歴史教科書 124ページ 1 幕藩体制の始まり
学習課題
江戸幕府は大名や朝廷を統制するために、どのようなしくみをつくったのだろうか。
江戸時代の幕開け
豊臣秀吉の死後、勢力を伸ばしたのは、関東を領地にしていた徳川家康でした。
1600年に家康は、豊臣氏の支配をそのまま続けようとする石田三成らの大名を、関ヶ原の戦い(岐阜県)で破り、全国支配を強めていきました。
そして、1603年に朝廷から征夷大将軍に任命された家康は、江戸(東京都)に幕府を開きました(江戸幕府)江戸時代の始まりです。
家康は1615年に豊臣氏を滅ぼし(大阪の陣)、徳川氏が約260年間にわたって全国を支配する基礎をつくりました。
江戸幕府のしくみ
幕府が直接支配する直轄地を幕領といい、将軍直属の家来の領地も含めると、江戸時代初めの石高は約400万石で、やがて全国のおよそ4分の1にあたる約700万石に及びました。
また、大阪・京都・奈良・長崎などの主要都市や、全国の主な鉱山も直轄地とし、収入源としました。
さらに、金・銀・銅の貨幣を発行し、貿易も独占しました。
将軍は、直属の家来である旗本・御家人を中心に強大な軍事力をもっていました。
幕府の政治は、将軍が任命した老中が行い、若年寄がそれを補佐し、三奉行(寺社奉行・町奉行・勘定奉行)が職務を分担して行いました。
幕府と藩の関係
将軍から1万石以上の領地を与えられた武士を大名とよび、大名は幕領以外の土地を支配しました。
大名の数は時代によって変動がありますが、江戸時代後半には約270に上りました。
大名には、徳川一門の親藩、初めから徳川氏の家臣であった譜代大名、関ヶ原の戦いのころから徳川氏に従った外様大名の区別があり、幕府の重要な役職には譜代大名や旗本が任命されました。
大名が支配する領域は藩といい、藩では独自の統治が認められました。
3代将軍徳川家光のころには、このような幕府と藩が全国の土地と人々を支配する幕藩体制のしくみが確立しました。
大名や朝廷の統制
幕府は武家諸法度を定め、築城や大名どうしの結婚などに制限を設けました。
法度に違反した大名に対しては、国替や藩の取り潰し(改易)などを行いました。
さらに、家光のころには参勤交代の制度が整えられ、多くの大名は1年おきに江戸と領地を行き来し、その妻や子は江戸の屋敷に住むよう命じられました。
また、幕府は御手伝普請とよばれる、河川や江戸城を整備するなどの土木工事を大名に命じました。
参勤交代や御手伝普請の費用は、大名にとって重い負担でした。
また幕府は、京都所司代を置いて朝廷を監視し、禁中並公家諸法度を定めて、天皇は学問に専念することや、朝廷の役割などを示しました。
解説
旗本と御家人
徳川氏の家来のうち1万石未満で直接将軍に会うことができる者を旗本、できない者を御家人とよびます。
武家諸法度
文武弓馬の道にひたすら励むようにせよ。
城は、たとえ修理であっても必ず幕府に報告せよ。
ましてや、新しく城を築くようなことは、固く禁止する。
一、幕府の許可がなく、勝手に婚姻を結んではいけない。
[以上元和]A
一、大名が自分の領地と江戸とを交代で住むように定める。
毎年4月に江戸へ参勤せよ。
事を企て、同盟の誓約をしてはならない。
500石以上積める船を、つくることを禁止する。
[以上寛永令]B
A 1615年に、家康の命令で作成され、秀忠が発布したもの
B 1635年に、家光の命令で追加され、発布したもの
江戸幕府は大名や朝廷を統制するために、どのようなしくみをつくったのだろうか。
江戸時代の幕開け
豊臣秀吉の死後、勢力を伸ばしたのは、関東を領地にしていた徳川家康でした。
1600年に家康は、豊臣氏の支配をそのまま続けようとする石田三成らの大名を、関ヶ原の戦い(岐阜県)で破り、全国支配を強めていきました。
そして、1603年に朝廷から征夷大将軍に任命された家康は、江戸(東京都)に幕府を開きました(江戸幕府)江戸時代の始まりです。
家康は1615年に豊臣氏を滅ぼし(大阪の陣)、徳川氏が約260年間にわたって全国を支配する基礎をつくりました。
江戸幕府のしくみ
幕府が直接支配する直轄地を幕領といい、将軍直属の家来の領地も含めると、江戸時代初めの石高は約400万石で、やがて全国のおよそ4分の1にあたる約700万石に及びました。
また、大阪・京都・奈良・長崎などの主要都市や、全国の主な鉱山も直轄地とし、収入源としました。
さらに、金・銀・銅の貨幣を発行し、貿易も独占しました。
将軍は、直属の家来である旗本・御家人を中心に強大な軍事力をもっていました。
幕府の政治は、将軍が任命した老中が行い、若年寄がそれを補佐し、三奉行(寺社奉行・町奉行・勘定奉行)が職務を分担して行いました。
幕府と藩の関係
将軍から1万石以上の領地を与えられた武士を大名とよび、大名は幕領以外の土地を支配しました。
大名の数は時代によって変動がありますが、江戸時代後半には約270に上りました。
大名には、徳川一門の親藩、初めから徳川氏の家臣であった譜代大名、関ヶ原の戦いのころから徳川氏に従った外様大名の区別があり、幕府の重要な役職には譜代大名や旗本が任命されました。
大名が支配する領域は藩といい、藩では独自の統治が認められました。
3代将軍徳川家光のころには、このような幕府と藩が全国の土地と人々を支配する幕藩体制のしくみが確立しました。
大名や朝廷の統制
幕府は武家諸法度を定め、築城や大名どうしの結婚などに制限を設けました。
法度に違反した大名に対しては、国替や藩の取り潰し(改易)などを行いました。
さらに、家光のころには参勤交代の制度が整えられ、多くの大名は1年おきに江戸と領地を行き来し、その妻や子は江戸の屋敷に住むよう命じられました。
また、幕府は御手伝普請とよばれる、河川や江戸城を整備するなどの土木工事を大名に命じました。
参勤交代や御手伝普請の費用は、大名にとって重い負担でした。
また幕府は、京都所司代を置いて朝廷を監視し、禁中並公家諸法度を定めて、天皇は学問に専念することや、朝廷の役割などを示しました。
解説
旗本と御家人
徳川氏の家来のうち1万石未満で直接将軍に会うことができる者を旗本、できない者を御家人とよびます。
武家諸法度
文武弓馬の道にひたすら励むようにせよ。
城は、たとえ修理であっても必ず幕府に報告せよ。
ましてや、新しく城を築くようなことは、固く禁止する。
一、幕府の許可がなく、勝手に婚姻を結んではいけない。
[以上元和]A
一、大名が自分の領地と江戸とを交代で住むように定める。
毎年4月に江戸へ参勤せよ。
事を企て、同盟の誓約をしてはならない。
500石以上積める船を、つくることを禁止する。
[以上寛永令]B
A 1615年に、家康の命令で作成され、秀忠が発布したもの
B 1635年に、家光の命令で追加され、発布したもの
授業 / 江戸時代の幕開け
今日は江戸時代の始まりについて学習します。
この時代は、日本が約260年もの長い間、安定した政治のもとで続いた大切な時代です。
まず、誰がその基礎をつくったのかを考えていきましょう。
最初に確認します。
豊臣秀吉が亡くなったあと、日本では再び権力争いが起こりました。
その中で勢力を伸ばしたのが徳川家康です。
家康はもともと関東地方を支配しており、力をたくわえていました。
ここはテストでもよく出るポイントです。「秀吉の死後に勢力を伸ばした人物=徳川家康」と覚えましょう。
次に、重要な戦いです。
1600年、家康は関ヶ原の戦いで石田三成らの大名と戦いました。
この戦いは、日本の支配者を決める天下分け目の戦いといわれています。
結果は、家康の勝利でした。
この勝利によって、家康は全国支配への道を大きく進めました。
テストでは「関ヶ原の戦いの年=1600年」「勝ったのは徳川家康」という点がよく問われます。
では、家康はその後どうしたのでしょうか。
1603年、家康は朝廷から征夷大将軍に任命されました。
そして、江戸(現在の東京都)に幕府を開きます。
これが江戸幕府です。
ここが非常に重要です。「江戸幕府が開かれた年=1603年」「場所=江戸」と必ず覚えてください。
この出来事によって、江戸時代が始まりました。
しかし、この時点ではまだ完全に支配が安定したわけではありません。
豊臣氏はまだ力を持っていたからです。
そこで家康は、1615年に大阪の陣で豊臣氏を滅ぼしました。
これによって、徳川氏に対抗する大きな勢力はなくなります。
つまり、日本の支配が完全に徳川氏中心となったのです。
テストでは「豊臣氏を滅ぼした戦い=大阪の陣」「年号=1615年」も重要です。
まとめます。
徳川家康は、
・1600年:関ヶ原の戦いで勝利
・1603年:江戸幕府を開く
・1615年:大阪の陣で豊臣氏を滅ぼす
という流れで、全国支配を完成させました。
そして、この支配の体制は約260年間続きます。
これが江戸時代です。
長く安定した時代が続いた理由は、これから学ぶ幕府の政治の仕組みにあります。
最後に確認問題です。
「江戸幕府を開いた人物は誰ですか?」→徳川家康
「関ヶ原の戦いは何年ですか?」→1600年
「江戸幕府が開かれたのは何年ですか?」→1603年
「豊臣氏が滅ぼされた戦いは何ですか?」→大阪の陣
この4つは必ずテストに出る重要ポイントです。しっかり覚えましょう。
この時代は、日本が約260年もの長い間、安定した政治のもとで続いた大切な時代です。
まず、誰がその基礎をつくったのかを考えていきましょう。
最初に確認します。
豊臣秀吉が亡くなったあと、日本では再び権力争いが起こりました。
その中で勢力を伸ばしたのが徳川家康です。
家康はもともと関東地方を支配しており、力をたくわえていました。
ここはテストでもよく出るポイントです。「秀吉の死後に勢力を伸ばした人物=徳川家康」と覚えましょう。
次に、重要な戦いです。
1600年、家康は関ヶ原の戦いで石田三成らの大名と戦いました。
この戦いは、日本の支配者を決める天下分け目の戦いといわれています。
結果は、家康の勝利でした。
この勝利によって、家康は全国支配への道を大きく進めました。
テストでは「関ヶ原の戦いの年=1600年」「勝ったのは徳川家康」という点がよく問われます。
では、家康はその後どうしたのでしょうか。
1603年、家康は朝廷から征夷大将軍に任命されました。
そして、江戸(現在の東京都)に幕府を開きます。
これが江戸幕府です。
ここが非常に重要です。「江戸幕府が開かれた年=1603年」「場所=江戸」と必ず覚えてください。
この出来事によって、江戸時代が始まりました。
しかし、この時点ではまだ完全に支配が安定したわけではありません。
豊臣氏はまだ力を持っていたからです。
そこで家康は、1615年に大阪の陣で豊臣氏を滅ぼしました。
これによって、徳川氏に対抗する大きな勢力はなくなります。
つまり、日本の支配が完全に徳川氏中心となったのです。
テストでは「豊臣氏を滅ぼした戦い=大阪の陣」「年号=1615年」も重要です。
まとめます。
徳川家康は、
・1600年:関ヶ原の戦いで勝利
・1603年:江戸幕府を開く
・1615年:大阪の陣で豊臣氏を滅ぼす
という流れで、全国支配を完成させました。
そして、この支配の体制は約260年間続きます。
これが江戸時代です。
