国語教科書 42ページ クマゼミ増加の原因を探る

教科書

クマゼミ増加の原因を探る

沼田英治

研究のきっかけ
一九六〇年代、大阪市に隣接する豊中市で少年時代を過ごした私にとって、クマゼミは「セミの王様」だった。
全長六、七センチメートルもある、重厚で黒光りのする体。
羽化したての若い成虫には、金色の毛が輝く。
何よりも数が少なく、めったに捕ることができなかった。
私はその後、豊中市を離れ、一九八四年に戻ってきた。
クマゼミの声が大きくなったと気づいたのは、そのときだ。
大阪市内はさらに顕著で、ほぼクマゼミの声しか聞こえなくなっていた。
クマゼミが増えているのか。
検証の機会は二〇〇三年に訪れた。
私は、当時学生だった森山実さんと、六年間に及ぶ調査を開始した。
図1に、大阪府内で行った抜け殻調査の結果を示す。
大阪市内の公園や大学では、やはりクマゼミが圧倒的に多く、かつてはよく見られたアブラゼミは二割以下に、ニイニイゼミやツクツクボウシはいなくなっていた。
いっぽう、市外の緑地や森林には、依然としてアブラゼミが多く、山の上には、さらに多様な種類のセミが生息していることがわかった。
大阪市内では、なぜクマゼミの占める割合が、これほど高くなったのだろうか。
一九六〇年代からの主な変化として挙げられるのが、この地域の都市化、気温上昇、湿度の低下である。
急速な都市化にともない、植物や土で覆われた地面は舗装されてビルや道路になった。
都市化はヒートアイランド現象を引き起こす。
一九六〇年からの五十年間で大阪市の年平均気温は約一度上昇し、湿度は十パーセント近く低下した。
つまり、現在の大阪市内は、以前より暑く、乾燥している。
クマゼミは、もともと西日本の温暖な地域に多く生息し、暑さには強いと考えられる。
ヒートアイランド現象による環境変化が有利に働いたのではないだろうか。
私たちは、この点について検証していくことにした。
[前提]クマゼミの一生と、環境の影響を受ける時期気温や湿度がクマゼミに与える影響を考えるために、まずは、その一生を確認しておこう(図2)。
①卵の段階 クマゼミは、夏に枯れ枝に産卵する。
卵はやがて休眠に入り、そのまま地上で冬を越す。
②孵化して土に潜る段階 休眠を終えた卵は、春、気温が上がると体を作り始め、梅雨から夏にかけて孵化する。
雨の日に孵化し、幼虫はすぐ土に潜る。
③幼虫として地中で過ごす段階 植物の根から栄養を取り、七年ほどかけて成長する。
④地上に出て成虫になる段階 幼虫は夏に地上に出て羽化し、産卵して一生を終える。
この中で、気温や湿度の影響を受けやすいのは、地上で外気にさらされる①②④の段階であると推定できる。
特に、小さく未熟な状態である①と②は危険だ。
①の卵は野外で冬を越すため、厳しい寒さに耐える必要がある。
また、②の孵化したばかりの幼虫は弱く、一時間以内に地中に潜らないと、アリに襲われたり乾燥したりして死んでしまう。
そのときの環境に、生存が左右されるおそれがあるのだ。
[仮説1]冬の寒さの緩和
私たちはまず、地上で冬を越す「①卵の段階」に注目し、次のような仮説を立てた。
[仮説1]クマゼミの卵は寒さに弱く、昔の大阪では冬を越せるものが少なかった。
しかし、気温上昇で寒さが和らぎ、越冬できる卵が増えた。
この仮説を検証するために、私たちはクマゼミの卵がどれぐらいの低温に耐えられるかを実験してみた。
その結果、なんと氷点下二十一度に一日置いても、大部分が生き延びることがわかった(図3)。
次に、長く続く寒さへの耐性を調べた。
観測史上、大阪市の一か月の平均気温が零度を下回ったことはない。
そこで、それより低い氷点下五度に三十日間置いてみたが、特に影響は見られなかった(図4)。
しかし、これらは全て実験室で得た結果だ。
気温や湿度が変動する野外の冬に耐えられる保証はない。
そこで、二〇〇五年九月、私たちはクマゼミの卵を大阪市および大阪市より気温の低い東大阪市の枚岡山に置き、一年後に孵化した数を調べた。
その結果、より寒い枚岡山でも孵化率は下がらなかった(図5)。
十二月から二月までの大阪市の平均気温は五・五度、枚岡山は三・七度。
枚岡山は一九六〇年代の大阪市内より少し寒いにもかかわらず、クマゼミの卵は問題なく越冬することができた。
これらの結果は、クマゼミの卵が寒さに強く、かつての大阪でも十分越冬できたことを示している。
つまり、冬の寒さの緩和はクマゼミ増加の原因ではない。
仮説が明確に否定されたことで可能性が一つ排除され、その分、原因を絞り込むことができた。
[仮説2]気温上昇による孵化の時期の変化
私たちは、気温上昇が及ぼす他の影響を検討するために「②孵化して土に潜る段階」に着目した。
クマゼミに限らず卵で越冬するセミは、春、気温が上がると体を作り始め、一、二か月で孵化できる状態になる。
