。
将軍の後継ぎ争いや、守護大名の対立が原因でした。
【⑬ 下剋上】
応仁の乱の後、身分の低い者が上の者を倒す
下剋上 の世の中になります。
ここから戦国時代へ進んでいきます。
弥生時代、日本にはまだ統一された国はなく、
たくさんの小さな国がありました。
その中で、中国の歴史書に名前が出てくる国が 邪馬台国 です。
女王・卑弥呼が治めていた国で、
日本が初めて外国の記録に登場した例です。
【② 聖徳太子】
6世紀の終わりごろ、政治の中心で活躍した人物が 聖徳太子 です。
天皇を助ける立場(摂政)として、
国をまとめるための政治を行いました。
仏教を広め、役人の心構えを示した人物です。
【③ 大化の改新】
645年、国の仕組みを大きく変える改革が行われました。
これを 大化の改新 といいます。
豪族が勝手に土地や人を支配する政治をやめ、
天皇を中心とした国づくりを目指しました。
【④ 大宝律令】
701年、中国にならった法律が完成します。
これが 大宝律令 です。
政治のきまりと、罰のきまりをまとめたもので、
日本の国家の基本ルールが整いました。
【⑤ 平城京】
710年、都が 平城京 に移されます。
今の奈良県です。
ここから奈良時代が始まり、
仏教を重んじる政治が行われました。
【⑥ 平安京】
794年、都は 平安京 に移ります。
現在の京都です。
奈良の仏教勢力から離れ、
貴族中心の政治を進めるための移転でした。
【⑦ 藤原道長】
平安時代の中ごろ、最も力をもった貴族が 藤原道長 です。
天皇の外戚(母方の親族)として政治を動かし、
貴族による政治が最も栄えた時代をつくりました。
【① 白河上皇(院政)】
平安時代の終わりごろ、天皇を退位した 上皇 が、
実際の政治を行うようになりました。
これを 院政 といいます。
天皇ではなく、上皇が力をもつ政治の形です。
【② 源頼朝】
武士のまとめ役として登場したのが 源頼朝 です。
武士たちは、都から遠い東国で力をつけ、
貴族の政治に不満をもっていました。
【③ 鎌倉幕府】
1192年、源頼朝は 鎌倉幕府 を開きます。
これが、日本で初めての 武士による政府 です。
政治の中心が、京都から鎌倉へ移りました。
【④ 執権】
源頼朝の死後、幕府の実権をにぎったのが 執権 です。
将軍を助ける役職でしたが、
しだいに北条氏が政治の実権を握るようになりました。
【⑤ 御成敗式目】
1232年、武士のための法律がつくられました。
これが 御成敗式目 です。
裁判の基準を示したもので、
武士の社会に合ったルールでした。
【⑥ 承久の乱】
1221年、後鳥羽上皇が幕府を倒そうとして起こした争いが
承久の乱 です。
しかし幕府が勝ち、
武士の力が朝廷よりも強くなったことがはっきりしました。
【⑦ 蒙古襲来】
13世紀後半、日本は外国から攻められます。
これが 蒙古襲来 です。
二度の侵攻を受けましたが、日本は何とか防ぎました。
しかし、戦いのあとに御家人は苦しくなります。
【⑧ 建武の新政】
1334年、後醍醐天皇が始めた政治改革が 建武の新政 です。
天皇中心の政治を取り戻そうとしました。
しかし、武士の不満が大きく、長くは続きませんでした。
【⑨ 足利尊氏】
武士の不満を背景に立ち上がった人物が 足利尊氏 です。
後醍醐天皇と対立し、新しい幕府をつくります。
【⑩ 室町幕府】
1338年、足利尊氏は 室町幕府 を開きます。
政治の中心は再び京都に戻りました。
しかし将軍の力は弱く、守護大名が強くなっていきます。
【⑪ 南北朝】
この時代、天皇が二つに分かれました。
これを 南北朝 といいます。