長く安定した時代が続いた理由は、これから学ぶ幕府の政治の仕組みにあります。
最後に確認問題です。
「江戸幕府を開いた人物は誰ですか?」→徳川家康
「関ヶ原の戦いは何年ですか?」→1600年
「江戸幕府が開かれたのは何年ですか?」→1603年
「豊臣氏が滅ぼされた戦いは何ですか?」→大阪の陣
この4つは必ずテストに出る重要ポイントです。しっかり覚えましょう。
授業 / 江戸幕府のしくみ
今日は江戸幕府のしくみについて学習します。
江戸時代が長く安定した理由は、この幕府の支配の仕組みにあります。
どのようにして幕府が全国を支配していたのか、具体的に見ていきましょう。
まず、幕府の土地支配についてです。
幕府が直接支配する土地のことを幕領といいます。
さらに、将軍の家来である旗本や御家人の領地も含めると、江戸時代の初めには約400万石の支配力がありました。
その後、支配は広がり、最終的には約700万石、つまり全国の約4分の1にまで達しました。
ここはテストでよく出ます。「幕府の支配=全国の約4分の1」と覚えましょう。
では、幕府はどのようにしてお金を得ていたのでしょうか。
重要なのは、経済の中心をしっかり押さえていたことです。
幕府は大阪・京都・奈良・長崎などの主要都市を直接支配しました。
さらに、全国の鉱山も幕府の直轄としました。
これにより、米だけでなく、金や銀などの資源からも収入を得ることができたのです。
ここでのポイントは「都市と鉱山を押さえることで収入を安定させた」という点です。
さらに重要なのが、貨幣と貿易です。
幕府は金・銀・銅の貨幣を発行しました。
つまり、お金の流れを幕府がコントロールしていたのです。
また、貿易も幕府が独占していました。
これによって、外国との取引による利益も幕府が得ることができました。
テストでは「貨幣の発行」「貿易の独占」はセットで覚えましょう。
次に、軍事力についてです。
幕府は強い軍事力を持っていました。
その中心となったのが、将軍直属の家来である旗本と御家人です。
彼らは将軍に直接仕える武士であり、幕府を支える重要な戦力でした。
この強大な軍事力があったからこそ、幕府は反乱を防ぎ、安定した支配を続けることができました。
最後に、政治の仕組みです。
幕府の政治は、将軍がすべて行うわけではありません。
実際の政治は、将軍に任命された老中が中心となって行いました。
そして、その老中を助けたのが若年寄です。
さらに、仕事を分担して行ったのが三奉行です。
三奉行の内容はとても重要なので確認します。
・寺社奉行:寺や神社の管理
・町奉行:都市の政治や裁判
・勘定奉行:お金や財政の管理
このように、役割分担をすることで効率よく政治が行われていました。
テストでは「老中=政治の中心」「三奉行の役割」は頻出です。
まとめます。
江戸幕府は、
・幕領と家来の領地で広い土地を支配
・都市・鉱山を押さえて収入を確保
・貨幣の発行と貿易の独占で経済を支配
・旗本・御家人による強い軍事力
・老中・若年寄・三奉行による政治運営
という仕組みで成り立っていました。
最後に確認問題です。
「幕府が直接支配する土地を何といいますか?」→幕領
「幕府の支配は全国のどのくらいですか?」→約4分の1
「政治の中心となった役職は何ですか?」→老中
「三奉行のうち、財政を担当するのは?」→勘定奉行
これらはテストに必ず出る重要事項です。しっかり覚えましょう。
江戸時代が長く安定した理由は、この幕府の支配の仕組みにあります。
どのようにして幕府が全国を支配していたのか、具体的に見ていきましょう。
まず、幕府の土地支配についてです。
幕府が直接支配する土地のことを幕領といいます。
さらに、将軍の家来である旗本や御家人の領地も含めると、江戸時代の初めには約400万石の支配力がありました。
その後、支配は広がり、最終的には約700万石、つまり全国の約4分の1にまで達しました。
ここはテストでよく出ます。「幕府の支配=全国の約4分の1」と覚えましょう。
では、幕府はどのようにしてお金を得ていたのでしょうか。
重要なのは、経済の中心をしっかり押さえていたことです。
幕府は大阪・京都・奈良・長崎などの主要都市を直接支配しました。
さらに、全国の鉱山も幕府の直轄としました。
これにより、米だけでなく、金や銀などの資源からも収入を得ることができたのです。
ここでのポイントは「都市と鉱山を押さえることで収入を安定させた」という点です。
さらに重要なのが、貨幣と貿易です。
幕府は金・銀・銅の貨幣を発行しました。
つまり、お金の流れを幕府がコントロールしていたのです。
また、貿易も幕府が独占していました。
これによって、外国との取引による利益も幕府が得ることができました。
テストでは「貨幣の発行」「貿易の独占」はセットで覚えましょう。
次に、軍事力についてです。
幕府は強い軍事力を持っていました。
その中心となったのが、将軍直属の家来である旗本と御家人です。
彼らは将軍に直接仕える武士であり、幕府を支える重要な戦力でした。
この強大な軍事力があったからこそ、幕府は反乱を防ぎ、安定した支配を続けることができました。
最後に、政治の仕組みです。
幕府の政治は、将軍がすべて行うわけではありません。
実際の政治は、将軍に任命された老中が中心となって行いました。
そして、その老中を助けたのが若年寄です。
さらに、仕事を分担して行ったのが三奉行です。
三奉行の内容はとても重要なので確認します。
・寺社奉行:寺や神社の管理
・町奉行:都市の政治や裁判
・勘定奉行:お金や財政の管理
このように、役割分担をすることで効率よく政治が行われていました。
テストでは「老中=政治の中心」「三奉行の役割」は頻出です。
まとめます。
江戸幕府は、
・幕領と家来の領地で広い土地を支配
・都市・鉱山を押さえて収入を確保
・貨幣の発行と貿易の独占で経済を支配
・旗本・御家人による強い軍事力
・老中・若年寄・三奉行による政治運営
という仕組みで成り立っていました。
最後に確認問題です。
「幕府が直接支配する土地を何といいますか?」→幕領
「幕府の支配は全国のどのくらいですか?」→約4分の1
「政治の中心となった役職は何ですか?」→老中
「三奉行のうち、財政を担当するのは?」→勘定奉行
これらはテストに必ず出る重要事項です。しっかり覚えましょう。
授業 / 幕府と藩の関係
今日は幕府と藩の関係について学習します。
江戸時代の政治の特徴は、幕府だけでなく大名も一緒に支配を行っていたことです。
このしくみを理解することが、江戸時代の政治を理解するカギになります。
まず、「大名」とは何かを確認しましょう。
将軍から1万石以上の領地を与えられた武士のことを大名といいます。
ここは非常に重要です。「1万石以上=大名」と必ず覚えましょう。
そして、大名は幕領以外の土地を支配していました。
つまり、日本の土地は「幕府が直接支配する土地」と「大名が支配する土地」に分かれていたのです。
では、大名はどのくらいいたのでしょうか。
時代によって変化はありますが、江戸時代後半には約270の大名が存在しました。
この数もテストで問われることがあります。
次に、大名の種類についてです。
大名は大きく3つに分けられます。
①親藩
これは徳川一門の大名です。
将軍と血縁関係があるため、特に重要な存在でした。
②譜代大名
これは、もともと徳川氏の家臣だった大名です。
幕府に対する信頼が厚いため、重要な役職に就くことができました。
ここはテストのポイントです。「幕府の重要な役職=譜代大名」と覚えましょう。
③外様大名
これは、関ヶ原の戦いのころに徳川氏に従った大名です。
幕府との関係が比較的弱いため、重要な政治にはあまり関わることができませんでした。
このように、幕府は大名を区別することで、反乱を防ぎ、支配を安定させていたのです。
次に、「藩」についてです。
大名が支配する領地のことを藩といいます。
藩では、大名が中心となって独自の政治(統治)を行うことが認められていました。
つまり、日本は完全な中央集権ではなく、ある程度地方に任せる仕組みだったのです。
そして、この仕組みが完成したのはいつでしょうか。
3代将軍徳川家光の時代です。
このころ、幕府と藩が協力して全国を支配する仕組みが整いました。
これを幕藩体制といいます。
ここは最重要ポイントです。
幕藩体制=幕府と藩がともに支配する仕組み
この言葉は必ず覚えましょう。
まとめます。
・1万石以上の武士=大名
・大名の領地=藩
・大名は親藩・譜代・外様に分けられる
・重要な役職は譜代大名が担当
・幕府と藩で支配する仕組み=幕藩体制
最後に確認問題です。
「大名とはどのような武士ですか?」→1万石以上の領地を持つ武士
「大名の領地を何といいますか?」→藩
「幕府の重要な役職に就いたのはどの大名ですか?」→譜代大名
「幕府と藩がともに支配する仕組みを何といいますか?」→幕藩体制
これらはテストに必ず出る重要事項です。確実に覚えておきましょう。
江戸時代の政治の特徴は、幕府だけでなく大名も一緒に支配を行っていたことです。
このしくみを理解することが、江戸時代の政治を理解するカギになります。
まず、「大名」とは何かを確認しましょう。
将軍から1万石以上の領地を与えられた武士のことを大名といいます。
ここは非常に重要です。「1万石以上=大名」と必ず覚えましょう。
そして、大名は幕領以外の土地を支配していました。
つまり、日本の土地は「幕府が直接支配する土地」と「大名が支配する土地」に分かれていたのです。
では、大名はどのくらいいたのでしょうか。
時代によって変化はありますが、江戸時代後半には約270の大名が存在しました。
この数もテストで問われることがあります。
次に、大名の種類についてです。
大名は大きく3つに分けられます。
①親藩
これは徳川一門の大名です。
将軍と血縁関係があるため、特に重要な存在でした。
②譜代大名
これは、もともと徳川氏の家臣だった大名です。
幕府に対する信頼が厚いため、重要な役職に就くことができました。
ここはテストのポイントです。「幕府の重要な役職=譜代大名」と覚えましょう。
③外様大名
これは、関ヶ原の戦いのころに徳川氏に従った大名です。
幕府との関係が比較的弱いため、重要な政治にはあまり関わることができませんでした。
このように、幕府は大名を区別することで、反乱を防ぎ、支配を安定させていたのです。
次に、「藩」についてです。
大名が支配する領地のことを藩といいます。
藩では、大名が中心となって独自の政治(統治)を行うことが認められていました。
つまり、日本は完全な中央集権ではなく、ある程度地方に任せる仕組みだったのです。
そして、この仕組みが完成したのはいつでしょうか。
3代将軍徳川家光の時代です。
このころ、幕府と藩が協力して全国を支配する仕組みが整いました。
これを幕藩体制といいます。
ここは最重要ポイントです。
幕藩体制=幕府と藩がともに支配する仕組み
この言葉は必ず覚えましょう。
まとめます。
・1万石以上の武士=大名
・大名の領地=藩
・大名は親藩・譜代・外様に分けられる
・重要な役職は譜代大名が担当
・幕府と藩で支配する仕組み=幕藩体制
最後に確認問題です。
「大名とはどのような武士ですか?」→1万石以上の領地を持つ武士