つまり、気温の上がった近年のほうが早く孵化できる状態になる。
重要なのは、セミの卵がこの状態で雨を待つことだ。
生まれたばかりの幼虫は、小さくて体が軟らかく、前述のとおり一時間以内に地中に潜らないと、アリに襲われたり乾燥したりして死んでしまう。
そのため、土がぬかるんで軟らかくなる雨の日を狙って孵化するのだ。
確実に雨を捉えるために、セミの卵は高い湿度を感知して孵化する。
孵化には雨が必須であり、そもそも雨が降らないと、孵化できない仕組みになっているのだ。
これは、孵化の時期が雨の多い梅雨に当たれば、無事に孵化できる確率が高まることを意味する。
気温上昇によりセミの孵化は早まっている。
いっぽう気象庁の記録によると、過去五十年間、梅雨明けの時期は、ほとんど変わっていない。
以上のことから、私たちは、次のような仮説を立てた。
[仮説2]気温上昇で孵化が早まり、梅雨に重なったことで、孵化できる卵が増えた。
私たちは、クマゼミを含む四種のセミに産卵させ、卵を野外に置いて観察した。
図6を見てほしい。
他のセミは、孵化がほぼ梅雨の期間に収まっているのに対し、孵化が遅いクマゼミだけは、途中で梅雨が明けてしまった。
この観察をしたのは二〇〇七年のことだが、より気温が低かった一九六〇年代には、梅雨明け後に孵化の準備が整い、雨に恵まれずに死んでいく卵がさらに多かったことになる。
つまり、気温上昇で孵化が早まり、梅雨に重なったことは、クマゼミ増加の原因の一つと考えられる。
ただ、梅雨の間に孵化が完了する点では、他のセミのほうが依然として有利だ。
クマゼミが増えた一因ではあっても、それだけが原因で、クマゼミの占める割合がこれほど高くなったとは考えにくい。
[仮説3]ヒートアイランド現象による乾燥と地表の整備による土の硬化
大阪市内では、なぜクマゼミの占める割合が、これほど高くなったのか。
私たちは、再び幼虫が「②孵化して土に潜る段階」に注目した。
[仮説2]でも述べたとおり、雨が降ると土がぬかるんで軟らかくなり、幼虫が地面に潜りやすくなる。
しかし、都市化の進んだ大阪市内では、地表の大半が舗装されており、セミは地面に潜れない。
さらに、公園などに残された土も、人の足で踏み固められ、ヒートアイランド現象の影響で乾燥し切っている。
雨が降っても、野原や森林の土のように、ぬかるむことはない。
私たちは、図1に示した抜け殻調査をする際に、それらの地点の土の硬さも測定していた。
その結果、クマゼミが多い市内の公園は土が硬く、クマゼミが少ない市外の緑地や森林は土が軟らかいことがわかった。
私たちは、この違いに注目し、次のような仮説を立てた。
[仮説3]クマゼミの幼虫は土を掘る力が強く、ヒートアイランド現象による乾燥と地表の整備によって硬化した地面にも潜ることができる。
この仮説を検証するために、私たちは、セミの幼虫が土に潜る能力を実験で比較した。
まず、四段階の硬さに押し固めた土を用意して、そこに孵化したばかりの幼虫を入れた。
時間以内に潜れるかどうかを観察した。
結果が図7である。
クマゼミは他のセミと比べ、硬い土に潜る能力が圧倒的に高かった。
乾燥と地表整備で、他のセミが潜れなくなるほど硬くなった地面にも、クマゼミだけは潜ることができる。
これが、大阪市内でクマゼミの占める割合が高まった原因と考えられる。
まとめ
以上のことから、大阪市内でクマゼミの占める割合が高まった背景には、都市部におけるヒートアイランド現象の影響があることが明らかになった。
ただし、冬の寒さの緩和は関係がなかった。
私たちの検証の範囲で関連が認められるのは、気温上昇で孵化の準備が早まり、梅雨と重なってクマゼミの孵化率が向上したこと、そして、ヒートアイランド現象による乾燥や地表整備で硬化した都市部の土に潜る能力が他のセミと比べて圧倒的に高かったことの二点である。
環境の変化と、生物の数や分布の変化は、簡単に関連づけて語られることが多い。
しかし、私たちがクマゼミについてこの結論を得るまでには、何年もの間、実験や観察を重ねる必要があった。
物事の原因を追究するには、世間一般にいわれていることをうのみにするのではなく、科学的な根拠を一歩一歩積み上げて臨む姿勢が大切である。
ぴたトレ
1
要点チェック
クマゼミ増加の原因を探る
沼田 英治
p.28
1
新出漢字の読み
線の読み仮名を書きなさい。
① 羽化
答え
うか
② 捕る
答え
とる
③ 顕著
答え
けんちょ
④ 殻
答え
から
⑤ 占める
答え
しめる
⑥ 湿度
答え
しつど
⑦ 舗装
答え
ほそう
⑧ 乾燥
答え
かんそう
⑨ 産卵
答え
さんらん
⑩ 休眠
答え
きゅうみん
⑪ 耐える
答え
たえる
⑫ 緩和
答え
かんわ
⑬ 排除
答え
はいじょ
⑭ 軟らかい
答え
やわらかい
⑮ 必須
答え
ひっす
⑯ 硬化
答え
こうか
⑰ 臨む
答え
のぞむ