約60年間続き、のちに統一されます。
【⑫ 応仁の乱】
1467年、京都で大きな争いが起こります。
これが 応仁の乱 です。
将軍の後継ぎ争いや、守護大名の対立が原因でした。
【⑬ 下剋上】
応仁の乱の後、身分の低い者が上の者を倒す
下剋上 の世の中になります。
ここから戦国時代へ進んでいきます。
Q1. 古代日本で国のまとまりが見られ始め、政治の基礎がつくられていく流れとして正しいものを選びなさい。
ア 聖徳太子が摂政になる。
イ 卑弥呼が邪馬台国を治める。
Q2. 天皇中心の政治へと向かう流れとして正しいものを選びなさい。
ア 中大兄皇子らによって、大化の改新が始められる。
イ 聖徳太子が摂政になる。
Q3. 政治改革が制度としてまとめられていく流れとして正しいものを選びなさい。
ア 唐にならった大宝律令が定められる。
イ 中大兄皇子らによって、大化の改新が始められる。
Q4. 邪馬台国の時代から律令国家が完成するまでの流れとして正しいものを選びなさい。
ア 唐にならった大宝律令が定められる。
イ 卑弥呼が邪馬台国を治める。
ウ 中大兄皇子らによって、大化の改新が始められる。
Q5. 古代国家が成立していく流れとして正しいものを選びなさい。
ア 中大兄皇子らによって、大化の改新が始められる。
イ 唐にならった大宝律令が定められる。
ウ 聖徳太子が摂政になる。
Q6. 国の制度が最も整えられた段階を最後にした並びとして正しいものを選びなさい。
ア 唐にならった大宝律令が定められる。
イ 卑弥呼が邪馬台国を治める。
ウ 聖徳太子が摂政になる。
Q7. 古代日本の政治が完成していく流れとして正しいものを選びなさい。
ア 唐にならった大宝律令が定められる。
イ 聖徳太子が摂政になる。
ウ 卑弥呼が邪馬台国を治める。
エ 中大兄皇子らによって、大化の改新が始められる。
Q8. 奈良時代から平安時代への都の移動として正しいものを選びなさい。
ア 桓武天皇が都を、平安京に移す。
イ 都を平城京に移す。
Q9. 平安時代の政治の流れとして正しいものを選びなさい。
ア 貴族の藤原道長が摂政になる。
イ 桓武天皇が都を、平安京に移す。
Q10. 都の移動と政治の変化として正しいものを選びなさい。
ア 貴族の藤原道長が摂政になる。
イ 都を平城京に移す。
Q11. 奈良時代から平安時代にかけての政治の流れとして正しいものを選びなさい。
ア 貴族の藤原道長が摂政になる。
イ 都を平城京に移す。
ウ 桓武天皇が都を、平安京に移す。
ア 聖徳太子が摂政になる。
イ 卑弥呼が邪馬台国を治める。
答え
イ → ア
【説明】卑弥呼の政治は3世紀ごろで、その後6〜7世紀に聖徳太子が政治を行い、国の仕組みづくりが進みました。
【説明】卑弥呼の政治は3世紀ごろで、その後6〜7世紀に聖徳太子が政治を行い、国の仕組みづくりが進みました。
Q2. 天皇中心の政治へと向かう流れとして正しいものを選びなさい。
ア 中大兄皇子らによって、大化の改新が始められる。
イ 聖徳太子が摂政になる。
答え
イ → ア
【説明】聖徳太子の政治のあと、豪族中心の政治を改めるために大化の改新が行われました。
【説明】聖徳太子の政治のあと、豪族中心の政治を改めるために大化の改新が行われました。
Q3. 政治改革が制度としてまとめられていく流れとして正しいものを選びなさい。
ア 唐にならった大宝律令が定められる。
イ 中大兄皇子らによって、大化の改新が始められる。
答え
イ → ア
【説明】大化の改新で改革が始まり、その成果として大宝律令が定められ、国の制度が完成しました。