「大名の領地を何といいますか?」→藩
「幕府の重要な役職に就いたのはどの大名ですか?」→譜代大名
「幕府と藩がともに支配する仕組みを何といいますか?」→幕藩体制
これらはテストに必ず出る重要事項です。確実に覚えておきましょう。
授業 / 大名や朝廷の統制
今日は大名や朝廷の統制について学習します。
江戸幕府はどのようにして大名や朝廷をコントロールし、長い安定を保ったのかを理解することが目標です。
まず、大名の統制についてです。
幕府は武家諸法度という決まりを定めました。
これは、大名が守らなければならないルールです。
この中では、城を勝手に築くことや大名同士の結婚などに制限がかけられました。
つまり、大名が勝手に力を強めることを防いだのです。
ここはテストでよく出ます。「大名を統制する法律=武家諸法度」と覚えましょう。
もし、この決まりを破ったらどうなるのでしょうか。
幕府は厳しい処分を行いました。
たとえば、領地を別の場所に移す国替や、藩そのものを取り上げる改易です。
これによって、大名は幕府に逆らうことができませんでした。
次に、非常に重要な制度である参勤交代についてです。
3代将軍徳川家光のころに制度が整えられました。
大名は1年おきに江戸と自分の領地を往復することが義務づけられました。
さらに、大名の妻や子どもは江戸に住むことが命じられました。
これはいわば人質のような役割を持ち、大名の反乱を防ぐための仕組みでした。
ここは最重要ポイントです。「参勤交代=大名が1年おきに江戸へ」「家族は江戸に住む」と覚えましょう。
また、幕府は御手伝普請という制度も行いました。
これは、河川工事や江戸城の整備などの土木工事を大名に命じるものです。
これにより、大名は多くの費用を負担することになりました。
参勤交代と合わせて、大名の経済力を弱める目的がありました。
テストでは「参勤交代・御手伝普請=大名の負担を増やす」とセットで覚えましょう。
次に、朝廷の統制についてです。
幕府は京都所司代を京都に置き、朝廷を監視しました。
さらに、禁中並公家諸法度という決まりを定めました。
この中では、天皇は政治ではなく学問に専念することなどが定められました。
つまり、朝廷が政治に関わらないようにしたのです。
ここも重要です。「朝廷の統制=禁中並公家諸法度」と覚えましょう。
まとめます。
幕府は、
・武家諸法度で大名を統制
・違反者には国替・改易で処分
・参勤交代で行動と家族を管理
・御手伝普請で経済的に負担をかける
・京都所司代と禁中並公家諸法度で朝廷を統制
という方法で支配を安定させました。
最後に確認問題です。
「大名を統制するための法律は何ですか?」→武家諸法度
「藩を取りつぶすことを何といいますか?」→改易
「大名が1年おきに江戸へ行く制度は何ですか?」→参勤交代
「朝廷を統制するための法令は何ですか?」→禁中並公家諸法度
これらはテストに必ず出る重要事項です。確実に覚えておきましょう。
江戸幕府はどのようにして大名や朝廷をコントロールし、長い安定を保ったのかを理解することが目標です。
まず、大名の統制についてです。
幕府は武家諸法度という決まりを定めました。
これは、大名が守らなければならないルールです。
この中では、城を勝手に築くことや大名同士の結婚などに制限がかけられました。
つまり、大名が勝手に力を強めることを防いだのです。
ここはテストでよく出ます。「大名を統制する法律=武家諸法度」と覚えましょう。
もし、この決まりを破ったらどうなるのでしょうか。
幕府は厳しい処分を行いました。
たとえば、領地を別の場所に移す国替や、藩そのものを取り上げる改易です。
これによって、大名は幕府に逆らうことができませんでした。
次に、非常に重要な制度である参勤交代についてです。
3代将軍徳川家光のころに制度が整えられました。
大名は1年おきに江戸と自分の領地を往復することが義務づけられました。
さらに、大名の妻や子どもは江戸に住むことが命じられました。
これはいわば人質のような役割を持ち、大名の反乱を防ぐための仕組みでした。
ここは最重要ポイントです。「参勤交代=大名が1年おきに江戸へ」「家族は江戸に住む」と覚えましょう。
また、幕府は御手伝普請という制度も行いました。
これは、河川工事や江戸城の整備などの土木工事を大名に命じるものです。
これにより、大名は多くの費用を負担することになりました。
参勤交代と合わせて、大名の経済力を弱める目的がありました。
テストでは「参勤交代・御手伝普請=大名の負担を増やす」とセットで覚えましょう。
次に、朝廷の統制についてです。
幕府は京都所司代を京都に置き、朝廷を監視しました。
さらに、禁中並公家諸法度という決まりを定めました。
この中では、天皇は政治ではなく学問に専念することなどが定められました。
つまり、朝廷が政治に関わらないようにしたのです。
ここも重要です。「朝廷の統制=禁中並公家諸法度」と覚えましょう。
まとめます。
幕府は、
・武家諸法度で大名を統制
・違反者には国替・改易で処分
・参勤交代で行動と家族を管理
・御手伝普請で経済的に負担をかける
・京都所司代と禁中並公家諸法度で朝廷を統制
という方法で支配を安定させました。
最後に確認問題です。
「大名を統制するための法律は何ですか?」→武家諸法度
「藩を取りつぶすことを何といいますか?」→改易
「大名が1年おきに江戸へ行く制度は何ですか?」→参勤交代
「朝廷を統制するための法令は何ですか?」→禁中並公家諸法度
これらはテストに必ず出る重要事項です。確実に覚えておきましょう。
江戸幕府の成立と大名・朝廷の統制
学習課題
江戸幕府は大名や朝廷を統制するために、どのようなしくみをつくったのだろうか。
江戸幕府は大名や朝廷を統制するために、どのようなしくみをつくったのだろうか。
学習の進め方
最初に一問一答へ答えます。
次に解説文をよく読み、その解説文をもとに読解トレーニング問題へ答えます。
読解トレーニングでは、解説文の中から「いつ」「誰が」「何をした」「なぜ」「その結果」を探しましょう。
最初に一問一答へ答えます。
次に解説文をよく読み、その解説文をもとに読解トレーニング問題へ答えます。
読解トレーニングでは、解説文の中から「いつ」「誰が」「何をした」「なぜ」「その結果」を探しましょう。
① 江戸時代の幕開け
1豊臣秀吉の死後、勢力を伸ばした人物は誰ですか。答え
徳川家康
【解説】
豊臣秀吉が亡くなった後、関東を領地にしていた徳川家康が勢力を伸ばしました。家康は関東に広い領地を持ち、多くの家臣を従えていたため、豊臣政権の中でも大きな力を持つようになりました。歴史の文章で人物を読み取るときは、その人物が「いつ」「どのような立場で」「何をしたのか」を整理することが大切です。
【解説】
豊臣秀吉が亡くなった後、関東を領地にしていた徳川家康が勢力を伸ばしました。家康は関東に広い領地を持ち、多くの家臣を従えていたため、豊臣政権の中でも大きな力を持つようになりました。歴史の文章で人物を読み取るときは、その人物が「いつ」「どのような立場で」「何をしたのか」を整理することが大切です。
読解トレーニング問題
① 徳川家康が勢力を伸ばしたのは、誰が亡くなった後ですか。
答え
豊臣秀吉
② 徳川家康は、どこを領地にしていましたか。
答え
関東
③ 家康が大きな力を持つようになった理由を二つ答えなさい。
答え
関東に広い領地を持っていたことと、多くの家臣を従えていたこと。
2徳川家康が石田三成らを破った戦いを何といいますか。
答え
関ヶ原の戦い
【解説】
1600年、徳川家康は石田三成らの大名と関ヶ原の戦いで戦いました。石田三成らは豊臣氏による支配を続けようとしていましたが、家康がこの戦いに勝利しました。関ヶ原の戦いは現在の岐阜県で行われ、この勝利によって家康は全国支配をさらに強めました。
【解説】
1600年、徳川家康は石田三成らの大名と関ヶ原の戦いで戦いました。石田三成らは豊臣氏による支配を続けようとしていましたが、家康がこの戦いに勝利しました。関ヶ原の戦いは現在の岐阜県で行われ、この勝利によって家康は全国支配をさらに強めました。
読解トレーニング問題
① 関ヶ原の戦いが起こったのは何年ですか。
答え
1600年
② 石田三成らは、どのような支配を続けようとしていましたか。
答え
豊臣氏による支配
③ 家康が関ヶ原の戦いに勝利した結果、何が強まりましたか。
答え
家康の全国支配
3徳川家康が征夷大将軍に任命されたのは何年ですか。
答え
1603年
【解説】
関ヶ原の戦いから3年後の1603年、徳川家康は朝廷から征夷大将軍に任命されました。征夷大将軍は、武士による政治を行うための重要な役職でした。家康はこの任命を受け、江戸に幕府を開きました。1600年の関ヶ原の戦いと、1603年の江戸幕府成立を続けて覚えることが大切です。
【解説】
関ヶ原の戦いから3年後の1603年、徳川家康は朝廷から征夷大将軍に任命されました。征夷大将軍は、武士による政治を行うための重要な役職でした。家康はこの任命を受け、江戸に幕府を開きました。1600年の関ヶ原の戦いと、1603年の江戸幕府成立を続けて覚えることが大切です。
読解トレーニング問題
① 徳川家康を征夷大将軍に任命したのはどこですか。
答え
朝廷
② 家康は征夷大将軍に任命された後、どこに幕府を開きましたか。
答え
江戸
③ 関ヶ原の戦いから何年後に、家康は征夷大将軍に任命されましたか。
答え
3年後
41603年に徳川家康が開いた幕府を何といいますか。
答え
江戸幕府
【解説】
徳川家康は1603年に江戸へ幕府を開きました。この幕府を江戸幕府といいます。江戸幕府が開かれたことで、江戸時代が始まりました。江戸は現在の東京都にあたり、その後、政治の中心として発展していきました。
【解説】
徳川家康は1603年に江戸へ幕府を開きました。この幕府を江戸幕府といいます。江戸幕府が開かれたことで、江戸時代が始まりました。江戸は現在の東京都にあたり、その後、政治の中心として発展していきました。
読解トレーニング問題
① 江戸幕府が開かれたことで、何という時代が始まりましたか。
答え
江戸時代
② 江戸は現在の何という都道府県にあたりますか。
答え
東京都
③ 江戸はその後、何の中心として発展しましたか。
答え
政治の中心
5徳川家康が豊臣氏を滅ぼした戦いを何といいますか。
答え
大阪の陣
【解説】
徳川家康は1615年の大阪の陣で豊臣氏を滅ぼしました。これによって、徳川氏に対抗できる大きな勢力がなくなり、徳川氏による全国支配の基礎が固まりました。その後、徳川氏の支配は約260年間続きました。
【解説】
徳川家康は1615年の大阪の陣で豊臣氏を滅ぼしました。これによって、徳川氏に対抗できる大きな勢力がなくなり、徳川氏による全国支配の基礎が固まりました。その後、徳川氏の支配は約260年間続きました。
読解トレーニング問題
① 大阪の陣が起こったのは何年ですか。
答え
1615年
② 大阪の陣によって滅びたのは何氏ですか。
答え
豊臣氏
③ 豊臣氏が滅びたことで、何の基礎が固まりましたか。
答え
徳川氏による全国支配の基礎
② 江戸幕府のしくみ
6幕府が直接支配する土地を何といいますか。答え