2
新出漢字の書き
漢字に直して書きなさい。
① 木が(か)れる。
答え
② 土に(もぐ)る。
答え
③ 気温が(れいど)になる。
答え
零度
④ 的を(ねら)う。
答え
3
慣用句
正しい意味を下から選び、線で結びなさい。
p44 さらす ア 思うままに支配する。
p44 左右する イ 真意をよく理解せず受け入れる。
p49 うのみにする ウ 雨風や日光が当たるままにする。
答え
① ウ  ② ア  ③ イ 

4
話題の前提
①〜⑤に当てはまる言葉を、語群から選びなさい。
雨の日 七年 クマゼミ 休眠
きっかけ
一九八四年、大阪市で①(   )が増えているのではないかと気づく。
二〇〇三年からの六年間、都市化によるヒートアイランド現象の影響を検証することにした。
前提
クマゼミの一生

1 夏に産卵。卵は②(   )に入り、地上で冬を越す。
2 梅雨から③(   )に卵が孵化し、幼虫はすぐ土にもぐる。
3 ④(   )ほどかけて土の中で成長する。
4 ⑤(   )に地上に出て羽化し、産卵して一生を終える。

→ 1・2の未熟な状態では気温や湿度の影響を受けやすい。
答え
① クマゼミ  ② 休眠  ③ 夏  ④ 七年  ⑤ 夏

5
語句確認
根拠 否定 越冬 抜け殻 幼虫 立証
①〜⑦の(   )にあてはまる語句を、上の語群から選びなさい。
段落 区分 内容 図表
序論
1〜4
教 初め〜p.43:20
研究のきっかけ ・1984年・1960年代に比べクマゼミの声が大きくなった。
・2008年・①(    )調査で大阪市内のクマゼミが多いと分かった。
・主な変化は都市化・気温上昇・湿度の低下 ➡ ヒートアイランド現象の影響か(大きな仮説)。
客観的な根拠
➡ 図1 抜け殻調査の結果
(2008年)
本論
5〜19
教 p.44:1〜p.48:13
前提 クマゼミの一生 1 夏に産卵し、②(    )を越す。 2 梅雨から夏に孵化し土に潜る。
3 幼虫として土の中で七年過ごす。 4 夏に地上に出て産卵する。
情報の視覚化
➡ 図2 クマゼミの一生
仮説1
教 p.44:1〜p.48:13
気温上昇により③(    )できる卵が増えたのではないか。
・実験の結果クマゼミの卵は寒さに強いことがわかった。 ➡ 仮説1の否定
仮説の検証結果
➡ 図3、4、5 気温と卵の生存率、孵化率
仮説2
教 p.44:1〜p.48:13
気温上昇で孵化時期が早まり、梅雨に重なって孵化できる卵が増えたのではないか。
観察結果から、クマゼミ増加の一因と考えられる。
・他のセミのほうが梅雨時期に孵化が重なっており、クマゼミが他より多い理由にならない。
➡ 仮説2の④(    )
仮説の検証結果
➡ 図6 セミの孵化の時期(2007年)と雨の日の割合
仮説3
教 p.44:1〜p.48:13
ヒートアイランド現象と地表の整備で硬化した地面にクマゼミは潜れるからではないか。
セミの幼虫の土に潜る能力を実験で比較すると、クマゼミが圧倒的に高かった。
➡ 仮説3の⑤(    )
仮説の検証結果
➡ 図7 土に潜ることのできた⑥(    )の割合
結論
20〜21
教 p.49:1〜終わり
まとめ ・クマゼミ増加の背景にはヒートアイランド現象の影響があることが明らかになった。
・物事の原因を追究するには科学的な⑦(    )を積み上げる必要がある。
結論の図式化
➡ 大阪府の都市部でクマゼミの割合が高まった要因
答え
① 抜け殻  ② 冬  ③ 越冬  ④ 否定  ⑤ 立証  ⑥ 幼虫  ⑦ 根拠