【説明】大化の改新で改革が始まり、その成果として大宝律令が定められ、国の制度が完成しました。
Q4. 邪馬台国の時代から律令国家が完成するまでの流れとして正しいものを選びなさい。
ア 唐にならった大宝律令が定められる。
イ 卑弥呼が邪馬台国を治める。
ウ 中大兄皇子らによって、大化の改新が始められる。
答え
イ → ウ → ア
【説明】卑弥呼の時代は国のまとまりの初期段階で、その後に改革が行われ、最後に大宝律令で国家の仕組みが整いました。
【説明】卑弥呼の時代は国のまとまりの初期段階で、その後に改革が行われ、最後に大宝律令で国家の仕組みが整いました。
Q5. 古代国家が成立していく流れとして正しいものを選びなさい。
ア 中大兄皇子らによって、大化の改新が始められる。
イ 唐にならった大宝律令が定められる。
ウ 聖徳太子が摂政になる。
答え
ウ → ア → イ
【説明】聖徳太子の政治を土台として改革が進み、その結果として大宝律令が定められました。
【説明】聖徳太子の政治を土台として改革が進み、その結果として大宝律令が定められました。
Q6. 国の制度が最も整えられた段階を最後にした並びとして正しいものを選びなさい。
ア 唐にならった大宝律令が定められる。
イ 卑弥呼が邪馬台国を治める。
ウ 聖徳太子が摂政になる。
答え
イ → ウ → ア
【説明】卑弥呼の時代が最も古く、律令の制定は国の制度が完成した最も新しい出来事です。
【説明】卑弥呼の時代が最も古く、律令の制定は国の制度が完成した最も新しい出来事です。
Q7. 古代日本の政治が完成していく流れとして正しいものを選びなさい。
ア 唐にならった大宝律令が定められる。
イ 聖徳太子が摂政になる。
ウ 卑弥呼が邪馬台国を治める。
エ 中大兄皇子らによって、大化の改新が始められる。
答え
ウ → イ → エ → ア
【説明】小国のまとまりから始まり、政治改革を経て、律令国家が完成するという流れです。
【説明】小国のまとまりから始まり、政治改革を経て、律令国家が完成するという流れです。
Q8. 奈良時代から平安時代への都の移動として正しいものを選びなさい。
ア 桓武天皇が都を、平安京に移す。
イ 都を平城京に移す。
答え
イ → ア
【説明】平城京は奈良時代の都で、その後、桓武天皇によって平安京に移されました。
【説明】平城京は奈良時代の都で、その後、桓武天皇によって平安京に移されました。
Q9. 平安時代の政治の流れとして正しいものを選びなさい。
ア 貴族の藤原道長が摂政になる。
イ 桓武天皇が都を、平安京に移す。
答え
イ → ア
【説明】平安京への遷都のあと、貴族政治が進み、藤原道長が摂政として政治の中心となりました。
【説明】平安京への遷都のあと、貴族政治が進み、藤原道長が摂政として政治の中心となりました。
Q10. 都の移動と政治の変化として正しいものを選びなさい。
ア 貴族の藤原道長が摂政になる。
イ 都を平城京に移す。
答え
イ → ア
【説明】藤原道長の政治は平安時代で、平城京の時代より後の出来事です。
【説明】藤原道長の政治は平安時代で、平城京の時代より後の出来事です。
Q11. 奈良時代から平安時代にかけての政治の流れとして正しいものを選びなさい。
ア 貴族の藤原道長が摂政になる。
イ 都を平城京に移す。
ウ 桓武天皇が都を、平安京に移す。
答え
イ → ウ → ア
【説明】奈良時代に平城京、その後平安京に遷都し、平安時代に藤原氏が力を持つようになりました。
【説明】奈良時代に平城京、その後平安京に遷都し、平安時代に藤原氏が力を持つようになりました。