幕領
【解説】
幕府が大名を通さず、直接支配する土地を幕領といいます。江戸時代初めには、幕領と将軍直属の家来の領地を合わせた石高は約400万石でした。その後、領地は増え、全国のおよそ4分の1にあたる約700万石に及びました。幕府は広い土地を支配することで、大きな経済力を持ちました。
【解説】
幕府が大名を通さず、直接支配する土地を幕領といいます。江戸時代初めには、幕領と将軍直属の家来の領地を合わせた石高は約400万石でした。その後、領地は増え、全国のおよそ4分の1にあたる約700万石に及びました。幕府は広い土地を支配することで、大きな経済力を持ちました。
読解トレーニング問題
① 幕領は、誰が直接支配する土地ですか。
答え
幕府
② 江戸時代初め、幕領と将軍直属の家来の領地を合わせた石高は約何万石でしたか。
答え
約400万石
③ 幕府が広い土地を支配したことで、どのような力を持ちましたか。
答え
大きな経済力
7幕府が直轄地とした主要都市を四つ答えなさい。
答え
大阪・京都・奈良・長崎
【解説】
幕府は大阪・京都・奈良・長崎などの重要な都市を直接支配しました。大阪は商業、京都は朝廷、奈良は寺院、長崎は外国との貿易に関係する重要な都市でした。幕府はこれらの都市を直接支配することで、政治や経済を安定させ、大きな収入を得ました。
【解説】
幕府は大阪・京都・奈良・長崎などの重要な都市を直接支配しました。大阪は商業、京都は朝廷、奈良は寺院、長崎は外国との貿易に関係する重要な都市でした。幕府はこれらの都市を直接支配することで、政治や経済を安定させ、大きな収入を得ました。
読解トレーニング問題
① 商業に関係する重要な都市はどこですか。
答え
大阪
② 外国との貿易に関係する重要な都市はどこですか。
答え
長崎
③ 幕府が重要都市を直接支配した目的を二つ答えなさい。
答え
政治や経済を安定させることと、大きな収入を得ること。
8幕府は主要都市のほかに、全国のどのような場所を直轄地としましたか。
答え
全国の主な鉱山
【解説】
幕府は全国の主な金山・銀山・銅山などを直接支配しました。鉱山からは金・銀・銅が産出され、これらは貨幣をつくる材料になりました。鉱山を支配することは、幕府の収入を増やし、全国の経済を支配するうえで重要でした。
【解説】
幕府は全国の主な金山・銀山・銅山などを直接支配しました。鉱山からは金・銀・銅が産出され、これらは貨幣をつくる材料になりました。鉱山を支配することは、幕府の収入を増やし、全国の経済を支配するうえで重要でした。
読解トレーニング問題
① 鉱山から産出された三つの金属を答えなさい。
答え
金・銀・銅
② 鉱山から産出された金属は、何をつくる材料になりましたか。
答え
貨幣
③ 幕府が鉱山を支配した目的を二つ答えなさい。
答え
幕府の収入を増やすことと、全国の経済を支配すること。
9幕府が発行した三種類の貨幣を答えなさい。
答え
金・銀・銅の貨幣
【解説】
江戸幕府は金・銀・銅の貨幣を発行しました。幕府が貨幣を発行することで、全国で使われるお金を管理し、経済を統制することができました。また、幕府は外国との貿易も独占し、大きな利益を得ました。
【解説】
江戸幕府は金・銀・銅の貨幣を発行しました。幕府が貨幣を発行することで、全国で使われるお金を管理し、経済を統制することができました。また、幕府は外国との貿易も独占し、大きな利益を得ました。
読解トレーニング問題
① 幕府は貨幣を発行することで、何を管理しましたか。
答え
全国で使われるお金
② 幕府は貨幣の発行によって、何を統制しましたか。
答え
経済
③ 幕府は貨幣の発行のほかに、何を独占しましたか。
答え
外国との貿易
10将軍直属の家来を二つ答えなさい。
答え
旗本・御家人
【解説】
旗本と御家人は、どちらも徳川氏に直接仕えた将軍直属の家来です。1万石未満の家来のうち、将軍に直接会うことができる者を旗本、直接会うことができない者を御家人といいました。将軍は多くの旗本・御家人を従え、強大な軍事力を持っていました。
【解説】
旗本と御家人は、どちらも徳川氏に直接仕えた将軍直属の家来です。1万石未満の家来のうち、将軍に直接会うことができる者を旗本、直接会うことができない者を御家人といいました。将軍は多くの旗本・御家人を従え、強大な軍事力を持っていました。
読解トレーニング問題
① 旗本と御家人に共通する立場は何ですか。
答え
徳川氏に直接仕えた将軍直属の家来
② 将軍に直接会うことができたのは、旗本と御家人のどちらですか。
答え
旗本
③ 将軍は旗本・御家人を従えることで、どのような力を持ちましたか。
答え
強大な軍事力
11幕府の政治を行った役職は何ですか。
答え
老中
【解説】
幕府の政治は、将軍が任命した老中を中心に行われました。老中は幕府の重要な政治を担当し、若年寄が老中を補佐しました。また、寺社奉行・町奉行・勘定奉行の三奉行が、それぞれの仕事を分担しました。役職名だけでなく、誰を補佐したのか、何を担当したのかを整理して覚えることが大切です。
【解説】
幕府の政治は、将軍が任命した老中を中心に行われました。老中は幕府の重要な政治を担当し、若年寄が老中を補佐しました。また、寺社奉行・町奉行・勘定奉行の三奉行が、それぞれの仕事を分担しました。役職名だけでなく、誰を補佐したのか、何を担当したのかを整理して覚えることが大切です。
読解トレーニング問題
① 老中を任命したのは誰ですか。
答え
将軍
② 老中を補佐した役職は何ですか。
答え
若年寄
③ 三奉行をすべて答えなさい。
答え
寺社奉行・町奉行・勘定奉行
③ 幕府と藩の関係
12将軍から何石以上の領地を与えられた武士を大名とよびましたか。答え
1万石以上
【解説】
将軍から1万石以上の領地を与えられた武士を大名といいます。大名は幕領以外の土地を支配しました。江戸時代後半には大名の数は約270に上りました。1万石という数字は、大名と旗本・御家人を分ける基準として重要です。
【解説】
将軍から1万石以上の領地を与えられた武士を大名といいます。大名は幕領以外の土地を支配しました。江戸時代後半には大名の数は約270に上りました。1万石という数字は、大名と旗本・御家人を分ける基準として重要です。
読解トレーニング問題
① 大名は、誰から領地を与えられましたか。
答え
将軍
② 大名は、どのような土地を支配しましたか。
答え
幕領以外の土地
③ 江戸時代後半、大名の数は約いくつに上りましたか。
答え
約270
13徳川一門の大名を何といいますか。
答え
親藩
【解説】
大名は、徳川氏との関係によって親藩・譜代大名・外様大名に分けられました。徳川氏の一族にあたる大名を親藩といいます。親藩は徳川氏と血のつながりがあり、幕府を支える重要な立場にありました。
【解説】
大名は、徳川氏との関係によって親藩・譜代大名・外様大名に分けられました。徳川氏の一族にあたる大名を親藩といいます。親藩は徳川氏と血のつながりがあり、幕府を支える重要な立場にありました。
読解トレーニング問題
① 大名は、何との関係によって三つに分けられましたか。
答え
徳川氏との関係
② 親藩は徳川氏とどのようなつながりがありましたか。
答え
血のつながり
③ 親藩は幕府にとって、どのような立場でしたか。
答え
幕府を支える重要な立場
14初めから徳川氏の家臣であった大名を何といいますか。
答え
譜代大名
【解説】
徳川氏が全国を支配する以前から家臣だった大名を譜代大名といいます。譜代大名は徳川氏との結び付きが強く、幕府から信頼されていました。そのため、老中など幕府の重要な役職には、主に譜代大名が任命されました。
【解説】
徳川氏が全国を支配する以前から家臣だった大名を譜代大名といいます。譜代大名は徳川氏との結び付きが強く、幕府から信頼されていました。そのため、老中など幕府の重要な役職には、主に譜代大名が任命されました。
読解トレーニング問題
① 譜代大名は、いつから徳川氏の家臣でしたか。
答え
徳川氏が全国を支配する以前から
② 譜代大名が幕府から信頼された理由は何ですか。
答え
徳川氏との結び付きが強かったから。
③ 譜代大名が主に任命された重要な役職の例を答えなさい。
答え
老中
15関ヶ原の戦いのころから徳川氏に従った大名を何といいますか。
答え
外様大名
【解説】
関ヶ原の戦いの前後から徳川氏に従った大名を外様大名といいます。外様大名は、親藩や譜代大名よりも徳川氏との結び付きが弱いため、幕府から警戒されました。そのため、幕府の重要な役職には、原則として任命されませんでした。
【解説】
関ヶ原の戦いの前後から徳川氏に従った大名を外様大名といいます。外様大名は、親藩や譜代大名よりも徳川氏との結び付きが弱いため、幕府から警戒されました。そのため、幕府の重要な役職には、原則として任命されませんでした。
読解トレーニング問題
① 外様大名は、いつごろから徳川氏に従いましたか。
答え
関ヶ原の戦いの前後から
② 幕府が外様大名を警戒した理由は何ですか。
答え
徳川氏との結び付きが弱かったから。
③ 外様大名は、幕府の重要な役職に任命されましたか。
答え
原則として任命されなかった。
16大名が支配する領域を何といいますか。
答え
藩
【解説】
大名が支配する領域を藩といいます。藩では、大名が家臣をまとめ、年貢を集め、領内の政治を行うなど、独自の統治が認められていました。ただし、大名は幕府の決まりに従わなければならず、完全に自由な政治ができたわけではありません。
【解説】
大名が支配する領域を藩といいます。藩では、大名が家臣をまとめ、年貢を集め、領内の政治を行うなど、独自の統治が認められていました。ただし、大名は幕府の決まりに従わなければならず、完全に自由な政治ができたわけではありません。
読解トレーニング問題
① 藩で政治を行ったのは誰ですか。
答え
大名
② 藩で大名が行ったことを二つ答えなさい。
答え
家臣をまとめること、年貢を集めること、領内の政治を行うことなど。
③ 大名は完全に自由な政治を行うことができましたか。理由も答えなさい。
答え
できなかった。幕府の決まりに従わなければならなかったから。
17幕府と藩が全国を支配するしくみを何といいますか。
答え
幕藩体制
【解説】
江戸時代には、幕府だけが全国すべてを直接支配したわけではありません。幕府が全国の大名を統制し、各地の藩では大名が土地と人々を支配しました。このように、幕府と藩が協力しながら全国を支配するしくみを幕藩体制といいます。幕藩体制は3代将軍徳川家光のころに確立しました。
【解説】
江戸時代には、幕府だけが全国すべてを直接支配したわけではありません。幕府が全国の大名を統制し、各地の藩では大名が土地と人々を支配しました。このように、幕府と藩が協力しながら全国を支配するしくみを幕藩体制といいます。幕藩体制は3代将軍徳川家光のころに確立しました。
読解トレーニング問題
① 幕府は全国の誰を統制しましたか。
答え
大名
② 各地の藩では、誰が土地と人々を支配しましたか。
答え
大名
③ 幕藩体制が確立したのは、何代将軍のころですか。
答え
3代将軍徳川家光のころ
④ 大名や朝廷の統制
18幕府が大名を統制するために定めた決まりを何といいますか。答え
武家諸法度
【解説】
幕府は大名の行動を制限するため、武家諸法度を定めました。武家諸法度では、城を修理するときは幕府に報告すること、新しい城を築かないこと、幕府の許可なく大名どうしで結婚しないことなどが定められました。これらの決まりには、大名が軍事力を強めたり、強い同盟関係をつくったりすることを防ぐ目的がありました。
【解説】
幕府は大名の行動を制限するため、武家諸法度を定めました。武家諸法度では、城を修理するときは幕府に報告すること、新しい城を築かないこと、幕府の許可なく大名どうしで結婚しないことなどが定められました。これらの決まりには、大名が軍事力を強めたり、強い同盟関係をつくったりすることを防ぐ目的がありました。
読解トレーニング問題
① 大名が城を修理するとき、何をする必要がありましたか。
答え
幕府に報告する必要があった。
② 大名どうしの結婚には、誰の許可が必要でしたか。
答え
幕府
③ 武家諸法度が定められた目的を二つ答えなさい。
答え
大名が軍事力を強めることと、強い同盟関係をつくることを防ぐため。
19法度に違反した大名の領地を別の場所へ移す処分を何といいますか。
答え
国替
【解説】
武家諸法度に違反した大名に対して、幕府は国替や改易などの処分を行いました。国替は、大名の領地を別の場所へ移す処分です。大名を重要な土地から遠ざけたり、新しい土地へ移すことで支配力を弱めたりする目的がありました。
【解説】
武家諸法度に違反した大名に対して、幕府は国替や改易などの処分を行いました。国替は、大名の領地を別の場所へ移す処分です。大名を重要な土地から遠ざけたり、新しい土地へ移すことで支配力を弱めたりする目的がありました。
読解トレーニング問題
① 国替は、大名の何を変える処分ですか。
答え
領地
② 幕府はどのような大名に国替を行いましたか。
答え
武家諸法度に違反した大名
③ 国替には、大名の何を弱める目的がありましたか。
答え
支配力
20大名の領地を取り上げ、藩を取り潰す処分を何といいますか。
答え
改易
【解説】
改易とは、大名の領地を取り上げ、藩を廃止する重い処分です。改易された大名は、領地と大名としての地位を失いました。幕府が改易を行うことで、ほかの大名にも法度を守らせ、幕府に反抗しないようにさせる効果がありました。
【解説】
改易とは、大名の領地を取り上げ、藩を廃止する重い処分です。改易された大名は、領地と大名としての地位を失いました。幕府が改易を行うことで、ほかの大名にも法度を守らせ、幕府に反抗しないようにさせる効果がありました。
読解トレーニング問題
① 改易では、大名の何が取り上げられましたか。
答え
領地
② 改易された大名は、領地のほかに何を失いましたか。
答え
大名としての地位
③ 幕府が改易を行うことは、ほかの大名にどのような影響を与えましたか。
答え
法度を守らせ、幕府に反抗しないようにさせる影響を与えた。
21大名が1年おきに江戸と領地を行き来する制度を何といいますか。
答え
参勤交代
【解説】
参勤交代は、大名が1年おきに江戸と自分の領地に住む制度です。3代将軍徳川家光のころに制度として整えられました。大名は多くの家臣を連れて移動し、江戸にも屋敷を持つ必要があったため、多額の費用がかかりました。この負担によって、大名が幕府に反抗するための資金を蓄えにくくなりました。
【解説】
参勤交代は、大名が1年おきに江戸と自分の領地に住む制度です。3代将軍徳川家光のころに制度として整えられました。大名は多くの家臣を連れて移動し、江戸にも屋敷を持つ必要があったため、多額の費用がかかりました。この負担によって、大名が幕府に反抗するための資金を蓄えにくくなりました。
読解トレーニング問題
① 参勤交代では、大名はどことどこに交代で住みましたか。
答え
江戸と自分の領地
② 参勤交代に多額の費用がかかった理由を二つ答えなさい。
答え
多くの家臣を連れて移動したことと、江戸にも屋敷を持つ必要があったこと。
③ 参勤交代によって、大名は何を蓄えにくくなりましたか。
答え
幕府に反抗するための資金
22参勤交代では、大名の妻や子はどこに住むよう命じられましたか。
答え
江戸の屋敷
【解説】
参勤交代では、大名本人は江戸と領地を行き来しましたが、その妻や子は江戸の屋敷に住むよう命じられました。大名の妻や子を江戸に住まわせることで、幕府は大名が反乱を起こしにくいようにしました。妻や子には、人質に近い意味もありました。
【解説】
参勤交代では、大名本人は江戸と領地を行き来しましたが、その妻や子は江戸の屋敷に住むよう命じられました。大名の妻や子を江戸に住まわせることで、幕府は大名が反乱を起こしにくいようにしました。妻や子には、人質に近い意味もありました。
読解トレーニング問題
① 江戸と領地を行き来したのは誰ですか。
答え
大名本人
② 江戸の屋敷に住み続けたのは誰ですか。
答え
大名の妻や子
③ 大名の妻や子を江戸に住まわせた目的は何ですか。
答え
大名が反乱を起こしにくくするため。
23河川や江戸城などの土木工事を大名に命じたことを何といいますか。
答え
御手伝普請
【解説】
幕府は大名に対して、河川の整備や江戸城の修理などの土木工事を命じました。これを御手伝普請といいます。工事に必要な人員や費用は大名が負担したため、大名にとって重い経済的負担になりました。幕府は大名の力を利用して工事を進めると同時に、大名の経済力を弱めました。
【解説】
幕府は大名に対して、河川の整備や江戸城の修理などの土木工事を命じました。これを御手伝普請といいます。工事に必要な人員や費用は大名が負担したため、大名にとって重い経済的負担になりました。幕府は大名の力を利用して工事を進めると同時に、大名の経済力を弱めました。
読解トレーニング問題
① 御手伝普請で行われた工事の例を二つ答えなさい。
答え
河川の整備と江戸城の修理
② 工事に必要な人員や費用を負担したのは誰ですか。
答え
大名
③ 御手伝普請によって、幕府は大名の何を弱めましたか。
答え
経済力
24幕府が朝廷を監視するために京都に置いた役職を何といいますか。
答え
京都所司代
【解説】
幕府は京都に京都所司代を置き、朝廷を監視しました。京都所司代は朝廷の動きを見張るだけでなく、京都の警備や西日本の大名の監視なども担当しました。江戸から離れた京都に重要な役職を置くことで、幕府は朝廷や西日本を統制しました。
【解説】
幕府は京都に京都所司代を置き、朝廷を監視しました。京都所司代は朝廷の動きを見張るだけでなく、京都の警備や西日本の大名の監視なども担当しました。江戸から離れた京都に重要な役職を置くことで、幕府は朝廷や西日本を統制しました。
読解トレーニング問題
① 京都所司代は、どこに置かれましたか。
答え
京都
② 京都所司代が監視したものを二つ答えなさい。
答え
朝廷と西日本の大名
③ 京都所司代は、監視のほかに何を担当しましたか。
答え
京都の警備
25幕府が天皇や公家を統制するために定めた決まりを何といいますか。
答え
禁中並公家諸法度
【解説】
幕府は天皇や公家の行動を制限するため、禁中並公家諸法度を定めました。この法度では、天皇は学問に専念することや、朝廷が果たす役割などが示されました。幕府は朝廷の権威を認めながらも、政治に強く関わらないように制限しました。
【解説】
幕府は天皇や公家の行動を制限するため、禁中並公家諸法度を定めました。この法度では、天皇は学問に専念することや、朝廷が果たす役割などが示されました。幕府は朝廷の権威を認めながらも、政治に強く関わらないように制限しました。
読解トレーニング問題
① 禁中並公家諸法度は、誰の行動を制限するための決まりですか。
答え
天皇や公家
② 天皇は何に専念するよう示されましたか。
答え
学問
③ 幕府は朝廷に対して、どのような立場を取りましたか。
答え
朝廷の権威を認めながらも、政治に強く関わらないように制限した。
⑤ 武家諸法度の資料
261615年に発布された武家諸法度を何といいますか。答え
元和令
【解説】
1615年に発布された武家諸法度を元和令といいます。元和令は徳川家康の命令によって作成され、2代将軍徳川秀忠が発布しました。城の修理には幕府への報告が必要で、新しい城の建設や無断での婚姻は禁止されました。作成を命じた人物と、実際に発布した人物を区別することが大切です。
【解説】
1615年に発布された武家諸法度を元和令といいます。元和令は徳川家康の命令によって作成され、2代将軍徳川秀忠が発布しました。城の修理には幕府への報告が必要で、新しい城の建設や無断での婚姻は禁止されました。作成を命じた人物と、実際に発布した人物を区別することが大切です。
読解トレーニング問題
① 元和令の作成を命じた人物は誰ですか。
答え
徳川家康
② 元和令を発布した将軍は誰ですか。
答え
徳川秀忠
③ 元和令で禁止されたことを二つ答えなさい。
答え
新しい城を築くことと、幕府の許可なく婚姻を結ぶこと。
271635年に発布された武家諸法度を何といいますか。
答え
寛永令
【解説】
1635年、3代将軍徳川家光は武家諸法度に新しい内容を加え、寛永令として発布しました。寛永令では、大名が江戸と領地に交代で住む参勤交代が制度として定められました。また、大名どうしが勝手に同盟を結ぶことや、500石以上積める大型船をつくることも禁止されました。
【解説】
1635年、3代将軍徳川家光は武家諸法度に新しい内容を加え、寛永令として発布しました。寛永令では、大名が江戸と領地に交代で住む参勤交代が制度として定められました。また、大名どうしが勝手に同盟を結ぶことや、500石以上積める大型船をつくることも禁止されました。
読解トレーニング問題
① 寛永令を発布した将軍は誰ですか。
答え
徳川家光
② 寛永令で制度として定められたものは何ですか。
答え
参勤交代
③ 寛永令で建造が禁止されたのは、何石以上積める船ですか。
答え
500石以上積める船
⑥ まとめ問題
28江戸幕府は、大名を統制するためにどのようなしくみをつくりましたか。答え
武家諸法度を定め、参勤交代や御手伝普請を行わせ、違反した大名には国替や改易を行った。
【解説】
江戸幕府は、大名が幕府に反抗できないように、複数のしくみを組み合わせました。武家諸法度では、城や結婚など大名の行動を制限しました。参勤交代や御手伝普請では、多額の費用を大名に負担させました。また、法度に違反した大名には国替や改易を行いました。このように、法律・経済的負担・処分を組み合わせて大名を統制しました。
【解説】
江戸幕府は、大名が幕府に反抗できないように、複数のしくみを組み合わせました。武家諸法度では、城や結婚など大名の行動を制限しました。参勤交代や御手伝普請では、多額の費用を大名に負担させました。また、法度に違反した大名には国替や改易を行いました。このように、法律・経済的負担・処分を組み合わせて大名を統制しました。
読解トレーニング問題
① 武家諸法度は、大名の何を制限しましたか。
答え
城や結婚などの行動
② 大名に多額の費用を負担させた制度を二つ答えなさい。
答え
参勤交代と御手伝普請
③ 幕府はどのような三つの方法を組み合わせて大名を統制しましたか。
答え
法律・経済的負担・処分
29江戸幕府は、朝廷を統制するためにどのようなしくみをつくりましたか。
答え
京都所司代を置いて朝廷を監視し、禁中並公家諸法度を定めて天皇や公家の役割を制限した。
【解説】
幕府は朝廷を統制するため、京都に京都所司代を置きました。京都所司代は朝廷の動きを監視し、京都の警備も担当しました。また、禁中並公家諸法度を定め、天皇は学問に専念することなどを示しました。幕府は、役職による監視と法度による制限を組み合わせて朝廷を統制しました。
【解説】
幕府は朝廷を統制するため、京都に京都所司代を置きました。京都所司代は朝廷の動きを監視し、京都の警備も担当しました。また、禁中並公家諸法度を定め、天皇は学問に専念することなどを示しました。幕府は、役職による監視と法度による制限を組み合わせて朝廷を統制しました。
読解トレーニング問題
① 朝廷を監視した役職は何ですか。
答え
京都所司代
② 天皇や公家の役割を定めた法度は何ですか。
答え
禁中並公家諸法度
③ 幕府は、どのような二つの方法を組み合わせて朝廷を統制しましたか。
答え
役職による監視と法度による制限
30学習課題「江戸幕府は大名や朝廷を統制するために、どのようなしくみをつくったのだろうか」に答えなさい。
答え
大名に対しては、武家諸法度を定め、参勤交代や御手伝普請を行わせ、違反者には国替や改易を行った。朝廷に対しては、京都所司代を置いて監視し、禁中並公家諸法度によって天皇や公家の役割を制限した。
【解説】
江戸幕府は、大名と朝廷を別々の方法で統制しました。大名には武家諸法度を守らせ、参勤交代や御手伝普請によって経済的な負担をかけました。違反した大名には国替や改易を行いました。朝廷には京都所司代を置いて監視し、禁中並公家諸法度によって政治的な活動を制限しました。これらのしくみによって、徳川氏による長期的な全国支配が安定しました。
【解説】
江戸幕府は、大名と朝廷を別々の方法で統制しました。大名には武家諸法度を守らせ、参勤交代や御手伝普請によって経済的な負担をかけました。違反した大名には国替や改易を行いました。朝廷には京都所司代を置いて監視し、禁中並公家諸法度によって政治的な活動を制限しました。これらのしくみによって、徳川氏による長期的な全国支配が安定しました。
読解トレーニング問題
① 大名に経済的な負担をかけた制度を二つ答えなさい。
答え
参勤交代と御手伝普請
② 朝廷の政治的な活動を制限した法度は何ですか。
答え
禁中並公家諸法度
③ 大名や朝廷を統制した結果、何が安定しましたか。
答え
徳川氏による長期的な全国支配
重要年号
1600年 関ヶ原の戦い
1603年 徳川家康が江戸幕府を開く
1615年 大阪の陣・武家諸法度の元和令
1635年 武家諸法度の寛永令・参勤交代を制度として定める
1600年 関ヶ原の戦い
1603年 徳川家康が江戸幕府を開く
1615年 大阪の陣・武家諸法度の元和令
1635年 武家諸法度の寛永令・参勤交代を制度として定める
学習課題のまとめ
大名の統制 武家諸法度・参勤交代・御手伝普請・国替・改易
朝廷の統制 京都所司代・禁中並公家諸法度
支配のしくみ 幕藩体制
大名の統制 武家諸法度・参勤交代・御手伝普請・国替・改易
朝廷の統制 京都所司代・禁中並公家諸法度
支配のしくみ 幕藩体制
テスト対策 ポイント
今日の単元は、江戸幕府の成立と幕藩体制です。
この単元では、定期テストで次の点がよく出題されます。
・徳川家康がどのように全国支配を進めたか
・江戸幕府がどのようなしくみで政治を行ったか
・大名や朝廷をどのような制度で統制したか
問題集の問題をもとに、「なぜその答えになるのか」を考えながら学習します。
◆ 重要語句の解説 江戸幕府成立までの流れ
関ヶ原の戦い
意味:徳川家康が全国支配を進めるきっかけとなった戦いです。
教科書本文の説明:1600年、徳川家康が石田三成らを破りました。
テストでの聞かれ方:「1600年に起こった戦い」→ 関ヶ原の戦い
江戸幕府
意味:徳川家康が江戸に開いた幕府です。
教科書本文の説明:1603年、家康が征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きました。
テストでの聞かれ方:「1603年に成立した幕府」→ 江戸幕府
大阪の陣
意味:徳川氏が豊臣氏を滅ぼした戦いです。
教科書本文の説明:1615年、豊臣氏を滅ぼし、徳川氏の全国支配の基礎が固まりました。
テストでの聞かれ方:「1615年、豊臣氏を滅ぼした戦い」→ 大阪の陣
◆ 重要語句の解説 江戸幕府のしくみ
幕領
意味:幕府が直接支配した土地です。
教科書本文の説明:主要都市や鉱山を直轄地とし、貨幣の発行や貿易を独占しました。
テストでの聞かれ方:「幕府の直轄地」→ 幕領
老中
意味:幕府政治の中心となる役職です。
教科書本文の説明:将軍が任命し、政治を行いました。
テストでの聞かれ方:「幕府政治の中心となる役職」→ 老中
若年寄
意味:老中を補佐する役職です。
教科書本文の説明:老中を助けて政治を行いました。
テストでの聞かれ方:「老中を補佐する役職」→ 若年寄
三奉行
意味:政治を分担した三つの奉行です。
教科書本文の説明:寺社奉行・町奉行・勘定奉行が、それぞれの仕事を分担しました。
テストでの聞かれ方:「三奉行の一つを書け」→ 町奉行 など
◆ 重要語句の解説 大名と藩
大名
意味:1万石以上の領地を与えられた武士です。
教科書本文の説明:幕領以外の土地を支配しました。
テストでの聞かれ方:「1万石以上の領地をもつ武士」→ 大名
藩
意味:大名が支配した領地と、その支配のしくみです。
教科書本文の説明:藩では独自の統治が認められていました。
テストでの聞かれ方:「大名が支配する領域」→ 藩
幕藩体制
意味:幕府と藩が全国の土地と人々を支配する政治のしくみです。
教科書本文の説明:3代将軍徳川家光のころに確立しました。
テストでの聞かれ方:「江戸時代の政治のしくみ」→ 幕藩体制
◆ 重要語句の解説 大名の種類
親藩
意味:徳川家一門の大名です。
教科書本文の説明:江戸や重要な土地の近くに配置されました。
譜代大名
意味:初めから徳川氏の家臣であった大名です。
教科書本文の説明:幕府の重要な役職に任命されました。
外様大名
意味:関ヶ原の戦いのころから徳川氏に従った大名です。
教科書本文の説明:江戸から遠い場所に配置されました。
◆ 重要語句の解説 将軍直属の家臣
旗本
意味:1万石未満で、将軍に直接会うことができる家臣です。
御家人
意味:1万石未満で、将軍に直接会うことができない家臣です。
◆ 重要語句の解説 大名と朝廷の統制
武家諸法度
意味:大名を統制するための基本的な法令です。
教科書本文の説明:築城や大名どうしの結婚などが制限されました。
テストでの聞かれ方:「大名統制の基本法」→ 武家諸法度
参勤交代
意味:大名が江戸と領地を1年おきに行き来する制度です。
教科書本文の説明:大名の妻や子は江戸に住むよう命じられました。
テストでの聞かれ方:「大名が交代で江戸に出仕する制度」→ 参勤交代
御手伝普請
意味:幕府が大名に命じた土木工事です。
教科書本文の説明:河川や江戸城の整備などを大名に命じました。
テストでの聞かれ方:「幕府が大名に命じた土木工事」→ 御手伝普請
京都所司代
意味:朝廷を監視するための役職です。
教科書本文の説明:京都に置かれました。
禁中並公家諸法度
意味:朝廷や公家の行動や役割を定めた法令です。
教科書本文の説明:天皇は学問に専念することなどが示されました。
◆ まとめ
今日の最重要語句は、
江戸幕府・幕藩体制・武家諸法度・参勤交代・譜代大名です。
定期テスト前には、語句の意味と、問題での聞かれ方をセットで確認しましょう。
この単元では、定期テストで次の点がよく出題されます。
・徳川家康がどのように全国支配を進めたか
・江戸幕府がどのようなしくみで政治を行ったか
・大名や朝廷をどのような制度で統制したか
問題集の問題をもとに、「なぜその答えになるのか」を考えながら学習します。
◆ 重要語句の解説 江戸幕府成立までの流れ
関ヶ原の戦い
意味:徳川家康が全国支配を進めるきっかけとなった戦いです。
教科書本文の説明:1600年、徳川家康が石田三成らを破りました。
テストでの聞かれ方:「1600年に起こった戦い」→ 関ヶ原の戦い
江戸幕府
意味:徳川家康が江戸に開いた幕府です。
教科書本文の説明:1603年、家康が征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きました。
テストでの聞かれ方:「1603年に成立した幕府」→ 江戸幕府
大阪の陣
意味:徳川氏が豊臣氏を滅ぼした戦いです。
教科書本文の説明:1615年、豊臣氏を滅ぼし、徳川氏の全国支配の基礎が固まりました。
テストでの聞かれ方:「1615年、豊臣氏を滅ぼした戦い」→ 大阪の陣
◆ 重要語句の解説 江戸幕府のしくみ
幕領
意味:幕府が直接支配した土地です。
教科書本文の説明:主要都市や鉱山を直轄地とし、貨幣の発行や貿易を独占しました。
テストでの聞かれ方:「幕府の直轄地」→ 幕領
老中
意味:幕府政治の中心となる役職です。
教科書本文の説明:将軍が任命し、政治を行いました。
テストでの聞かれ方:「幕府政治の中心となる役職」→ 老中
若年寄
意味:老中を補佐する役職です。
教科書本文の説明:老中を助けて政治を行いました。
テストでの聞かれ方:「老中を補佐する役職」→ 若年寄
三奉行
意味:政治を分担した三つの奉行です。
教科書本文の説明:寺社奉行・町奉行・勘定奉行が、それぞれの仕事を分担しました。
テストでの聞かれ方:「三奉行の一つを書け」→ 町奉行 など
◆ 重要語句の解説 大名と藩
大名
意味:1万石以上の領地を与えられた武士です。
教科書本文の説明:幕領以外の土地を支配しました。
テストでの聞かれ方:「1万石以上の領地をもつ武士」→ 大名
藩
意味:大名が支配した領地と、その支配のしくみです。
教科書本文の説明:藩では独自の統治が認められていました。
テストでの聞かれ方:「大名が支配する領域」→ 藩
幕藩体制
意味:幕府と藩が全国の土地と人々を支配する政治のしくみです。
教科書本文の説明:3代将軍徳川家光のころに確立しました。
テストでの聞かれ方:「江戸時代の政治のしくみ」→ 幕藩体制
◆ 重要語句の解説 大名の種類
親藩
意味:徳川家一門の大名です。
教科書本文の説明:江戸や重要な土地の近くに配置されました。
譜代大名
意味:初めから徳川氏の家臣であった大名です。
教科書本文の説明:幕府の重要な役職に任命されました。
外様大名
意味:関ヶ原の戦いのころから徳川氏に従った大名です。
教科書本文の説明:江戸から遠い場所に配置されました。
◆ 重要語句の解説 将軍直属の家臣
旗本
意味:1万石未満で、将軍に直接会うことができる家臣です。
御家人
意味:1万石未満で、将軍に直接会うことができない家臣です。
◆ 重要語句の解説 大名と朝廷の統制
武家諸法度
意味:大名を統制するための基本的な法令です。
教科書本文の説明:築城や大名どうしの結婚などが制限されました。
テストでの聞かれ方:「大名統制の基本法」→ 武家諸法度
参勤交代
意味:大名が江戸と領地を1年おきに行き来する制度です。
教科書本文の説明:大名の妻や子は江戸に住むよう命じられました。
テストでの聞かれ方:「大名が交代で江戸に出仕する制度」→ 参勤交代
御手伝普請
意味:幕府が大名に命じた土木工事です。
教科書本文の説明:河川や江戸城の整備などを大名に命じました。
テストでの聞かれ方:「幕府が大名に命じた土木工事」→ 御手伝普請
京都所司代
意味:朝廷を監視するための役職です。
教科書本文の説明:京都に置かれました。
禁中並公家諸法度
意味:朝廷や公家の行動や役割を定めた法令です。
教科書本文の説明:天皇は学問に専念することなどが示されました。
◆ まとめ
今日の最重要語句は、
江戸幕府・幕藩体制・武家諸法度・参勤交代・譜代大名です。
定期テスト前には、語句の意味と、問題での聞かれ方をセットで確認しましょう。
授業
江戸時代は、戦国の争いを終わらせて全国を安定させるために、徳川家が「土地・お金・軍事力」を押さえ、さらに全国の大名や朝廷を制度でしばることで成立しました。
ここを「なぜそうしたのか」という幕府の考え方まで理解すると、用語暗記だけでなく記述問題にも強くなります。
江戸時代の幕開け
豊臣秀吉の死後、勢力を伸ばしたのは関東を領地にしていた徳川家康でした。
1600年、家康は豊臣氏の支配を続けようとする石田三成らの大名を関ヶ原の戦いで破り、全国支配を強めます。ここで重要なのは、関ヶ原が「ただの合戦」ではなく、勝った側が全国の大名の配置や身分関係を作り直せる決定的な戦いだったことです。戦後、徳川は大名の領地を組み替え、反抗しそうな勢力を弱め、協力する勢力を中心に政治を進められるようにしていきました。
その後、家康は1603年に朝廷から征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きます(江戸幕府)。これは「武力で勝った」だけではなく、「朝廷から正式な権威を得て全国を治める立場になった」という意味があり、徳川の政治を正当化する大きな力になりました。
さらに家康は1615年、大阪の陣で豊臣氏を滅ぼし、約260年間の徳川支配の基礎を固めました。豊臣氏という“前の政権の中心”が残っていると、そこに不満勢力が集まって再び戦乱になる危険があるため、幕府はその芽を断ち切ったのです。
江戸幕府のしくみ(幕府が強い理由)
幕府が直接支配する直轄地を幕領といいます。将軍直属の家来の領地も含めた石高は江戸時代初めで約400万石、やがて全国のおよそ4分の1にあたる約700万石に及びました。全国のどこかの大名が反抗しようとしても、幕府はそれだけの土地と収入を持ち、動員できる力が大きかったということです。
幕府は大阪・京都・奈良・長崎などの主要都市や全国の主な鉱山も直轄地にして収入源としました。特に都市や鉱山は「お金が集まる場所」です。幕府はそこを押さえることで、政治と軍事の両方を支える財源を確保しました。
さらに金・銀・銅の貨幣を発行し、貿易も独占しました。貨幣や貿易を握ると、全国の経済の流れをコントロールでき、幕府の命令が届きやすくなります。
将軍は直属の家来である旗本・御家人を中心に強大な軍事力を持ちました。幕府にとって、全国を支配する上で最も怖いのは大名の反乱なので、将軍直属の軍事力は「最後の支え」になります。
幕府の政治機構(役職のはたらき)
幕府の政治は、将軍が任命した老中が中心になって行い、若年寄が補佐しました。ここはテストで「だれが政治を行ったか」を問われやすく、老中=政治の中心、若年寄=補佐とセットで覚えます。
さらに三奉行が職務を分担して行いました。
三奉行は、寺社奉行・町奉行・勘定奉行です。
寺社奉行は寺や神社に関わることを担当します。寺社は信仰だけでなく土地や人のつながりを持つ大きな力だったため、幕府は宗教勢力が政治的な争いの中心にならないよう管理する必要がありました。
町奉行は町の行政や裁判など、都市の運営を担当します。江戸時代は都市の人口が増え、商業も発達するので、町を安定させる役所が重要になります。
勘定奉行は財政や年貢など、幕府の“お金の管理”を担当します。幕府は大規模な軍事力や工事を支える必要があるため、財政を握る役職は政治の根幹です。
旗本と御家人(将軍との距離)
徳川氏の家来のうち、1万石未満で、直接将軍に会うことができる者を旗本、できない者を御家人といいます。将軍に会えるかどうかは、身分の差であると同時に、政治や軍事の中心に近いかどうかを表します。時代で変化しますが、旗本は約5000人、御家人は約1万7000人で、その家臣を含めて約8万人になりました。将軍の直属軍として、幕府の力の土台になっていたことが分かります。
幕府と藩の関係(幕藩体制)
将軍から1万石以上の領地を与えられた武士を大名といい、大名は幕領以外の土地を支配しました。大名が支配する領域は藩で、藩では独自の統治が認められました。つまり江戸時代の支配は「幕府だけ」でも「大名だけ」でもなく、幕府と藩が組み合わさった形です。これが幕藩体制です。
ここで大事なのは、藩に独自性がある一方で、幕府は大名を放任したわけではなく、制度でしばって全国の秩序を保ったという点です。
大名の区別(親藩・譜代・外様)と幕府のねらい
大名には、親藩・譜代大名・外様大名の区別があります。これは単なる分類ではなく、幕府が「だれを信用し、だれを警戒したか」を示すしくみです。
親藩は徳川一門で、徳川家に血縁が近い大名です。幕府にとっては“身内”であり、万一のときに将軍家を支える存在にもなります。
譜代大名は、初めから徳川氏の家臣であった大名です。長い間の主従関係があるため、幕府は政治の中心を任せやすいと考えました。
外様大名は、関ヶ原の戦いのころから徳川氏に従った大名で、もともとは徳川と敵対していたり、独立色が強かったりする場合もあります。幕府から見ると、力が大きい外様が結束すると脅威になり得るため、警戒の対象にもなりました。
そのため、幕府の重要な役職には譜代大名や旗本が任命されました。政治の中枢を“身内・古くからの家臣”で固めることで、外様が政治を動かして幕府を揺さぶることを防ぐ意図があったのです。
大名の統制(武家諸法度・参勤交代・御手伝普請)
幕府が最も恐れたのは、戦国時代のように大名どうしが争い、全国が再び戦乱になることです。そこで幕府は大名に対して、「軍事力を強められない」「勝手に同盟を組めない」「お金をためこめない」ように制度を整えました。
武家諸法度は大名をしばる基本法です。築城や城の修理も幕府への報告が必要で、新しい城を築くことは固く禁止されました。城は戦いの拠点になるため、城を自由にさせないことは大名の反乱を防ぐ直接的な方法です。
また幕府の許可なく勝手に婚姻を結ぶことを禁じました。婚姻は大名どうしの強い結びつき、つまり同盟につながります。戦国時代は同盟が戦争を大規模化させました。幕府はそれを繰り返させないために、結婚まで統制したのです。
法度に違反した大名には国替や藩の取りつぶし(改易)が行われました。これは「ルールを破れば領地や地位を失う」という強い警告で、大名を従わせる力になりました。
1615年に家康の命令で作成され秀忠が発布したものが元和令、1635年に家光の命令で追加され発布したものが寛永令です。年号はテストで狙われやすいので、武家諸法度とセットで覚えます。
参勤交代は、家光のころに制度が整えられ、多くの大名が1年おきに江戸と領地を行き来し、妻や子は江戸の屋敷に住むよう命じられました。参勤交代の目的は、幕府の立場から見ると次の三つのねらいがあります。
一つ目は、移動や行列、江戸屋敷の維持に多額の費用がかかり、大名が軍資金をためにくくなることです。お金がたまらなければ、大軍を整えて反乱する力が弱まります。
二つ目は、妻子が江戸に住むことで、事実上の“人質”となり、反乱しにくくなることです。大名が勝手に動けば家族の安全に関わるため、幕府への従属が強まります。
三つ目は、江戸に定期的に集めることで、幕府が大名の動きを把握しやすくなり、江戸を中心とした政治秩序を作れることです。大名は江戸で礼儀作法や政治の常識を学び、幕府の支配が全国に浸透します。
御手伝普請は、河川や江戸城の整備などの土木工事を大名に命じる制度です。これも参勤交代と同じく、幕府の考え方では二つの意味があります。
一つ目は、公共工事を進めて治水や城下の整備を行い、社会の安定を作ることです。災害や混乱は反乱の原因になりやすいため、インフラ整備は政治の安定につながります。
二つ目は、工事の負担で大名の財力を削り、反乱の力を弱めることです。参勤交代と御手伝普請はセットで、大名に「お金と人手」を使わせ、軍事力に回しにくくする仕組みでした。
朝廷の統制(京都所司代・禁中並公家諸法度)
幕府は武士の世界だけでなく、朝廷も監視しました。ここは「武士が天皇を倒した」などではなく、幕府が全国支配を安定させるために、朝廷の権威を利用しつつ、政治的に動かないよう管理したと理解します。
そもそも当時の人々にとって、天皇や朝廷は長い歴史を持つ権威です。幕府が将軍に任命されるのも朝廷からであり、幕府は朝廷の権威を完全に無視できませんでした。もし朝廷が特定の大名や勢力に肩入れして「正しいのはこちらだ」と示すような動きをすると、幕府の正当性が揺らぎ、全国が不安定になります。だから幕府は朝廷が政治の中心になったり、反幕府勢力の旗印になったりしないように監視する必要があったのです。
そのため幕府は京都所司代を置き、朝廷を監視しました。京都は朝廷のある場所であり、ここを押さえることは政治の安定に直結します。
さらに禁中並公家諸法度を定めました。これは天皇や公家の行動・役割を定めたルールで、天皇は学問に専念することなど、朝廷が政治的な争いの中心にならないための枠組みを示しました。要するに、幕府は朝廷の権威を尊重する形を取りながら、朝廷が政治の主導権を持たないように制度で線を引いたのです。
時代背景(なぜここまで制度で固めたのか)
戦国時代は、大名が自由に同盟を結び、城を築き、軍を動かし、全国が常に戦争の危険にありました。徳川政権が目指したのは、戦いの勝利そのものではなく、戦いが起きにくい社会の仕組みを作ることです。だから江戸時代の初めは、合戦の話だけでなく、法度や制度の話が多くなります。幕府は「武力」だけで支配するのではなく、「ルール」と「経済」でも支配する方向へ進んだ、と捉えると理解が深まります。
テスト対策で必ず覚えるまとめ(用語・年号・関係)
関ヶ原の戦い:1600年、家康が勝ち全国支配を強めるきっかけ。
江戸幕府:1603年、家康が征夷大将軍となり江戸に幕府を開く。
大阪の陣:1615年、豊臣氏を滅ぼし徳川支配を固める。
幕領:幕府の直轄地。主要都市・鉱山も押さえ、貨幣発行や貿易独占で財源を確保。
老中:幕府政治の中心。
若年寄:老中を補佐。
三奉行:寺社奉行・町奉行・勘定奉行。
大名:1万石以上の領地を持つ武士。
藩:大名が支配する領域。独自の統治が認められる。
幕藩体制:幕府と藩が全国を支配する仕組み。徳川家光のころ確立。
親藩:徳川一門。
譜代大名:初めから徳川の家臣。重要職に任命されやすい。
外様大名:関ヶ原のころから従った。幕府は警戒しやすい。
旗本:1万石未満で将軍に会える。
御家人:1万石未満で将軍に会えない。
武家諸法度:大名統制の基本法。築城・婚姻などを制限。元和令(1615年)と寛永令(1635年)。
参勤交代:大名が江戸と領地を交代で往復、妻子は江戸。目的は財力削減・反乱防止・大名支配の徹底。
御手伝普請:大名に土木工事を負担させる。目的は社会整備と財力削減。
京都所司代:朝廷を監視する役職。
禁中並公家諸法度:天皇・公家の行動や役割を定め、朝廷が政治争いの中心にならないようにする法度。
ここを「なぜそうしたのか」という幕府の考え方まで理解すると、用語暗記だけでなく記述問題にも強くなります。
江戸時代の幕開け
豊臣秀吉の死後、勢力を伸ばしたのは関東を領地にしていた徳川家康でした。
1600年、家康は豊臣氏の支配を続けようとする石田三成らの大名を関ヶ原の戦いで破り、全国支配を強めます。ここで重要なのは、関ヶ原が「ただの合戦」ではなく、勝った側が全国の大名の配置や身分関係を作り直せる決定的な戦いだったことです。戦後、徳川は大名の領地を組み替え、反抗しそうな勢力を弱め、協力する勢力を中心に政治を進められるようにしていきました。
その後、家康は1603年に朝廷から征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きます(江戸幕府)。これは「武力で勝った」だけではなく、「朝廷から正式な権威を得て全国を治める立場になった」という意味があり、徳川の政治を正当化する大きな力になりました。
さらに家康は1615年、大阪の陣で豊臣氏を滅ぼし、約260年間の徳川支配の基礎を固めました。豊臣氏という“前の政権の中心”が残っていると、そこに不満勢力が集まって再び戦乱になる危険があるため、幕府はその芽を断ち切ったのです。
江戸幕府のしくみ(幕府が強い理由)
幕府が直接支配する直轄地を幕領といいます。将軍直属の家来の領地も含めた石高は江戸時代初めで約400万石、やがて全国のおよそ4分の1にあたる約700万石に及びました。全国のどこかの大名が反抗しようとしても、幕府はそれだけの土地と収入を持ち、動員できる力が大きかったということです。
幕府は大阪・京都・奈良・長崎などの主要都市や全国の主な鉱山も直轄地にして収入源としました。特に都市や鉱山は「お金が集まる場所」です。幕府はそこを押さえることで、政治と軍事の両方を支える財源を確保しました。
さらに金・銀・銅の貨幣を発行し、貿易も独占しました。貨幣や貿易を握ると、全国の経済の流れをコントロールでき、幕府の命令が届きやすくなります。
将軍は直属の家来である旗本・御家人を中心に強大な軍事力を持ちました。幕府にとって、全国を支配する上で最も怖いのは大名の反乱なので、将軍直属の軍事力は「最後の支え」になります。
幕府の政治機構(役職のはたらき)
幕府の政治は、将軍が任命した老中が中心になって行い、若年寄が補佐しました。ここはテストで「だれが政治を行ったか」を問われやすく、老中=政治の中心、若年寄=補佐とセットで覚えます。
さらに三奉行が職務を分担して行いました。
三奉行は、寺社奉行・町奉行・勘定奉行です。
寺社奉行は寺や神社に関わることを担当します。寺社は信仰だけでなく土地や人のつながりを持つ大きな力だったため、幕府は宗教勢力が政治的な争いの中心にならないよう管理する必要がありました。
町奉行は町の行政や裁判など、都市の運営を担当します。江戸時代は都市の人口が増え、商業も発達するので、町を安定させる役所が重要になります。
勘定奉行は財政や年貢など、幕府の“お金の管理”を担当します。幕府は大規模な軍事力や工事を支える必要があるため、財政を握る役職は政治の根幹です。
旗本と御家人(将軍との距離)
徳川氏の家来のうち、1万石未満で、直接将軍に会うことができる者を旗本、できない者を御家人といいます。将軍に会えるかどうかは、身分の差であると同時に、政治や軍事の中心に近いかどうかを表します。時代で変化しますが、旗本は約5000人、御家人は約1万7000人で、その家臣を含めて約8万人になりました。将軍の直属軍として、幕府の力の土台になっていたことが分かります。
幕府と藩の関係(幕藩体制)
将軍から1万石以上の領地を与えられた武士を大名といい、大名は幕領以外の土地を支配しました。大名が支配する領域は藩で、藩では独自の統治が認められました。つまり江戸時代の支配は「幕府だけ」でも「大名だけ」でもなく、幕府と藩が組み合わさった形です。これが幕藩体制です。
ここで大事なのは、藩に独自性がある一方で、幕府は大名を放任したわけではなく、制度でしばって全国の秩序を保ったという点です。
大名の区別(親藩・譜代・外様)と幕府のねらい
大名には、親藩・譜代大名・外様大名の区別があります。これは単なる分類ではなく、幕府が「だれを信用し、だれを警戒したか」を示すしくみです。
親藩は徳川一門で、徳川家に血縁が近い大名です。幕府にとっては“身内”であり、万一のときに将軍家を支える存在にもなります。
譜代大名は、初めから徳川氏の家臣であった大名です。長い間の主従関係があるため、幕府は政治の中心を任せやすいと考えました。
外様大名は、関ヶ原の戦いのころから徳川氏に従った大名で、もともとは徳川と敵対していたり、独立色が強かったりする場合もあります。幕府から見ると、力が大きい外様が結束すると脅威になり得るため、警戒の対象にもなりました。
そのため、幕府の重要な役職には譜代大名や旗本が任命されました。政治の中枢を“身内・古くからの家臣”で固めることで、外様が政治を動かして幕府を揺さぶることを防ぐ意図があったのです。
大名の統制(武家諸法度・参勤交代・御手伝普請)
幕府が最も恐れたのは、戦国時代のように大名どうしが争い、全国が再び戦乱になることです。そこで幕府は大名に対して、「軍事力を強められない」「勝手に同盟を組めない」「お金をためこめない」ように制度を整えました。
武家諸法度は大名をしばる基本法です。築城や城の修理も幕府への報告が必要で、新しい城を築くことは固く禁止されました。城は戦いの拠点になるため、城を自由にさせないことは大名の反乱を防ぐ直接的な方法です。
また幕府の許可なく勝手に婚姻を結ぶことを禁じました。婚姻は大名どうしの強い結びつき、つまり同盟につながります。戦国時代は同盟が戦争を大規模化させました。幕府はそれを繰り返させないために、結婚まで統制したのです。
法度に違反した大名には国替や藩の取りつぶし(改易)が行われました。これは「ルールを破れば領地や地位を失う」という強い警告で、大名を従わせる力になりました。
1615年に家康の命令で作成され秀忠が発布したものが元和令、1635年に家光の命令で追加され発布したものが寛永令です。年号はテストで狙われやすいので、武家諸法度とセットで覚えます。
参勤交代は、家光のころに制度が整えられ、多くの大名が1年おきに江戸と領地を行き来し、妻や子は江戸の屋敷に住むよう命じられました。参勤交代の目的は、幕府の立場から見ると次の三つのねらいがあります。
一つ目は、移動や行列、江戸屋敷の維持に多額の費用がかかり、大名が軍資金をためにくくなることです。お金がたまらなければ、大軍を整えて反乱する力が弱まります。
二つ目は、妻子が江戸に住むことで、事実上の“人質”となり、反乱しにくくなることです。大名が勝手に動けば家族の安全に関わるため、幕府への従属が強まります。
三つ目は、江戸に定期的に集めることで、幕府が大名の動きを把握しやすくなり、江戸を中心とした政治秩序を作れることです。大名は江戸で礼儀作法や政治の常識を学び、幕府の支配が全国に浸透します。
御手伝普請は、河川や江戸城の整備などの土木工事を大名に命じる制度です。これも参勤交代と同じく、幕府の考え方では二つの意味があります。
一つ目は、公共工事を進めて治水や城下の整備を行い、社会の安定を作ることです。災害や混乱は反乱の原因になりやすいため、インフラ整備は政治の安定につながります。
二つ目は、工事の負担で大名の財力を削り、反乱の力を弱めることです。参勤交代と御手伝普請はセットで、大名に「お金と人手」を使わせ、軍事力に回しにくくする仕組みでした。
朝廷の統制(京都所司代・禁中並公家諸法度)
幕府は武士の世界だけでなく、朝廷も監視しました。ここは「武士が天皇を倒した」などではなく、幕府が全国支配を安定させるために、朝廷の権威を利用しつつ、政治的に動かないよう管理したと理解します。
そもそも当時の人々にとって、天皇や朝廷は長い歴史を持つ権威です。幕府が将軍に任命されるのも朝廷からであり、幕府は朝廷の権威を完全に無視できませんでした。もし朝廷が特定の大名や勢力に肩入れして「正しいのはこちらだ」と示すような動きをすると、幕府の正当性が揺らぎ、全国が不安定になります。だから幕府は朝廷が政治の中心になったり、反幕府勢力の旗印になったりしないように監視する必要があったのです。
そのため幕府は京都所司代を置き、朝廷を監視しました。京都は朝廷のある場所であり、ここを押さえることは政治の安定に直結します。
さらに禁中並公家諸法度を定めました。これは天皇や公家の行動・役割を定めたルールで、天皇は学問に専念することなど、朝廷が政治的な争いの中心にならないための枠組みを示しました。要するに、幕府は朝廷の権威を尊重する形を取りながら、朝廷が政治の主導権を持たないように制度で線を引いたのです。
時代背景(なぜここまで制度で固めたのか)
戦国時代は、大名が自由に同盟を結び、城を築き、軍を動かし、全国が常に戦争の危険にありました。徳川政権が目指したのは、戦いの勝利そのものではなく、戦いが起きにくい社会の仕組みを作ることです。だから江戸時代の初めは、合戦の話だけでなく、法度や制度の話が多くなります。幕府は「武力」だけで支配するのではなく、「ルール」と「経済」でも支配する方向へ進んだ、と捉えると理解が深まります。
テスト対策で必ず覚えるまとめ(用語・年号・関係)
関ヶ原の戦い:1600年、家康が勝ち全国支配を強めるきっかけ。
江戸幕府:1603年、家康が征夷大将軍となり江戸に幕府を開く。
大阪の陣:1615年、豊臣氏を滅ぼし徳川支配を固める。
幕領:幕府の直轄地。主要都市・鉱山も押さえ、貨幣発行や貿易独占で財源を確保。
老中:幕府政治の中心。
若年寄:老中を補佐。
三奉行:寺社奉行・町奉行・勘定奉行。
大名:1万石以上の領地を持つ武士。
藩:大名が支配する領域。独自の統治が認められる。
幕藩体制:幕府と藩が全国を支配する仕組み。徳川家光のころ確立。
親藩:徳川一門。
譜代大名:初めから徳川の家臣。重要職に任命されやすい。
外様大名:関ヶ原のころから従った。幕府は警戒しやすい。
旗本:1万石未満で将軍に会える。
御家人:1万石未満で将軍に会えない。
武家諸法度:大名統制の基本法。築城・婚姻などを制限。元和令(1615年)と寛永令(1635年)。
参勤交代:大名が江戸と領地を交代で往復、妻子は江戸。目的は財力削減・反乱防止・大名支配の徹底。
御手伝普請:大名に土木工事を負担させる。目的は社会整備と財力削減。
京都所司代:朝廷を監視する役職。
禁中並公家諸法度:天皇・公家の行動や役割を定め、朝廷が政治争いの中心にならないようにする法度。
